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1000字小説バトル

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1000字小説バトル
第64回バトル 作品

参加作品一覧

(2004年 11月)
文字数
1
のぼりん
961
2
君島恒星
1000
3
吉備国王
998
4
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん
5
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん
6
ミヤヒロ
908
7
柄本俊
1000
8
天羽
1000
9
立花聡
1000
10
るるるぶ☆どっぐちゃん
1000
11
小笠原寿夫
1000
12
早透 光
1000
13
うちゃたん
1000
14
日向さち
1000
15
アナトー・シキソ
1000
16
越冬こあら
1000
17
伊勢 湊
1000
18
橘内 潤
990
19
太郎丸
1000
◆私的企画「うまいもの描写」エントリー作品
20
ごんぱち
1000
21
紅花花屋本舗
1000

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Entry1
天使な男
のぼりん

「ぺっ!」
 なんて汚いやつだ。所かまわず唾を吐く。しかも、ここは僕の病室だ。ベットの足元に片尻をのっけて、まるで与太者のような風体である。
「な、とってもいい話だろ。たった十万円で、1箇月分の命が買えるんだ」
「信じられないな、そんな事。第一あんた誰なんだ」
「オレは天使。ぺっ!」
「天使だって」
「天使だから、こんな取引ができるんだ。あんたの命はオレの見立てでは後わずか。命を助けてやりたいが、オレにはそこまでの力はない。ただし、死んでから1箇月だけ延命させてやることはできる。あの世の入り口の前で、門番にこのお札を見せるだけでいいんだ。ぺっ!」
「そうすれば、1箇月だけこの世に戻ることができると…?」
「その通り。それだけの時間がありゃあ、未練を断ち切るためにいろいろなことができるぜ。死なんて突然やってくるものだからなあ。なかなかちゃんとした準備ができるものじゃない。ぺっ、ぺっ」
「わ、わかった。わかったから唾を吐くのはやめてくれ。十万円でいいんだな。そのお札買うことにしよう。」

 本当に人の死なんて突然のことである。天使と名乗る男からお札を買って三日目に急に病状が悪化してしまい、僕はあっけなく死んでしまった。そうなると、遣り残したことの多さに今更ながら困惑してしまう。あの時お札を買っておいてよかった。僕は心底からそう思った。
 すぐにあの世の入り口にやってきた。門番らしい男が立っている。頭に丸いワッカをのっけているのですぐにわかった。
「実は…」と僕は切り出した。「ここにお札があります。これで、後1箇月だけ元の世界に戻してもらいたいんですけれど」
「なんのことだ」
「なんのことって、これをあなたに見せれば、元の世界に戻れると聞いたのですが……」
「この入り口で、今までそのような例外を認めたことはない。いったい誰がそんな話をしたんだ?」
「天使って、名乗っていました」
「天使だって、どんな感じのヤツだった?」
「うーん」と僕は考え込んだ。そうだ。思い出したぞ。
「なんか、平気で、すぐにぺっ、ぺっって唾を吐く、汚らしい格好の男でした」 
 それを聞いて、門番はとっても同情的な顔つきになった。
「君も騙されたのか。最近、その男による被害が多くて困っておるのだ。そいつは天使じゃないぞ」
「ええ、じゃ、何者だったんですか?」

「ぺ天使だ」
天使な男 のぼりん

Entry2
15年目の真実
君島恒星

 15年が過ぎた。
 工藤亜由美はアイドル歌手絶頂期、この崖から海に舞った。
 自殺。
 その時、この崖には溢れそうになるほどファンが群がった。ガードマンも配置され、後追い自殺をしないように目を光らせていたが、その合間を縫って、二人の若者が崖から飛び降りた。
 あの喧騒は、今はない。
 静かなものだ。
 13回忌が終わると、マスコミも取り上げようとはしなくなり、自然と人は集まらなくなった。
 忘れ去られてきている。
 今年の命日は、僕といつもの女性だけだった。
 その女性は、15年間亜由美の命日には必ずきていたのだろう。いつも目が合うので、自然と意識していた。
 崖から海を見渡す。
 遠くで波しぶきが踊っている。
 変わらない風景。
「静かになりましたね」
 彼女から話しかけてきた。初めてだった。
「本当に静かですね。ここに来るのも、ふたりっきりになっちゃいましたね。もう、亜由美のことは忘れられてるのかな?」
「世間ではそうでしょう」
 お互い15年間、ここで会っていたけど言葉も交わしたことがなかった。自己紹介をし、彼女の名前が琴美だということを知った。
「15年も思い続けるって、大変なことだと思ってたけど、わたし、続けられているんです」
 熱烈なファンらしい。琴美は亜由美の自殺の時から、この崖に通い詰めていた。僕はそんな琴美に弱音をはいた。
「この頃思うんだ。そろそろ卒業しようかなって…僕もいい年になってしまったし…」
 琴美は海を見つめていた。泣いているようだった。
「琴美さんは、亜由美のどんなところに引かれたんですか?」
「わたし、亜由美さんって、あまり知らないんです…」
「え…でも? さっき、15年間思い続けてるって…」
「わたしは、当時騒がれていた、この崖を見にきただけなの…ただの、やじ馬…」
 琴美は僕を見ながら話を続けた。
「この崖で、あなたを見かけたの…悲しそうな顔をしていた。泣いていた。わたし、あなたを見るために毎日…そして、毎年、命日に来ていたの。わたし、あなたのことが一目で好きになってしまったの。でも、亜由美さんのことを忘れていないあなたを感じていたの…」
 びっくりしていた。考えてもいなかったことだ。琴美は話を続けた。
「今年、ようやく話しかけることができたわ…あなたの目に悲しみが薄れていたから…」
「そんなことわかるんだ…」
「15年も見て来たのよ…わたし…」
 さようなら、亜由美。心の中でそう思った。
15年目の真実 君島恒星

Entry3
綿菓子
吉備国王

秋の空に白い雲がふんわり浮かんで、まるで綿菓子のように見えました。
その時、それを見つめていた一人の少年が大きな声で叫びました。
「こんな大きな綿菓子を食べてみたいなぁ!」
空に浮かんだ雲の形を綿菓子と連想していました。
「あれぇ、お腹が鳴ってる?」
その少年は、お腹をぐうぐう鳴らしながら走り出しました。
すると、そこを通りかかったクラスメイトの春子さんに呼び止められました。
「けんちゃん、そんなに急いでどうしたの?」
「僕が、空の綿菓子を見ていたらお腹がぐうぐう鳴ってね、だから、家に帰って、お腹にケーキを食べさせるんだ!」
春子さんは、けんちゃんのいったことがよくわかりません。
綿菓子を食べたいのに、どうしてケーキを食べるのか不思議でした。
春子さんは、けんちゃんにもう一度たずねました。すると、
「僕の食べたい綿菓子は、大きすぎて食べられないんだ。だから、お腹にケーキを食べさせるんだ!」
春子さんは考えれば考えるほど、頭が混乱してしまいました。どうして、綿菓子が大きすぎて食べられないのか判りません。
「けんちゃん、どうして、綿菓子が大きくてたべられないの?
小さくちぎればいいでしょう」
けんちゃんは、春子さんの真剣な問いにびっくりしました。
「僕の食べたいのは、空に浮かんでいる綿菓子の形をした雲なんだ。見ていたら、お腹がぐうぐう鳴り出して、それで、家にでもあるケーキでも食べてお腹を静めようかとおもって・・・」
春子さんもやっとけんちゃんの気持ちがわかりました。
「けんちゃん、ケーキを食べてお腹さんのご機嫌なおしてね!」
春子さんは、けんちゃんを優しく励ましました。
「うん、ありがとう。また、後でね」
けんちゃんは、お腹をぐうぐう鳴らしながら、急いで我が家に駆け込みました。
お腹が空いていたのか、台所に入るとケーキを取り出し、かぶりついて食べてしまいました。
「ああ、美味しかった」
けんちゃんは、お腹をさすり、一人笑いしながら満足そうな顔をしました。
すると、今までぐうぐう鳴っていたお腹も泣き止んでいました。
そこで、こんどは外で遊ぼうかと出掛けていきました。土手の上には仲間たちが待っていました。
「けんちゃん、お腹さんご機嫌なおしたの?」
「もう、ご機嫌を直したよ。だけど、頭の中は、綿菓子でいっぱなんだ?」
「綿菓子プレゼントするからお菓子屋さんに行こうよ!」
騎馬戦のようにけんちゃんを担ぎながら土手を下って行きました。
綿菓子 吉備国王

Entry4

(本作品は掲載を終了しました)

Entry5

(本作品は掲載を終了しました)

Entry6
祖父の背中
ミヤヒロ

祖父がまた、縁側に座っている。毎日、こうやって縁側に座り日向ぼっこをする。そして、ボソボソと独り言を言う。そんな、祖父の背中を僕はじっと見ていた。時刻が、正午になると母が祖父を呼びに来る。今日も、いつものように母が祖父を呼びに来た。
「可哀想にね。ボケちゃって。」
母は、そう僕に呟き、祖父のもとへと駆け寄った。
「おじいちゃん!ご飯ですよ。」
祖父は、母に引っ張られながら食卓へと連れて行かれた。

「はいっ、おじいちゃん。あーん。」
母は、まるで小さな子供の世話をしているようだった。祖父が、一人で食事もできなくなったのは、祖母が亡くなった二年前からだ。食卓の隣の部屋には、祖母の遺影が飾られている仏壇があるが、祖父は一度も足を踏み入れたことが無かった。「かあさんの死を、受け入れられないのね。」と母は、言っていた。

僕は、その部屋へ入てみた。祖母の遺影が飾られている仏壇の横には、本棚があり、その本棚の中に一枚の写真が飾られていた。祖父の写真だ。スーツを着て、ネクタイを締めている。キリッとした顔。笑顔はない。
「おじいちゃんの写真って、それしかないのよ。写真嫌いだったし。」
母が、後ろから声をかけてきた。
「おばあちゃんが生きていた頃はね、仕事、仕事って、仕事生きがいの典型的な会社人間だったのよ。おばあちゃんのことなんて、お構いなしで。」
僕は、じっと祖父の写真見ていた。
「定年退職した後も、元気がなくなってね。心配したのよ。だけど、おばあちゃんがね、おじいちゃんを散歩や買い物に連れて行ったり、旅行に連れて行ったりして、やっと元気が出できたと思ったのに。なんだかんだ言っても、おばあちゃんが、いないとダメみたいね。」
写真の中の祖父は、とても誇らしげな顔をしている。今の祖父からは、とても想像できない顔だった。僕は、再び縁側へと向かった。

祖父は、また縁側に座っている。そして、また独り言をボソボソと言っている。隣に、まだ祖母がいると思っているのだろう。仕事が生きがいだった、祖父。生きがいをなくした時、支えた祖母。その両方を失ってしまった祖父は、今何を思っているのだろう。祖父の背中は、とても淋しく、そして、とても小さく見えた。
祖父の背中 ミヤヒロ

Entry7
ここにあるメロディ
柄本俊

 タン、タ、タ、タン、タン、タ、タ、タン、タン♪

 いつでも、そのメロディは僕の体から奏でられる。
 この調べは楽しさの象徴。
 大好きな海鮮納豆が目の前にあるから。
 マグロにエビにイカにカンパチ、メダイにアワビにイクラにサケ。
 豪華な食材に絡む納豆。
 う~~~ん、幸せ♪

 タン、タ、タ、タン、タン、タ、タ、タン、タン♪

 生まれつきらしいけど、僕の心臓は特殊で、リズムを変えることができるらしい。
 生まれつきだから、他人がどうだかは分からないけど、僕のことを話すと必ず珍しがられる。
「鼓動が早くなったり遅くなったりはあるけど、音楽みたいにはならないだろ。着メロじゃないんだからさ」
 そりゃそうだろうけど、僕はそうなんだ。

 タ、タ、タ、タ、タン、タン、タン、タン、タン。。。

 まいった……。
 テンポが遅くなった。
 それに音も重く感じる。
 ただでさえ、欲しかった本を買いに来たっていうのに、もう売れ切れ。
 おまけに……。
「あっ、こんにちわ。すごい偶然ですねっ」
 本屋から出たところへ、仕事仲間の女の子と鉢合わせになった。
 けっこう可愛い子で、ストレートに自分の好みだったんだけどね。
「おぉっ、ホントにそうだね。遊びに来てたの?」
「そうなんですよ♪」
 彼女は嬉しそうに、隣にいた彼氏に笑顔を振りまいている。
 その笑顔に反比例して、僕の心音はより一層重苦しくなった。
 止まってしまうんじゃないかって思ったほどに……。
「じゃあ、僕は他に用事あるから」
 僕は手を振って、逃げるように、でもそれを悟られないように彼女と別れた。
 去り際に、彼女がおじぎをして振り返してくれた手がメトロノームに見えた。
 早ければ早いほど、僕の針はピッチを落とした。

 タ、タ、タ、タ、タン、タン、タン、タン、タン。。。
 タ、タ、タ、タ、タン、タン、タン、タン、タン。。。

 この体質のいいところは、気分がいいときにはもっと気分を良くしてくれること。
 嬉しい気持ちをもっと後押しするように昂揚させてくれる。
 ただし、哀しいときには、より臨場感を高めて哀しい気分にさせてくれる。
 それが、この体質の気に入らないところ。

 だけど、ものは使いようと思うよ。
 どんなに哀しい調べでも、指揮者の振り方ひとつでメロディは変わるだろうし。
 さぁ、自分に元気を与えてあげるかな。
 僕はタクトを振り下ろす準備をした。

 タン、タ、タ、タン、タン、タ、タ、タン、タン♪
ここにあるメロディ 柄本俊

Entry8
悲しみって嫌だから
天羽

 悲しみって嫌だから、ほらね。
泣いてる間に虹が出てきた。
「おかあちゃん、おかあちゃん、虹が出てきたよ」
「そうね、蘭李も泪が消えて笑顔が出てきたわね」
「うん、そうだよ。おかあちゃんもずぅっと笑ってるね」
虹はそんな楽しそうな親子を雨雲のかわりに見守っていた。

 悲しみって嫌だから、ほらね。
残酷な死なんて忘れて楽しまなきゃね。
「おっかぁ、この小説こわいが、人が殺されとる」
「あそこに絵本あるよ、それは捨てるが」
残酷な物は親子のやりとりを見て逃げていく。

 悲しみって嫌だから、ほらね。
天使が子供達にお恵みをくれた。
「戦争なんかぁ、戦争なんかぁ」
「怖がらないで、天使がねお母さんを楽園に連れて行ってくれたの」
天使は上からそれをそぅっと見てクスクス笑い。

 悲しみって嫌だから、ほらね。
世界中の悲しみを喜びに変えた人がいる。
「サーカスだよ、サーカスだよ」
「ぼっちゃん泣いてるね。アイスクリームをあげよう」
世界中ではみんなニコニコ笑ってる。

 虹は見守り、悪は去り、善が来る。

 だけれど、悪は去らない事だってあるのさ。
でもね『警察』が悪を取り除いてくれる時もある。
まだいる悪を警察は捜しては取り除く。
新しい悪がやってきたら、綺麗なお花畑から黒い花がひょっこり出てきて、綺麗なかわいい花が消えていくことだってある。
そしたら白いお花が黒い花を埋め尽くす。

 子供は大人がいないといけないね。だって、黒い花を取り除いてくれるんだもの。でも、黒い花も大人なんだね。

 虹は見守り、悪は去り、善が来る。

 また、これの巻き戻し。

 トンネルの向こうには、善。
元に戻ると悪。
これはみんな同じ。
戻っちゃいけないって思ってても、行っちゃう人がいる。
そしたら黒い花になってしまうのさ。
前に進めば、綺麗な花へなれる。警察にだってなれるんだ。

 一歩間違えれば、黒い花になってしまう。
そして、瞬く間に枯れていって種になる。
 でもね、みんな枯れるもんだよ。
いつかはみんな枯れちゃうんだ。
 そしたらみんな種になって、新しい花を咲かすんだよ。

 虹は見守り、悪は去り、善が来る。
またまたこれの、巻き戻し。

 種になって、芽が出て、花となり、枯れる。
またまたこれの、巻き戻し。

 道を行き違えたらだめなんだ。絶対間違えちゃいけないんだよ。
美しい花を咲かすんだ。みんなと一緒に素敵なお花畑を作り出すんだ。
 種になるまで頑張って、頑張って。

素敵なお花畑を作るんだ!!
悲しみって嫌だから 天羽

Entry9
秋空
立花聡

 数日降り続いた雨が止むと穏やかな休日となった。
 傾きだした陽光が空色を薄く剥ぎとりはじめていた。いくつか雲が浮かんでいる。
 遠く港から汽笛が届く。静かだった。
 母は眼下の港を覆うように白いシーツを干していた。鼻で小唄を刻んでいる。母の鼻歌には一曲しかないらしい。娘は耳にしっかりと染み付いている。眠くなる。
「ねえ、父さんてどんな人だった」
 母は少し手を止め、すぐまたシーツの皺をのばしにかかった。
「ねえ」居間にごろんとうつ伏せで寝そべり、そのふくよかな頬に杖をついている。父の写真が前にある。
「いい人だったとは言えないかもしれないわね。お酒も煙草もやるでしょう。それに賭け事だってしていたし」
「それだけ?」不服そうに娘は寝返りをうつ。
 窓から注ぎ込む光が木製のテーブルに上手にすべる。そのままつるつると娘の顔を照らしだしている。
「でもねえーー」
 母はパタパタとサンダルを脱ぎ、居間に足をかけた。
「時々、妙にやさしいの。一度だけーー」
「なに」
「なんでもないわ。あんたにはまだ早い話よ。もう少し年をとったら、また話したげる」
 母は思い出したかのように窓を閉める。それはぱたりと鳴く。流れ出していた空気が逃げ場を失ってサッシにぶつかった。日を含んでいた。
「晩ごはん作っておくから、温めて食べなさいね」
 まな板が忙しくなりはじめた。
 小気味良いリズムには安定感がある。娘はゆっくり瞼を落としてみた。沈む。わずかな小石の重みのような緩やかな眠りだった。
 目を覚ますと、母はもう出かけた後だった。
 洗濯物が風に笑っている。時々向こうの海がのぞく。
 父の写真が赤く染まっていた。
 悪い人には見えない。笑っている父はやさしそうだ。それでも母は父を困った人という。それならどうして、と思う。だが、そこにきっと自分の知らない感情がある気がした。母の父は愚痴でしかない。娘はうれしかった。聞くと、まだ生きているような気がする。それで母のする父の話が好きで、ふとせがんで尋ねたくなる。
 秋風が強くなった。金の冠がゆっくりと辺りに落ちている。数ミリの硝子が陽光の光を巧みに折り曲げていた。
 そのうち自分も母のように人を好きになるんだろうか。まだまだ先の話かしら。それとも意外とすぐなのかしら。どちらにしてもむず痒い予感だった。
 娘は立って外を眺めた。
 秋晴れだった午後が暮れて行く。静かだった。
 晴れは当分、続くのだという。
秋空 立花聡

Entry10
モノクロームガーデン
るるるぶ☆どっぐちゃん

 バラの花束とカーテンを買いに、デパートへ。なかなか思うものが見つからず、ふらふらと歩いているうちに屋上へと出る。色鮮やかなレーザービームが数十本ほど夜空へと放たれていて、他のビルから発射されているものと絡み合い、まるで戦争のよう。
「残念だわ」
 屋上には先客がいた。レーザービームの交差する夜空を背景に、彼女はその長い髪と長いスカートをひらひらとさせて立ち、誰かに向けて電話をしている。
「芸術家っていうのは、あたし芸術のために死んでしまった人のことを言うのだと思っていたけれど、でも芸術家っていうのは、芸術のために死んだ人のことではなく、芸術のおかげでご飯を食べていけた人のことなのよね。さよなら。もう電話はしないわ」
 そう言って彼女は電話を切る。僕は彼女も欲しかったものが思うように見つからずに屋上に辿り着いたのだなと思う。話しかける。
「ねえ、君のそのスカートはずいぶん長いけれど、もしかしてカーテンから作った?」
「そうよ。ねえ、たばこある?」
「無いよ。クレヨンならあるけど。十二色。ドイツ製で、なかなかの品だけど安かった」
「お前達、動くな」
 屋上に大きな声が響き渡る。横尾忠則の絵がプリントされたコートを着た男が、数十人の男達を従えて、こちらに向かって叫んでいる。
「警察だ。お前達を全員レイプする」
 警官達は一斉に走り出す。これは大変、と僕たちは逃げ出す。
 長い間走り続けて、結局僕は横尾忠則のコートを着た男に捕まった。
「観念しな」
 男は僕を引き倒し、ズボンのベルトに手をかける。
「クジラがもうすぐ滅ぶよ」
 耳元で男がささやいた。
「クジラがもうすぐ滅ぶ」
「クジラが? 本当に?」
「ああ本当だよ」
「本当に? いつ?」
「もうすぐさ。今度、お前へを海へ連れて行ってやろう。俺はクルーザーを持っているからな」
 男はそう言って僕を抱き寄せ、首筋にキスをする。女はまだ逃げていて、フェンスによじ登り、下にいる警官達に向かって様々なものを投げつけていた。
「えい。こっちへ来るな、えい」
 彼女はどこから取り出しているのか、色々なもの、様々な多種多様な、例えば服だとか宝石だとか、小さなイスだとか、テレビモニター、アルバム、トランク、ビデオテープ、そのようなものを、実に楽しそうに警官達に向かって投げ捨てている。
「もっと強く踏むわよ? 良いのね?」
 追いすがる警官の顔を、黒いストッキングのその足で踏みつけている。
モノクロームガーデン るるるぶ☆どっぐちゃん

Entry11
ちちんぷいぷい
小笠原寿夫

 憲次は途方に暮れていた。研究者を夢見て、遥か北の大地、北海道に降り立ったのが、2年前の春のことである。とは言え、憲次の家庭は貧しく、仕送りもほとんどなく、夜中アルバイトに精を出す傍ら、勉学に勤しんでいた。しかし、バイト代もほとんど家賃と食費に消え、勉強にもついていけない日々が続いていた。もう実家に帰ろう。そう思ったのは、11月初旬、初雪の差し迫るどんよりした曇り空の下での事だった。
 そんな折、札幌駅周辺で憲次は一人の男に出会う。彼は、白髪交じりの短髪で黒いジャケットを羽織り、駅前にしゃがみ込み、空を見上げている、60代後半と見える老人だった。彼を見たとき憲次は、どこか懐かしいというか、同じ匂いを持っているというか、何せある種の親近感を覚えた。
「しばれますねぇ。」
 無意識のうちに、憲次は初老の男の隣にしゃがみ、声を掛けていた。
「しばれるねぇ。お兄さん、出身はどこさ?」
「山梨です。」
「山梨かい。なんでまた北海道に。」
「こっちに学校がありまして・・・。」
「そうかい。大学生かい。こっちにはもう慣れたかい?」
「ええ、」
と、言いかけたとき、憲次は老人の左手にある、シケモクが気になった。
「お父さん、火ィ貸してもらっていい?」
 普段、他人には心を開かない憲次がこれだけ他人と親しげに喋れるのは、珍しい事だった。憲次もどこか自分が自分でないような心持だったが、老人はおもむろにライターをポケットから取り出した。
「ありがとう、お父さん。悪いから、このタバコ吸ってよ。」
 憲次は、老人に持っていた残りのタバコ、4,5本をケースごと差し出した。老人は少し戸惑った様子だったが、その中の1本をスッと抜き取り、ゆっくりとそれに火を点けた。
「お兄さん、何目指してるの。」
「研究職です。」
 憲次は、半ば諦めのニュアンスを込めてそう言った。
「じゃあ、あれかい。ノーベル賞とか狙ってるの。」
「いえ、全然。」
「おじさんはこれでも、昔は歴史に名を残すとか生意気言ってた時期もあるんだよ。でも世の中そんなに甘くねぇな。」
 憲次は老人の風貌を見て、確かにそうかもしれないな、と思った。
「でも捨てたもんでもねぇよ。だって、お兄さん、まだ若いんだから。俺が女だったら絶対惚れてるね。何遍でもやらしてやってるよ。『少年よ、大志を抱け』じゃねぇけどよ。頑張んなよ。」
タバコの煙が宙を舞う。老人の温もりが憲次の傷を癒してくれる様だった。
ちちんぷいぷい 小笠原寿夫

Entry12
ロードレーサー
早透 光

 90Rの緩やかなカーブを抜けると、黄金色の草原に一直線の黒い道が目の前を走る。
 空が青く、麦の少し垂れた穂が波のようにうねり流れる。
(この直線はどこまで続くのだろうか?)
 目の前の景色に、何か自分と似たものを感じた。

 シャーシャーとアスファルトを転がる車輪の音と、わずかな抵抗を受けた風鳴り。そして少し息の上がった自分の鼓動が、螺旋状になって耳の奥底へ響き渡っていた。
(自分に出来るのか……)
 無心に蹴り続けていたペダルを少し緩めると、今までの事が走馬灯のように堰を切って胸の奥底から沸上ってきた。
『今のお前が勝てるのか』
『いったい何を望んでいるのか』
『何が欲しくて、何のために走っているんだ』
 一つ溜息を吐く。
 しかし、もう二度とこんな溜息は吐きまいと、またペダルを踏み続けた。

 ロードレースは自分との戦いだ。集団の中から一度飛出したら二度とペダルは緩められない。体力の限界を通り過ぎて、精神力だけで走り抜ける。気力には限界など無い。無限の力がこの全身に宿り、この腕を、この脚を、全身を、生きた機械のように動かすエネルギーに変えるのだ。
(そう、あんたが言っていたようにね)

 転倒して怪我をしてもあんたは走り続けた。勝負は自分との戦いだと言った。ボロボロの姿になろうとペダルを踏み続ける勇気が大切だと言った。
『自分に負けたくない』
『この世界に存在し続けたい』
『この風をいつまでも感じ続けたい』
 ぐーんと伸びた筋肉を一気に収縮して力に変える。
 脚からペダルへ、ペダルからチェーンへ、チェーンから車輪へ、伝わる力は無駄を許さず地を蹴り、僕の未来へ千分の一秒を刻みながら前へ前へと進む。この目の前の景色の様に、無限に広がる自分の未来へ向って。

『あんたのようになりたい』
『あの日のあんたのように』
 小さな頃の自分は、画面に映るあんたをいつも見ていた。時には峠であんたと同じ風を感じていた。憧れだった。みんなあんたを熱い眼差しで見つめていた。

 風が変わった。
 汗ばんだ全身を優しく包み込むように、涼しげな追い風が僕の背中を押す。僕はペダルを緩めて空を見上げた。青空の中に白い三日月がうっすらと存在して、それが何だかあんたのように思えた。

「もういいよ、自分で、一人で走れる」
「ヴァーレ、ミゲール!」

 黄金色の水平線は何処までも続く。黒いアスファルトの上を僕は走り続ける。
 昔のあんたのように、僕は走り続けるさ。
ロードレーサー 早透 光

Entry13
うちゃたん

「“健”って書いて“ツヨシ”って読むの?」
私は驚いて、携帯をいじる手を止めた。
「うん、変わってるだろ。必ず“ケン”って間違えられるんだよね。」
ツヨシは苦笑いしながら言った。

 ツヨシとはきのう初めて知り合った。合コンで意気投合して、そのまま部屋へ。別にめずらしいことじゃなかった。今まで、それがきっかけで付き合ったのは一人だけ、ほとんどが一夜限りの関係で終わることが多かった。お互い、楽しければそれでいい。
 けど、いくら一夜限りの関係といっても、帰り際に番号くらい交換するのはお約束だった。それでツヨシの書き方を聞いたのがさっきで、今に至る

「小学校の時、同じクラスにもう一人、ツヨシって名前の奴がいてさ。ややこしいからって俺、ケンって呼ばれてたんだよね。それで俺、小五の時に転校したんだ。そしたら新しい学校ではツヨシって呼ばれてさ。なんか、ずっとケンって呼ばれてたから自分の名前じゃない気がしてさ」
ツヨシは煙草をふかしながら笑って言った。
 知ってるよ。だから私も気付かなかったんだ。
 ケンと私は四年間同じクラスだった。明るくて、わんぱくで、いつも必ず授業を中断させるのがケンだった。でも、なぜか先生にも好かれてた。人一倍、正義感が強くて、クラスのまとめ役だったからだろう。
 クラスの女子のほとんどがケンを好きだった。バレンタインデーになると、友達に付き合わされて、ケンの家までチョコレートを届けに行ったこともあったけど、はにかみ屋のケンは絶対、出てこなくて、おばちゃんが受け取っていた。
 あのケンが女の子をお持ち帰りするようになったとはねぇ。私は思わず吹き出しそうになるのをこらえた。

「じゃあ私、帰ろうかな。始発出てると思うし」
「え? ああ、駅までの道分かる?」
「うん」
「あ、俺、番号聞いてない」
「あとでワンギリしとく」
玄関のドアを開けた時、ツヨシが思い出したように叫んだ。
「てかさ、上の名前なんていうの?」
一瞬、間を置いてから
「上原、上原ミキ」
私は振り返って、笑顔で答えた。

 駅のベンチでなかなか来ない電車をボーっと待ってた。
 わざわざ偽名を使う必要はなかったかもしれない。地味で目立たなかった私のことなんて、きっと覚えていないだろう。
 でも、もし記憶の片隅にでも私がいるなら、ケンの中の私はあの頃のままでいてほしい。
 私は携帯を出して、“健”のメモリーを消去すると、ベンチから勢いよく立ち上がった。
健 うちゃたん

Entry14
男と女、友達同士
日向さち

 インターフォンを鳴らしてみたけれど反応がない。もう一度鳴らしてみて、留守かなぁ、と思う。
「留守だよ」
 耳慣れた声がして振り向くと、野菜とか、卵とか、レトルト食品とかが入った、スーパーのレジ袋を片手に、同じ大学へ通う男の子が立っていた。
 ちょっと待って、と言って、鍵を開けて部屋へ入れてくれる。私が女だなんて、まったく考えてないみたいに。いつもこんな感じだ。前触れもなく私が訪ねてきては、話を聞いてもらって帰っていくだけ。何も起きない。
 私自身、こいつを何だと思っているのだろう。
「――煙草買ってこいなんて、偉そうに言って」
「自分で行けって思うよな」
「うん、最近寒いしさ、なんでそんなもん――」
 こいつは煙草を吸わないからいいなぁ、なんて思う。清潔に保たれたクッションを抱きかかえながら、平気で恋人の話ができてしまう相手だと、認識しつつも。
「あいかわらずだな」
「あたしが?」
「じゃなくて、彼が」
 形だけの亭主関白――。前にも言われたことがあった。亭主じゃないけれど。
「気取ってる?」
「うん。変わらないよね」
 大概の男は、悩みや愚痴を打ち明けると解決策を考えてくれちゃうものだけど、こいつは違う。お茶を啜りながら頷いている姿に、アドバイスをしようなんて心意気は感じられない。だからこそ、何でも話せてしまう。同性の友達と話すみたいに。
「なんだかんだ言ったって他人だしね、考え方を変えさせようなんて、ねぇ?」
「難しいよ」
 手元を見つめながら短く息を吐くのを見て、二年前に別れた彼女を思い出したのだと分かった。今までで最高の恋人だったと、話してくれたことがある。
 空になっていた自分の湯呑と私のマグカップを持って、お茶を注いできてくれた。この家に、マグカップに似合う飲み物は無いのだ。
 あったかい、と言ったら、あ、という反応が返ってきた。
「コタツ入れた?」
 そんなことか、と思う。
「ううん、とりあえずヒーターだけ。ヒーターの目の前で生きてる」
「俺はいつも、こうしてる」
 まだ話したいことあるのに、と思いながらも、床に敷かれたホットカーペットへ寝転がるのを見ていると、どうでもいいような気がしてきて、テーブルを挟んだ形で同じように寝転がってみた。温もりが、体の隅々まで伝わっていく。
「眠るなよ」
「眠らないよ、まさか」
 カップを手に取り、両肘を立てる。彼だったら行儀が悪いって言うだろうけど、今は気にしたくない。
男と女、友達同士 日向さち

Entry15
サラバンド
アナトー・シキソ

君は、物音を立てないように、ゆっくりと窓を開ける。
先に入り、彼女に手を貸す。
彼女の手を引いて暗い廊下を抜け、灯りの漏れる部屋の前に来る。
腕時計を見る。時間どおり。
ここまではよし。
君は彼女を少し後ろに下がらせ、ノックせずにドアを開ける。
とっさに彼女の口を手で塞ぐ。
死体。
頭の中身がすっかりこぼれて床に溜まっている。
君は考える。
先回りをした奴がいる。
君は彼女の肩を抱えてそっと廊下に後ずさる。
「やあ、こんばんわ!」
不意を突かれ、君たちは二人揃って声を上げる。
「ああ、驚かせてしまって申し訳ない」
低い声が今通ってきた廊下の奥から聞こえる。
君は彼女の肩を強く抱き寄せ、声のする闇を睨む。
暗い。
「しかしこんな時間に何を?」
闇から現れる声の主。
穏やかな顔つき。四角い肩。太い腕。そして車椅子。
君たちはこの男を知っている。
「その部屋になにか?」
男は車椅子を進めて部屋を覗き込む。
「ああ、そうだった」
男は呟き、そして少し笑う。
「いや、実におぞましい……」
男はしかめっ面を君たちに向ける。
「知り合い、らしいね?」
だが、君達は揃って首を振る。
「おかしいな?」
男は部屋の死体を顎で指す。
「そいつ、これを持っててね」
男はポケットから携帯電話を取りだす。
「こうやって発信記録の番号に掛けると……」
突然鳴り出す君の携帯電話。
「ほら」
慌ててその場を離れようとする君と彼女。
だが、男が凄い力で君の腕を掴む。
「いや。戻れないよ」
とっさに車椅子を蹴飛ばす君。
男はバランスを崩しそうになるが、掴んだ手は離さない。
「車椅子を蹴るなんて……」
携帯電話をポケットに戻す男。ゆっくりと車椅子から立ち上がる。
「一生懸命リハビリしたからねえ」
呆然と男を見上げる君の喉に、突然男の右手が食い込む。
体が持ち上がり、頭の中を太い電気が流れる。
舌が口いっぱいに膨らむ。
君は苦しい。
動転した彼女は君を置いて逃げようとする。
無駄だ。
髪の毛を掴まれ、床に引き倒される。
彼女は顔面を思い切り踏みつけられる。
頭蓋骨陥没。
彼女は死んだ。即死だ。
そして君。
喉が潰れ、痙攣が止まる。
あっけない。
君も死んだ。
君が最後に聞いたのは天の雷ではない。
それは、踏み砕かれる彼女の骨の音だ。

私は、君たちの名をリストに書き加え、レコードに針を落とす。
短い旋律を繰り返す作者不詳のレクイエムだ。
今、喜びと共に天国の門をくぐる君たちの姿が見えたよ。
すばらしい。
私は車椅子に身を委ね、涙を流す。
サラバンド アナトー・シキソ

Entry16
下積み(小津の朝)
越冬こあら

 小津の朝は早い。いつも一番に目覚める元気もののドロシーがタイトルソングを絶叫する為、他のメンバーは飼犬トトを含め、眠っていられない。
 トントトントン。万年料理番の案山子は、何の疑いも無く台所に向かい、鍋を火にかけ、大根を刻む。
 ギシギシガチャガシャガチャ。ブリキのきこりは前日録音しておいたNHKで、念入りにラジオ体操を始める。
 ラーラールンララ、ラーラァー。ドロシーの歌は、ミュージカル・ヴァージョンのフルコーラスなので、まだまだ続く。
 ガオーグァオー。小心者のライオンも皆の騒々しさに助けられ、雄叫びを上げる。そして、トトがワンワンワン。
 これらの騒音は、階下に住む大家が我慢出来ずに怒鳴り声を上げるまで続く。

 豆腐と大根の味噌汁、焼き魚、ベーコンエッグ、納豆、そして御飯とお新香。温泉街の横文字旅館地下一階宴会場に於ける朝食バイキングさながらのメニューが、律儀な案山子の軍手をはめた手で、卓袱台に並べられる。そんな案山子の額には、味噌汁に入れるついでに「せめてもの足しになれば……」と頭の縫い目から無理矢理詰め込んだ『ハナマルキだし入り味噌』の飛沫が付着している。これも毎朝のことだ。
 きこりは既に食卓に付き、好物の納豆をかき混ぜている。毎晩の注油と毎朝の体操のおかげで、ブリキの右手は見事に回転し、だんだんと白さを増す納豆を見つめるきこりは、期待に胸を膨らませている。
「ワシ、こない見えても肉食でっせ」
 ライオンが卓袱台を前に、吠えたてる。
「じゃあ、食べないでいいわよ。表に出て、隣の猫なり、牡鹿なり、カラスなりを捕獲して、その牙で噛み殺した血だらけの生肉を頬張ればいいじゃない」
 ドロシーが逆切れし、青ざめたライオンは正座して、ご飯茶碗を押し戴く。
「しかし、和風朝食にベーコンエッグって……」
 納豆で粘った口のまま、きこりが呟く。
「コラ、きこり。また、お得意の心無い発言をしおってからに。ベーコンエッグはカンザスの味や。ドロシーはんの好物やんけ」
 ライオンがべんちゃらを言うと、
「ああ、ヘンリーおじさん、エムおばさん……」
 ドロシーはミュージカルモードに入り。目に涙を浮かべ、歌いはじめた。

 点字ブロックを黄色い煉瓦道と信じ込み、群馬県満地金郡小津町にやって来た一行が、ここ翠玉荘に住み付いて半年が過ぎた。アルバイトに精を出す彼等が、大家と幸福の正体に気付くのは、まだまだ先のことだった。
下積み(小津の朝) 越冬こあら

Entry17
都会の踊り子
伊勢 湊

 雨の中でもそのドレスの裾を濡らすことなく歩ける女性こそが僕にとっての本当のレディーで、僕はそんな女性をいままでのところ一人しか知らない。バーには音楽はなく、鈍く響く屋根を叩く雨音が心の中で自分だけのメロディーを奏でる。カウンターの向こうではバーテンダーが何も言わずに僕のために丸い氷を削りつづけている。世界に完全な球形があるとしたら、それはこのオレンジ色の照明の下で作られるウィスキー用の氷だろう。暖かい液体が注がれた瞬間に地球に例えれば山や川といった小さな凹凸さえ溶けてなくなってしまう。僕が生まれる前、母や、父であろう人、そしてその仲間達が静かに芸術について語り合っていた頃から彼はここで丸い氷を削っていたという。
 雨音に紛れて彼女の足音が聞こえる。それは規則正しく、それでいて曲線的なやわらかいリズムを刻んでいた。いま四段ほどの短い階段を上り彼女が扉に手をかける。
 カラン、カラン、と扉に付けられた陶器のベルが音を鳴らす。バーテンが小さく一礼して視線だけで挨拶を交わし、僕は小さく手を挙げた。
「ひどい雨ね」
 彼女はそう言いながら濡れた傘をバーテンに手渡すけど、そのドレスの裾は微塵も濡れていない。
「こんな雨の日にごめんね」
「いいのよ。私もあんなつまらないパーティー早く抜け出したかったし」
 彼女はドライマティーニを頼む。ベルモットの香りを微かに香わせるだけの強いマティーニが彼女のお気に入りだった。
「どうしてもダメだったの?」
「うん。今日、離婚届を出してきたよ」
「そう」
 彼女は僕の離婚については一切非難をしなかった。たぶん彼女自身が息子の、つまり僕の父親と一緒にならなかったからだろう。僕の父親はやはり彼女と同じ画家だったが子供が出来た彼女よりも別の女性を結婚相手に選んだらしい。たぶん同じ画家として僕には決して理解できない美意識を持っていたようだ。
「母さんみたいな女性にはなかなか巡り合えないようだよ」
「そんなことを言っているとね、マザコンって言われちゃうわよ」
 彼女はそう言って小さく笑った。そうなのかもしれない。しかし僕が、たぶんそう言って間違いないと思うけど、恋をしているのは母という部分を含んでいない彼女だ。父がどう思ったのかは知らないが、やはり彼女はこの都会の中で一番美しい女性だ。
父が残した絵の中で一番美しいとされるのも、妻になった女性のものではなく彼女の踊る姿の肖像だった。
都会の踊り子 伊勢 湊

Entry18
『赤い三日月』
橘内 潤

 メトロノームに切り刻まれた赤い月が、ネオンサインに融けていく。

 眠らない街の窓辺でホワイト&マッカイが絨毯に染みを広げるころ、芙美子は鼻腔をくすぐる鉄の匂いに身体の奥を熱くする。誘われるままに匂いを辿って、色褪せたホテルの廊下を歩く。やがて扉の前で立ち止まると、ドアノブに手をのばす。鍵は掛かっていたが、ほんのすこし力を込めてノブをまわすと、あっさりと開く――ノブの内部がぼろぼろに錆びついていたのだろうか?
 部屋は、外見から想像できるとおりの安っぽい内装だ。壁紙は褪色し、狭い室内を古ぼけたベッドとテレビが占拠している。――水音が聞こえている。部屋を見つめる視界の横手、おそらくは浴室だろう戸の向こうからだ。こちらは鍵が掛かっておらず、すんなりと開く。
 浴室の戸を開くと、濃厚な鉄の匂いが流れでた。錆びた鉄をこすったような生臭い血の匂いが芙美子の快楽中枢を刺激する。脳の内側をまさぐられるような感覚に、視界が潤む。自分の吐息が熱っぽくなっているのがわかる。出しっぱなしのお湯がバスタブから湯気をたたせ、芙美子の肌を朱に染めていく。
 芙美子の蕩けた瞳には、項垂れるようにしてバスタブに寄りかかったまま、ぴくりともしない男が映っている。左手は並々と湯を貯めたバスタブに浸かっていて、ざっくり十字に裂けた手首から赤色を湯に広げていた。
 男の顔にはもう生気がなく、血を失った肌は青いほどに白い。芙美子は男の傍らに膝をついて濡れた左手を湯から引きあげると、からからに乾いた唇を舌で湿らせる。深い赤を滴らせる手首を奉げ持つと、官能に濡れた溜息をひとつ零して――手首の裂目にむしゃぶりつく。
 ――じゅる……ちゅる……。
 お湯の注がれる音に、極上のワインよりも赤い液体を啜る音がまざる。芙美子の瞳は濡れそぼり、こくりこくり、嚥下するたびに喉がうごめく。朱を刷いた唇を拭う舌先も赤く染まり、頬は桃色の上気する。
 左手がふたたび湯に落とされたときはもう、手首の裂目から赤色が広がることもない。芙美子は唇に塗られた赤色と鉄の味を舐めとり、鼻腔一杯に鉄の匂いを満たして余韻を噛みしめる。それから、ゆらりとした足どりで部屋を後にすると、明け方を予感させる街路を遠ざかっていく。

 秒針に刻まれた心臓が、三日月の唇へとラトゥールを滴らせる。
 眠らない街の窓辺で今夜もまたひとり、酔いつぶれてグラスを落とす。
『赤い三日月』 橘内 潤

Entry19
明智探偵の生活と推理…カピバラ(capybara)全滅
太郎丸

「カビバラ全滅」
 途切れ途切れに聞こえてきた係員の話を耳にした小林少年は唖然とした。せっかく難事件が解決したので、先生の好きな動物ふれあいコーナーにやってきたのに…。
 遅れてやってきた明智に小林少年は悲しそうに声をかけた。
「先生。何でもカピバラが全部死んでしまったようです。さっき係りの人が話しているのを聞きました」
 小林少年の言葉に、明智はうろたえた。
「カ、カピちゃん…。カピちゃんが…」
 頭を掻き毟る明智の髪からフケが…、そ、それは金田一。

 明智は少し眉を寄せると、小林少年にこう言った。
「確かに、この静けさとひとけのなさから想像するに、それは信憑性がある。だが事実確認が先だ」
 近くの係員にツカツカと近寄った明智は尋ねた。
「最近。ここで変わった事はありませんか?」
「いや特にありませんが…」
「そんな事はないでしょう。カピちゃんが見えない」
「カピちゃん!?」
 変な顔をした係員を尻目に明智は続けた。
「そもそもふれあいコーナーにカピちゃんがいないというのはどうした事ですか? 疲れた都会の生活に心を癒すためのせっか…」
 余りの剣幕に恐れをなした係員は、掴まれていた手を振り払って逃げ出した。
「その男です! さっき話していた係員は」
「小林君。捕まえたまえ。犯人はあいつだ!」
 明智の言葉に小林少年は、柵を乗り越え芝生養生中の立て札も無視して直線距離で近道をし、
係員を捕まえた。
「な、何をするんだ」
 男の言葉を無視し、小林少年はその腕を捻りあげる。
「先生。捕まえました」
「よくやった小林君。それでは説明してもらおうか?」
「い、いったい何を説明しろというんですか?」
「まだシラをきるつもりか?」
「シラも何も何だか判らないから聞いてるんじゃありませんか?」
「それじゃ説明しよう。カピちゃんがいないのは客に対する嫌がらせではなく、私に対する挑戦だ。それはすなわち人類の平和を脅かす行為なのだよ。あんな可愛いカピちゃん達を始末するなんて、貴様は極悪人だ。貴様はカピちゃん達を殺害しただけでなく食べたな。その脂ぎった顔と薄い髪の毛に短い足、そしてその太ったお腹が証拠だ。もう許せん」

暴力シーンが過激な為、自主規制

 時間になると、ふれあいコーナーが開かれカピバラ達が出てきた。
「先生。様子が…」
 明智は悲惨な姿の係員に恐る恐る尋ねた。
「君は何を話してたのかな?」
「菌糸状の黴で薔薇が全滅したいう植物園の話ですか?」
明智探偵の生活と推理…カピバラ(capybara)全滅 太郎丸

――私的企画「うまいもの描写」――

参加作品

Entry20
肉をくわえられなかった犬
ごんぱち

 わんっ!
 白犬が吠えたと同時に、くわえていた肉は川の中に落ちてしまいました。
「ああっ、何てこった!」
 肉は流されて見えなくなってしまいました。
「……これは自分の影じゃないか」
 ようやく愚かな白犬は水面に映った自分の姿に吠えた事に気付きました。
「なんてこった……」
 白犬はお腹を空かせたまま、とぼとぼと歩きます。
 何も食べ物を手に入れていないのなら、まだ我慢が出来ますが、少し前まで肉をくわえていたのです。その味や舌触りの記憶が、胃をギュウギュウと動かします。
「あれだけの肉、もういつ手に入るか分からない」
 どっしり重く、固すぎず柔らかすぎず。熟成も進んだ肉。うっすらのった脂は、くわえていた時の口の温かみでとろけ、今も舌に残っています。
 でも、食べられなかったのです。
 水に、落ちてしまったのです。
「はぁ……」
 白犬はガックリ肩を落として村の道を歩きました。

 ――と。
 白犬は、肉の匂いを嗅いだ気がして、顔を上げました。
「ははは……匂いの幻覚まで出るなんて」
 でも、匂いはどんどん強まって来ます。
「一体、どこに?」
 キョロキョロと辺りを見回します。
 すると遠くから、一匹の黒犬がやって来ました。
 口には肉をくわえています。
「また川に映った影……いや」
 白犬は自分の口を開きます。
 黒犬は肉をくわえたままです。
 首を振ってみます。
 黒犬の首は動きません。
「よし、やった、今度こそ本物だ!」
 白犬は大喜びで肉をくわえた黒犬のところへ走って行って――。
 わんっ!!
「肉をよこせ!!」
「いきなりなんだ、この野郎!」
 白犬は、黒犬の喉笛に食らい付こうとします。しかし、犬にとって攻撃の瞬間は最も無防備な時。しかも白犬に冷静さはありませんでした。
 黒犬は冷静に肉を置いて、突進する白犬の顔面に前脚でカウンターを入れました。尖って汚れた爪が顔面を切り裂きます。
「うわああっ!」
 弾き跳ばされた白犬を、黒犬は容赦なく二度、三度と咬みます。
「いたっ、痛っ、痛い! やめろ、こら、痛い!」
 傷口から血が溢れ出します
「わ、分かった、参った、ごめん、すまん!」
 白犬は仰向けになって腹を見せます。。
「ふん、口ほどにもない」
 黒犬は、返り血をひとなめすると、また肉を拾って立ち去りました。

「――うー、痛い痛、痛い!」
 白犬は、うずくまり傷を舐めます。
「本物でも、全然ロクな事にならないじゃないか。一体、何を、間違えたんだ?」
肉をくわえられなかった犬 ごんぱち

Entry21
from 鍋好き佐藤さん to 鍋関係者一同様
紅花花屋本舗

 正方形のこたつの上に、ふたで閉じられた土鍋が一つ。
 それを四人の男女が囲み、箸を利き手に構えている。もう片方の手には、空になったお椀を掴んでいる。
 土鍋はくつくつと小さな音を立てながら、ふたの淵から旨味の無い汁をたまに放出する。
 多少は旨味があるかもしれない。しかし、四人の男女はそんな汁には興味も無い。彼らの求めるのはその旨味を吸った、土鍋の中身のみだ。
 野菜や肉の旨味を吸った鍋の汁、鍋の中ではその旨味を米が奪取する。無慈悲に奪い取っていく。
 しかし、米の謀略もそれまでだ。すべての旨味を奪い取った後、米は四人の人間に命そのものを奪取されてしまうのだから。

「もう、OKだな」
 戦闘開始の合図、男は鍋のふたを取った。
 溶いた卵がふわふわになって、ご飯の上に
 ガツガツガツガツ
 その匂い、正に肉と野菜の旨味のコラボレーション。
 その味、コラボレーションだけじゃ説明できない、神の所業か。
 雑炊は昔は賄い食だったと言うが、これを賄いで食えた料理人は幸せだったのではないだろうか。
 ムシャムシャムシャ
「おい、おまえ取りすぎだよ!」
「早い者勝ちだ、負け犬!」

「うお、もう鍋の中身無いのか!」
 鍋についてうんちく語ってる最中だったのに、鍋の中の雑炊は既に空になっていた。
「鍋のコラボレーションだなんて、そんなことどうでもいいんだよ」
「そうそ、うまけりゃいいんだ、うまけりゃ」
 鍋は語るの大好きな僕には向いてないと分かった。
 とりあえず、一杯だけ残った雑炊を僕は食べ始めた。
 あぁ、この汁気。
 温められて、米と混ざってややどろどろになっているが、そのどろどろの随所に旨味が行き渡ってる。
 それと絡めて食べる米、米の中にまで旨味は吸収され尽くしている。
 ずず、と茶漬けを食べるような感覚ですすりながら食べる、口の中には今は形の無い肉と野菜から生まれた新しい味が広がっていった。
 あぁ、至福なり。
 そして何より、米を食ったという満足感。
 あぁ、日本人に生まれてよかった。日本人じゃなかったら、こんなうまい雑炊にはありつけなかったに違いない。
 
 雑炊様、土鍋様、野菜様に肉様。
 今年の秋冬も、どうかよろしくおねがいします。
 ハンバーガーなんかじゃ味わえない、味の奥深さを今の日本人に教えてくれる、数少ない皆様のご繁栄を心より祈っております。

 追伸
 だから、もっと野菜値下がりしてください。
 農家の皆様お願いします。