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1000字小説バトル

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1000字小説バトル
第70回バトル 作品

参加作品一覧

(2005年 5月)
文字数
1
香月朔夜
1000
2
のぼりん
1000
3
千早丸
1000
4
朧冶こうじ
1000
5
小笠原寿夫
1000
6
ぼんより
1000
7
めだか
1000
8
綾重寄之介
817
9
霜月
1000
10
ごんぱち
1000
11
橘内 潤
918
12
夢追い人
1000
13
越冬こあら
1000
14
アナトー・シキソ
1000
15
安藝賢治
1000
16
たかぼ
1000
17
早透 光
1000
18
スナ2号
1000

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Entry1
空色
香月朔夜

街路地の一角。
ビルとビルの間から天を仰げば、流れゆく青空があった。
しかし、それは本来の空より一段低い。
当たり前だ。
もう何年も前に、本物の青空は失われた。
今あるのは、灰色に濁った空を隠すために創り出された人工の青空。
ホログラフィック技術の応用らしい。

―――くだらない。

街路地の向かい側では、そんな誤魔化しでしかない空を指差し、今まさに子供に語り聞かせる母親がいる。
「ほら見て由宇ちゃん。空はあんなに青くて綺麗な色をしているのよ。」
まだ4・5歳であろう子供は目を輝かせて、その偽物の空を眺めていた。
希望に満ちた目。
一点の疑いもないその表情に、わずかだが母親の顔が曇る。
私はそれを見て思わず苦笑した。自嘲に近いかもしれない。
知っているから。この先を。

―――〈既視感(デジャ・ビュ)〉―――

そう。やがて大人へと成長する過程で、子供は気づくのだ。

〝本当にそうだろうか?〟

疑問を抱けば後は早い。
恐れながらも、知的好奇心の塊である人間は、簡単に真実に辿り着いてしまう。
そして悟る。

〝ああ。この空は紛い物なのだ〟

そうなれば遠くない未来、その双眸は光を映さなくなり、枯れて、消えるのだろう。
後は、虚ろさを宿した淀んだ眼で、彼らもまた大人たちに混じってゆくのだ。
一言でいうなら、それは『絶望』

しかし闇に閉ざされた底無しの穴に堕ちてさえ、人々は渇望するようだ。
ただ青い空を。
それは愚かさなのか強さなのかは知らないが、とにかく人がひたすら空を青く染めようと努力し続けていることは事実だ。
結果、局地的ではあるものの、確かに青空は再現された。科学技術によって。

―――だが、これが何になる?

その真意はわからない。
子供に少しの間だけでも夢を与えたいのか。
それとも、作り物の空で世界を埋め尽くし、事実にすり替えるつもりなのか。

―――くだらない。

あの歪んだ空を知るものが一人でもいる限り、必ずその青いメッキは剥がれ落ち、人々に絶望の雨を降らせるだろう。
そんなことはわかりきっている。
これは単なる問題の先送りに過ぎず、残酷さを孕んだ優しさに他ならなかった。
本当に必要なのは、そんな物じゃない。

「そう。‥‥‥本当に必要なのは、あの腐りきった空をどうやって元に戻すか‥‥。」

ぽつりと口を出た言葉に気負はない。
そして、その内容は、学者たちが聞けば口をそろえて「絶望的見解だ」というもの。

けれど、希望を未来へ残せる唯一の道でもあったのも確かだった。
空色 香月朔夜

Entry2
埠頭
のぼりん

 狭く薄暗い倉庫の中、裸電球のかすかな明かりが、ひとりの男をスポットライトのように照らしていた。男は猿ぐつわをかまされ、両手両足をロープで括られて、丸太のように地面に転がされている。その周りを数人の男たちが、ニヤニヤ笑いながら取り囲んでいた。
「第三埠頭の端から防波堤の端っこまで行って、そこから海に投げ込んでやる。幸い、今晩はひどい嵐だ。誰に見られることもないだろう。お前があの暗い海に沈んでいくところをしっかりと見届けてやるぜ」
 ボスが男の耳元で呟くようにいった。身動きできない男の顔だけが恐怖で引きつる。
「おい、もう一つ、オモリをつけておけ」
 ボスが、あごをしゃくって指示を与えると、子分たちは、男の自由を奪っているロープの端にさらにコンクリートの塊を括りつけた。
「ボス、これ以上オモリをつけたら埠頭まで運ぶのが大変ですぜ」
「屁理屈を言うな」
 大声で叱りつけると、ボスは急に声を落とした。
「お前たちは人の沈め方って奴がわかっていねえ。俺がこれまで、何人あの海の中に人間を放りこんでいると思ってるんだ。いいか、海の底に沈んだ死体はな、何日かすると腐敗ガスがたまり、風船みたいにパンパンに膨れ上がる。そうなると、すぐに浮かび上がってきて、少々のオモリじゃ役にたたねえんだよ」
 折からの暴風雨が、倉庫にあるたったひとつの小さな窓ガラスを激しく打ちつづけていた。
「荒れてるなあ。この嵐じゃ、海の底もさぞかし沸き立っていることだろう。お前の死体は底を這って沖のほうに遠く流されていく。未来永劫見つかりやしないよ」
 目の前には、どうしようもない現実があるだけだ。なによりも、男はボスのメンツを潰してしまった。すでに選択の余地はない。確実な死しかありえなかった。
 絶望の中で男の意識が遠のいていく。もし、人生におまけがあるなら、遣り残したことは数え切れないほどある。
「せめて最後に家族に謝りたい」そう思う。
 だが、二度と男が目を覚ますことはないだろう。

 意識が再び戻ったとき、男は防波堤の上で大の字にころがっていた。
 台風一過。抜けるような青空の下である。
 もちろん、両手と両足に括りつけられたオモリで、自由に立ち上がることはできない。だが、そのおかげで万に一つの命拾いをしたのは確かだ。
 今ごろ沖の海の底で骸になっているのは、あの晩、荒れ狂う大波にあっという間に洗い流されていったボスたちの方だったのである。
埠頭 のぼりん

Entry3
イカロスの足
千早丸

「男子の足には羽根がある」
 ロマンチックな台詞を吐いた由美は、しかし汗だくで息も切れ、般若の形相。バスケットボールに噛み付かんばかりで、同情より呆れてしまう。
「だから無理だって」
 私はハンドタオルを由美に渡し、それが三日前からポケットにあった、なんてのは黙っていようと思った。

 昼休みの体育館、発端は場所取りで男子と揉めただけ。なのに何故かヒートアップし、何故かバスケ1対1の3点先取で勝負、という話になった。
「勝負で昼休み終わると思う」
 私の意見は無視された。しかも他の生徒を追い払いコート半面を強引に開けさせ、もはや「本末転倒」のいい見本だ。
「ハンディだ。1点やる」
 由美と勝負する男子が言う。同級みたいだけど知らない顔。髪があるから運動系ではあるまい(ウチは丸刈りが基本)。
 が、この申し出で由美はさらに逆上した。
「いらぬ世話よ!」
 由美の所属クラブはバスケット。レギュラーではないが、自負がある。
 んで結果――

「3対2。1点もらえば良かったね」
 床にヘバッた由美の隣、腕時計を見たところでチャイムが鳴る。やはり勝負で昼休みが終わった。
 体育館にいた他の生徒も、道具を片して引上げ始める。中には用具室へ適当にボールを投げ入れるだけ、なヤツもいた。
「できる訳ないでしょう」
 由美は、ウワゴトを呻いた。昼食後に予備運動なしで全力疾走、の結果だ。
「男子はズルイ。なんであんな身軽かな」
 俯いたまま由美は悔しそうに呟く。私達の前を男子が馬鹿笑いしながら駆けて行った。女子のようにドタバタ床を叩くようではない。無重力のような軽やかさで、飛ぶように。
「ずるいよ。私も、動きたいのに」
 言いながら、乱暴にタオルで顔をこする。
 私は、ただ黙って彼女の隣に座る。肩を叩く、までは親切じゃないから。

「おい、負け女!」
 声に、由美は1動作で立ち上がる。漫画ならすごい擬音がつきそうな勢いで。
 出口近くで、アイツが気楽に手を振っていた。
「また勝負しようぜ」
 言って、一瞬でいなくなる。
 見ると由美は震えていた。私は「聞いていい?」些細な疑問をぶつけてみる。
「どうして顔が赤いの?」
 また擬音付き動作で由美は私を見る。目は見開かれ、目玉が落ちそう、と言うべきか。
 私は「ふぅん」目を細め「次は邪魔しない」笑ってやった。
「ちょっと!」
「本鈴が鳴るよぉ」
 ヒラヒラ手を振って、駆け出す。

 決して男子のようには、走れないけど。
イカロスの足 千早丸

Entry4
殺し
朧冶こうじ

 私は人を殺さなければ生きていけなかった。
 いや、生きていけないという言い方には語弊がある。
 私は、人を殺さなければ存在していけなかった。
 それは生まれついての運命のようなもので、何か特別な事情があっての事ではない。
 強いて言うならば、その生まれが悪かったというところか。私の家族は、代々人を殺して生計を立てている。
 内容は様々だが最近多いのは飢餓や病気で弱りきった相手に止めを刺すという仕事だろうか。
 上からの指示で行う仕事では選り好みする余地はなかったが、あまり気分のいい仕事とは言えなかった。
 生を手放しぽかんと空を見つめている者ならば当たり。
 気が滅入るのは死にたくないと必死で生にしがみ付いている者だった。
 ガリガリに痩せ細り、体中の筋肉が衰え既に立つことすら儘ならない。
 細い呼吸は吐き出すごとに次の作業に不満を訴え、ひゅうと喉を鳴らす。
 そんな状態で、尚生き延びたいと眼だけをぎょろつかせている。
 年齢性別を問わず彼らは一秒でも長く現世に留まる事を望み、それが叶わぬと知った時絶望と憎悪と悔恨を綯い交ぜにした表情を私に向けるのだった。
 今もまた。
 手に持つ黒い銃器が汗で滑る。
 安全装置の外されたそれは私の人差し指一本の命令で、蹲る少女の命を奪うだろう。
 肋骨の浮いた薄い胸が上下している様が、襤褸切れに等しい上衣を介して窺える。
 残された時間は、もうない。
 私は一つ吐息して、軽い引き金を絞った。
 ―ガウンッ……―。
 空気を震わせた耳障りな音は狭い路地裏に響き、跳ね返って私の耳に入り込む。
 彼女の身体は唐突に力を失い、目を開けたままの頭をごとりとコンクリートの上に落とした。
 生を望んでいた眼から光が消えうせ、最後に一つ、吐き出し損ねた吐息が惰性となって口から零れ出た。
 眉間に皺を寄せ彼女を見下ろす私の肩に、白い手が掛けられる。
 振り返ればそこにいるのは顔馴染みの男で、お仕事ご苦労さんと笑って私の後を引き継いだ。
 私の仕事は相手の命を断つことに終始していて、本当に大変なのはこれから彼が行う仕事だという事も理解していた。
 それでも、気が滅入る。
 背を向けた私の耳に、少女の声が飛び込んできた。
 現状を受け入れられないと喚く彼女の声に、慣れた様子の男の言葉。
「貴方はたった今、死神によって天命を全うしました」
 真っ白い衣装に身を包んだ男と少女を肩越しに眺め、私は黒い上衣を翻した。
殺し 朧冶こうじ

Entry5
葬式
小笠原寿夫

「時間だ」
 黒のスーツの男が、扉を開けると、すでに白装束を身に纏った男が、ソファに腰掛けていた。
「ついに来たか」
 そう言い残すと、白装束の男はゆっくりと棺桶に入り、目を閉じた。黒のスーツの男が、白装束の男の左腕に注射針を差し込むと、男の心拍数はみるみる下がり、ついに、心臓は停止した。
 棺桶は、自宅の居間に運ばれ、家族、親戚縁者のもとに晒される。
「おじいちゃん、いい顔してはるわ。あんたもちょっと見てあげて」
死体を嫌がる子供たちと好奇の目でそれを見る大人たち。通夜は死体をよそに、そんな大人たちの、どんちゃん騒ぎで幕を閉じた。
 次の日、坊主の読経が終わり、棺桶は死体焼却施設に運ばれる。霊柩車の中で、白装束の男が目を覚ます。
「今日は何日だ?」
「3月12日仏滅でございます。」
 黒スーツの男が、急に丁寧な口調で、そう述べると、白装束の男はジャージに着替え、タクシーに乗って、飛行場へ向かった。黒スーツの男が、棺桶に本マグロを入れ、霊柩車は死体焼却施設に向かう。
 焼却施設に棺桶が運ばれると、親戚一同は泣いている。
「大往生やで。何も泣くことあらへん」
「せやけど、あんまりやないの。ず~っとおじいちゃん世話なってきてんねんから」
「う~む」
 棺桶が焼却室に入れられる。親戚一同は泣きっぱなしである。
 それから待つこと小一時間。マグロのあぶり焼きが、親戚一同の前に出される。それを食べながら、親戚同士の会話が始まる。
「おじいちゃん、天国で元気してるやろか?」
「詩吟歌って、鬼さん困らしてるんちゃうか」
「ハッハッハ、そんなあほなことあらへんわ」
 そこに黒スーツの男が入ってくる。
「お骨を取っていただきたいのですが」
 親戚一同が、再び焼却施設に戻る。棺桶を開けると、キレ~イなマグロのアラと骨が横たわっていた。親戚一同、開いた口が塞がらない。黒スーツの男が、手に「どっきり」のプラカードを持って立っている。
「え?え?おじいちゃんは?」
「ただいまグアムに旅行中であります」
「え?何これ?どっきり?テレビ映ってんの?」
「おじい様よりお言付けを承っております。」
~わしの子供、孫たちへ~
わしはグアムで一生暮らす。遺産も何も全部使い果たした。あとはみんなで仲良うやってくれ。それから、智恵子、お前には目ェかけてるから、暇見つけてグアムにやって来い。悪いようにはせん。
 激怒した智恵子を親戚一同がなだめるのは至難の業だった。
葬式 小笠原寿夫

Entry6
静夜
ぼんより

 両手がとても冷たいです。
 こんなに寒い日は、どうしても仕様がありません。わたしは、だからホットチョコレートを、生クリーム付きでいただくことにします。それから、おなかが減るのでドーナツもいただきます。
 組み立て式の木製タンスの上には、ダスティーミラーが陶器の痩せたシンプルな植木鉢の中で、たおやかに佇んでいます。いそぎんちゃくのような葉っぱは、銀白の色がとてもきれいで、わたしはすぐに気に入りました。
 外は、もう限りなく黒に近い色に染まっています。窓から見えるネオンの光は、人工的な美しさを悪びれもなく主張しています。あの光が、ぜんぶ線香花火だったらよかったのに。それか林間学校の時みたいに、ひっそりとしたキャンドルファイヤーでも。
 部屋の中は、まあるく明るいです。わたしの部屋にはあまり多くのものは置いていません。ですから、部屋全体にしみじみと明かりが行き渡るのです。
 しん、しん、しん、しん――。
 きっとこんな音色を奏でながら、わたしの頭上にそれが注がれているのでしょう。
 寒さがどんどん厳しくなってきました。これは部屋の中にいても、仕事で屋内にいてもわかることなのです。なんというか、感覚としか言いようがないです。そして、それは子供のころから一度として、間違えたことはありません。でもわたしがわかるのは、寒さだけなのです。――寒いということが、大好きだからかもしれませんね。
 目をつぶると、ホットチョコレートがわたしのからだの隅々まで行き渡ります。おおきなしゃぼん玉がはじけたように、正座でしびれた両足に触れた時のように。わたしは祈るように、目をつぶったまま、ほんの少し上を見上げました。やさしい生き物が、すぐ側にいるような気がしてほっとします。
 ことん。
 わたしの頭が左前に傾きました。
 ことん……ことん……ことん……。
 今度は右前に、また左前に、右前に。
 室内にいながら、わたしは船を漕ぎ始めてしまいました。昨日はほとんど寝ていませんでしたから、その反動が今きているようです。わたしは普段長い時間寝ることが多いので、徹夜をするのはけっこう勇気と根気がいります。
 明日はというと、休みです。とてもうれしいです。そんなふわりとした気持ちのまま寝ることができるのは、もっとうれしいです。
 ということなので、少し早いですが、疲れているし心がねむたいので寝ることにします。
 おやすみなさい、また明日。
静夜 ぼんより

Entry7
ネットワーク・パラダイス
めだか

女性の管理職なんて今更、珍しくもないが、直属の上司となれは話は別だ。
 会社の帰りに、ひとり飲み屋で憂さを晴らし電信柱を蹴りながら思う。
「ちきしょう! くそバカ課長め」

 なにが自慢なのか、高慢ちきな人を見下した物言いの上に、それほど歳も違わないのも気に入らない。もう一度蹴ろうとした時に、危うく躓き転げそうになった。
 革靴の下でジンとする痛みに後悔しながら、街頭の暗い家路を歩き、収まらない憤りのままに部屋へと辿り着く。間接照明の薄明かりに、パソコンのモニタが浮かぶと、少し気分が切り替わり、ネクタイを外し、シャツを脱ぎ捨て近づく。また前作に引き続き嵌まっている、仮想現実の街で彼女と出会い付き合うようになるシミュレーションが、僕の心を癒してくれる。
 モニターに触れると静脈認証で電源が入り、自動的にオンラインのサイトへ接続する。メガネをかけた大きな瞳に上向き加減の視線を覗かせ、花柄がフリルに踊る白いエプロン姿が堪らない。その下が、今日は地味な青紫系のベルベットを着ていて、空色に大きな宝石がついた銀のネックレスが、色白い胸元の素肌を飾っている。
「あぁ、僕のタマちゃん。癒されるぅ、萌え~」

 彼女の表情が豊かになり、起動処理が完了すると、ニッコリと微笑む。
「お帰りなさいませ。ご主人さま」
ここは慌てない。声の調子を少し抑えて答える。
「ああ、ただいま」
「お飲み物は、いつものでよろしいですか?」
「そうしてくれ」
小さく頷くと、慈愛に満ちた温かさで瞳が輝いている。
本当に生きているようだよ、萌え~。
 どこかでカチッと切り替わり、今の命令が、光の束となってインターネットでマンションの一角にあるセンターに届く。このことは誰も知らない、意外と貧弱な装置が働き、再び命令は跳ねだしてネットワークへ消えてゆく……。

 唇が動き、彼が答える。
「そうしてくれると、嬉しいな」

 優しい、ドラマから抜けでたような笑顔に、輝きが白く弾けて柔らかそうな、明るいブラウンに染めた髪が、風もないのにフワリと踊る。やさしくソファーの中から腕を伸ばすと、絡まる甘い声がいっそう耳元をくすぐる。Tシャツに隠された逞しい肉体が蠢くから、厚い胸板に香るコロンの匂いを思い出して少し赤くなる。女でも課長になると仕事は倍に増えたが、これを自分への褒美に買ってよかった。あの能無しな部下さえ、許してあげよう。

 機械翻訳は今、ここまできてしまった。
ネットワーク・パラダイス めだか

Entry8
頑固な水溜り
綾重寄之介

 その男は権威に影響を受けやすい頑固者だった。
 イタリア旅行から帰ってきた町内会長が
「あっちじゃ歩行者信号を守る人なんていないんだな。まあ自分の命は自分で守るっていうことかもしれないねえ」
 なんて不用意なことを言ったものだから、それを聞いた男は信号を出来る限り守らないように努めた。行く先が青信号なら歩調を遅らせて赤になるのを待ち、車が来ないことを確認してから信号無視する。
「男たるもの、いくつになっても若い娘のケツを追いかけるくらいじゃなきゃダメだ」
 と知事が地方紙のインタビューで語っているのを読めば、町を歩くときに若い女性を見つけては声を掛ける。町内で変態オヤジなどと噂を立てられても一向に止むことはなかった。
 妻はいつも注意するのだが、権威のない者からの意見を聞かないところが頑固者なのだった。知事の発言を取り上げて問題視されていると妻から聞いて年甲斐のないナンパは止めるようになったが、それは妻の言うことを聞いたのではなく、記事になっていたのが有名な全国紙だったからである。
 そんな男が水道を使うとき、栓をしっかり閉めずに必ずぽたぽたと水滴を落とすようになった。
「きつく閉めたらパッキンがすぐダメになるからな」
 何処から聞いてきたのか、妻の疑問に男はそう答えた。パッキンを長持ちさせても水が洩れているんじゃ意味ないじゃないの、と妻は笑った。それからというもの、家中の蛇口から水が滴り落ちるのを見ては、妻は栓をきつく閉める毎日が続いていた。
 ある日、交差点の傍にある花屋が水道を使っていたのが気になったのか、いつものように赤信号を渡っていた男はやってきた車に気付かなかった。
 突然一人になった妻は、小さな庭の隅にある水道から滴り落ちる水を見ていた。庭の手入れは妻にさせなかった男だったので、彼女はこの水道を閉め忘れることが多かった。絶えず水滴が落ちていた地面には小さな水溜りが出来ていた。
 その水溜りは、涸れることはなかった。
頑固な水溜り 綾重寄之介

Entry9
乳白色の空に蝶を放つ
霜月

 赤と黒を基調にしたボンデージ衣装に身を包み、ベッドの縁で長い脚を組んだ、サヤカと名乗った女に手招きされ、よろよろと足元に座り込む。宙を漂うその女の足指が鼻先で静止した。足裏にめり込むようにひしゃげた小指の異様な形に、見慣れた自分の足指のほうが奇形なのではないかと不安になり、膝を立てて見比べてみる。
 女の小指の造形が、整った顔立ちや完璧な脚線と全く結びつかないほど、醜かった。まるですぐに殺される気味の悪い虫だ。この汚い生き物は美しい女の、身体を構成する一部としてどこかが狂っている。
 いたぶって、殺したい。
 時間をかけて愛撫するように、この虫をなぶり殺すのだと考えたとき、僅かに呼吸が乱れた。引き付けられるように異形の虫を口に含み、目を閉じて、その複雑な形を舌の上で想像するだけで、鈍い痛みを伴うほどの劣情を覚えた。
 唾液で満たされた口腔で溺れる幼虫の胴体から、彫像のように白くなめらかな脚が羽化していく、猥雑な宗教画のようなイメージがまぶたで混濁した。おれの口から生まれる、唾液に濡れた美しい女神の、醜い足指。ほのかな甘い腐臭とブーツの皮革の匂いが混ざる足指の叉に固く、尖らせた舌を差し入れて、口唇の粘膜で懸命に虫を孵化させようとおれは試みた。
 おれはこの虫を飼育したい。どんなに育て上げても優雅に天を舞う蝶になれないみじめな虫けらを、愛して、殺してみたいと思った。
 口の中が乾き、舌が痺れ、顎が重くなり、それらが随意に動かなくなると女が、組んだ足をほどいておれの頬をマネキンのように冷たい指で支え、憐れむような遠い瞳でおれの目を覗き込んだ。
 すこしアルコールの匂いがする。枕元の照明に照らされて深い紅色に反射するグラスを支え持って、ひとくち口に含み、おれの顎を細い親指と人指し指で固定する。舌でこじ開けられた隙間から、生暖かい血液のようなものが流れ込んできた。ひび割れた粘膜にワインが弱い疼痛を伴って染み込んでいく。ふいに女に、腰から抱き寄せられ、覆い被さるようにベッドに倒れ込む。
 激しく動くうちに、発汗に比例して白濁していた意識が透明度を増していく感覚があった。すべてのものがおれの統制下で動いているようだった。創造主になったような錯覚さえあった。いや、それは錯覚などではなく、事実なのだと思った。醜い幼虫を生温かい唾液で孵化させ続け、鈍色の空を美しい白い蛾で埋め尽くせ。女がそう叫んだ。
乳白色の空に蝶を放つ 霜月

Entry10
山へ柴刈りに
ごんぱち

 昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
 おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

「さあて、いっちょやるか」
 山の、柴が丁度良く生えた場所に辿り着いたおじいさんは鉈を構えます。
 一振り一本、二振り十本、三振りで三十本。
 流石はこの道六十年。いい柴ばかり、どんどん刈られて行きます。
 日が高くなった頃には、柴は大きな背負い子の七分目ぐらい集まっていました。
「一休みするか」
 おじいさんは、切り株に腰掛け、弁当をひろげます。
 竹の皮で編んだ弁当箱に、菜っ葉漬けで包んだキビを混ぜたおにぎりが三つ。
「やあ、今日も旨そうだ」
 おじいさんがおにぎりをかじろうとした時。
 がさり。
 藪の中から音がしました。
 がさっ、がさがさがさっ!
 木々の間から姿を現したのは、巨大な熊でした。
 眼光鋭く、剥き出しの牙はおじいさんの鉈ぐらいあります。
 熊は、誰もいない切り株の臭いをしきりにかいでいます。
 そう。
 切り株におじいさんの姿は、ありませんでした。
 熊がきびすを返そうとした瞬間。
 真上の木から、何かが落ちて来ました。
 杭です。人の足ほどの太さがあります。
 ですが、瞬時に反応し横飛びにかわした熊に、杭はかすり傷一つ負わせる事は出来ません。
 そう、杭は。
 ぎゃああああああおあおおお!
 熊が悲鳴を上げます。
 杭は囮でした。
 横飛びした熊の着地点には、尖った柴の切り口が無数にあったのです。
 おじいさんが刈った柴の跡は、とても鋭く、熊の皮も易々と貫きました。
 熊が柴から足を引き抜こうとした瞬間。
 影が飛び降りて来ました。
 しかし熊はそれを待ち構えていました。大きく振り回した丸太のような前足が、影をなぎ払います。
 影は吹き飛んで大木に叩き付けられ――。
 カーーーン!
 乾いた音を立てました。
 影はおじいさんの着物を巻き付けた木っ端。
 予想より遥かに軽い標的に、熊の体勢が崩れます。
 そこに。
 すとっ。
 木の上から、おじいさんが熊の首の上に飛び降りました。
 足の指に鉈を挟んで。
 ごろり、と、熊の首が落ちました。

「ただいま、帰ったよおばあさん」
「ああおじいさん。御覧なさい」
「これは素晴らしい。どうしたんだい?」
「川で拾ったんですよ。早速食べましょう」
「で、この熊はどうしようかな?」
「どうでも良いでしょう、珍しくもなし。それより大きな桃でしょう」
「そうだな、なんて大きな桃だろう」
山へ柴刈りに ごんぱち

Entry11
『睨む夜景』
橘内 潤

 変なひとを見つけた。
 夜の急行列車。
 そのひとは窓の外を見つめていた――と思ったら、違った。窓に反射する自分の顔を見ていた。自分の顔を睨んでいた。
「どうして夜景を見ないんですか?」
 声をかけるべきではないと理解していながら、私はどうしても問い質さずにはおれず、そう話しかけていた。こういう性分だから僻地に左遷させられるのだと分かっていても治せそうにない。
「――え?」
 驚いたように振り向いたそのひとに、私は遠慮ない視線をぶつける。
 女性だった。顔立ちは、釣り目気味の目許と、いかにも日本人といった形の鼻。黒い髪は胸元にかるく触れる程度の長さで、お世辞にも艶やかとは言いがたい。
 服装もべつにブランド物だったりすることなく、こざっぱりと清潔感はあるが、別段に目を惹くという着こなしでもない。
 私の目に、彼女は“どこにでもいる女性”という印象で映っていた。
「あなたの視線は、夜景じゃなくて窓に映った自分の顔に向けられていますよね。それが不思議に思えて……ついついこうして不躾な質問をしてしまったというわけです」
「……本当に不躾ですね」
 女性は、さっきまで窓に映った彼女自身を睨みつけていた視線で、私を見つめる。私は黙って彼女が答えるの待った――彼女は嘆息混じりに口を開く。
「わたし、自分の顔が嫌いなの――それだけよ」
「自分の顔が嫌い?」
 女性の口調と目つきは、単に“顔の造作が気に食わない”という意味での“嫌い”ではないことを物語っていた。
「わたしの顔ね……父によく似ているんだって。鼻の丸いところとか、釣り目気味の一重とか、そっくりなんだってさ」
「父親が嫌いなのかい?」
「ええ――嫌い。わたしと母さんを放っておいて、典型的な仕事人間で、挙句に女つくって出ていって――わたしは幸せな結婚をするんだって決めていたのに……」
 女性はこつりと額を窓ガラスに預ける。
 その横顔を見ていて私は、彼女は印象が薄いのではなく、年に比して不相応なほど擦り切れた印象なのだと気がついた。目尻や口許にうっすら走る“苦労”という名の皺が、言葉以上に雄弁だった。
「――すまなかった」
「いまさら言わないでよ」
 夜を映す窓ガラスに、よく似た面立ちがふたつ並んでいた。
『睨む夜景』 橘内 潤

Entry12
過去、そして回想、あの日、夢のような現実
夢追い人

 公園通りのフランスパン専門店のところにある交差点を北に向かって、煙草を一本吸い終わるくらい歩けば、青い屋根の駄菓子屋があるという。そこの駄菓子屋の老婆は二、三年前からボケが進行し、今では簡単な計算もできず、十円玉さえ置いていけば、好きなだけ駄菓子を持っていけるらしい。でも、僕は過去を振り返って懐かしさに浸るようなことをあまり好まないから、きっと駄菓子は買わないだろう。例えばもし、煙草を吸って、少し喉が渇いたと思えば、リンゴジュースの一本くらい買うかもしれない。そもそもボケた老婆が商う駄菓子屋にリンゴジュースが置いてあるかどうか疑わしい。ボケた老婆がリンゴジュースを売るなんてロマンチックだわ、と小説の中にしか出てこない少女は言うだろう。きっと。

 駄菓子屋をさらに北に進んで、電柱を十三本通り過ぎたら、そこにある角を左に曲がる。その十三本目の電柱には、猫探しのポスターが貼ってあるから、電柱の本数を間違えることはない、自信に満ちた声を僕は今でも覚えているが、僕は猫探しのポスターがいつまでも貼ってあるものだろうかと考える。猫がいつまでも見つからずに、飼い主がポスターを貼りっぱなしにしていれば、まだあるかもしれない。あるいは何ヶ月も経ってしまえば、町内会の人が勝手に剥がしてしまうか、雨風にさらされて自然に剥がれてしまうかもしれない。猫がフランスパンの匂いに誘われて、道に迷ったのだとしたら、それはそれでロマンチックね、と古いフランス映画に出てきそうなブロンドの女性は言うかもしれない。それも決まって片手にコーヒーを持っていて、そのシーンの中では決してコーヒーを口にしない。僕は飲まれることのないコーヒーを目にするたびに気の毒に思う。
 十三本目の電柱を左に曲がる。もしもそこを右に進めば、鈴木さんっていう家の庭にいる柴犬がかわいいから、ぜひともご覧あれ。だからって右には進まないよ、僕は確かにそう言ったのを覚えている。

「左に曲がったら、そこからはあなたの好きなように進めばいいの」と彼女は言った。
「その先には何かがあるんだろ?」と僕は訊く。
「それはあなたの目で確かめるべきものだから」
「教えてくれたっていいだろ」
「もしもここで私がそれを教えてしまったら、今説明したことすべて水の泡になっちゃう」

 そこに彼女が眠っている墓地があるのならば、どうして僕は駄菓子屋に寄らなかったのだろう、と後悔した。
過去、そして回想、あの日、夢のような現実 夢追い人

Entry13
溶解
越冬こあら

 ハナミズキとツツジが咲き乱れる駅前広場を抜け「南風荘」という名前のわりにはコジャレたマンションに、しばらく前から大学に来なくなったヒロキを訪ねた。前日に買ったハイヒールが狭い廊下によく響いた。
 反応の無い呼び鈴を諦めて、鍵の掛かっていないドアを開けて声をかけると、風呂場の方から返事が聞こえた。
「何やってんのよ」
 風呂場のドア越しに、聞いた。
「俺さあ、今溶解してるんだ」
 ヨウカイ、なにそれ。
「俺さあ、人間の幸福について考えているうちに、あらゆる不幸の種はこの脳味噌の中に形成された『自我』によって生み出されることに気付いたんだ。つまり、目覚しい進化を遂げた人類が、決して幸福になれない運命にあるのは、無いものねだりを続ける『自我』のせいなんだ」
 ジガ、ナイモノネダリ、お風呂に入ってるんじゃないの。
「その問題を解決するには、生命の発祥まで進化を遡り、原点に立ち返らなければならない。すなわち、海中の物質が偶然の作用の下に、原始的な蛋白質を形成した瞬間、それを可能にしたのは、強烈な思念の力で、その『生きたい』という強靭な思念が生命の誕生と進化につながり、人類に繁栄をもたらしたんだが、その思念が必要以上に強力だった為、絶対に幸福になれない『自我』を形成してしまったんだ」
 キョウジンなシネン。でも、もうそこもふやけちゃってるんじゃない。
「だから、俺はこの塩化ナトリウム濃度約三パーセントの液体に身を浸し続けることによって、少しづつ溶解し、もう一度無機質に戻り、生命の進化をやり直すことにしたんだ。ただし、今回は『生きたい』と強力に念じるのではなく、『生きてみてもいいんじゃないかなあ』と軽めに想う程度にする。そうすれば、何事においても比較的突き詰めた考え方をしない、幸福に成り易い『自我』を持った人類が誕生するはずなんだ」
 それって、シンジンルイってこと。
 困ったもんね、文系学生の科学は。基礎を積み上げないで、いきなり実証に挑んじゃうんだから。

 それからも何度か「南風荘」を訪ねたんだけど、ヒロキは毎回同じような事を怒鳴るだけだった。そのうち、その声も聞こえなくなって、心配になってドアを開けてみたら白濁した液体に頭髪が浮かんでた。
 溶解を果たしたヒロキが、新人類に成って帰ってくると思うとワクワクしたけど、何日もかかりそうで退屈だし、液体はヌルヌルで気持ち悪いので、ポーンと栓をぬいちゃった。
溶解 越冬こあら

Entry14
紙飛行機
アナトー・シキソ

芝生に白い紙が散らばっている。
近くに、錆びて崩れた大きな機械。
横や後ろを探って、赤いボタンを見つけた。
押してみる。
機械に電気が通った。
ぐうっと音がして、あちこち光って、でも、すぐ消えた。
機械はそれきりだ。

僕は芝生に腰を下ろす。
遠くで何かの爆発する音がした。
聞こえたのは、ほんの微かに一度きり。
花火か地雷か、そんなところだろう。
あとはただ、空気がこおこお鳴っている。
白い紙を一枚拾い、僕は立ち上がる。

「紙飛行機を折るんだ。テーブルか何かないかな?」

少し離れた場所に白いテーブルを見つけた。
芝生の上をズリズリと、こちらに向かっている。
同じ白い色をした椅子を一脚連れていて気が利いてる。
僕は白い紙をプラプラさせて、テーブルと椅子の到着を待つ。

「紙飛行機を折るなんて何年ぶりだろう?
「いや、そんなには経ってないよ。君の思い違いさ。せいぜい十年かな
「ほら、あの砂漠に行ったとき、そこで折ったよ。忘れたのかい?
「ああ、あの時君はいなかったのか。実はあそこで紙飛行機を折ったんだ」

テーブルと椅子が着いた。
僕は椅子に腰を下ろし、テーブルに白い紙を置く。

紙を半分に折り、真ん中に折り目をつけ、一旦広げる。
紙の角を、中心の折り目に沿うように、三角に折る。
真ん中の折り目の反対側の角も同じように、三角に折る。
この時点で、紙は家の形をしてる。
それを、最初に半分に折った真ん中の折り目どおりにもう一度折り直す。
斜めの辺を、今折った辺に合わせるように折り、裏返し、反対側も同じに折る。
これが、紙飛行機の両方の羽になる。
あとは、羽になる部分を胴になる部分に対して直角になるくらいに広げ戻す。
完成。

僕は出来上がった紙飛行機を眺める。
片目を閉じて、仕上がり具合を確かめ、あちこち指で挟んで折りを強くする。
羽の角度を調整し、二三度投げるマネをしてみる。

「いいよ。いいのが折れた」

僕は紙飛行機を手に立ち上がる。
空を見て、辺りを見渡す。
誰ひとりいない。
遠くに林は見えるけど、鳥は飛んでいない。

僕は紙飛行機を空に放った。
ほんの一瞬まっすぐ飛んで、紙飛行機は空中で静止した。
動かない空中の紙飛行機。
椅子に座り直した僕は、頬杖をついてそれを眺める。

「悪くないよね?」

風が吹いた。
紙飛行機はバラバラの紙になって、ハラハラと舞い落ちる。
白い紙が芝生で眠る君に降り注ぎ、君は静かに目を覚ます。
青い空に6月の太陽。
体を起こした君の中に微かに残る僕の気配。
紙飛行機 アナトー・シキソ

Entry15
だるまジェノサイド
安藝賢治

「だるまさんが」ころんだ、って囃し詞には地域でさまざまなバリエーションがあるんよ。伊勢じゃ「坊さんが屁をこいた」、九州じゃ「インド人は黒んぼ」なんてね! でも、私は東京生まれの東京育ちだし、友だちはみんな犬だから、「だるまさんはころんだ」で遊んでる。いまは、私が鬼。鬼? これは鬼なん? だるまと鬼となんの関係が? もし鬼じゃなけりゃ、目を瞑って後ろを向く私はだるま? それも違う。なら、私は誰? そう、私は密告者。極悪達磨の支配を覆すために機会をうかがっているレジスタンス。達磨は、九年の座禅で培ったカリスマで、飢えた農奴を支配・洗脳している。カリスマが人間を超克したところに生じるのは世の習いで、たとえば、徳のある高僧は下衆のように放屁せず、インド人はすべからくヨガの行者であり、結跏趺坐で宙を舞い、カレーを食えば火が噴けることになってる。達磨も例外ではなく、その写真は天変地異の邪気を祓うとされ、けっしてころんだりしないことになってる。もしも、農奴たちがあがめる達磨大師がころんだとなりゃ一大事。達磨のカリスマはまたたく間に剥奪される。そして、各地で起こる一揆・打ち壊し。革命は成功する。その革命の成功は、同じく極悪僧侶、極悪行者の支配する近隣諸国に及ぶんは必定。だから、私がだるまさんが
「ころん」だ、と言うんを阻止すべく、闇のちからが蠢きだす。それが、歴史だ。歴史の恥部・腐部だ。行進する王を裸だと喝破した子ども。王の耳はロバの耳だとふれ歩いた床屋。真の王はエリア51に囚われていると公表したケネディ。皆、その時代の闇のちからに殺された。そうはいかない! 達磨の秘密を広場で叫ぶため逃げる私。かつての友は、達磨の秘密を守るために黒い森から放たれた刺客に変わる。そんな! 情け無用の修羅道なんて百年前に廃れたとばかり思ってた。だが、犬たちは足音を忍ばせ、黒い塗料で光の反射を殺した得物を抜き放ち、迫ってくる。ひたひたひた。どきどきどき。ちいっ、心音で足音が聞き取れない。ひたひたひた。もう、だめだ。三方を囲まれた。前は壁だ。仕方ない。覚悟は決まった。みんな、正義のために死んでくれ。これが私の、真の姿
「だ!」
 ふり向けば、地面に立って真っ白になっている犬の友だち。
 みんな口から血を垂らし、微かに笑って事切れている。
「あっ!」
 その時、私は見たのだ。
 笑いながら遁走する、ダルマ、高僧、行者を。
だるまジェノサイド 安藝賢治

Entry16
かごめ
たかぼ

 かごめが泣いている。それは茜色に染まりだした公園で寝そべっている私のせいではない。ただ私は待っていた。気がつくと上目遣いに私を見つめる少女。
「名前は?」
 少女は不意をつかれて目を逸らした。
「言いたくないならいいよ」
 私は再び仰向けになろうとした。すると少女は慌てて口を開いた。
「待って。お話しするから」
「じゃあ、さっきから僕を見てるのはなぜ?」
 少女は「だって……」と言って私の下半身を指さした。
「あ、これね、気にしないでね」と言ったものの、それは無理かもしれない。私の足は無いのだから。
「だって足がなかったらどこへも行けないじゃない。かけっこもできないじゃない。それからそれから……」
「そうかな。見ててごらん」
 私はそう言うと、無い足で地面に立った。
「わぁ!」
 少女は歓声を上げた。私は無い足で軽やかにスキップしたり、踊り回ったりした。少女は手をたたいて喜んだ。私もよじれるほど笑ったので無い足でよろけて少女にしがみついた。すでに薄暗くなっていたが、間近で見る少女の顔は真珠のように滑らかだった。
「寂しかったでしょ。もう一人にはしない。もう心配しなくていいのよ」
 女はしなやかな手で私の頬を撫でると、胸に抱いた。私は彼女の腕の中でしばらく泣いた。
「帰ろう」
 私はそう語りかけ、女は頷き、私は女をおぶった。
「あなたには足があっていいわね」
 背中の女が言った。私はなぜだか逆のような気がしたけど「ああ」と答えた。おぶいながら私は女のおしりを触ろうとした。ところが女には足だけでなくおしりも無かった。それどころか背中も腕も頭までもが無いのだ。私は驚いて女を降ろすと言った。
「君はいったい何なのだ。何にも無いじゃないか!」
 そう言いながら空中にへばりついている衣服をむしり取った。
「いやーん。見ちゃだめー」
 女の甘く鼻にかかった声がした。私は空中に浮かんでいるそれをしばらく見ていたが、可笑しさがこみ上げてきて、吹き出してしまった。
「いやーん。恥ずかしいー」
 女は懸命に手で隠そうとしているのだが、手が無いことにはどうしようもない。それはかわいい、小さなおへそだった。私は愛おしい気がしてくすぐってみた。女は「くすぐったい、やめて」と言い続けた。しかしまだ愛おしいので舐めてみた。女は身をよじって笑い転げているようだった。しかし愛おしさを抑えきれず、飲み込んでしまった。

 そしてまた待っている。かごめを。
かごめ たかぼ

Entry17
薄荷の傷薬
早透 光

 買い物帰りの空を見上げた。五月の空は木々の緑を含みエメラルドの光りを注いでいる。ちょっとスキップでもしたくなるような気分だ。
 前から自転車に乗った小さな少女がやってくる。
(早く子供が欲しいなぁ……)
 そんな事を思いながら元気にペダルを漕ぐ少女とすれ違う。

 ドーンガッシャン!

 突然後ろで激しい衝突音と硝子が砕ける音。
 私は反射的に振り向く。赤い車に電柱が食込んでその前に少女と自転車が倒れていた。私は驚き少女の元へ駆寄る。自転車の横に丸く少女が倒れていて、その横にドロップ缶が落ちていた。私はその光景に全身の血が固まったように動けなくなった。
(知ちゃん……)
 頭の中がぐるぐると音を立てて過去へと回り始める。白と黒の光景、両親の泣き顔、潰れた赤い自転車、知子の笑顔、両親の笑顔、私の笑顔、動けない私、倒れた知子、誰かの悲鳴、誰かの慟哭。そして私の足下に知子のドロップ缶。拉げたサクマ式ドロップスの赤い缶。
 妹の知子は私の目の前で星になった。歪な人形の様に倒れピクリとも動かない。私は何も出来なかった、動けなかった、怖かった。

「大丈夫か!」
 若い男が少女を起して声を掛けている。少女は泣ながら頷いている。人々が集まってくる。
「誰か救急車を呼んで下さい!」
 若い男はドライバーらしく少し額を切っていた。誰かが携帯で連絡をする。人々の中から、良かったねぇ、びっくりして倒れたみたいね、と声がする。フッと現実に戻った私はその輪の端に突立っていた。
 私は自転車の横に落ちていたドロップ缶を手に取る。知子がよく母さんに買ってもらったものと同じだった。缶を振るとカランカランと数個のドロップが弾ける。
 私は少女に向ってその缶を振ってみた。少女は『私の物ッ!』と言うように手を伸ばす。泣き顔に少し怒った顔が可愛い。
「はい、どうぞ。怪我なかった?」
 少女は小さく頷いた。
「良かったね」
 私は出来るだけ大きな笑顔を作った。少女も大きく頷いて笑顔を見せた。
 目の前の少女と知子が重なった。もう随分昔の事なのに絶対に忘れる事の出来ない記憶。胸の奥に刻まれ生き続ける傷痕。それを時には引っ張り出し傷痕に薬を着けて治していく。それが残された者の罪滅しなのかも知れない。

 私はもう一度スーパーに向う。
 知子が決まって私にくれたあの薄荷味のドロップが無性に食べたくなった。
 スーッとする薄荷。知子と私の想ひでの味、そして心の傷薬。
薄荷の傷薬 早透 光

Entry18
なれない子供
スナ2号

 澄也さんは、この花が、花の中で一番好きだと言っていた。
 だから私は、それを買って家に帰る。

 あの日美奈子さんは、泣きながら私に言った。
「なんでお母さんって呼んでくれないの。家族なのよ。私達は、もう家族なのに」
 コップを叩きつけると、美奈子さんは泣き腫らした顔を洗いもせずに外へ飛び出して行った。
 そんな美奈子さんを見たのは初めてで、私は困惑して澄也さんを振り返った。
「奈緒の思う通りにしなさい」
 澄也さんは、静かにそう言うと、車椅子を軋ませて部屋を出て行った。
 私が二人の家に来て、五年目のことだ。
 二人は私の里親だった。
 最初の頃、環境の変化になじめず、一人でよく泣いた。いくら二人が懸命に慰めてくれても全然だめで、膝を抱えて体を丸める私を見て、美奈子さんは、「石ころみたい」とため息をついた。
 澄也さんは、絵本作家だったから、そんな私のために、絵本を作って読んでくれた。卵に閉じ込められた女の子が、殻を破って外に出る話。
「奈緒は、僕達が本当の父さん母さんじゃないって知ってるもんな。無理にそう呼ぼうとしなくていいんだよ。それよりも、もっと大切なものがあるさ。奈緒、石ころじゃなくて、卵になりなさい。僕達はいつだって、君を待っているよ」
 その言葉は、私の心にしみ通った。
 私は徐々に家に慣れたが、呼び方はずっと、澄也さん、美奈子さん、だった。
 本物の家族にはなれない。だって、血は繋がっていないんだから。
 それよりも、もっと大切なものがあった。
 仕事で遅くなった時、私と喧嘩した後、美奈子さんは必ず、私の大好きな苺ケーキを買って来て、「澄也には内緒よ」と言って私と一緒に食べた。
 澄也さんは、よく私に絵本の感想をきいた。車椅子を揺らして空を仰ぐのは、澄也さんが照れている時の仕草。
 私は、いつだって思っていたんだ。
 ありがとう。
 私に、帰る場所をくれて、本当にありがとう。


「ご無沙汰です」
 がらら、と玄関の扉を開けた。
「美奈子さん、お花買って来たから、澄也さんにあげて」
 私は、雛菊の花を美奈子さんに渡した。
「あら、ありがとう」
 襟元を緩め、縁側に腰掛ける。
「結局、一度もお母さんて呼んでくれないのね」
 もう、あの時みたいな顔をすることなく、美奈子さんは言う。
「美奈子さんは、美奈子さん。澄也さんは、ずっと澄也さん」
「もう。そういう頑固なところ、澄也そっくり」
 私は、少し体を揺らして空を仰いだ。