第85回1000字小説バトル
エントリ作品作者文字数
01葬送藤田揺転1000
02(作者の希望により掲載を終了いたしました)  
03Under the sky神崎翔1000
04消痕の犠牲Tommy マルボ1000
05悪だくみかずのこ1000
06敵 敵 時 敵 敵サイモン・デューン928
07洞の妖児十的十須1110
08ダイヤモンド空人1000
09驚愕川島 聖人1000
10千希1000
11新聞記者と小説家ごんぱち1000
12奇矯ぼんより1000
13羽ばたかない日とむOK1000
14彼氏の夢霜野浩行1000
15レモンるるるぶ☆どっぐちゃん1000
16越冬こあら1000
17ユポ氏アナトー・シキソ1000
18太陽海岸棗樹1000
19アミューズメントパーク抗争小笠原寿夫1000
 
 
 ■バトル結果発表
 ※投票受付は終了しました。
バトル開始後の訂正・修正は、掲載時に起きた問題を除いては基本的には受け付けません。


エントリ01  葬送     藤田揺転


 どす黒い感情が目の前で飛び交う。行き場のないあたしの心は、黒く、冷たく、沈んでゆく。
 部屋に帰っても、逃げ場はない。過熱する怒号と、溢れる溜息に追いやられて、オーディオに救いを求める。
 心を空っぽにして、イカレタみたいな音楽を注ぎ込んで、何も考えない。目を閉じて、何も見ない。息を吐いて、何も言わない。耳を開いて、でも、何も聴かない。まるで、死んでるみたいに。
 死体には、葬式を。葬式には、葬送曲を。こんなチープなのはイヤ。もっと、夜の闇みたいに黒くて、鮮やかな死装束みたいに白くて、噴出す鮮血みたいに赤くて、死人そのものみたいに青くて、華やかに脳漿を咲かせてくれるようなやつが、良い。
 CDを替えようとして、レンタルショップで借りたソレの返却日が今日までな事に気がついた。丁度良い。

 凍たい心臓の言うとおりに、触った事も無いような、火花のように過激で、どろりと陰鬱で、剥き出しの内蔵みたいに触感的で、ベットリ血糊のついたような、暴力の匂いのするジャケットのCDを一枚、手にとって、店を出た。
 白い、白い太陽。青い空。白い雲。遠い青に浮かぶ、純白。
 あったかい。ぬくもり。
 ああ、あたしが逃げたかったのは、ここじゃない? 白い太陽、あなたはじっと、何を見ていたの?
 あったかくて、やさしくて、おおきい。泣いちゃいたくなるような、大きいお布団みたいな、そんな陽光が胸に染みて、心の奥で凍っていた後悔と、少し、さびしさを、融かしだした。あたしは踵を返して店内に戻ろうとする。途端、鼻を突く、ヤニ色のにおい。出入り口の脇でタバコをふかす人。
 最近嫌煙が流行り、だけど、あたしはこのにおい、キライじゃない。遠い記憶の中で抱きついた、父親の胸のにおい。懐かしいにおい。帰りたい家の、におい。彼はタバコをやめたけど、今あの家で、あたしの心は、昔のように安らかには、眠れないの。
 ああ、白い太陽。あたしを許して。
 白い太陽。あたしはダメなの。
 太陽、白い太陽。あたしには、逃げる所なんかないの。
 白い太陽、白い太陽。だって風が、こんなに冷たいんだもの。
 太陽、あなたは直ぐに沈んでしまうじゃない。
 ねえ、あたしの夜には、一体誰が暖めてくれるの?
 おねがい。焼いて。あたしを、この心を、さらけ出させるなら、いっそ全部灰にして。真っ白な灰に。
 白い雲、あたしを閉ざすなら、おねがい、やさしくして。葬送曲は、準備したから。

※作者付記:  藤田君暗黒面。フー、コー、フー、コー。





エントリ03  Under the sky     神崎翔


離れ離れになった。
でも、それでよかったと思っていた。
だから、後悔はしていない。
……だけど、少しくらいなら……泣いてもいいよね。


 ハジメの転校から一年。ようやく彼のいない生活にも慣れ、学校でも彼の噂をする者もいなくなった。だけど、みんなの心の中には未だに彼の思い出が残っている筈だった。
 何をするにもまじめで、その姿が度々年上にすら感じていた。だから、彼が転校すると聞いた途端、誰もが悲しみ、惜しんだ。中には泣き出すものも……

彼のいた時間がとても充実したものとなってしまっていたから。
彼のいない時間を誰も想像できなかったから。

人生というものは理不尽なもので、嫌だと思っても、離れたくないと強く願っても、いつかは別れがきてしまう。それをみんなが悟った時にはすでに運命の歯車は回っていた。

転校の当日、誰もが暗い顔をしている中、彼だけは相変わらずまじめな顔をして、淡々と別れの言葉を残し、そしてこの学校を出て行った。

その後姿には、彼のたくましさが現れていた。
どんな行事にも積極的に先導し、かと言って、決して高飛車な態度は取らず、いつでもクラスのことを一番に考えていた。
だから、クラスのみんなに好かれていたんだし、彼の言うことなら誰でも納得するようになったんだから。

勉強はあまり得意じゃなかったらしいけど、その代わりにもっと大事なものを持っていた。

人を大事にするってこと。

特に体の弱い私のことは特に気を遣ってくれた。体育祭だけじゃなく、運動をするといったときには必ず私のそばに寄り添ってくれて。誰よりも一番私を見てくれた。

……でも、私だけに優しいんじゃなくて、ほかの誰にでも優しくて。

一見、誰にでもできそうなことだけど、でもそれは彼にしかできないことだから。本当に心の澄んでいる彼にしかできないことだから。

だから……

私は彼についていこうと思った。彼のたくましさに惚れ、まじめさに憧れた。
ただそれだけの理由だけど、私の中ではとても大きな理由だから。
今はどこで何をしているのかすら分からない。それでも、探して彼に会いたい。
会って、お礼を言いたい。
そして、今度は私が彼のそばにいようと思う。
いつも笑っていることだけが取り得の私だけど。体が弱くて迷惑をかけるかもしれないけど。

それでも、ずっと一緒にいたいから。


ずっとそばで笑っていよう。あなたのすぐそばで……

あなたは今どこで何をしていますか

この空の続く場所にいますか?




エントリ04  消痕の犠牲     Tommy マルボ


彼女はページを開いた。

8月10日
 最悪だ、今日はせっかく気合入れて彼女に声をかけるつもりだったのに台風が直撃しやがった。夏、恐るべし・・

彼女はクスッと含み笑いをしながらページをめくった。

8月15日
 本日はすばらしい日だぜい。彼女の名前をゲットした。西舞子さん。好きだー

ほのかに目元が緩んで、彼女は唇を噛み締めたままページをめくった。

8月23日
 もう、自分が嫌になる・・結局、声をかけられないまま夏が終わりそうだよ。このヘナチョコ精神、マジ半端ねぇ。いや、明日こそはがんばるぞー

彼女はページを閉じて、静かに俯いた。

 突然の雨にげんなりした面持ちで、俺は大きくため息をついた。24日だから奇跡も起こるかもなんて馬鹿げた考えを神様は容赦なく叩き潰してくれた。
 小雨ならまだしも、傘に穴が開きそうな勢いで水滴が落下してきている。よっぽど天気に嫌われているらしい。
 西舞子さんは来ないし・・めげそうだ。
 ふと、顔を人の気配を感じて顔を上げるとそこには大学生ぐらいの男が傘もささずにずぶ濡れのままで立っていた。異様な雰囲気を放っているうえに、どういうわけか険しい眼でこっちをずっと凝視していた。
 背筋に悪寒が走る。
逃げ出そうとしたその刹那、男がすごい勢いで近づいてきて乱暴に肩を掴まれた。ゾッとしたのは、吊り上った男の眼が異常なまでに充血していたからだ。
「な、なにすん・・」
 言い終わる前に男に首を思い切り締め付けられた。苦しくて必死にもがいたけど、体格が違いすぎてどうにもならない。
 く、くるしい・・・
 どうして俺がこんな目に合わなきゃいけないんだよ、俺が何したって言うんだよ・・・
 朦朧とし始めた意識の中で二つのことに気がついた。一つは彼女の叫び声。もう一つは男の首にさっきまでは無かったアザが出来ていたこと・・

西舞子は鏡の前に立って自分を見つめた。

頭の中に存在する、あるはずもない目の前で殺された見ず知らずの男の子との楽しげな記憶。今朝、突然現れたあるはずもない彼の日記。身に覚えの無い首のアザ。

殺人者の声が聞こえた。あの日、あの場所で・・・

「ごめんね、舞子・・これで俺は君を傷つけなくて済むんだ」

 少年と殺人者が重なって、西舞子の首からアザが消えていく。それを眺めながら、恐らく自分には20歳の夏、8月24日に死ぬ運命というものもあったのだと悟った。

 存在を否定された記憶の中では、大人びた彼と西舞子が明るく笑っていた。



エントリ05  悪だくみ     かずのこ


私は就職活動中の身だった。

今日も或中小企業の面接を受ける。

この企業はIT関係の仕事で最近急速に成長していると評判の会社だった。

受付嬢に面接に来たことを告げると奥の部屋に通された。

「こちらでお待ちください。担当の者がすぐに参りますので」

「はい」

部屋には小さなテーブルがあり、それを囲むように黒いソファが置かれてあった。

私はやや緊張した気分でソファに座った。

しばらくしてドアが開き、頭の禿げた中年の男が現れて言った。

「どうも。お待たせしました」

私は立ち上がりお辞儀をした。

「どうぞ、お座りください」と、男は笑顔で言った。

私はソファに座り鞄から履歴書を出して男に渡した。

男は履歴書を見ると私に言った。

「立派な経歴ですねえ。でもなぜあなたのような優秀な人がうちなんかに?」

「はい。御社はこれから成長していく企業であると思い応募しました」

男はつまらなそうな顔をした。そして再び履歴書に目をやった。

「あれ? 特技の欄に悪だくみとありますが?」

「はい。バスに乗ったときに料金を全部10円で払って100円のところを90円で済ませるんです」

男は満足そうな笑みを浮かべて言った。

「いいねえ。あなた悪だ」

「そうでしょうか?」

「実はいまうちでも平気で悪いことができる人材を探しておりまして、あなたがまさにうちで求めている人材なのかもしれない。他には何か?」

「はい。私の友人に開業医の友人がいるのですが、私がお金がないときにはよく寿司屋に連れて行ってくれるんです。ある日、彼と彼の恋人と私でカラオケに行った後、腹が減ったので寿司屋に行きました。もちろん私はお金なんて600円ぐらいしか持ってませんでした。それを言うと友人は金の心配はしなくていいからって言ってくれたんです。私は他人の金でビールを飲み上機嫌で特上の寿司を平らげました。話もはずみいい感じでした。食い終えて店を出ようとした時に友人の携帯電話が鳴りました。友人は分厚い皮の財布を私に渡して、払っといてと言いました。私は財布を受け取るとなんと彼の財布の中にコンドームを一つ見つけたのです。ははーん!と私はぴんと来ました。私は財布からコンドームを抜き取り金を払い何もなかったように財布を彼に返したのです」

「いや、素晴らしい人だ。まさしく悪ですね!」

「どうです? 悪でしょう? 採用ですか?」

「馬鹿野郎! 誰がおまえみたいな悪を採用するか! 出直してこい!」

「ぎゃふん!」





エントリ06  敵 敵 時 敵 敵     サイモン・デューン


 「時よ・・・おまえは俺の大切な記憶を少しずつ奪っていく。できることなら全て覚えておきたい事も・・・おまえが忘れさせる。嫌だ。俺はあの人に対する感謝の気持ちを忘れたくない。いつまでも感謝し続けて、心が豊かでありたい。」
 「時よ・・・おまえが俺の大切な記憶を少しずつ奪っていくごとにあの素晴らしい時をもういちど・・・そういう気持ちさえ感じなくなってしまうよ。嫌なんだよ。俺は楽しかった日々をずっとおぼえていたい。いつまでも覚えてて、自分を好きでいたい。」
 「そして時よ・・・おまえは本当に嫌なやつだ、忘れさせてくれよ あの日の事を、忘れさせてくれよ 俺を縛り付ける過去を、忘れない限り俺は・・・ 前を見れないんだ、過去を見すぎると 俺はもう成長できないんだ。」
 「どんなに覚えておきたいこともいつかは忘れてしまうのに、どうして君の涙が忘れられないの?君は俺の心のどこまで根を張っていたの?もうずっとこの気持ちは解き放たれないの?」
 俺はいつもそのようなことを考えては涙を流している。時間は何という残酷な敵なのだろう。俺は言った。別れる直前に彼女に
 「もういちどやり直せないかな?」
 そのとき君は言ったはずだ。
 「時がたてば何か変わるかもよ。」
 それなのに・・・それなのに・・・時よ、君は俺の味方ではなかった。それ以降、俺がどんなに思い続けても、彼女は振り向きもしてくれなかった。時よ・・・おまえのせいで俺がどんなに苦しんだことか。おまえのせいで・・・俺は彼女を嫌いになりそうだ。好きだった頃から変わってしまった彼女を。そう、おまえが彼女を変えてしまったんだ。だから俺は・・・
 時よ・・・おまえは無情だ。おまえは敵だ。おまえなんか嫌いだ。帰れ。時なんていらない。ずっと永遠にあの時が続けば良かった。時、おまえがいるからいけない。おまえがいなければ・・・いなければ・・・おまえと一生戦い続けていかないといけないと思うと・・・それだけで生きていくのが嫌になってきた。
 これからもおまえはどんどん俺の仇になるような事を行ってくるだろう。そのたびに俺は言ってやる。
 「おまえなんかに俺の人生を決められてたまるか!」
 時は敵 心許さず 戦えば 今を生き抜き 明日を夢見る



エントリ07  洞の妖児     十的十須


妖子は木の洞に住んで居る。
本人は幼い頃に捨てられたのだと云っては居るが、誰かしら見て居た人が居る訳では無いから本当の所は分から無い。其れでも何とか生き延びて、今では勿う十二歳に為った。
普段は洞の中に巣食って居る虫を食べ、水は近くの川原で汲んで来る。悲惨な生活だと憐れむ人も居たが、妖子は然うは思わない。
洞に巣食う芋虫は肉厚で、妖子なら五匹も食べれば充分満腹に為る。又、洞の天井辺りから偶に滴る樹液は甘露で、妖子の密かな愉しみなのだ。

妖子にも友達が居る。毎日、御陽様が真上に来る頃に為ると遊びに来る「遥子」と云う少女だ。遥子は妖子の先生で、何時も妖子に沢山の言葉を教えてくれる。
何しろ、「御陽様」も遥子に教えて貰った言葉の一つだ。其れ迄妖子は、毎日毎日昇っては沈む太陽を大きな生き物だと思って居た。物心付いてから遥子に逢う迄、妖子は彼の大きな生き物に見つかってはいけ無いと、曇りの日以外洞から出ようとはし無かった。彼れ程大きな生き物ならば、見つかればきっと一呑みに食べられて仕舞う。然う遥子に話すと、遥子は大きな声で笑った。
遥子は、初めて妖子に逢った時、妖子がまるで木の妖精の様に見えたと云う。赤子の頃から洞で日々を過ごし、曇りの日以外洞から出た事の無かった妖子の肌は真っ白だったので、然う見えたのかも知れ無い。妖子は自分の事を綺麗と云ってくれた遥子の事をとても気に入り、其れ迄名前の無かった自分に同じ「ようこ」と云う名前を付けた。
遥子は妖子の住んで居る木の洞での生活を大層羨しがって居る様だった。妖子が美味し然うに食べる芋虫も初めこそ苦手にして居たが、其の内近付く事が出来る様に為り、触る事が出来る様に為り、妖子の様に口に入れる様に為る迄然う時間は掛から無かった。その舌滑らかな触感とまるでクリィムの様な不思議な味は遥子を夢中にさせ、其の遥子の嬉しそうな姿に妖子も一緒に為って喜んだ。

しかし、何故だか急に遥子が洞に来無く為った。
妖子は遥子の事をずうっと待って居たが、結局二度と遥子が洞に来る事は無かった。或る日、遥子の母親が洞の少女の事を快く思って居らず、遥子を遠ざけたと云う話を聞いたが、妖子には其れが如何いう事か良く解ら無かった。其の内、洞の木の葉が落ち又青葉を付け始める頃に為ってやっと、もう遥子は此処には来無いのだと考える様に為った。


其れから又暫く経ち、妖子も随分と大人に為った。
既に洞での生活は窮屈に為って仕舞ったが、妖子は相変らず此処に住んで居る。芋虫を食べ、水を汲み、御陽様の下で暮らして居る。此の先も、妖子はきっと此処に住み続ける事だろう。
妖子は此の洞の木の妖精で在るから、此処を離れる事は出来無いのだ。



エントリ08  ダイヤモンド     空人


 メールに見慣れない着信があった。
「Mビルの6階にエクセルシオールカフェがあるだろ? そこに20時。会えないかな」
私は小さくため息をついた。「もう。久しぶりも言えないの?」

 メールの本人は2年前に別れた悟だった。嫌いになったのではなく、彼の奔放さについていけなくなった。それ以来、悟から一度も連絡はなかった。私から連絡したが、返事はなし。でも、彼は私のことを忘れたわけではなさそうだ。

 待ち合わせの場所に着くと、カウンターでコーヒーを受け取り店内を見渡す。悟はコルビジェのレプリカに腰を下ろし、本を読んでいた。
「タバコが吸えるからここなのね」
彼に歩み寄りながら言うと、悟は日焼けした顔を上げ「ああ」と微笑んだ。
「何してたの?」
「ん? コーヒー・アンド・シガレット」
悟はわざとらしくカップを持ち上げて見せた。
「そうじゃなくて」
「南アフリカに行ってたよ。今朝帰ってきて。返事、しなくてすまなかった」
「まったく、相変わらずね」
突発的に行動を起こす悟らしいと思った。いまでは呆れるだけで済むが、彼の性格には相当悩まされたのだ。いつも自分が中心。彼の世界に私はいないのだと、あの時本当に寂しかったのを思い出した。

 隣の席からは、白人と日本人の女性がおおげさな身振りで会話をしている。知ったかぶりなその女性の英語を、ニセモノだと思った。私の座っているこの椅子も、彼の椅子もニセモノ。
「形だけ取り繕って魂は置き去り、なんて非道いと思わない?」
「皮肉?」
「ううん、違う」
私は俯いて、コーヒーをストローでかき混ぜる。
「どうした?」
「情緒不安定なの」
悟は私のささくれた指先を見つめたまま、ため息をついた。そしてバッグからおもむろに灰色の岩を取り出し、テーブルに置いた。
「何?」
岩を手に取り、まじまじと見つめる。
「キンバレー岩。で、そこに嵌ってるのがダイヤの原石」
「あ、ほんとだ」
岩を裏返すと、確かに透明なものがあった。しかし、それは輝くダイヤとは程遠く、申しわけなさそうにくっついているガラス片のようだった。
「2年間掘りつづけて、やっとそれだけだよ。土産にもらってくれ」
驚いて悟を見つめた。そしてしばらく岩と彼の顔を交互に見た私は
「それで、その2年間で、他に得たものはあったの?」
と、言葉を噛み締めるようにつぶやいた。悟は私の目を見て、それから少しはにかむように視線を反らしてから「まぁな」とだけ言ってタバコに火をつけた。



エントリ09  驚愕     川島 聖人


朝から降りだした雨は、昼過ぎには雪に変わっていった。午後になると灰色の雲が厚みを増し窓の外が段々と薄暗くなっていく。やがて雪が枯れ草をシャーベット状に埋め尽くし、僅か1時間で冬景色に変わっていった。
考えてみればセイコが家を出てからもう何年も庭の手入れをしていなかった。春になると枯れ草から新しい命が芽生え、梅雨になると我が物顔で庭を占拠する。やがて秋が深まるとともに青々とした葉は、黄土色に染まっていき、新年を迎える頃には茎まで枯れていき残骸だけが残る。そんな自然な季節の流れが毎年繰り返しているが、庭の片隅に設置した物干し竿だけが未だに家族の匂いを残したままであるように感じた。
その日の夜は、仕事で疲れていたためであろうか、無性にオンナの柔肌が欲しかった。
「はい、クラブ楽園です。ご利用ありがとうございます」
「今日ヒナさんを予約できますか?」
「大丈夫ですよ。ホテルは、どちらでしょうか? お名前を教えてください。」
「自宅ですが。名前は、西崎俊介と言います」
「ありがとうございました。早速ですがこちらより電話をしますのでお待ちください」
携帯電話をテーブルに置くなり、着信音が鳴った。1回、2回、3回と着信音を数えながら5回目で携帯電話を取った。
「西崎ですが……」
「クラブ楽園ですが、ご利用ありがとうございます。それでは今からヒナさんをお持ち届けしますのでよろしくお願いします。それから住所を教えていただけますか」
俊介は、自宅の住所と簡単な目印を教えると電話を切った。こんなに簡単な事務的な会話だけでオトコとオンナの関係が成立すると思うと風俗という世界の不思議なものを感じた。その反面、何故か虚しさを感じ同時に自分に対する嫌悪感がこみあげてくる。そんな気分を晴らそうとして煙草を思い切り吸い込み、天井に向かって強く吹き出すといった訳のない行動を繰り返す。
――ピンポーン 
玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けた瞬間にそこに妻のセイコが立っていた。
「本日は、ありがとうございます」
「君は、デリヘルで働いているのか? 君は俺と知ってここに来たのか?」
「そうよ! お金、お金のためよ。キャンセルしてもいいわよ。お客は貴方一人じゃないんだから。どうするの?」
「お願いします」
セイコは、冷たい微笑を浮かべて家に入ってきた。
もう昔愛したセイコの面影はなかった。庭の枯れ草のように時間は、セイコを風化していった。


※作者付記:  参加することに意義あり。今はただ書くのみです。





エントリ10       千希


 夜、ふいに目が醒めた。
見上げた時計の指す時刻はまだ三時間ほどの睡眠しか摂っていない事を示していた。私は起き上がって寝癖の頭を掻き回しながら階下へ降り、蛇口を捻って汲んだコップ一杯の水を一気に飲み下した。夏のことゆえ生ぬるいそれ、重ねて水道水のカルキの後味は悪い。再び床へ戻りはしたものの口の中のほろ苦さはとれず暑さも相まって今一度眠る事はなかなか困難であるようだった。
薄い掛け布団を被って目を瞑り、眠りが訪れるのを待ってみる。寝返りを打って、そこに低く唸りを上げる扇風機の風が当たれば一瞬意識を飛ばしてはくれる。がまた目覚めると時計の長針は亀の歩み。僅かに五分ほどしか進んでいないのだった。
 そうやって過ごしているうちに一時間程が過ぎた。ふと頭を埋めていた枕から目を窓へ向けるといつのまにか外が白んでいた。こんな早起きなど学生の時分よりとんとしていなかったものだから酷く驚いてしまった。夏というものはこんなにも早く夜が明けるものなのか。私は眠るのを諦めると寝巻きにサンダルをつっかけて白く染まる外へと出てみる事にした。
 外は霧が出ていた。そのせいで余計に白く見えたのだろう。蒸す家の中と違って外は涼しく霧が音を呑み込むのか静かだった。
私の家を含んだ横並びの数軒の家々の前は開けていて、低い柵越しに田圃が広がっている。もうだいぶ育って普段青々と風に揺れている稲も今は動きを止めている。私は見える景色の全てが色を失ったかのように錯覚した。そして何故か、永久にこの白黒の世界で生きていかなければならないようなそんな気がして戸惑っていた。
 ふと気付くと目の前の田圃の中心に一羽の鷺がいた。美しい白い鷺だ。片足でそこに佇んでいる。最初からいたのだろうか、彼はなめらかに美しい曲線を描く首をこちらに向けてすっくりとそこに立っていた。再び私はその鷺を含んだ霧や空や稲や景色の全てが完璧に造られた世界の本来あるべき形であり、それを壊さないために私は動く事を許されない、支離滅裂なそんな強迫観念に捕われ、私はそこを動けなくなった。
 やがて日が昇り鷺が飛び立ち霧が晴れ、家々が朽ち果てるころになっても私は動けず、いつしかそこに根付くこととなった。永遠にその夏の早朝の霧の中の白黒の世界で黒い葉を広げる事となった。時折美しい鷺が私に寄り添ってくれるが、その様を見て誰かがまたこの世界に根付くこととならないかが気掛かりだ。



エントリ11  新聞記者と小説家     ごんぱち


 二人の青年が、各々、小説家と新聞記者を志しました。
 新聞記者を志す青年が言いました。
「君、小説家なんてものを目指すのは止めたまえ。世の中で一番尊いのは、本当の事なんだ」
 小説家を志す青年は、ただ黙って笑いました。

 二人は同じぐらい努力をして、僅かづつですが仕事が貰えるようになりました。
 新聞記者は考えました。
「狭い世界しか見ていないのでは、狭い頭の中の事しか書けない小説家と一緒だ」
 新聞記者は、世界を飛び回り仕事を始めました。
 恐れる事なく、ごまかす事なく、世界の色々な本当の事をみんなに伝えたので、皆に歓迎され、尊敬されました。
 一方小説家は、あまり売れていませんでした。
「言わんこっちゃない。僕を見たまえ、世界のあらゆる場所の本当の事を伝えて、不正を暴き、感動を呼び、人々を賢くしている。君の物語は、嘘の人が嘘の事件を起こし嘘の結末を迎える、本当の事は何一つないし、本当なら起こらない事ばかりだ」
 でも小説家はやっぱり、何も言わずに笑いました。

 そんなある時、新聞記者は、最も激しい戦闘が、何十年も続いている地域にやって来ました。
 家にいれば爆弾が落ち、道を歩けば地雷に当たり、食べるものもなくなり、盗賊と兵士がごっちゃになって、略奪が当たり前のように起こります。それなのに、その地域の支配者は、自分の失脚を恐れて、この惨状をひた隠しにしていたのです。
「何という恐ろしいところだろう」
 新聞記者はシャッターを切ります。
「こんな恐ろしい事は世界に伝えなければならない」
 新聞記者の写真で、世界の人々はこの惨状に気付きました。
 治安と生活を安定させる為に、国連は沢山の人を送りました。そして、失脚を恐れていた支配者に、亡命先を提供しました。
 少しづつ、争いが減って行った頃、新聞記者はその事を伝えるため、またその国に取材に来ました。
「長い戦いをよく耐えて来られましたね」
 新聞記者が尋ねると、一人の男が答えました。
「戦いが終わった後の事を考えて頑張ったんです」
 男が見せたのは、一冊の本でした。
「物語は嘘の事だけれど、楽しい気分は本当の事だからね」
 読んだ次の日には忘れられていそうな、どこにでもある娯楽小説でした。

 新聞記者はその後も、沢山の記事を書き、ずっと有名になりました。
 小説家は、小説家として暮らしていく事は出来るぐらいには売れました。
 二人の作ったものは、今も世界に残っています。



エントリ12  奇矯     ぼんより


 家に帰ったら空き巣さんがいた。
「誰ですか、あなた」
「見ての通り空き巣です」
 唐草模様のほっかむりに濃い髭。背負っている大きな風呂敷は、私の家から持ち出そうとしている荷物でぱんぱんだ。空き巣さんの表情は平静で、随分慣れているようだった。私はお茶を用意しようと台所へ向った。
「奥さん、お構いなく」
「いえいえ、折角来ていただいたわけですし」
「そうですか」
 空き巣さんは慎み深い。そういえば部屋を見渡してみても、物色された感があまりないように思える。プロってことかしら。が、私は奥さんではないのだ。
「奥さん、ねぇ奥さん」
「はい?」
「お茶いただいたらですね、私逃げようと思うんです」
「はぁ、そうですか」
 空き巣さんはなぜか服を脱ぎはじめた。荷物をよっこらせっと重たげに脇に置いて、首をこきこきと鳴らしている。
「逃げようと思うんですが、その前に奥さんの処女をいただきます」
 奥さんって言ってるくせに。
「確かに私は処女ですけど、そんなもの持ち帰れませんよ」
「まぁそうなんですがね、一応奪うって言うでしょう」
「でもそれなら私まで空き巣さんになっちゃいますよ」
「え?」
「私も空き巣さんの童貞を奪うことになるじゃないですか」
「いや、私は童貞じゃないのでその心配は無用です」
「あら、そうですか」
 食器棚の奥に煎餅を隠していたことを思い出した。以前、懇意にしている花屋さんからいただいた南部煎餅だ。ちょっと待っててくださいねと空き巣さんに言って、私はぱたぱたと煎餅を取りに行ったが、恥ずかしながら足がもつれて転んでしまった。その私の後ろに空き巣さんが迫ってくる。ああ、もうちょっと待ってほしいんですが。
「どこですか、私煎餅に目が無いもので」
「えっと、そこの食器棚の奥ですね」
「ああ、ありました。これですね」
 空き巣さんは嬉しそうに煎餅を取り出した。それを見た私も煎餅が食べたくなってきて、嬉しくなった。
「これね、ゴマがまたいいんですよ」
「空き巣さんなのに詳しそうですね」
「空き巣だからって煎餅に明るくないなんて、そりゃおかしいですよ」
「でも、空き巣さんだからって煎餅に詳しいなんて思いませんもの」
「そうですね」
「そうですよ」
「奥さん」
「はい」
「煎餅美味しいですね」
「ええ、本当に」
「湿気てなくてよかった」
「あ、ちょっとそれ私も心配だったんですよ」
 ゴマをたっぷり含んだ南部煎餅のぱりっと乾いた音が、静かな部屋によく響いた。




エントリ13  羽ばたかない日     とむOK


 美紅は小躍り寸前の軽やかさで綾乃先輩の後を追った。
 巨大な鳥の巣に放り込まれたような中高六年間の女子校暮らしから、とうとう解放されたのだ。これからは髪型がどうのスカート丈がどうの、彼氏がどうのこうのと喧しい集団に決して与せず、ひっそりと好きな本を読み耽り、時々ささやかな小説を書いて、目立たず慎ましい大学生活を過ごすのだ。
 綾乃先輩と知り合えたのは本当に幸運だった。文芸サークル所属。蜻蛉眼鏡に男物のシャツにジーンズ、小さなマッチ棒みたいなプロポーション。女の子の喧騒から億千光年を隔てたようなこの人に一生ついていこう、と美紅はこっそり拳を握った。
「綾乃ちゃあん」
 甘ったるい声が高い所から呼んだ。美紅が振り仰ぐと四角い影が上空から迫ってくる。巨大な四枚翅を背負ったスタイルのいい女性が、あろうことか三十センチくらい浮いてふわりと静止した。綾乃先輩は平然として、美紅に「この子、蝶子だよ」と紹介した。
「なに今日の格好」
「戦闘メイド。流行ってるのよ」
 メイド服仕立てのミニスカートから、蝶子先輩はすらっとした太ももにつけたモデルガンを大きな黒目の傍に構えてウィンクしてみせる。
「あっそ。この子新人」
「はははハジメマシテ」
「可愛いわ。あなたならちょっと磨けばモテるわ。きっと注目の的よ」
「ちゅ、ちゅーもくされますか」
「あたしに任せて。すぐに殻を破って蝶になれるわ」
「えっ? 蝶に!」
「喩え話に決まってるじゃない」
 ばたばたと翅を振って笑う蝶子にケータイ番号を聞かれる。今度の合コンのメンバーに入れとくから、と言った蝶子は翅を一振りして空高く飛び去ってゆく。もうもうと上がる土煙に美紅はせき込んだ。綾乃は手慣れた素早さでハンカチを口元に当てていた。
 間違えて予備校の入学願書にサインした気分だった。
「蝶子は面倒見いいから、心配ないよ」
 呆然とする美紅の肩を綾乃が叩く。
「でも、やっぱりいいです」
 そう言うと思った、と綾乃先輩。
「見た目を気にして人と付き合う関係が嫌いなんです」
「美紅は蝶子の見た目が気にならないの?」
「え? それはまあ…色んな意味で」
「それが当たり前なんだ。肝心なのはその先だよ」
 そんなとこで留まっていたら良い小説は書けないのだ、と断じる綾乃に、はあ、と美紅は頷く。
「あきらめな。私もばっちり決めてつきあうから!」
「ええ〜?」
 サインしたのは女子大の願書だったか、と美紅は肩を落とした。



エントリ14  彼氏の夢     霜野浩行


 僕は見たんだ。
 ――何を?
 交通事故……。でも、それだけじゃないんだ。
 クレーンだ。空から……巨大なクレーン。空の一番深いところ。まるで宇宙の中心から伸びてきたような。圧倒的で、地球すら吊り上げそうな。大きな大きなクレーン。
 それも現場工事用ではなく、ゲームセンターにあるようなヤツだった。

 ――ふうん……。

 その日は最高の気分だったよ。
 何せ初デートの日だったからね。
 でも、あんな馬鹿でかいクレーンを見て、それどころじゃなくなった。
 クレーンはね。するすると音も立てずに、地上まで降りてくると道端で倒れている少女を掴もうとした。けれど、クレーンのアームがしっかりしていないから、なかなか掴むことができない。
 へたくそだったなあ……。僕なら一発なのに。
 僕はじれったくなってさ。そのクレーンにわざと掴まってやったんだ。何故かって? そうだなあ。……そうしたかったから、かな? クレーンが連れて行ってくれる先に、興味もあったしね。
 クレーンは僕を捕まえると、また音も立てずに、今度は上昇していった。あっという間に、人間が鼻糞みたいに小さくなったかと思うと、気がついたら雲の上だった。正確には雲じゃないね。言ってみれば、天国さ。その証拠に、真っ白な羽を背中に生やした天使がいたんだよ。
 ひねりがないなあ、と思ったよ。天国に、羽を生やした天使なんてさ。ちょっとがっかりしたけど。天使がかわいい子だったからOKさ。
 天使は尋ねた。
「お前は生者か? 死者か?」
 その前に天使の電話番号を聞こうとしたけど、電話線がなさそうだったからやめたよ。僕はクソ真面目に「生者」だと言って、事の成り行きを話した。僕の人生の中で、最大の珍事なのにさ。天使は笑いもせず黙って聞いていて、事も無げにこう言ったんだ。
「今なら戻れるが、代わりに――」
 最後まで聞くまでもなかった。絵本にも、ハリウッドでも出てくるような在り来たりな台詞。ハハ……。僕は冗談交じりに「君とデートできるならここも良いかな……」と呟いたりもしたけど。
「いいよ」
 て、言ったんだ。
 理由? はあ……。そうだな。笑わないで聞いてくれよ。
 愛する人を…………愛する人を助けることに、理由なんてない。それも初めて愛した人なら尚更さ。
 ハッ。我ながら、クサい台詞。
 ただ……心配だな。
 ――なに?
 君は天使とは違って、いい男を掴まえるのが下手だから。

 …………ばか。




エントリ15  レモン     るるるぶ☆どっぐちゃん


 海岸を通ると、波打ち際に置かれたピアノの前に、男が座っていた。
 呆然と遠くを見ている。
 彼女が前に付き合っていた男で、偉い作曲家なんだそうだ。
「どうも」
 会釈をして通り過ぎる。
「いらない」
 彼女の誕生日に人形をプレゼントしたが返されてしまった。女の子はみんな人形とかそういうものが好きなのだろうと思っていたから人形を選んだのだが駄目だった。金色の髪の毛をふわりとカールさせた可愛い人形なのだが駄目なのだった。
 デパートは今日も混雑していた。人形売り場が見つからない。まず人形を返品しないと。返品して、そのお金でなにかまたプレゼントを買わなければ。
「人形売り場はどちらですか」
「あちらです」
 人形を抱えなおし、歩き続ける。インテリアコーナーを抜け、ケーキショップを通り過ぎ、そして本屋の脇を通りぬける。色とりどりの本の上には幾つかのレモンが置かれていた。
 時計売り場のちきちきという秒針の音が遠くから聞こえる中、それは静かに佇んでいる。
 人形売り場は見つからなかった。階段を昇るとそこは屋上だった。
 間違って屋上へ出てきてしまった。
 ごお。ごおお。
 強く風が吹いている。そしてちかちかと瞬く黄色いネオン。いつの間にかもう夜だった。
 人形を抱え、フェンスにもたれかかる。
 ふと目をやった先に、古びたピアノが置いてあった。
 鍵盤に触れる。音が鳴らない。何度打鍵しても音が鳴らない。
 ピアノを思いっきり押した。そして屋上から突き落とす。
 ピアノは大きな音を立てながら落ちていった。ついでに人形も。
「ははははははははははははははは」
 がしゃーん。きん、がーん、がらーん、がーん、がしゃーん。
「はははははははは、予想以上に良い音がするじゃないか」
 それは、本当に良い音だった。とても、良い曲だった。
 気がつくと隣に男が立っていた。彼女の昔の彼氏だ。
「どうですか」
 男に笑いかける。
「これから一杯、どうでしょう。おごりますよ」
 金も無いのにそんなことを言い、男の肩を掴む。男はこちらを見ず、下をずっと覗き込んでいる。
「お願いしますよ。ね、付き合って下さい。良いでしょう」
 男の体に身を寄せた。男はこちらを見ない。さらに身を寄せる。男の太ももに手を伸ばし、耳元で囁きかける。
 がーん、きん、がん。ちき。ちき。かーん。
 ピアノは落下し続けている。瞬くネオン。音はどんどん重なっていき、まだまだ鳴り止む気配を見せない。



エントリ16       越冬こあら


 私は急いでいた。派遣先の早朝会議に寝坊したのだ。駅への坂の途中で、ケータイを出し損ねて、ショルダーバックを落とした。
 すると、何処からともなくシャンシャンと鈴の音が聞こえて、辺りにミストが立ち籠めた。地表から水が染み出て、水面からヌウーっと神様が現れた。
「美しき乙女よ、お前が落としたのは、この金の肩掛け鞄か、それとも、こちらの銀の肩掛け鞄か」
 神様は右手に金、左手に銀の光り輝くショルダーバックをお持ちになり、遠い目をして質問された。
「いえいえ、金や銀ではござりませぬ。合成皮革のショルダーバックにございます」
 時間が気になってはいたが、長年のOL生活で培った『空気読み』能力が発揮されてしまい、その場に膝まづいて恭しく答えた。
「おおお、正直な娘じゃ。褒美にこの金と銀の肩掛け鞄も使わすぞよ」
「ははあ、有り難き幸せ」
 こんなことやってる場合じゃないことはわかっていたが、深々とお辞儀をして、ニコニコ顔の神様に見送られ、金と銀とニセ革のショルダーをタスキ掛けにして走った。正直、重かった。

 会社に辿り着き、金銀ショルダーを引きずって会議室へ。遅刻を詫びて席に着くと、弾みで机の上の資料が床に散った。すると、シャンシャンと鈴の音、ミストと水、神様再登場。
「美しき乙女よ、お前が落としたのは、この金の書類か、銀の書類か」
 ええ、ここでも……と思ったが、『美しき乙女よ』の呼びかけに引き込まれ、
「いいえ、私が落としたのは……」
 というわけで、会議机に金と銀の書類が積み上がった。

 神様もその日はよほど暇だったか、会議中にペンと消しゴム、その後、カップ、電卓、コンパクト、パンティー……、悉く金と銀を出現させて、ご褒美として与えて下さった。電卓の時、試しに「金の電卓」と言い張ってみたが、樵のようにはいかず、神様は泣きそうになり、こちらが訂正するのを待っていた。仕方なく「百均の電卓」と言うと、嬉しそうに褒美をくれた。

 気がつくと、仕事中だというのにゴタゴタと私物を増やす派遣社員に、上司もキレたようで、派遣元に苦情の長電話をしている。
 ここに至っては、私も致し方なく、
「まあ、次の派遣先で頑張るしかない」
 と匙を投げた。
 すると、鈴の音が聞こえ、
「……お前が投げたのは金の匙か、銀の匙か」
 チャンチャン

 って、これがオチなわけ。

 すると、鈴の音、
「お前が落としたのは、金の千文字小説か、銀の千文字小説か」




エントリ17  ユポ氏     アナトー・シキソ


ユポ氏が町にやってきた。
ユポ氏は四十代。白いスーツの、背の低い、四角い男だ。
ユポ氏の悲願は、世界平和の実現。
そして、そのためには、我々人類の絶滅以外に道はないのであります!
ユポ氏は、日曜日の大勢があつまるガルボ・ナッス広場で演説した。
ユポ氏の演説に僕と奥さんは顔を見合わせた。

集まった人の中には感心する人も何人かいた。
なるほど、彼の主張は確かに本質をついてるよ。
つまり、これは逆説だ、逆説。
やっぱり外国で学問すると違うね。
とか。

怒り出す人もいた。
頭のイカレタ先鋭主義者め!
矛盾だよ、完全なる矛盾。
人類が絶滅したところで何も解決しないさ。
みたいな。

あと、他にも。
背が低すぎてよく見えなかったな。
白のスーツがよく似合うわね。
あ、自転車の鍵なくしちゃったよ。

演説の後は、ユポ氏主催のパーティーが開かれた。
広場に天幕を張って、みんなで飲み食いしながら喋る。
僕と奥さんは並んで座って、名物のナスのバター焼きを紙の皿で食べた。
背の高い黒服四人にガードされたユポ氏は忙しい。
シャンパン片手に町の有力者たちと談笑したり、
ハンカチで汗をぬぐいながら、町の大学教授達相手に論争したり、
タバコを吹かしながら、大工の棟梁に伝統建築について教えてもらったり、
犬に吠えられたり、猫にすり寄られたり、
いろいろ。

「ふう、やれやれ」
ユポ氏が僕と奥さんの向かいに腰をおろす。
四人のボディガードは立ったままだ。
「どうですか、うまいですか、それ」
ユポ氏は僕の皿からナスをつまみ取り、口に放り込む。
「うん、悪くない。こりゃ、ビールだな」
ユポ氏はボディガードの一人にビールを取ってこさせる。
それで、グイグイビールを飲み干し、タハア〜と言って頭を振る。
空のグラスのユポ氏が僕に訊く。
「私の演説、どうでしたか?」
僕は奥さんと顔を見合わせる。
「忌憚のないところを是非」
ユポ氏は僕らの言うことに何度も頷き、あと二杯ビールを飲んだ。
ユポ氏の腕時計がピッと鳴る。
「今日はお話ができてよかった」
ユポ氏は席を立つ。立つと、座ってたときより背が低くなる。
僕と奥さんの両方と握手をするユポ氏。
次の大統領選に出馬するらしい。

ユポ氏は大統領に選ばれた。
けど、その翌日、王様が言った。
長たる者は、まず、己が範を示せ!
早速、王様の首斬り鳥がユポ氏に向けて放たれた。
ユポ氏は慌てて大統領を辞任する。
そして、物書きになった。
今度『世界平和の為の人類絶滅』という本を出すらしい。





エントリ18  太陽海岸     棗樹


砂が熱い。ビーサンで来てしまったことを、わたしは悔やむ。焼けるような砂を蹴散らして(熱い!)、一気に海になだれこむ。膝頭で波が砕かれる。透明な水が砂を巻き上げ、足首ごとさらっていこうとする。殺人ビームのような太陽光線は、睫毛のあいだで虹色の光環になって目の縁を彩る。見上げることもできない、太陽。

 海岸を見下ろす高台に、ばあちゃんとミユねえちゃんの入院している病院がある。ばあちゃんは末期の子宮癌で、ミユねえちゃんは切迫早産。田舎ではお産をさせてくれる病院が減っていて、突然激しい痛みと出血に見舞われ、産み月まで絶対安静を言い渡されたミユねえちゃんを引き受けてくれる病院がどこにもなかった。そこで、ばあちゃんが自分の入院先にかけ合い、孫娘を引き受けさせたのだ。「ミユん出産んとき、わしのベッドは空いちょりますじゃろ?」だって。
 渋面を引きずって退散する病院関係者を見送りながら、ばあちゃんは、見舞いが一カ所ですんでいいやろ? と片目をつぶってみせた。母や叔母達が肘を叩きあって笑った。中学二年の従妹は「ばあちゃん、グッジョブ!」と讃えた。余命一ヶ月であることを本人・親族一同包み隠さず知っていて、悲嘆も涙もない。ばあちゃんの散り際は美しい。

 ミユねえちゃんのお産が始まったのは、昨日の午後だ。赤んぼうはまだ生まれない。ばあちゃんはねえちゃんの産み月まで粘って、とうとう三日前から昏睡状態。みんなでかわるがわる病院に詰めた。交代の母が現れたのでわたしは解放され、差し入れのおにぎりを持って、海岸に降りてきたのだ。
 海水に足を浸しながらと考えていたけれど、熱砂に尻をおろすのは危険と判断して、テトラポッドによじ登り、子どものように足をぶらつかせながらおにぎりを頬張った。
 朝の漁はとっくに終わっていて、海上には一艘の船もなく、ときおり湾の向こうをおりタンカーが横切るだけだ。外国に行く船だ、と思うだけでどきどきするのは、いくつになっても変わらないんだな、とひとりごちて笑う。おにぎりの中の紫蘇の味も子どもの頃から変わらないけど、ばあちゃんが死んだら誰が漬けるんだろう。母か? ミユねえちゃんか?
 足下で何かがぎらりと光り、テトラポッドの隙間から目を凝らすと、油の浮いた水たまりだった。黒ずんだ水の表面が鈍く光っている。思わず、ばあちゃん、と呟き、ビーサンを落としてしまわないように、足の指に力を込めた。




エントリ19  アミューズメントパーク抗争     小笠原寿夫


夜半、暗い路地裏で、スーツ姿の男が左手を挙げた。
“こんな時間にどこに行くんだろう”
新米タクシードライバーはそう思って車を路肩に止めた。
「ディズニーランドまで行ってくれ」
男のサングラスから異様な気配が立ち込める。
「ここからディズニーランドまで高速乗って二時間はかかりますが」
「かまわん。金ならここにいくらでもある。到着したら起こしてくれ」
「あぁあぁ、寝ちゃたよ、この人。今頃ディズニー閉まってるよ。こんな時間に何しに行くんだろ」
後部座席に銀色のアタッシュケースが無造作に置かれているのを新米ドライバーはバックミラー腰に見た。
“何が入っているんだろう?”
そう思うのは当然だったが、興味本位で開けて、悪い事件にでも巻き込まれたら家に待つ家族が泣くだろう。
「中身が気になるか」
「わっ! 起きてたんですね。まぁ正直、気になりますけど、大体、想像はつきます。何か危ないもんでも入ってるんでしょ。警察にも見せられないような」
「運転手さん、あんたUSJって知ってる?」
「えぇ、ディズニーランドより後に出来たハリウッド映画のアトラクションとかがあるところですよね」
「ディズニーランドはリピーターが多いのに、USJには客は一度足を運んだら飽きてしまう。どうしてだかわかるか?」
「さぁ…歴史が浅いからですかね」
「答えはノーだ」
「じゃあなんでなんですか?」
「その前にもうひとつ質問に答えてもらおう」
「はぁ……」
「ユニバーサルのイメージキャラクターの名前を五秒以内にあんた言えるかい?」
「あのトサカのついたくちばしのアレですよね?さぁ…気にしたこともないです」
「ではディズニーランドのイメージキャラクターは?」
「ミッキーマウスでしょ? うちの子供でも知ってますよ。」
「今からミッキーを暗殺する」
「お客さん、冗談なら勘弁してくださいよ。ミッキーってアレかぶりものですよ? そんなことしたら殺人罪で捕まりますって」
「殺し屋が鼠を殺して何が悪い。これも世のためだ」
「お客さん、殺し屋なんですか?」
「あんたユニバーサルスタジオのキャラクターの名前、言えなかったね」
「えぇ」
「ウッディ。覚えときな、俺が惚れた男の名前さ」
「そろそろディズニーランドですが」
「ミッキーマウスが死んでディズニーに人気が無くなったらさ。あんたユニバーサルにおいでよ。俺達いつでも大歓迎するからさ。」

『早過ぎる別れ ミッキーマウス死去』

翌日のスポーツ新聞一面である。