「……この方法を使って犯人は横山太一さんを自殺に見せかける事に成功したのです。そしてそれをする事ができたのはこの中に一人しかいません」 探偵はじっと周りを見渡し私の所で視線を止めた。松永警部は驚いた顔で私を見ている。「するとあなたが?」 私は黙って下を向く事しかできなかった。探偵は話を続ける。「しかし最後まで私を悩ませたのはその動機でした。お二人の関係はうまくいっていたらしいですからね。しかし横山太一さんの書かれた日記を読んだ時、私はすべて分かりました」 探偵はテーブルに置かれた太一の日記を拾い上げそれを開いた。「私が気になったのはここ数日の間頻繁に登場する『もうコーヒーはやめよう』という記述でした。聞いた所によると太一さんはコーヒーが大変お好きだったらしいのですが、それをやめようと思っているようなそぶりは全くなかったらしい。ではなぜこのような事を何度も日記に書いたのか」探偵は日記を閉じテーブルに再び置くと深い瞬きを一度し、「実は『コーヒー』という言葉には別の意味が隠されていたのです」と言った。「別の意味……? いったいそれは?」「『コーヒー』という字の伸ばす横棒を除いてみてください。すると残るのは『コヒ』ですね。これをひとまとめにすると何か別の文字に見えませんか?」 探偵は『コーヒー』と『コヒ』を並べてテーブル上のメモ用紙に書き、それを私達によく見えるように持ち上げた。松永警部はそれを凝視して眉間にしわを寄せている。「うーん……、別の文字と言われてもわしにはさっぱり……あっ! もしかしてこれは『きた』か?」「そうです。『北』という漢字に見えます」探偵は満足そうに微笑んだ。「では『コヒ』の部分は『きた』と読む事として、そこに先ほど除いた横棒を戻してください。『きーたー』となりますね。最後に横棒を漢数字の『いち』と読むと?」「きいちたいち!」「そうです。きいちたいちです。つまり『コーヒー』とは『喜一・太一』という意味だったのです。どうやら太一さんは漫才コンビ『横山喜一・太一』を解散しようと考えていたみたいですね。あとは私の推測でしかないのですが、解散を決心した太一さんとその気の無かった喜一さんの間で諍いがあり今回の悲劇が起きたのではないでしょうか」.「横山喜一さん、そうなんですか?」警部が私を厳しい目つきで見つめる。「……はい。その通りです」 私は静かに口を開いた。
ピープーピープーと、情けないおもちゃの出すような音が近づいてきたので振り返ってみると、同じ階に住む嬰児であった。週末の昼過ぎ、とあるコンビニエンスストアの中である 私が彼の名を呼び、挨拶をして、今日はどうしたのかと尋ねると、彼はそ知らぬ顔で、私の前に置かれたコミックの陳列されている白いラックの骨を、そのふっくらした小さな指で撫でた。 しゃがんで目線を合わせ、再度挨拶をする。彼はそれには答えずに、綺麗な黒い瞳で私の胸元をじっと見つめ、ラックを撫でていたのとは反対の手を上げて私の胸を指差した。 Tシャツの柄が気になるのだろうか。私が胸の布を張り広げて尋ねると、彼はくるりと横を向いて、片手で髪を触りながら、もう一方の手で窓の外を指差した。 何が見えるかと問いながら外を顧みるが、駐車場にはありきたりな車が幾台かあるきりで、しかも彼の指がさしたのは車でもなく、車と車の間の何も無い空間であった。幼子の心の内など推し量る術もなく、私が青く輝く天気のことなど話して振り返ると、その時には彼は体を捻って向こう側を向いてしまった。私が彼の名を呼ぶと、こちらに向き直ってはにかんだような、何とも言えない柔らかい笑顔をして見せた。 私は嬉しくなって両手を伸ばし、彼の小さな両の耳をつまんで、くにくにとその柔らかい軟骨の感触を楽しんだ。彼は喜んでくねくねと体を曲げながら、笑って私の指に手を重ねる。 彼の母親が姿を現して彼を呼ぶので、私は立ち上がって挨拶を交わした。母子はこれから車で隣町の森林公園までピクニックに行くのだと言う。私たちが話していると、彼は口を開けて笑ったまま私たちの顔を交互に見上げて両手をばたばたと、不器用に羽ばたくように上下させていた。 私はいつものように、彼の脇の辺りに手を運んで、人差し指を曲げてこちょこちょとくすぐる真似をする。彼は短い体をくしゃっとよじってくすぐったそうににやにやと笑う。 母親が私に別れを告げ彼を呼ぶと、彼は短い足を踏み、靴音をピープー鳴らしながら、母親の後についていった。 去り際に私が手を振って挨拶をすると、彼は短い腕を盛んに振って、「バイバイ」と答え、ピープー音と共に去っていった。 私は立ち読みしていたサイコホラー漫画の続きなどどうでも良くなって、外に出た母子を見送りながら、大人用のピープー靴がどこかに売ってはいないかしらん、と、そんな思考をめぐらせた。
※作者付記: 大人用ピープー靴、見かけた方はぜひご連絡を。
もう誰もいない下駄箱で、涙目になったヒロが待ち伏せていて、靴を履いた途端にオレの手を握って走り出した。オレより頭一こ小さいヒロの先で通学路が灰色に揺れる。五分もするとオレ達の住む団地に着いてしまう。男子と手を繋いで走るのは恥ずかしいけど、ヒロは泣き虫のクセに強情だから、振り払ったりしたら団地中に響く声で泣かれて、すると一階の窓から即「マーちゃん、また男の子泣かして」と近所のお節介ババアが来るのだ。ああウザい。 今日も木村のバカが大人しい里子にしつこくからむので、「お前ダサい」って言ってやったら「オトコオンナとサトイモラブラブ」だって。ほんとバカだ。オレは遠慮なく木村をぶん殴った。ぶん殴ってもオレは木村のダチのつもりだった。「真琴さんはイジメラレル子のミカタなのね」 木村の話も里子の話も聞かずに、担任はオレにそう言った。急に耳がキーンとなって、それから担任の声は聞こえなくなった。オレは里子のミカタで木村のテキか。机の下で握った拳が冷たかった。 オレ達は団地の坂道を駆け上り、小さな丘に出た。 オレはどきっとした。久しぶりに来たここは違う場所のようなのに、色のない痩せた木々は少しも変わってなかった。 ここにうずくまって何年も過ごした。他にどこにも居場所がなかった。あの頃、世界中がテキだった。それを知っているのはヒロだけだ。ヒロは学校が終わるといつも泣きながら現れた。オレ達は同じ丘の上で別々に泣いたり、一緒に泣いたりした。「オレが泣くと思ったのかよ」 意地でも泣かない。オレを置き去りにしたまま三度目の夏休みが終わった日、オレは世界をテキにしないやり方を探すことに決めたんだ。「お、おれ、泣き虫、だから、」 言い終わらないうちにヒロは泣き出した。うるせえ。オレはヒロの手を振り払ってゲンコツを構えた。ヒロは半べそでよける。いつもならすぐ逃げ出すのに、今日は決して離れようとしない。オレはあきらめて腕を下ろした。「お、お前も泣けよぉ」「泣くか、バカ!」 ヒロの頭のてっぺんを一つどついて、オレは自分史上空前天使級の笑顔を作ってみせた。オレの掌にはヒロの体温がまだ残っていた。 どこからか焼き魚の匂いがした。団地の向こうにでかい夕日が下りていた。ここから夕焼けが見えることにオレは初めて気がついた。泣き笑いのヒロの顔が真っ赤になっていた。夕日から吹いてくる風が冷たくて、なんだか目にしみた。
公園には売店があって平日は朝十時から五時まで、土日祝日は九時から五時まで白い割烹着姿のおばさんが駄菓子やスナック、ぺらぺらのプロペラ飛行機やジェット風船なんかを売っている。四時五十分になると、おばさんは天井のハンドルをくるくる回して売店の前に突き出た日よけを畳み、シャッターを閉め、電気を消す。電気が消えると営業は終わり。おばさんの仕事も終わりになるけれど、売店からは誰も出てこない。おばさんは二畳ほどの真っ暗な店のなかで、営業中と同じ姿勢で窓口に座り、翌日の営業時間までそこで過ごす。目はうつろに見開かれ、股を開き、重たい二重あごが胸まで垂れ下がって。 朝が来ると店はいつのまにか開いていて、おばさんは何事もなかったように店の中に座っている。売り切れたニッケ水やチロルチョコを補充して、風船を彩りよく並べ替える。 チロルは十円。ソースせんべいは二十円。一万円札で払ってもおつりを間違えることはない。よっちゃんイカが売り切れるとすまなそうにあやまって、明日には入るから、なんてお愛想も言える。トイレの場所も最寄りのコンビニのことも聞かれればちゃんと答えられるけれど、小さな子どもに「すなばに白と黒のうちゅうじんがいたよ」と話しかけられたり、食べかけのあめ玉を「うちゅうじんのたまごだよ」と差し出されると、口をもぐもぐ動かしたまま黙りこみ、動きが鈍くなる。「ああいうの、バグって言うんだよ」 夕方になるときまって公園にやってくるミツキ君がそう教えてくれた。 バグがひどくなると、係のおじさんが替えのおばさんを運んでくる。真夜中近くひっそりとやってくるおじさんは、売店のドアを開けておばさんを交換すると、古い方のおばさんを台車にのせ公園の外にとめた軽トラックまで運んでゆく。幌のかかった荷台には、新旧二種類のおばさんが醜い膝を突き合わせ、太った身体を折り畳むように座らされている。「よく見てごらん。昨日のおばさんとは少しちがうだろ?」 話のしめくくりにミツキ君はそう言って、ブランコに向かって駆け出した。オレンジがかった夕闇に黒々と浮き上がるブランコのまわりには男の子が数人いて、着ているものはちがうけれど、顔はミツキ君そっくりだ。暗がりのなか、いつまでも遊び続ける子ども達から少し離れて、それぞれのお母さんが立っているけれど、皆一様に、少しさびしそうな微笑みを浮かべて、子どもたちを見つめているんだ。
「マッチ一本火事の元って言うよな」「言うな」「だが、マッチ一本じゃなくても火事は起こるだろう」「そりゃそうだ」「例えば、ライター一つで火事の元」「そりゃより一層危ないな。子供でも火が点けられるしな」「チャッカマン一つ火事の元」「ライターと一緒で良いじゃねーかよ」「つづいて、ジッポー一つ火事の元」「ライター科だよ! 同じだよ!」「いや、忍者ハットリくんに出て来た怪獣」「微妙にマイナーだよ、覚えてる人少ねえよ!」「でも史実ではな、服部半蔵って、本人はいわゆる侍に過ぎなくて、忍者って訳じゃなかったらしいぞ」「豆知識かよ! 火事の話はどうなったんだよ」「じゃあブルース・リーとかな」「燃えよドラゴンだからか! だとしたって燃えてるのブルース・リーの方じゃねえか、別に火事にはならねえよ」「分からないぞ、ブルース・リーがこう、棒と棒をこすり合わせて……」「確かにブルース・リーなら出来たかも知れないけど。マッチ一本の表現に従うなら、棒一本火事の元とかになるだろうがよ」「それから天かすだな、天かす一粒火事の元」「ああ、それはそうみたいだね。天ぷら屋とかで、まとめて置いておいた天かすが酸化して熱を出して発火するって」「まあ興奮し過ぎたんだろうね」「酸化と運動会の参加か何かとかけてるのかも知れないけど、分かり辛いよ!」「このタイプの熱は、燃えよドラゴンのそれと一緒だね」「戻さなくても良いよ、やっぱり火事とは関係なくなってるじゃないか!」「石油一杯でも火事になるだろうな」「そりゃあなりそうだな。燃えやすい新聞とか雑誌なんかも、家の外に置いとくと、放火される絶好の的になるって言うし」「ワラも火事の元だな」「あー、あれはよく燃えるからね」「ワラを家の近くに置いといたら、せっぱ詰まった感じの男がやって来て」「うんうん、何かのストレスを抱えてるんだ、放火しそうだね」「つまづいて、うっかり転んで」「ああ、イライラしてる時はこらえがきかないからね。もうこれがきっかけでストレス爆発しちゃうんだ」「拍子に一本だけ掴んだワラを持って行くんだな。その後このワラにアブを結んでたら子供に欲しがられてミカンと取り替える事になって、そのミカンは反物に、反物は馬に、馬は家に取り替えて」「わらしべ長者だよ! それわらしべ長者だよ!」「でも、家しか貰ってないもんだから、家計の方は火の車」「あくまで火事にはならないのかよ!」
客電落ちる。 アップテンポなジャズは低く沈み、舞台袖では握手が交わされる。 一瞬の静けさの後、照明は舞台に入る。 二人。 軽快な掛け合いで観客を惹きつけながら、舞台上を所狭しと走り回る、走り回る、走り回る……走り、回る。 幕は上がった。 尻をついて膝を抱え、そばのペットボトルに手を伸ばす。私は一口、液体を身体に流す。薄闇の緊張。何体もの絡繰りが息を殺している。 机には花が一輪、水差しの中に水も無く咲いている。 花は依然として優雅だ。黄色の花びらと白い茎。赤みの強い葉に慎ましく脈が走る。私は花をじっと見つめてみた。 舞台上の二人はますます調子をあげ、右へ左へ、奥へ手前へ、上手に下手、壁を伝い、地に這いつくばり、時には低く、時には高く、胸で、腹で声を張り、緩く、急ぎ、感情を昂ぶらせながらも冷静に、淀みなく、ああとにかくそれはそれはもう縦横無尽に暴れまくっている。「サンタが道交法違反っておかしいでしょ!」「あ、そっか。トナカイって足遅いんだっけ?」「そういう問題じゃない!」 二人は女優と男優。 コメディーの女王と帝王。 私たちは今日コメディーを演じている。 数メートルの向こう側とこちらはまるで水上と水面下。コメディーを演じている水上、そしてコメディーの出番を待つ水面下。共にコメディーでありながらその落差こそがまさにコメディー。 皆笑っている。穏やかな表情で笑っている。音響も笑っている。照明も笑っている。それぞれの穏やかな表情で笑っている。 やはり私たちは今日この劇場でコメディーを演じるのだ。 女優が袖へ。衣装が変わる。 派手な浴衣に着替え、派手に踊り、派手に歌う。颯爽とした女優の姿はコメディーに美しくコメディーに品を備え、きっと観客も演者もスタッフも皆笑い、見とれ、うっとりと忘れてしまう。 袖の演者は水上へ。私は一人残り女優と二人水面下へ、女優の着付けを手伝う段取りになっている。電飾をつけ、電源を入れ、腰のあたりに飾りを付ける。 女優ははたして笑っていたのだろうか。男優との掛け合いの中、私は浴衣を手際良く着ている女優に、手伝いをしながら興味をわかせた。正確に言えばその表情に。 だから女優を見上げてみた。「ありがとう」 女優は透明な笑顔を私に向けてくれた。 舞台はこれから私を迎えてくれる。私は、先に待っている皆の笑い声の中に私のコメディーを、そして笑いをぶつけようと思う。
週末、会社帰りに立ち寄った馴染みの居酒屋で、最後に注文した「おすすめ! 烏賊の炉端すみ火串焼(地中海風)」(通称:烏賊炉す【イカロス】)の串に金文字で小さく「当たり」と書いてあり、中東系店員のティキさんに見せると、「店長、おっ大当たりです!」 と叫んで、鐘を打ち鳴らした。店長は口元に皮肉な笑みを浮かべて、賞品の入ったボックスを持ってやって来た。その後、皆で祝杯をあおった。 次の朝、酔い醒めの牛乳を飲みながら、思い出そうとしたが、何を思い出したら良いかも思い出せない状態だった。とりあえず「特賞 イカロスの翼」と書かれた小箱を開けると、白く小さなペアの翼が出てきた。ティキさんが「故郷の伝統工芸品で手づくり」だと自慢していたことを少し思い出した。「これが『イカロスの翼』かあ」 俺は中学時代、文学少年だったのでイカロスの神話は読んだし、高校時代、合唱部で「勇気一つを友にして」も歌ったので、この翼が実際に飛べることと(材質の関係で)熱に弱いことは良く理解していた。翼は手にはめるには小さすぎたので、とりあえず両耳に掛けてみた。瞬間、体がふわりと浮き上がったので、アパートの窓から冬晴れの空に出て、ご町内を一周した。 次の週から、通勤は少し楽になった。翼のおかげで、バスを待つこと無く駅まで行くことが出来るようになったし、帰りは、会社を出て直ぐ、もの陰で翼を装着し、文字通り「飛んで」帰ったりもした。要は(調子に乗らず)適切な高度を守り、太陽に近づき過ぎなければ良いのだ。 俺は、寓話的展開の可能性に配慮(警戒)し、翼のことは誰にも話さなかった。ただ一人の例外を除いては……。 その夜、二ヶ月前から付き合っている良子を「天にも昇る気分に」してやろうと思い、公園の丘の上から良子の手をとり、二人で夜空に飛び立った。二人で飛ぶ夜空は、五木ひろしのBGMでクリストファー・リーブのスーパーマンを観るような、百パーセントロマンチックに包まれた世界だった。良子は興奮しまくり、見開いた瞳を潤ませ「素敵」と「好き」を連発した。俺は良子を空中で抱きしめ、その豊満な肉体を全身に感じた。 東京タワーを飛び越える時、二人の興奮はピークに達し、唇を重ね、俺の体は芯から熱く熱く燃えたぎった。両手両足……それこそ、耳の先まで真っ赤に燃えて……つまり、翼は溶けて、二人は落ちた……。 翼奪われイカロスは 墜ちて生命を失った
※作者付記: 最後の二行は「勇気一つを友にして」(作詞/片岡輝)より引用しました。
人は食物を摂取するが、その中には必ず毒が含まれているのだそうだ。 それは量の大小はあるがどんな食べ物にも必ず存在していて、少しずつ体内に蓄積されていく。どんな酵素もそれを分解することは出来ないし、というよりもそもそもその毒というものは栄養素(主にたんぱく質)を分解・消化する際に身体が「生産」するものらしい。そのように人体は設計されているのだ。 その毒は微量ではあるが致死性のものであり、それは体内に蓄積され続け、様々な症状を引き起こし、やがてその生物を確実に死に至らしめる。 人間は毎日、毒を食むことにより生きていくのだ(もちろん毒を体内に入れないことも出来る。それによりその個体はもっと確実で速やかな死を迎えることになる)。 この毒は地球上の全ての生物が同じようなプロセスで生産する。原始的な生き物に近ければ近いほど、その生産量は少ないらしい。人間はというと、そのサイズから信じられないほどの毒を生産する。全体の生産量に、とても大きな貢献をしているのだ。(そしてその寿命はかなり長いのだった)。「ねえ、死ぬのは怖くないのかい」「あたしは怖くないわ」 女はそう答えた。 女は良く食べた。女には珍しく甘いものよりも肉を好んだ。ステーキをぎしぎしと切り分けて、次々に口へ運んでいく。 女は母を殺したのだと語るのだった。語るたび、その殺し方は変わった。 私は女の母に会ったことがある。女がオーバードーズで病院に運ばれた時だった。「娘がご迷惑をおかけしまして」 そう言って深々と頭を下げた。「助けてやってください。娘を、娘をよろしくお願いいたします」 女は、ママ、と言った。そしてその場に私が居たことに気づき、とてもばつが悪そうであった。女のその表情は今でも覚えている。(その後も、女は母を殺したことを様々な語り方で語った。女は今も、輝くように美しい)「りんごが宜しいでしょうね」 医師は書き物をしながら言った。「もう食べられるものもあまりありませんし。それでも何か、と言うならやはり果物、それもりんごなら良いでしょうね」 りんごを持って母の病院へと歩く。 病室の窓辺は明るく暖かだった。 母は寝ている。 私はりんごを切る。 病院は草原の真ん中にある。誰かに置き忘れられてしまったかのように、緑の中、白く、静かに佇んでいるのだ。「甘くておいしいね」 母が言う。「そうだね。甘くておいしいね」 私は答える。