第91回1000字小説バトル

01(作者の希望により掲載を終了いたしました)  
02揺らぐ青い影藤田揺転1000
03小便小僧ごっこ藤原ララ1000
04歌わせないでの歌1000
05テレパシーごんぱち1000
06ネイキッドとむOK1000
07真冬の朝の偶然空人1000
08千希1000
09恒星越冬こあら1000
10バリエるるるぶ☆どっぐちゃん1000
11背景ぼんより1000
 
 
 ■バトル結果発表
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エントリ02  揺らぐ青い影     藤田揺転


 お前が海を見たいと言ったから、連れてきた。ひた走る車の中で、お前の沈黙だけに耳を傾けていた。
 まだいつもの、お前の悲観した呪詛の羅列はやってこなくて、お前は独りで水の地平を眺め、彷徨う風に髪を絡ませ、いつの間に持ち出したのか、俺のウイスキーを顔を顰めながらやけっぱちに嚥み下していた。(帰りの車でダッシュボードに吐いた)。
 そんな真似をするのはよせよ。お前は可憐じゃないが、飛び切り美しくもないが、それでもお前は、お前の魂は、青くて、青い影のようで、揺らいで、日の光や風や雲なんかによって、ひらりひらりと色調を変えて、時に燃えて、青く、とても澄んでいて、冷たくはないけど、どこか白々しい。あてもなく彷徨う。夜は、俺の知らない闇の中で、そっと息をする。分からない。お前の魂がどうとかいうことなんか分からない。ただ、俺は、お前を掴まえておきたい。放っておくと、お前、どこの終電も去った駅で、独りぼっちでいるかわかんないだろう? だから、そんな下手な真似はよせよ。
 俺は、太平洋の向こうから、ポツンと小さな点となって現れて、少しづつ、少しずつ大きくなって、人の形で、動いて、そうやって真っ直ぐお前を見つめて、水の中から、海と雲の間から、お前の所に辿り着けたらいいと思ったけど、さすがに無理で。だから、お前の後ろに座って、お前の横顔を眺めていた。お前は泣いていて、インディアンの戦士みたいな勇ましい顔をして、それで、濡れていて、俺は衝動、お前の涙に口付けしたいと燃え立った。けれどもお前は野生の猫みたいに見えて、迂闊に手を伸ばそうものなら俺を引っ掻いて飛び去って行ってしまいそうに思えたから、俺は後ろからお前に飛び掛って、押し倒して。そしたらお前の拳が俺の顎を打って、右目も殴って、俺はお前を絞るほどに抱き絞めて、お前は暴れて、お前の頬に俺はキスして。
 お前から搾り出した透明の液体には、お前が濃縮されていて、俺は何もかも飲み尽くしてしまおうと思って、お前の頭を押さえつけて舌を這わせて、お前は俺の耳を千切れるほど引っ張って、潮騒の上で、砂の中で、俺達はそうやって。
 いつしかお前はしゃくりあげていて、俺はお前の体をきつく抱いて、お前の胸に頭を押し付けて、痺れている右目の辺りで、弾むお前の心音を聴いていた。空は暗くどこまでも鈍って、海は遠くどこまでもうねって、風は冷たく、俺はお前を、じっと聴いていた。 







エントリ03  小便小僧ごっこ     藤原ララ


 立って放尿をする幼子を模した像である小便小僧はそもそも死んだ父親に代わって幼くして戦場で指揮を取ることになった子供が、軍のおエライさん達によって兵士を鼓舞するためにゆりかごに入れられ木から吊るされた時に敵軍に向かって小便をした事で劣勢だった兵士たちを勇気づけ自軍を勝利へと導いた、という説から勇気の象徴としてつくられたらしい。
 僕の住んでいる町にも駅前の噴水広場に小便小僧があって、それを見て勇気づけられたなんて事はまったくなかったんだけど先生がそんな話をホームルームの時にしたために僕達の間では小便小僧ごっこという遊びが流行ってしまった。ルールは簡単で、誰が一番ありえない状況でおしっこをする事ができるかを競うだけだった。
 このゲームの提案者でもあるタケちゃんがまず口火を切り、女子トイレに入って行きそこでおしっこをした。その後はみんな負けじと運動場の真ん中でするヤツ、廊下でするヤツと、どんどんエスカレートしていき最後は授業中机の上に立ち上がってしたヤツが現れた所で先生から禁止令が出された。ゲームを終わりへと導いた張本人は、僕だった。第一回小便小僧杯を制した僕は先生からはこっぴどく叱られたけど、クラスのみんなからは伝説を作った男として英雄扱いをされた。
 
 小学校卒業以来20年ぶりに集まった同窓会の席で、仕事の話、それぞれの結婚の話などを一通り終えてこの小便小僧ごっこの話になった。タケちゃんが言うまで僕を含めてみんなこの事は結構忘れていた。「今思えばバカな事してたよなぁ」と言うタケちゃんは会社ではもう課長まで昇進していて結婚もして来月第一子が生まれるらしい。
 みんなが再び会社の愚痴、家庭に縛られる不満などを口々に話してるのを麦焼酎をお湯割りで飲みつつ聞きながら僕は思った。バカな事ができなくなるのが大人になるって事なんだろうか。たとえば大人っていう石がありそれが僕達の歩いてる道の上に落ちていてるとして、大人になるという作業がその石を勇気を喪失する過程の中でそれと引き換えに拾い集めていく事なら、みんながそれを体よく言い換える「守るべきたいせつなもの」っていったい何なんだろうか。
 
 次の日、僕は会社での会議中机の上に立ち上り、小便小僧よろしく放尿をした。

 

 
 ……というオチでこの話を終えられたらどれだけいい事か。おとぎ話の中でバカな事をする勇気すら、僕はもう無くしてしまっている。

 







エントリ04  歌わせないでの歌     葱


 小さい頃、母はよく子守唄を歌ってくれた。学生時代にフォークが流行ったらしく、その影響を色濃く受けたものだ。今なら多少理解できなくもないが、子供の時にはひどく鮮烈な衝撃があった。特に詩が。
 ちなみに僕の名前は隆志という。
「あなたのパパはね、たかし〜 私を一生愛すると言ったのよう
 あなたのパパはね、たかし〜 私を世界一キレイだと言ったのよう
 だけどね、たかし〜 パパは旅に出てしまったのよ〜
 別のお姫さまと月のハネムーンにね
 あなたのパパはね、たかし〜 私を永遠の伴侶と誓ったのよう
 あなたのパパはね、たかし〜 私と一心同体だったのよう
 だけどね、たかし〜 パパは旅に出てしまったのよ〜
 性悪の魔女と死出の旅路にね
 きっとそうにきまってるわ〜(それは言いすぎよ)
 わかってるわ、でも〜(子供が聞いてるわ)
 たかし〜
 あなたが大きくなって、かわいいお嫁さんをもらったら、
 ママのような子守唄を歌わせないで〜
 もうママのような子守唄を歌わせないで〜 たかし〜」
 僕は途中でいたたまれない気持ちになって、寝たフリをしたものだ。だから母はその歌を歌えば僕がすぐに寝ると思い込んで、よくその歌を歌ってくれた。どうどうめぐりだった。寝なければその歌を聞きつづけなければいけないし、寝たら寝たで毎日のように聞くことになる。僕はすぐに寝小便をしなくなったし、一人でベッドに寝られるようになった。

 大学が休みに入ったので、都会に留まっていても友達いないし、二年ぶりの実家に帰ることにした。帰りの新幹線の中で、母の子守唄を思い出した。思わずまぶたを閉じてしまった。まさかとは思うが〜、嫌な予感がするよ、たかし〜。
 久し振りの故郷の駅。少し時間は遅かったが、深夜というほどでもない。駅前のパのネオンがぬけたパチンコ屋は、新装開店してなにやらオサレな横文字の店名になっていた。大手有名デパートが経営破綻した跡地には、レンタルビデオチェーンが入っていた。
 実家の前まで来て、ただいまの言葉が恥ずかしかったので、黙って家に入った。あらかじめ電話してあるから、寝てはいないはずだ。しかし、迎えはなかった。
 母は台所で煙草を吸っていた。電気を点けていなかった。薄暗闇のなかから、あの歌が聞こえる。
「あなたのパパはね、たかし〜 そうやって段々家に帰ってこなくなったのよう
 やはり、血ね〜」
 おいおい、歌いながら近づいてくるんじゃない。







エントリ05  テレパシー     ごんぱち


 写真を見つめ、中学生の四谷京作はため息をつく。
「ああ、いいなぁ、嶋津さん……オレの事どう思ってるのかなぁ、知りたいなぁ、知りたいなぁ、知りたいなぁ」
「方法がないでもありませんよ」
 ぼん、と小さな爆発と煙が上がり、モーニング姿の男が現れた。
「うわっ、な、なんだ! オフクロ! オフクロ! 不法侵入者が!」
「落ち着いて、四谷京作君、私は怪しい人間じゃありません」
「嘘つけ! 怪しさ百万超人パワーだろうが!」
「なんですかその単位は」
 男は深々とお辞儀をする。
「私、悪魔のヘッテルギウスと申します」
 顔を上げたヘッテルギウス氏の顔は、魂の根源に刻まれた悪魔に関する記憶を呼び覚ます程度に悪魔らしい悪魔のそれになっていた。
「……なんで悪魔が、オレのところに?」
「あなたの欲望を叶えて差し上げましょう」
「悪魔に頼み事をしたら、魂とか持って行かれるんだろ! なまんだぶなまんだぶなまんだぶ……」
「今回はお試し無料サービス中です、対価はいりません」
「タダ? まさか?」
「悪魔は揚げ足は取りますが、嘘を言いませんよ」
 四谷はまじまじとヘッテルギウス氏を見た後、ごくりと唾を呑み込んだ。
「だ、ったら、この写真の子の心が、分かる?」
「お安いご用です。読み取る深さはいかが致しましょう? 一部分か、全てか」
「全部に決まってる!」
「結構」
 ヘッテルギウス氏は、人皮紙の契約書を差し出す。
「では、こちらにサインを。契約を意思を持って指で触れるだけで、サインとして成立いたします」
「よし!」
 四谷が契約書に人差し指を付けると、その箇所に「四谷京作」のサインが浮き上がった。
 瞬間。
 四谷の顔つきががらりと変わった。
「あれ――あなたは」
「悪魔のヘッテルギウスです」
「は、はぁ?」
「四谷京作さんの魂を一万円で売って下さい」
「え? 一万円? いいの?」
「では魂は?」
「あげるよ、早く一万円ちょうだい!」

「デビル・ティップ!」
 ヘッテルギウス氏は、上機嫌で注文を出す。
「ご機嫌ですね」
 カクテルを作りながらバーテンダーが尋ねる。
「最近ご活躍とか?」
「まあね」
 差し出されたカクテルから、カクテルピンに刺された眼球を取り、口に入れる。
「潜在意識を含めた百パーセントのテレパシーってのは、要するに頭の中をすっかり他人にすること」
 ヘッテルギウス氏は笑って、グラスを空ける。
「他人のものと思えば魂だって売り飛ばす。まったく人間てのは怖い怖い」







エントリ06  ネイキッド     とむOK


 例えば。付き合って五年だ。大学の文芸サークルで知り合った。僕は宮沢賢治が好きで、彼女はゲーテが好きだ。二人とも美しい言葉を愛しているのに、溜め込むばかりで上手く伝えられない。気持ちを確かめあったのは三度目に呑み明かした僕の部屋で、時間待ちの朝日が乾いた目を突き刺した冬だった。彼女はジャズばかり聴き、僕は音楽をほとんど聴かない。僕も彼女もビールより日本酒が好きで、鍋で黒く煮えた春菊を毛嫌いしている。初めて喧嘩したのは僕が女子高生の脚に見とれていたかどうかというつまらない理由で、三日後のデートで仲直りした。それからも少なからぬ回数の喧嘩をして、少なくともその三倍はキスをしている。彼女にはなかなか美人の妹がいるし、僕には頭にタンポポが咲いたみたいにお気楽な弟がいる。お互い両親は健在だ。大学を卒業して僕は小さな雑誌社に就職し、彼女は中堅の印刷会社に入社した。もう三年になる。僕にしても彼女にしてもこれはかなり上出来だと思う。僕は学生時代から同じ古いワンルームで、彼女はずっと実家から通っている。一緒に過ごした誕生日は合計九回。一度は僕の急な出張でだめになった。そんな風に僕たちは、それぞれが持ち寄った不揃いな積み木を重ね合わせるようにして五年間を過ごしてきた。電車の中で僕はずっと僕たちの五年間を言葉にすることを考えていて、コートのポケットに入れた右手にひどく汗をかいていた。その熱さを握り締めたまま木枯らしの夜道を帰ると、穏やかな部屋の灯と慎ましい音量のジャズが僕を迎えた。彼女は宮沢賢治やゲーテやたくさんの本を部屋の隅に整理して、春菊の排除された鳥鍋を手際よく用意して座る。彼女は笑う。僕はずっとコートも脱がず口を開けたままだった。ポケットの上から彼女は僕の右手とその中にある小さな箱に触れる。厚い布越しに優しい圧力を感じながら僕は僕たちの五年間のために考えた言葉を捨てた。曲名も知らないジャズが心地よく耳に触れる。僕はきっとこの旋律を忘れないだろう。積み重ねていくことと脱ぎ捨てていくこと、それがほとんど同じ意味になることがあるのだ。泉だ、僕は言う。とても澄んだ泉。木漏れ日が水面をきらめかせ、たくさんの旅人や動物が訪れては影を映していく。光も影も総て呑んでなお澄んだ泉で、僕たちは裸のまま抱き合い、浮かんでいる。素敵ね。とても素敵。そして彼女は僕の胸に耳を寄せ、僕の中の水音を聞いている。







エントリ07  真冬の朝の偶然     空人


 排気ガスの匂いと冷え切った空気が、鼻の奥に染み渡る真冬の朝。俺は誰もいない停留所でバスを待っていた。今日は早く来すぎたな、と時刻表を見て思う。時間が経つごとに俺の右側に並ぶ人の数が増えていく。

「……航?」
突然の声に俺は呼ばれた方を向き、その主を見て驚いた。
「志乃……」
隣にいた女は昔に別れた恋人だった。髪は短くなっていたが、確かに志乃だった。
「びっくりしたぁ。似てるな、って思ったら本人だった」
彼女はパッと明るい笑顔を浮かべ、感情を込めてそう言った。並んでいる人たちの視線が一気に注がれる。
「な、なんでここにいるんだよ?」
俺は慌てて言い返した。
「先週、ここに越してきたの。それにしてもびっくりだよ。こんなのドラマの中だけかと思ってた」
彼女の声は昔と少しも変わっていなかった。「そうだな」と言った俺の声は虚ろで、彼女の顔を見た瞬間、頭の中は当時の記憶で一杯になった。放浪癖で彼女を悲しませたこと。自分の夢に懸命で前しか向けなかったこと。結局、それが原因で別れてしまったこと。いろんな意味で若く、現実を知らなかった。急に後悔の念が湧き上がり、俺は彼女を見ることができなかった。
「あの時は、悪かったな」
「んふふ、まさか航がスーツ着てこんなところに突っ立ってるとはね。いま何してるの?」
「貿易会社に勤めてる」
「へぇ、大人になったね」
5歳も年下の癖に、その言い草も変わってない。彼女もきっと昔の記憶を呼び戻しているに違いない。
「それにしても、あれから6年か。永いようで、ついこの前のようにも思えるな」
彼女は白い息を吐きながら空を見上げた。その長い睫のカーブ、柔らかな耳と細い顎。俺はまだ忘れていなかった。
「どうしてダメだったんだろうね。私のほうこそ謝らなきゃ。ごめんね」
「てっきり恨まれてると思ってたけど」
「そうであってほしい?」
辺りの空気が押し出されるような風を感じ、バスが到着する。「あ、私、これだから」彼女はそう言って俺の前を横切っていった。バスのタラップを上り始めた彼女は、思いついたように振り返って「昔より穏やかな顔だね」と、また屈託なく笑った。
 俺もつられて曖昧に笑う。彼女はどういうつもりで俺に言ったのか。少なくとも悪い意味ではないような気がしたが、俺はいまの自分の顔が嫌いだった。飼いならされた犬のように上目遣いで涎を垂らしているじゃないか。頬に手を当てた自分の顔が、バスの窓に映って消えた。







エントリ08       千希


 愛している。
 呟いて兄はその女の額に口づけた。それから女の晒された白い腹にも口づけた。そこは奇妙にひきつれていて、火傷の痕に似ていた。他にも何かに似ている気がして、考える。そして気がついて、僕は身震いをした。それは人の顔に、とてもよく似ていた。
 
 女は耳が聞こえず口も聞けないのだと兄は言った。兄の言葉に頷きながら横目で女の姿を眺める。肩を抱く兄に嬉しそうに身を添わせている。その瞳が成熟した容姿に似合わず無邪気に見えるのはその為か、と得心がいった。黒髪の似合う、綺麗な人だ。人間として出来ているとはいえない無職の兄には勿体ないくらいの美人だった。
 兄は滔々と彼女の自慢をし続けていたが僕の意識は彼女の腹へと吸い寄せられていた。初めて見た瞬間から目を離す事が出来なかった。それは一度気づいてしまえば人間の顔面以外の何にも見えなかった。いや、厳密に言うのならそれは人の顔が形成される中途に、より近く見えた。粘土の塊から形を彫り出す途中のように。あるいは、人為的なものとみなすのならば。癒着した目蓋と、削れた鼻、潰れた唇にそれらは見えた。僕は吐き気を催していた。顔が蒼白になるのも感じる。それが気持ちの悪いものを見たが故の反応なのか、それとも他の何かなのかはわからなかった。兄は僕の顔色には気づかずに、僕の視線を追ってああ、とつまらなそうに言った。その傷は生まれつきそこにあるそうだ、と。

 吐くだけ吐くと、だいぶ気分が回復した。部屋へ戻ると兄の姿が無かった。出かけたらしい。女はソファに横たわっている。眠っているようだ。腹は、腹の傷は晒されたままだ。僕はそっと近寄った。女の肌は白い。その痕だけが、あかぐろい。吐き気が、ふたたびこみ上げる。手が、届く位置だ。指が触れるか触れないかの、その時。
 声がした。
 轢き潰れた唇のようなそこから、うつくしい声がした。声は、笑っていた。とうとうと、声は語る。この子は優しい子でできそこないの私に耳と声をくれたのよだからこの子は聞こえなくて口がきけないのよだからわたしはみみがきこえてくちがきけるのよすばらしいことでしょうこんなにみにくいわたしなのにこのこは。
 触れたその唇は紙のような感触がした。その手を不意に掴まれ、ひゅっと喉がおかしな音をたてた。呼吸をしていなかった事に気づいた。顔を上げると女が笑っていた。笑うとよく似ていた。もう一人に、とてもよく似ていた。







エントリ09  恒星     越冬こあら


 いえね、当時は、アッシもいろいろとテエヘンで、検査とか絶食とかで、ずいぶん気も弱くなっちまってて、だから、女房と娘と病院の窓越しに夜空を眺めて、あんなことを口走っちゃたんすよ。
 でも、その直後、女房と娘の頬を涙がつたって、三人で無言の誓い……あのひと時は短かった人生の中でも数少ない「真実の時」だったんで、後悔はしてないっすよ。後悔は、してないんすけど……。

「……死んだら、夜空に輝く星になるから……星に成って、二人のことを見守ってるから、いつまでも、いつまでも、見守ってるから……な」

「ハイ、今から麻酔しますねぇー」
 という言葉を最後に、昏睡した意識が戻ってきたのは、出棺前の喪主挨拶辺りだった。見下ろして、
「ああ、身体は棺桶の中か」
 と思うと、感慨もヒトシオだった。結局、成功率三十%は、失敗率七十%に終わったのだと、妙に冷静に納得した。

「あのー、本当にいいんですね。星に成られるんですね。納得されてますね。後戻りなしですよ」
 耳元で誰かが、確認している。
「ああ、いいさ。そうしてくれ。約束だし」
 心の中で答える。
 瞬間、魂が移動した。

「あっ熱っちいよ、燃えてるよ、燃えてますよ。なんだかもう、ギラギラ眩しいし、デカイし、どうなってんだよ。責任者! 出てこい!」
「いえ、あのう、出てこいって言われましても、困りますんで、先程ご確認しました通り、星に成られるという事で、空いている恒星に成って頂いたわけでして、こちらの恒星は、ちょうど中心温度が二千万度を超えまして、核融合反応が盛りをむかえておりまして、たいへん華々しゅうございますよ」
「華々しいってねえ、あんた、どっかんどっかん爆発しちゃって、ドロドロ溶けちゃって、重力だか引力だかもう、すんごい力が渦巻いてて、上を下への大騒ぎなんてもんじゃないよこれ、どうすんのさ。こっちはやっと葬式を終えたばっかりなんだよ。どうにかしてよ」
「ええ、ですから、さきほど、ご確認を……」
「うるさいよ、『ご確認』『ご確認』って、こっちは夜空に浮かぶ星に成るって事を言ったんだよ。何でこんな炎熱地獄みたいに焦げなきゃなんないんだい」
「まあ、暫くの辛抱ですから」
「暫くって」
「恒星の寿命は二千億年程です」
「長げーよ、バカ。んで、肝心の地球はどっちなんだい」
「えっ、ああ、あっちです。距離はざっと三億光年」
「遠ーいよ、バカ」

「あっ、光った。あれが父さんの星ね。きっと」







エントリ10  バリエ     るるるぶ☆どっぐちゃん


 アンドレのコンクリート帽子踏みにじられ。雑踏にばら撒かれるかけら。
 柔らかな果実。1946年。
 俺は。俺だけは。
 道には煙草が百本捨てられて、乱雑に散らばっている。
 鳥かごには猫が百匹詰め込まれていた。
 1749年。
 引きずるように持ち上げて歩き出す。
 家に帰るのだ。
 赤く鈍く光る、虹のような橋で、若い娼婦がリンゴを食べていた。夜空には女の立体映像の巨大な姿。スクリーン。どこでどう間違ったのか、女のけばけばしい服装は白い清潔な布一枚に変換されていて。女は客と共に暗闇に消える。立体映像と共に私達は残される。
 歩けども歩けども道が解らない。猫がどんどん逃げていく。鳥かごが空き地に山のように積みあがっていた。メモを取り出して書く。何を。色々なことを。
 お前馬鹿だろう。目の前にはスーツを着た黒人の紳士が立っていた。
 お前馬鹿だろう。黒く光るなめし皮のステッキで、コンクリートモニターをがんがん殴り始めた。お前馬鹿なんだろう。
 アメリカンインディアンにはB型が殆どいないらしい。アフリカからアメリカに行く途中にB型の人間がいなくなってしまったのだ。B型の人間がいなければB型の人間は産まれない。
 紳士は血だらけだった。お前馬鹿だろう。お前馬鹿だろう。コンクリートがばらばらと散っている。立体映像の女が、リンゴをもりもり食べながら、赤い口紅をだらだらと溶かしながらこちらを見ている。
 血液型といったって、遺伝O型もあるしRh型もあるし、分類しきれてない血球とその抗血球因子は膨大にあるから(大きな病院だってせいぜい10程度の分類しかしない)、血液型のバリエーションは、一説では1京を軽く超える。それは今までの全人類が違う血液型だったと言える数字らしい。
 どこにあんなにリンゴがあるのだろう。立体映像を見ながらぼんやりと思う。女は何時の間にか白いバレリーナになっている。箱舟の踊り。リンゴがぼたぼたと落ちていく。
 お前馬鹿だろう。猫はもう全てテレビモニターの中に逃げてしまっていた。デジタルテレビ番組。1949年。210年。20493年。
 歩き続ける。真っ白な鳥かごをがらがらと引きずりながら。真っ白なコンクリートハイウェイを。コンクリートのかけらを一つ齧る。立ち並ぶ巨大なスピーカー。ビルはもうここらでは殆ど無くなってしまっていた。流れているのはしょうこりもなくクラシック。たった500年前のクラシック。







エントリ11  背景     ぼんより


 人も電車も流れている。流動的である。
 ホームには光る看板の列が並んでいる。
 人と電車で見えなくなるあの光る看板の夥しさはよく目に付く。
「何見てるの」
「何も見てないよ」
「そうなの、じゃあ煙草でも吸う?」
「いらない」
 女が私の口に無理矢理煙草を突っ込む。私は昔を思い出す。あの頃は何もかも眩しかった。生活に華があった。金もあった。女もいた。薬に頼る事もなかった。本当に全てが在った。
「ふざけないでよ、口開けなさいよ」
「煙草はいらない、いらないって言ってるだろう」
 女は泣き出す。地下鉄のホーム中に女の泣き声が響き渡る。とても純粋な響きだ。哀しくもなく憐れでもなく、一筋の線が私の核を貫くような泣き声だった。女がいとおしく感じる。私は震える手で女を撫でた。髪がさらさらと指をすりぬける。
「海に行こうか」
 海が見たくなった。
「いやよ」
 女は拒否する。
「そうか」
 残念だな、と目で訴えた。
 光る看板には知らない女のとびきりの笑顔があった。綺麗な化粧をして、美しい身体の線に赤いドレスがよく似合っている。昔の女はあんな感じだったかもしれない。リンゴが好きで、真っ赤な、それはもう真っ赤なリンゴを二人でほうばっては海に出かけ、甘く囁きあったものだ。海は真っ赤だったろうか。このホームのように薄暗い光が差し込んでいただろうか。
「何考えているの」
「何も考えてない」
「ウソよ」
「嘘じゃない」
「なら海に行きたい」
「そうか」
 電車がホームに着くと、女は立ち上がってふらついた。女は黒いドレスに身を包んでいるだけで、昨日から何も食べていなかった。女は携帯を持ってない。私は二つある携帯の一つを女に渡した。女は携帯を握り締め私を見つめている。壊れそうなぐらい華奢な手で携帯を握り締めている。
「さよなら」
 女は電車に乗り込み、それが行く先もわからないまま乗り込み、光る看板の向こうへ消えていった。だから女が山奥に行ったのか、深海へ潜ったのか、街の喧騒に溶け込んだのか、駅前のパチンコ屋に行ったのか、それは知らない。携帯の充電もすぐ切れる。
 人が充満するホームは空気が澱んでいた。それでも光る看板が澱む事はない。光る看板はいつまでも光っているのだな、とポケットから煙草を取り出した。だが、火が無い。
 女は今ごろどうしているだろうか。昔の女と今の女。どっちもいい女だったが、今何をしてるのか私は知らない。