第92回1000字小説バトル

01漂流人夢追い人1000
02(作者の希望により掲載を終了いたしました)  
03今夜つまようじ、と青春ティラノ1000
04問題解決能力診断テストSuzzanna Owlamp1000
05帰れないコール長田隆一朗994
06ダマスカスナイフの夢1000
07たぬきそば三百円ながしろばんり1000
08ネコバスのしっぽにさようなら宮島 旭1206
09天職藤原ララ1000
10金魚矢崎凜子593
11ポッチ越冬こあら1000
12死者の包囲を突き抜けろ!ごんぱち1000
13枕木ぼんより1000
14人造人間サトシ君とむOK1000
15きらきら千希1000
16先生、わたしは、書く努力を、しなさ過ぎたるるるぶ☆どっぐちゃん1000
17Made in Chinaイグチユウイチ958
 
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エントリ01  漂流人     夢追い人


 沖縄とか南国の海のように青い、こんな空を見るのは初めてだ。排気ガスを吐き出す自動車も汚れたアスファルトの路面も甘酸っぱい香水の匂いを漂わせるスーツ姿の女性も、みなあの青い空に漂流しているようだ。
 僕は、波にゆらゆらと、ゆらゆらと揺られ公園のベンチに流れ着いた。そこに長く居座るつもりはなかったけど、波とベンチにはさまれて、もうこれ以上動くことは出来なかった。もう少し強い波が来たら、ベンチごと流されてしまうかもしれない。

「いい天気だね」
 ホームレスが一人このベンチに漂流してきた。これで多少の強い波にも流されることはないだろう、このベンチ。
「こんなに青い空を見るのは初めてです」と僕は言う。
 穴の開いたジーンズにジャンパーを羽織ったホームレスは、もうだいぶ年寄りに見える。頬はこけ、皮膚が黒く白いひげが余計に際立っている。ホームレスはゆっくりと空を見上げる。首がそのまま後ろに落ちてしまうかもしれない、と僕は思ったが、落ちなかった。
「いろいろな空を見てきたよ。毎日表情が違う」と老人はゆっくり言う。「少尉が死んだ日には、君には信じられないだろうが、本当に気持ち悪い空の色をしていたよ。君の親はまだ健在かな?」
「ええ、二人とも」と僕は答える。
「私は父親に会ったことがない。私が生まれてすぐに戦争で死んでしまったから。母親は、三十年前に死んだ。頭がおかしくてね、最後には私のこともわからなくなってしまった。それでも笑うことだけはやめなかった。だからかどうかわからないが、母親が死んだ日には、空が笑っていたよ。あれは暖かな春だったな」
「僕はまだ人の死んだ顔を見たことがないんです。これまでに一度も。親戚も少ないし、大人の知り合いってそんなに多くないから」
 ホームレスの老人は汚れた掌で皺だらけ顔を擦る。
「死んだ人の顔を見たことがないのか。でもいずれ、遅かれ早かれ生きているかぎり人の死に顔は見なきゃいけない。私も多くの人を見送ってきた。でもな、幼い赤ん坊のかわいい顔もいっぱい見てきた。私には娘が一人いたが、とてもかわいい顔をして生まれてきたよ」
「娘さんは今どうしてるんですか?」
「もう死んでしまったよ。海で溺れてね。本当に暑い日だった。だからね、わたしは、決めているんだよ。死ぬときは海で死のうってね。娘を迎えに行くんだ。この空のような青い海に」

 大きな波に老人はさらわれて、冬の青い空に沈んでいった。







エントリ03  今夜つまようじ、と     青春ティラノ


 夕方から何も与えずにいた胃袋が0時を過ぎた頃からぐーぐーと抗議の声を止めないので、僕は観念して近くのコンビニまで歩いていきドアに貼ってあった「1.5倍増量!」という誘惑にまんまと乗ってスパイシーチキンを買った。
 研究室に戻ると一つ下の後輩、真美が来月の学会発表の準備のためにパソコンと格闘していた。
「あぁ疲れた。休憩ー」
 真美は大きく伸びをするともう見たくないというようにノートパソコンの画面をぱたんと閉じた。
 僕は自分の席に座りスパイシーチキンのふたを開け爪楊枝を二本取り出した。二本も必要ないのにな、と思いながら一本をふたの上に置きもう一方を使ってチキンを口に運びストレートティーと一緒に抗議を続ける胃の中へ流し込んだ。チキンはどうやら上手に胃袋を説得しているらしくお腹はずいぶんと静かになった。胃袋が次のチキンを要求しているので一番大きなチキンに照準を合わせ二口目を食べようと思い爪楊枝を差し出した瞬間、後ろから白い手が伸びてきた。
「一個いただきー」
 その白い手はふたの上に置いてあったもう一本の爪楊枝を掴むと僕の狙っていたチキンを奪い去り、あっという間にその主人の口へと運んでいった。
「あ、それ今狙ってたやつなのに」
「美味しそうな匂いを漂わせて食べてるほうが悪い!」
「そんな……まぁいいけどさ。準備、進んでる?」
「ぼちぼち。でもなかなか時間内に納まらなくって」
「そっか、でもまだ時間はあるしね。応援してるよ」
「ありがと先輩、頼りにしてますよ♪」
 そう言って真美はいたずらっぽい笑顔を見せた。
 次のチキンに手を伸ばし爪楊枝を刺そうとしたが、またしても真美の爪楊枝が僕の狙っていたチキンを奪い去ってしまった。
「あ……」
「ふふ。先輩、遅いんじゃないですか?」
 真美は口に放り込もうとしていたチキンを一旦止めていった。
「じゃあほら、これ食べさせてあげます」
「え?」
「あーんして!」
「よせよ、子供じゃないんだから」
と言いつつも近づいてくるチキンに反射的に口を開けて構えてしまった。
「なーんちゃって」
 僕が食いつこうとした瞬間、チキンはUターンして結局は真美の口の中へと行ってしまった。
「えへへ。先輩可愛すぎです! さー続き、頑張っちゃいますね」
自分の席へ戻っていく真美を見て二本目の爪楊枝にさっき必要ないと思ったことを謝らなければな、と本気で思った。
 机の上のプーさんが僕の心を見透かすように笑っていた。







エントリ04  問題解決能力診断テスト     Suzzanna Owlamp


「E=HQB」
教授は、黒板に大きく、この方程式を書いた。無関心な学生もいれば、興味津々の学生もいる。果たして、この方程式が意味するものは? 教授は自信満々にそう言った。
学生達にレポートを書かせる。その一部を、抜粋してお届けしようというのが、今回の目玉である。

学生Aさんのレポート
単位系からEの正体を求める。
H:磁界の強さ Q:電荷量 B:磁束密度
と、するならば、単位は、H[V/m],Q[C],B[T]
但し、
[V]=[J/C]=[J・s/A](∵[C]=[A/s])
また、μ[J・s/C2・m]とB=μHより、
[T]=[J・V・s/C2・m]=[J2・s2/A3・m]
(∵V=[J・s/A])
従って、Eの単位は[J2・s/A4・m2]となる。
ここで、Eに真空中での誘電率ε[A/s・J・m]を掛け合わせると、
εEは[J/A3・m3]の単位を持つ。
E=HQB⇒εE=e/I3・L3(e:エネルギー、I:電流、L:長さ)

まとめ Eは電流、長さの三乗に反比例するエネルギーの値である。


学生Bさんのレポート
Eを電界と仮定すると、磁界ベクトルHと電荷Qと磁束密度ベクトルBの内積と考えられる。Qはスカラー量なので、
(右辺)=Q(H・B)と書ける。
ここで、ベクトルHとベクトルBは同じ向きに作用すると考えられるので、H・Bの値は、スカラー積となり、その大きさに比例する。
つまり、電界Eは磁界の大きさ、電荷量、磁束密度の大きさの単純な積になる。

学生Cさんのレポート
教授へ
学生に下ネタを教えるのは、やめてください。私はこういうのが大嫌いです。学生をからかうのも、いい加減にしてください。

学生Dさんのレポート
美しい形の方程式ですが、こんな公式、どこを調べても載っていません。先週、彼女にふられました。公式どころではありません。

次の講義で教授が述べる。
「皆さんのレポートに拝見しましたが、色々な反応が見られて良かったです。実は、あの公式、私が書いた出鱈目だとお思いでしょうが、まぁ、怒らないで聞いてください。あなた方が卒業した後、自分ひとりでは解決できない問題に必ず直面します。それに立ち向かうか、逃げ出すかは、あなた方次第です。ただ単に、無駄な時間を費やしたと思うのではなく、答えのない問題に、取り組んでひとつの答えを導き出すのが、あなた方の使命であり、それが財産になることもあります。決して諦めないで下さい。私の講義はこれで終了します。」







エントリ05  帰れないコール     長田隆一朗


 息子……佐世保に十八年在住、現在は東京生活十年目。二十八歳。
 母親……佐世保在住暦五十二年。五十二歳。
「はい、もしもーし」
「もしもし。俺だけど」
「忠作ね。どがんしたと?」
「ちょっと、送って欲しいものがあるんだよ」
「何ね。パンツならこないだ送ったやろ」
「違うよ、CD。だいたいパンツを送ってくれって言ってないし」
「シーリーって何ね」
「CDだって。シ、イ、ディー。コンパクト・ディスク」
「CDね。何のCDを送ればよかとね」
「ビートルズと、福山雅治のアルバムを全部。配送のお金は振り込むから」
「よかよ、お金は。宅急便で送ればよかとね」
「それでいいよ」
「住所は変わっとらんと?」
「うん。『コービアルハイツ』ね。この間みたいに、『コーヒーアルツ』って書かないでよ」
「あっ?ちょっと待って」
「…………」
「お父さんがね、『佐世保センベイはいらんか』って」
「いいよ、もう」
「何ね。正月に帰って来たときは『うまか、うまか』言うて食べよったくせに」
「帰ったら食べるから。CDだけでいいよ」
「今日はもう遅かけん、明日送るよ」
「うん。それでさ、お母さん。体の方はどうなの」
「体の方は良かよ。腰は痛かばってんが、もう歳やけんね。お父さんは『胃の痛か』って」
「ちゃんと病院行かないと駄目だって言っといて。ほんと病院嫌いなんだから」
「私も言うとるとばってん、お父さんの事やけん、聞かんとよ」
「いつまで経っても良くならないよ。ガンだったらどうするの」
「ガンって言えばさ、忠作の友達に嶋田君っておったやろ」
「嶋田って?中学校の時の嶋田かな」
「そうそう。その嶋田君のお母さんがね、胃ガンにならしたとよ」
「えー。そいで、どがんしたと」
「二月に入院して、手術ば受けらしたっちゃけど、その後の経過は良かごたんよ」
「そりゃ良かったばってん、嶋田も大変やったろうね」
「会社ば休んだって言うとったよ。お母さんの働いとるスーパーに嶋田君が来て、お母さんも、その話ば初めて聞いたけんが、ビックリしたとよ。あ、そいでね」
「何?」
「忠作の付き合っとった美代ちゃんにも会ったよ。スーパーに来てさ、『忠作さんは元気ですか』って聞くけん」
「うん。何て答えたの」
「『座りすぎて痔が痛かって言いよるよ』って話ばしたよ」
「何で、そがん余計な事ば言うとね。あーもう、佐世保に帰れん」
「美代ちゃんも心配しよったよ。そいで、痔の薬は送らんでよかね」
「いらん!」







エントリ06  ダマスカスナイフの夢     葱


 右手にダマスカス鋼のナイフ。刀身に浮かんだ艶かしい波紋。僕に力をくれ。
「え?」
 目の前に、女子高生。もちろん知らない女性だ。確か今、正午。他に人影はない。よく分らないが、昼から授業のつもりかな。眉根を寄せて、僕を見ている。
 言え、もう言うしかない。言う。乗れ、刺すぞ、と。自分の声が震えているのが分った。胸が詰まってうまく喋ることが出来ない。傍に停車させた自分の軽自動車をナイフで指し示す。つい、ナイフの紋様に目が言ってしまう。綺麗過ぎる。
 僕の言葉がうまく伝わっていないのか、女子高生は動こうとしない。もうすっかり怯えた目をしている。もう一度言う、大声を出すな、出したら刺すぞ、って。逃げても追いかけるぞって。声が裏返る。泣きそうになった。
 意外にも、うまくいった。

 助手席で女子高生は不機嫌な顔。でも、もう怯えてはいないみたいだ。ずっと車窓から外を見ている。もうすぐ町が切れ、山道になる。そうしたら。
「どうしたいんですか?」
 彼女の声、微かに震えていた。意志が強い子なのだろうか。必死に隠そうとしているように見える。
 言葉に詰まった。あまり考えていなかった。今日、仕事が休みだったのと、ネットオークションで落としたダマスカスナイフが届いたのと、それがちょうど今日の十一時ごろで、会社から借りてる車で家を出て、正午にも関わらず、女子高生が一人でうろついているとは思わなかった。今、ナイフは抜き身のまま、ダッシュボードの上に置いてある。運転中でも、やっぱり見惚れそうになっている。本当に、よく分からない。僕はこれを使ってみたいのだろうか。
 動いたら、だめだよ、とだけ伝えた。
 僕のナイフを見る視線に気付いたのか、女子高生の視線もナイフに向いている気がする。横目で確認する。やっぱり見ていた。
 パッと、彼女がナイフを手に取った。やっぱり後部座席を指定するべきだったのかもしれない。自分のまぬけさ加減に驚く。
「これ、なんていうやつなんですか?」
 女子高生は不機嫌そうに言う。僕はうろたえつつも、ダマスカス鋼について説明した。その来歴や、伝説についてなども。我を忘れて語っていた。
「降ろせ、変態」
 ダマスカス鋼の美しいとしか言いようのない刀身が目の前に突付けられた。
 僕は彼女の手首をゆっくり掴み、折り曲げた。

 夢を見た。最初、彼女に突付けたのがナイフでなく、花束である夢を。
 花束の向こう、笑う彼女を。







エントリ07  たぬきそば三百円     ながしろばんり


 徒歩で西荻窪。ナンダカヨクワカンナイ。ヨクワカンナイといっていればたいていのことは許される。ワカンナイんじゃあショーガナイよなお嬢ちゃん。残念ながら当方お嬢ちゃんではなくお坊ちゃんなのであるから情けなくて涙が出る。嘘つけ、お坊ちゃんという歳でもないくせに。
 徘徊の理由はあとでつくもので、はじめは西荻の図書館を探していた。でもねだがしかし、前日に西荻の、杉並区の図書館は三月一日まで休刊だってのをネットで知ってた。知ってたのにね。でも行くんだ。単に仕事をするのが厭なだけかもしれないね。仕事をするくらいなら二時間でも三時間でもうろつく。うろつけうろつけ命あるかぎり。
 で、まぁ、さすがにうろつきつかれたので西荻の笠置そばです。高円寺の笠置そばは汁が甘いなとも思ったけど、まぁ、そばとか出汁とか、色々自慢らしいから入るよ。安いし。たぬきそば三百円だし。
 昼時でも七割の入り。たぬきそばお呉れ、へい、出てくる、金を払う。代金と引き換えは道理なんだわね。中身は汁、そば、たぬき、ネギ。ごめん嘘ついた。タヌキは嘘、嘘です。ほら、勢いで読ませて後からじわじわクる、というのを狙ったんですが、駄目だったようです。もとい駄目だと思ったので自分で止しました。諦めのよさは美徳ではないでしょーか。
 隣に痩せた爺が座る。こっちをちらと見(た気がし)て、たぬきそばだって。はじめに目に入ったものを頼む、そういう主義の人かもしれない。紺のジャージ、目は落ち窪んで黒ずんだ皺面、灰色斑の髭。良く云えば汚ねえジジイ。先に垢の溜まった爪で小銭を出して、百円、五十円、五十円、十円、十円、十円、五十円。ほれどうだ、あと二十円、足りねえじゃねえか、なんてのを、そば、すすりながら、じっと見てる俺もどうかしてる。
 まさか、足りなかったりして。すごいな、ひどいな、これは、お? お? お? などと思っているうちに、ジジイ、すっと出した長財布、グイと開けると個人的に見慣れない色の紙束がぞろ。ひのふのたくさん。思わずひ、と息を呑んじゃった。耳ざといジジイ、笑ったよ。こっちをみて、落ち窪んだ目をすぼめて、歯を剥いたよ。で、いたたまれない間が〇、三秒もあってたぬきそばが来たね。店主えらいっ。一生贔屓にしてやるっ。できれば結婚してくれっ。
 ジジイ九七〇〇円お釣りをもらって蕎麦をすする。アタシ、居たたまれない気持ちで店を出る。ごちそうさん。



※作者付記: (c) Bear"s Buggie/LOVE FURNITURE LOUNGE BEARS より歌詞一部転用しました。






エントリ08  ネコバスのしっぽにさようなら     宮島 旭


 窓の外を通り過ぎる景色がずいぶんと懐かしい。ついこの間まで、毎日のように見ていた景色なのに。

「よーちゃん、学校は楽しい?」
「うんっ。」

 よーちゃんはピカピカの一年生だ。3ヶ月前、大好きなマチコ先生のいる幼稚園を卒園したばかりだ。
 
 その日の下校途中、よーちゃんの前をネコのペインティングをしたバスが通りかかった。よーちゃんが乗っていた幼稚園バス。だけど今は、よーちゃんの知らない、小さな子供たちを乗せていた。妹のみかちゃんも乗っていた。
 よーちゃんを見つけたマチコ先生が、バスに乗せてくれた。

「ただいまかえりましたー!」
 バスが止まると、マチコ先生の声と一緒に子供たちがバスを降りて、お母さんたちのもとに駆けていく。

「あら、よーちゃんどうしたの!?」
 みかちゃんに続いて降りてきたよーちゃんを見て、お母さんは目を丸くした。
「途中で乗せてきちゃったんです。」
「あらまぁ、よかったねーよーちゃん。」
 よーちゃんは笑って『うん』と答える。
「よーちゃん、みかちゃん、またね。」

 マチコ先生はまたバスに乗って行ってしまった。

 次の日、またよーちゃんの前に、ネコバスが通りかかった。
 バスの中のマチコ先生と目が合った。きっとまた、マチコ先生はバスに乗せてくれるに違いない。

 ところが、バスは止まらずに行ってしまった。
「待ってー!」
 さみしくなったよーちゃんは走り出す。それでもネコバスは止まってくれない。よーちゃんにしっぽを向けて行ってしまった。

 泣きながら家に帰ってきたよーちゃんに、お母さんは笑って言った。
「よーちゃんはもう小学生なんだから。」
 あらあらあらと、よーちゃんの頭を撫でるお母さん。それでもよーちゃんの涙は止まらなかった。

 次の日、またよーちゃんの前にあのネコバスが現れた。
 止まったバスの中から次々と降りてくる子供たち。そしてそこに、マチコ先生もいた。

 マチコ先生はボクを置いていっちゃうんだ。
 よーちゃんは遠くから、あったかい笑顔のマチコ先生を見ていた。
 そんなよーちゃんの視線に、マチコ先生が気付いた。

 さみしそうに見つめるよーちゃん。
 マチコ先生は、その場で足踏みをして、腕を振って、そしてまた、あの笑顔をよーちゃんにむけた。

『よーちゃん、がんばれ!』

 笑顔と一緒に、そんなテレパシーを受けた気がした。

 マチコ先生は、またバスに乗り込んだ。ネコバスは白い煙を吹いて、よーちゃんにしっぽを向けて走り出した。

 よーちゃんは黙ってネコバスのしっぽを見送った。ネコバスはどんどん離れていった。マチコ先生を乗せて離れていった。
 やがて見えなくなるネコバス。そんなネコバスのしっぽに、よーちゃんは手を振った。
 見えなくなるネコバスの窓から、マチコ先生の笑顔が見えた。

 よーちゃんはまた歩き出した。お母さんとみかちゃんが待つ家へ。
 アスファルトをしっかり踏みしめて、少しだけ広くなった小さな歩幅で歩き出した。







エントリ09  天職     藤原ララ


 いやね、長いことこの仕事をやってきて色々な方とお会いしてこうやって話させてもらってますとね、だんだんその人が何をされてる人なのか一目で分かったりすようになりましてね。え? どれくらいやってるのかって? いや、はは、こう見えましてもね、こうしてタクシーの運転手をする前はそれなりに名前の通った企業で働いてたんですよ。今流行のITってヤツのはしりっていうんですかね。ま、私らの頃はまだそんな言い方はなかったですけどね。そんな感じで当時はスーツをぱりっと着て働いてたものです。でもね、人間関係ですか、まぁ大きい会社ともなればやっぱり色んな人間がいるわけですよ。そういう人間と付き合っていくことに疲れたというかすっかり嫌気がさしてしまいましてね。それで辞めたのが五年前でございます。で、次はもうあまり人と関わり合わない仕事がいいなって思って選んだのがタクシーの運転手でした。やってみるとこれがなんとも肌に合ってよかったものでして。元々車の運転は好きな方でございましたし、こうやって様々な方と乗せている間だけの会話というのも、格好よく言えば刹那の出会いと言いますか、後腐れがなくていいんですよね、おっとこれは言葉がすぎました。とにかく私の性に合っていてこれこそ天職かなって思ってる次第なんですよ。えーと、何の話でしたっけ? そうそうお客様のお仕事を当てるという話でしたね。いやぁ私も元来が話し好きなんでしょうね。どうも話を脱線させるきらいがある。で、お客様のお仕事ですが、うーんそうですね、お客様の着ておられるものは失礼ですがあまりきれいなものではありませんね。お顔もちょっとお疲れのようで、ヒゲもしばらく剃られてない感じです。これは今お仕事をされてないのでは? そして私に人気のまったく無い山道を走らせている。どこか落ち着きもありませんね。ジャンパーのポケットにずっと手を入れられてますが何を握ってるのですか? まぁもう答えを申し上げさせていただくとお客様はタクシー強盗でございますね? あれ、すごい汗ですが大丈夫ですか? やるなら今がチャンスかもしれませんよ。まわりには誰もいませんしね。ん、運転手の写真と私の顔が違う? ほう、よく気づきましたね。あぁ血痕も少し残ってましたか。お客様少し遅かったですね。おっとナイフを出されてもムダですよ。こっちはピストルを持ってますから。とりあえず車を止めましょうか。







エントリ10  金魚     矢崎凜子


水槽の中に金魚がいる。

壁には濃い緑の汚れがつき、青い蓋の角は少し欠けていた。

下には砂利がひいてあるが、水と石の境目はもうどこだかわからない。

濁った水の中で、赤と白は所々ぼやけて見えた。

しゃがみこんで壁をコツコツと爪でたたくと、つ、と寄ってくる。水面は殆ど揺れない。

プラスチックの壁越しに、金魚はまばたきをした。薄緑色の中に小さな黒目。

何もくれないのがわかると、金魚はまた緑色の中に消えた。

私はまた水槽をたたく。

濃緑色の中に赤と白が浮き出て、金魚はこちらへ向かってきた。

水色のひっくりかえったバケツの上に置かれた水槽は、あやうく平衡を保っている。

金魚はそれも知らずにあの黒目をきろりとさせて、下のほうを何度か回った。

そのたびに、小さな砂がふわりと舞い上がる。

金魚は時折水面近くまでのぼり、また奥に引っ込んだ。

買ったばかりの桃を剥いた。生ぬるい汁がぼたぼたと地面に垂れた。

また水槽をたたいた。

金魚は体をくゆらせながら振り返った。小さくちぎった桃をそっと水に落とす。

緑の緩い水に絡められながらそれは沈んでいった。

金魚は白い小さな口で、それをすっと吸い込む。そして水面近くまで上がり、ねだった。

私は興味半分でその小さな口に近づけていた。次第に、金魚は体の色が変わってきた。

目の錯覚かと思ったが、赤色の面積は少なくなっていた。

桃がなくなった。

金魚は白くなっていて、緑色をした水のなかに姿を消した。











エントリ11  ポッチ     越冬こあら


「そしたらなあ、赤いポッチがあるやんかぁ『ポッチ』わかるか?」
「肩のところに?」
「せやないねん、わきの下ンとこに、あるんや……それを押すねん」

 山岡サトコは、会社帰りに「特集、あなたの(反抗的な)パーツを取り外し、教育し直そう」という中吊り広告を見て、自分の左手を取り外すことを決意した。帰宅後、畳に座り込んでトライすること三時間、どうしても解らず、関西兄さん(仮名)に電話で問い合わせた。

 ケータイを右耳と右肩で挟んで、右手で左脇の下をグリグリと探る。
「あっ、これかなあ……」
 ドタンッと左腕が畳に落ちた。反動で上半身が右に倒れて、ケータイが飛んだ。
「おおお、どないした、大丈夫か」
「とれた、とれた。上手く外れた。ありがとう」
 サトコは倒れたまま、ケータイに向かって叫んだ。
「ほーやろ、ほな、また解らんことあったら、電話しいや」
「ありがとう」
 右手だけで起き上がり、ケータイを拾った。結局また、関西兄さんに頼ってしまったが、何とか左手を外すことが出来た。

 以前からサトコの左手は、十分反抗的だった。右利きのサトコが、右手を優先的に使用するのが許せないらしかった。食事、握手、抱擁、自慰、全て「右手が主役だ」と嫉妬するのだった。サトコとしては、ギター演奏(コード押さえ)やキー入力(あ段、え段、さ行、た行)等、重要な役割をお任せしているので、些か不当な嫉妬と受け取っていた。

「おい、何が『些か不当な嫉妬』なんじゃい。言いたいことがあるんなら、ウジウジ考えてないで、はっきり言ってみい」
 五本の指で器用に立ち上がった左手が、付け根に出来た傷口を器用に操って喋った。付け根は、赤くて、ギザギザで、食虫植物の口のようで気色悪かった。おまけに口調が下品だ。
「くらぁ、聞いとんのかあ! 『口調が下品だ』ったあ、誰のこんじゃい。どっちの言い分が正しいか、この際ハッキリさせ……うぐ」
 耐え切れず、サトコの右手が付け根を押さえ込んだ。
「違うわ、違う。これは私の左手じゃない。外し方が悪かったんで、壊れたんだわ」
 しかし、左手も負けておらず、一瞬の隙を突いて、右脇の下に入り込みポッチを押した。ドタンッと右腕が外れた。

「……その後、両手のもみ合いとなり、お股、お臍、両胸のポッチが次々と外され、遂には頭部が外れ、山岡サトコは絶命……」
 警部の意外な推理に「世田谷アパート密室バラバラ殺人事件」捜査会議は騒然となった。







エントリ12  死者の包囲を突き抜けろ!     ごんぱち


 研究員の四谷京作が、血の臭いの立ち込めるロビーのガラスドアから外を伺うと、敷地内には、数十体の動く死体たちがあてもなく彷徨っていた。
「突っ切るしか、ないわね」
 同僚の近藤千早は、兵士の死体から拳銃と突撃銃を取る。
「銃なんて使った事あるのか?」
「アメリカ人に使えて、日本人に使えないのはブルーワーカーぐらいよ」
「違いない」
 四谷は別の兵士の死体から、突撃銃とナイフを取る。
「さあて」
「ピクニックに出発!」
 ロビーのドアを破って外へ飛び出した四谷と近藤に、死体たちは一斉ににじり寄り始めた。緩慢に、しかし確実に包囲が狭まっていく。
「しつこい男は嫌われるわよっ!」
 近藤が突撃銃の引き金を引く。
 貫通力の高い5.5ミリ弾が、死体の頭を三つ貫き砕いた。頭を失った死体は、地面の上で壊れた玩具のようにバタバタと手足を動かす。
「おねむの時間だ!」
 四谷が突撃銃を乱射する。バーストモードの三発づつの連射が、立て続けに鳴り響き、死体たちが次々と倒れていく。
 ついに出来た包囲の破れ目から、二人は飛び出し、開いたままの門に突進した。そのスピードに追い着ける死体はいない。
 しかし。
 門の前に、予め三体の死体が待ちかまえていた。
「っ!」
 四谷は弾切れの銃を捨て、ナイフを抜き、死体に突進する。
 だが、死体は僅かに後じさりしただけで、四谷をがっしりと受け止める。
「んだと! ぐあっ!」
 生物の限界を超えた腕力が四谷を抱き潰そうとする。
「うおらあああっ!」
 しかしそれより早く、近藤が突撃銃の台尻で死体の頭を殴り飛ばす。腐敗しかけた死体の頭は、砕けて飛び散った。
「次来た!」
 両側から来る二体のうちの一体に、近藤は突撃銃で殴りかかる。
 もう一体を、四谷がナイフで応戦しようとする。だが、痛覚のない死体は、ナイフの小さな傷をものともせず、四谷の喉に食い付こうとした。
 瞬間。
「のあっ!」
 四谷の頭突きが炸裂した。死体の頭が砕け、飛び散らせる。
「うわっ、臭っ、臭っ、ちょっと口入った、気持ち悪っ!」
「モタモタしない!」
 四谷と近藤は門の外へ飛び出し、巨大な鉄の扉を押す。
「ぐぬぬぬぬ!」
「閉まれええええ!」
 重い音を立てて、鉄の扉が閉まる。
 挟み切られた死体の腕が、ぼとり、と、落ちた。
 二人は息を切らせながら座り込んむ。
「こ、怖かった、ゲームとは全然違うわね、本物の――」
「ゾッとするな、やっぱり本物の――」
「「銃声は」」







エントリ13  枕木     ぼんより


 晴れた空。白い雲。腹に力を込めて寝ていた私はまだまだ青臭いガキだった。
 見上げれば降ってくる災難と不幸、時々くすっと笑える小さな幸せ。
 雨にさらされると右腕の辺りが錆付きそうになったり、風が吹く日はぶるぶると震えてTシャツがめくれそうになった。渋いパイプを銜えた初老の外国人がプリントされたお気に入りのTシャツ。スズメがちゅんと一鳴きするのが好きで、鳩のくるっくーという声が嫌いだった。
 父から教わったのは爽やかな逞しさ。
 母から教わったのは柔らかい優しさ。
 虹を知ったことは、まだ短い私の人生で最大の発見であり、最大の感動でもある。父母は虹をもう三十回は見たと言っている。私はまだ一度しかない。
 飛行機がごおと叫ぶ。
 ヘリコプターがぐうと唸る。
 平和だ。平和。
 平和だが痛みは伴う。笑ってやり過ごせるほど大人になったのは、いつの頃か。痛い。痛い。いたたた。私の後ろではガラクタがそっと私を支えている。ガラクタはいっぱいいる。私の痛みを背負ってくれる。痛い。いたたた。ガラクタたちは笑っている。くしゃっとした可愛らしい笑顔で、私は癒される。夜はガラクタたちに抱かれて寝る。いつか星になれたらと語りながら、ガラクタたちは私を抱く。
 いつか父母が言っていた。
 みんな、みんなこれからは離れ離れになるんだよ、と。
 私は電線のカラスを食い入るように見つめながらぼうと聞いていた。あまりにも突然なその一言に誰もが耳を疑っている。父母はなおもこう続ける。
 いらないんだ。いらないの。もういらないんだって。
 トラックのエンジン音とバイクのそれとが混ざって、なんだか複雑な気分になった。いらないんだ、っていう言葉の響きに似ている気がして、私は泣きそうになる。そうか、いらなくなるのか。いらなくなってどうなるんだろう。カラスがカァと相槌を打った。

 今、私は寝ていない。いつかの父母の言葉の通りになったからだ。
 遠い西の方からやってきた外国人が、父母や私やガラクタたちのいつもの場所、いつもの日常、いつもの環境、その全てを奪いとっていった。
 何もできなかった。何もできなくなった。父母の言葉を思い出した最後の夜に酒を飲んでガラクタたちと一晩中騒いだ。口笛を吹いて踊りも踊った。ぼやけた視界の先に虹色の鳥が飛んだのが見えた。平和な夜だった。どこか遠くでサイレンが鳴り響いてようやく私は寝た。
 今、私はどこにいるんだろうか。







エントリ14  人造人間サトシ君     とむOK


 サトシ君が先月からバイトの日を増やしたので、火曜日と木曜日は一緒に仕事をすることになった。
 人造人間だというサトシ君の動きはどこかぎこちない。あたしより年上で、あたしより長くこの古本屋にいるのに、検品もレジ打ちもあたしの方が早い。サトシ君は本を陳列させれば必ず山を崩すし、売れ筋のマンガを奥の方に積む。細身のイケメンライダーという印象は半日足らずで逆転し、今や高校生のあたしにまで使われる戦闘員に成り下がった。
 仕事ができないくせにサトシ君は何かと気を遣う。本を運ぶ時はいつも手を貸してくれるし、レジの手が足りないとすぐサポートに入ってくれる。接客を放り出してまで飛んでくるので実はかなり迷惑だ。でもこの間は、レジで客のクレームに困ってたあたしの隣に並んで謝ってくれた。ひょろ長い上半身を恐竜の体温計のようにぶんぶん振っていたサトシ君は結局ちっとも役に立たず、すぐ店長が取りなしに来たけど。
 人造人間。ロボットでもない。サイボーグでもない。十万馬力の強さがあるわけでもなく、吹き荒ぶ風の似合う哀愁があるわけでもない。客にも店長にもあたしにもぺこぺこ謝るサトシ君には、そこはかとない情けなさだけが漂っている。機械じゃないんだから、不器用もまあご愛嬌だよ。それでいいじゃんサトシ君。
「うちにも蛙がいるんだ」
 サトシ君は言う。休憩時間のあたしは「ど根性ガエル」を読んでいた。
「鏡の中だけど」
 サトシ君はケータイを開いた。でも写真を見せるでもなく、メールをチェックしてすぐポケットに戻した。鏡の中?
「出られないんだ」
「気にすんなって。そのうち何とかなるよ」
 あたしは言ってみる。サトシ君は少し笑う。優しい笑顔だ。
 休憩時間のサトシ君はいつもケータイを見ている。研究所からの呼び出しを待ってるのかな。問い詰めてみたら、実はサトシ君は先月振られたそうだ。お相手は民間人で、留年したサトシ君を置き去りにして就職した同期生だった。そういう人と過ごした季節が、サトシ君にはあったのだ。サトシ君は切ない瞳をケータイの画面に落としていて、あたしは小さな生き物になって透明な籠の中から見ている気分。なんだか悔しいよサトシ君。
 次の日、あたしは髪の毛を短く切って金色に染めた。サトシ君はびびってたけどあたしは気にしない。蛙を王子様にするキスはできなくても、鏡をぶち破るくらいに強くはなれるかもしれないから。どうかなサトシ君。







エントリ15  きらきら     千希


 太陽が傾きかけた午後、帰宅の途。なんとなく体が重く、疲れた気分だった。文庫本を開く気にもなれずに電車の窓からぼんやり景色を眺めていると、ふと視界に引っ掛かるものがあった。
 視線を下げると、それは線路に沿ってきれいに伸びる道だった。車がぎりぎり一台通ればその脇には人ひとりも歩けない、そんなささやかな幅の道だ。私が乗る電車から、線路、柵、道と整列したそれらは少しずつ湾曲しながら、しかしその列を乱さずに長く続いている。
 その道の上を何人もの、恐らくは中学生であろう子供たちが歩いていた。点々と並ぶ制服姿の少年少女たち。下校時間なのだろう、彼らは皆同じ方向、電車とは反対の方へ向いている。歩いているのだろうけれど、走る電車の窓から見る私の目に彼らは道の上に焼き付けられたように止まった姿で映る。私の視界に入るその僅かな時間をその景色の一部分へと塗り込めたように。友達に向けた笑顔、うつ向いた坊主頭、風の冷たさに竦めた肩の強ばり。女の子たちの制服の赤いリボンは、白い道にひときわ長く残像を残した。
 やがて道沿いに少々くたびれた風情の学校が現れた。道と同じように、なんだか奥ゆかしげな小さな校舎だ。それに伴って道は途切れる。名残惜しく思って私は首を捻ってその学校を見えなくなるまで眺めた。
 向き直って窓枠に頬杖を突きながら、あの長いきれいな道を彼らが通って過ごすであろう三年間に想いを巡らせた。学校へ行く道帰る道、噛み締めた嬉しさとか押し殺した悔しさとか、そういう時々の様々な思いはあの道に染み込んでゆきわたり、そして夜になるとほのかに光りだすのだろうと夢想する。きっとそれは暖かく柔らかい色とりどりの光だ。その光は彼らが大人になってもそこへ留まるのだろう。じっと留まって、彼らの思い出をずっと抱いているのだろう。例え皆があの道の事を忘れたとしても。それを私はとても羨ましく思った。
 願わくば。彼らが、その誰かが、時たまでいいから、あの道を訪れてくれますようにと私は祈った。若いというよりは幼かった頃の思い出で淡く光る道と、光に照らされる彼ら、その心に蘇るきらきらした記憶たちを思いながら、そっと手を合わせて祈る。
 そうするときらきらが私の心にも少し宿ったようで、久しぶりにあの頃の友達に会いたくなった。帰ってアルバムを引っ張り出してみる事を決めると気持ちが明るく嬉しくなって、ありがとうと胸の中で呟いた。







エントリ16  先生、わたしは、書く努力を、しなさ過ぎた     るるるぶ☆どっぐちゃん


 先生、わたしは、書く努力を、しなさ過ぎた。



 子供達は右手が三本あったり、左目が六つあったり、足が十二本だったりする。クーラーの全く効いてないリノリウムの床はべとべととしていて、訳の解らない水分に、緑色がぎらぎらしていたりする。それを器用に踏み分けて、子供たちは影ふみ遊びをしている。
 先生は、手が七本ある女の子を手術台に載せていて、そして助手一人もいないまま、悪戦苦闘をしているのだった。
 女の子には、手が、たくさん生えてきてしまうのだ。
 先生は、その腕を、細く、肉の無く筋も無く骨も溶けていて、手なのかなんなのか、そのようなものを、メスで慎重に慎重に慎重に選り分けながら、切断していく。だらだらと汗が流れていて。
 先生の娘には、手が、たくさん生えてきてしまうのだ。
 先生は手を全て切り落とし、女の子に包帯を巻いて、ソファに横たわる。

「先生」


「ああ」



「先生、わたしは、書く努力を、しなさ過ぎた」



「ああ」


「先生、わたしは、書く努力を、しなさ過ぎた」


 先生は汗をぬぐいもせず、遠くを見ている。子供たちが股間や腕や頬を撫でている。先生はただ遠くを見ている。




「確かに、人の歴史は戦いの歴史だ。我々は、そう生きている。だが、だがそれがどうした。どうしたというのだ」
 ネオンサインの下で、男はわたしに向かってそう語る。
「我々はそう生きているのだ。それが我々の本質の一部だ。そうしないなら、我々は、我々では、なくなるしかない。我々は、我々の、一部だ。そうだ、これは言い間違いでは無い。我々は、我々の、一部だ。
だから、だからスピーカーを作ってくれバッハ=メンデルスゾーン。
金ならいくらでもある」
 きらめく、ネオンサインの下。超巨大スピーカーの群れ。ぴかぴかと輝く、超技術スピーカー。
「金も、材料も、な。いくらでも、いくらでもあるから」
 きらめく、虹のようにきらめくネオンサインの下。
「先生」
「なんだ」
「先生、わたしは、書く努力を、しなさ過ぎた」
「ああ」
「先生、わたしは、書く努力を、しなさ過ぎた」
「ああ。そうだな」
 きらめく、ネオンサインの下。超巨大スピーカーの群れ。ぴかぴかと輝く、超技術スピーカー。




「くそ、ここはどこだ。ただの花園か。くそ。おおい、誰か、いないか。


くそ。
我々のタイムマシンでは、ここまでか。

くそ。


わたしは未来人だ。未来から来た。
君らは滅ぶ。もってあと少しだ。せいぜいあと数ヶ月後には滅ぶ。しかし気にするな。ピテカントロプスもアウストラピテクスもネアンデルタールも、滅んだ。どうぶつもしょくぶつも、もりも、うみも、滅んだ。滅び続ける。だから気にするな。
わたしたちも、滅びかけている。
滅ぶ。
滅ぶんだ。
とにかくだから、気にするな。
わたしはただ見たかった。君たちを。ただ見たかった。だから気にするな。
滅ぶ。
気にするな。
ああ、誰か、誰か、いないのか。
ああ、花、か。
これが、花か。
誰か、誰かいないのか」



 子供たちはたくさんある手を器用に使い、スピーカーを作り続けている。
「先生、わたしは、書く努力を、しなさ過ぎた」
 花園に、どこまでもどこまでもどこまでも連なっていくスピーカー。
 音楽はまだ無い。
 音楽はまだ無い。







エントリ17  Made in China     イグチユウイチ


 冬物バーゲンで30%OFFで買った、味のあるベースボールキャップを両手でもてあそんでいたら、キャップの裏側に妙な縫い跡があるのを見つけた。生地を縫い付けている直線の一ヶ所が突然ポコッと大きく膨らんで、すぐにまた何事も無かったように元の直線に戻っている。明らかに縫製ミスなのだけど、その線を端から端まで目で追うと、ミシンを操っていた人の心情がそこから再生されるようで面白い。急に何か思い出したのか、それともくしゃみでもしたのか。いずれにしても、直線の秩序を乱した「ポコッ」の瞬間はとても焦ったに違いない。
 ベースボールキャップの内側のタグには目立たないようにMade in Chinaと印字されているので、どうやらその小さな事件は中国で起きたようだ。熟練の職人はこんなミスはしないはずだから、まだ仕事を始めて日の浅い新人さんがやってしまったのだろうか。退屈な頭の中で、なんとなく新人さんの姿を浮かべてみる。まず、新人さんは絶対に女の子だ。(もちろん根拠なんて無い)小柄で、色白で、目は切れ長の一重。長い黒髪を頭の後ろで簡単に結んでいて、化粧っ気は無いが、よく笑う。縫製工場に入ったばかりだとすると、たぶん歳は18くらい。中国の沿岸部より少し内陸の小さな町に家族と住み、家から工場までは自転車に乗って通う。そして毎日8時間以上、味のあるベースボールキャップをせっせと作り続けている。
 そんな彼女のもとにある日、人が訪ねてくる。そいつは生活感の無さそうなメガネ男で、彼女が毎日作っている味のあるベースボールキャップをかぶっている。男はキャップを脱いで、その内側の縫い目の一ヶ所を指で示して笑ってみせる。誤解しないで欲しいのは、俺は君のささやかなミスを冷やかすために、ここまで来たのではないと言う事。俺はただ、直接聞いてみたかっただけなんだ。「これを縫ってたとき、しまった!と思ったでしょ?」って。そうして一緒に笑いあえたら、俺と君は人類初の縫製ミスで結ばれた二人になれるかも知れない。でも、君はこう答える。「私、日本人は嫌いなの。」

 イェンが中国に帰ってから、味楽亭にはすっかり行かなくなってしまった。日本人が嫌いなくせに、なぜあの娘は日本に働きに来たのだろう。その疑問ばかりが、退屈な頭の中を今日もループし続けている。