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第30回1000字小説バトル Entry22

浮かぶ

 彼女がせがむから、僕はホームセンターに行ってロープを買ってきた。部屋に戻ったときには、彼女はすでにちょっとだけ浮いていた。
「ロープ、腰に巻きつけてくれないかな」
 きつめに縛るとうめき声を上げたので、ちょっと緩めた。
「反対側は」
「そうね、タンスの取っ手にでも」
 そうしてからあらためて彼女を見た。紺のジーンズからのぞく水色のくつ下は床から離れ、所在なげに揺れている。水中にでもいるかのように浮かんでいる彼女を見ていると、床に足を着けている自分のほうが落ち着かなくなってきた。
「隔世遺伝なの」
 お母さんは浮かなかったんだけど、おばあちゃんは私が小さいときにね、と話す彼女の言葉は、現に浮いている彼女の口から聞くと信じないわけにはいかなくて、僕はうんうんと頷いた。
 食欲ないから、という彼女の言葉を聞かなかったわけではないけれど、僕は慣れぬ手つきでふたり分の夕食を作った。
「食べたほうがいいと思うよ、きっと」
 ごめんなさい、と彼女は首を振り、口もとまでチキンライスを持っていってもやっぱり首を振り、僕はやむなくふたり分を平らげた。こんなに食べたら僕はますます浮けなくなるじゃないか、と思うとちょっと寂しくなった。
 彼女はシャワーも浴びなかったし、トイレにも行かなかった。寝るときには寝袋にくるまって、僕は上で漂っている彼女がいつ落ちてくるのかと気が気じゃなくて、なかなか寝付けなかった。

 物音がして目を覚ますと、床には寝袋が転がっていて、彼女は眉間にしわを寄せて天井に張り付いていた。
「窓開けて、外に出してくれないかな」
 眠い目をこすりながら言われるままにそうすると、彼女はふわふわと何メートルか上昇して、ようやく表情を緩めた。
 少しずつ、少しずつ浮いていく彼女を、僕はじっと見上げていた。そのうちに、20メートルのロープはピンと伸びきった。
「もっと長いやつ、買ってこようか」
 空に向かって声を上げると、いい、という声が降ってきた。そうして彼女は自分でロープをたぐり、ゆっくり下に降りてきた。僕もロープを引っ張って、数時間ぶりに彼女と顔を合わせた。ありがとう、と言って彼女は僕の頭を両手で包み、唇を重ねてきた。それから、ごめんね、と微笑み、腰のロープをほどいた。
 浮き上がり、小さくなっていく彼女を見上げる僕の頬に、一滴のしずくが降ってきた。僕はそれをぬぐい、彼女の名を大声で叫んだけど、返事はなかった。

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