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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage3
第48回バトル 作品

参加作品一覧

(2013年 7月)
文字数
1
金河南
1000
2
小笠原寿夫
1000
3
ごんぱち
1000
4
深神椥
603

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コインニャンドリー
金河南

 オーナーの男は、玉田をじっくり上から下まで眺め、目を細めながら採用ですと言った。
「あっ、ありがとうございます! それで、仕事ってあの、何をすれば良いんでしょうか……」
「募集要項にある通りですが、」
 男が出入り口の貼り紙を指す。そこには『猫と話をするだけの簡単なお仕事です。日当制』と書かれている。
「とりあえず隅の椅子に座っていてください。今日はあと3時から、時給で数えときますから」
 コインランドリーの壁にかけられた時計は2時53分を示している。男が立ち去ると同時に、一匹の猫が入ってきた。

 三毛猫は玉田をじっくり上から下まで眺め、目を細めながら新人かいと言った。
「こっ、こんにちは! 玉田と申します、どうぞよろしく……」
「いや、構わん構わん。ところで、我の主人の洗濯物はどれかの?」
 複数台まわっている洗濯機。主人とやらの特徴を聞く。どうやら、面接中に入ってきて右端の洗濯機をまわしていたオバサンの飼い猫のようだ。
 三毛猫がその台の前に腰を落ち着けると、別な黒猫が入ってきた。
「私のご主人様は、今日は洗濯しているかしら?」
 動いているのはあと二台あるが、玉田には見当がつかない。ちょっと分かりかねますと言うと、黒猫は優雅に首をかしげた。
「覗いてみてくださいません? 必ず白レースの靴下が入っているはずよ」
 回転している洗濯物をずいぶん眺めたが、どちらにも入っていない。それを告げると黒猫は、残念そうに去っていった。

 数週間働き、玉田はようやく気づいた。
 猫たちの間では、コインランドリーを自分の主人が使用していれば、ここで涼んで良いルールとなっているらしい。
 空調の効いた清潔なコインランドリーは大変居心地が良く、たまに主人が使用中でなくても居座る猫もいる。そんな時には怯まずに追い出すのも、玉田の仕事に入っていた。
 夕方7時の閉店時には、オーナーが日当を持ってやってくる。開店は朝の8時。
 常連の猫たちとも顔見知りになり、猫集会の様子など、興味深い話を聞けるようになった。玉田にはこの仕事が合っているらしい。

 オーナーがやってきた。暑そうに手で顔をあおいでいる。
「玉田さん、ずいぶん評判いいですよ。これからもよろしくお願いします。これ、ちょっとボーナスって事で」
 ポケットから取り出されたのは、滅多に手に入らない高級猫缶である。
 椅子から飛び降りがっつく玉田の頭を、オーナーはよしよしとなでた。
コインニャンドリー 金河南

黒子話
小笠原寿夫

半ば、強引とも思えた。
数学の教師をしておられた担任が、私に問いかけた一言が、である。
「北海道大学なんて、どう?」
北海道という、響きにデッカいどーが、頭の中を渦巻いた。
大自然の中、はしゃぎ回る私の姿が、頭の中を駆け巡った。だが、私にそこで暮らして行けるだけの生活力があるだろうか。
「いいと思います。」
葛藤の中、結論を出すまでに、二秒とかからなかった。まさか、受かるわけがないし、合格すれば、第二候補の大学に通えばいい。
そう考えていた。

逆上せた。
(きったねぇ~)
それが、大学を入った時の最初の印象だった。
(なんか薬品くせぇ~)
これが、第二の印象だった。
(なんだか迷路みてぇだ)
大学の悪口も、このくらい言えば伝わるだろうか。

最初の講義は、忘れもしない。
『北海道大学~人と学問~』
シラバスというものを手にし、その中から、自分の学びたい講義を選び、単位を埋めていく。その作業を一人でこなすのが、大学というところだという事を、理解するのに、かなりの時間がかかった。

補足すると、北海道大学は、札幌農学校という小さな学校が、明治維新辺りに、帝国大学という名前に変わり、クラーク博士を招いて、アメリカの教育を日本でも受けられる様に整備され、後に、北海道大学という名前に変わった。


自主退学をし、神戸に帰る瞬間が、私のピークだった。
常に相談相手になってくれていた当時、大阪に住んでいた私の友人に、電話越しに話した内容は、よく覚えている。
「俺、大学辞めた!」
もしかすると、合格の瞬間よりも清々しい気持ちでいっぱいだったのかもしれない。
鬱屈とした大学生活から、解き放たれた開放感は、まるで、牢屋から放たれた囚人の気持ちにさも似ていた。
大学が自由だというけれど、それとは、違う。自由という枠に囚われた、牢獄に近い。
現に、網走刑務所と恵廸寮は、同じ構造になっている。18歳で、北海道に投げ出された私は、五年の年月を経て、神戸に舞い戻った。
これをUターンという。
それから、また長い年月をかけ、抜けた頭を取り戻す作業が始まる。
「お前、変わったな。」
そう言われる事の方が、多かった。天狗になった訳ではない。寧ろ、逆で、驚くほど謙虚になっていた。付き合いも減った。
「あんた、今までに積み上げて来たもの全部、壊してしまったな。」
親は、血が出るほどにそれを言った。
心にポッカリ穴が空いた。
またやり直そう。
そう思えるのは、まだまだこれからである。
黒子話 小笠原寿夫

夕暮れの牧場で
ごんぱち

 木嶋牧場は、夏至間近の夕日に染まっていた。
 私はファックスで送られた資料をバッグに収め、助手の大学院生である谷本茂のややぎこちないハンドルさばきを眺める。
「あの辺に停めれば良いですかね」
 谷本は車両を牛舎の前に停めた。
 既に、木嶋牧場の牧場主である木嶋憲明氏が牛舎から一頭の牛を引いて出て来ていた。牛の腹は大きく膨らみ、事前情報の「妊娠八ヶ月」が間違いでない事を感じさせる。
「よろしくお願いします」
 木嶋氏は深々と頭を下げる。
「こちらこそ」
 私たちが挨拶している間に、谷本は車両の背部の扉を開け、スロープを引き出す。
 産業動物総合画像診断車。
 世界でも帯広畜産、北大農学部、そして当大学の合わせて世界で三輛しかない、先端の畜獣の診断用車両である。
 スロープを上がる牛の足取りは重く、鼻はかさつき、毛の色つやもくすんでいる。何より、その落ちくぼんだ目と、弛んだ口元は、状況の尋常さを示す。
 妊娠中毒症……もしくは。
 私は診断車のコントロールルームに入り、窓越しに牛の固定を確認した後、X線防護用の遮蔽板を降ろし、シャッターを切る。
 再び遮蔽板を上げた時、牛と目が合った気がした。

 木嶋氏と私に見守られながら、谷本の操作で検査結果がディスプレイに表示されていく。心電図、エコー、体重、体高、それからレントゲン写真。
 私と木嶋氏は溜息をついて、顔を見合わせる。
 レントゲン写真には、胎内の仔牛の姿がはっきりと映っていた。
「畸形ですね、こりゃあ」
 谷本が呟く。仔牛の頭蓋は醜くく潰れ、とても牛には見えない。
「件だ」
「クダンって……妖怪の?」
 件。
 人の顔に牛の身体を持つ妖怪。
 牛より生まれ、人の言葉で凶事の予言を行い直後に死ぬ。
 その異常な個体は母胎の精力の大半を奪い取り、次の産はほぼ不可能となる。
「どうなさいますか?」
 木嶋氏は首を小さく縦に振る。
「分かりました」
「ちょっ、先生、堕ろしちゃうんですか? 祟りとか」
「ある訳がない」
 或いは。
 このまま生ませ、予言とやらに耳を傾ければ、大きな災いを避ける事も出来るのかも知れない。
 だが、その災いも天変ならば自然科学によって、政変ならば人文科学によって予測や対応が出来る。農学も、これに倣い、己の対応出来る不幸を防ぐのみだ。
 現代に、妖怪の存在する余地などない。それは、人の進歩と発展の証だ。
「先生……準備、できました」
 谷本の声に、私は立ち上がった。
夕暮れの牧場で ごんぱち

コトバ
深神椥

 私は雪国に住んでいて、冬の間は毎日のように雪かきに追われている。
と言っても、私は両親を手伝う程度だ。
 今年の冬は、特に長く雪が降り積もったので、私もいつも以上に手伝ったのだが、何しろ運動不足なうえに体力もないので、数分しただけで脈が速くなり、息が切れ、疲れてしまう。
でも、数十分もすると、体が慣れてくるのか、脈も呼吸も落ち着いてきて、逆にやる気になってくる。
ランナーズハイならぬ、雪かきハイ、なんて言い方はしないだろうが、それに似たようなものか。
 今更ながら、人間の体ってホント不思議だ。

 あと、もう一つ。
雪国の冬では、発熱素材のインナーは(私にとっては)欠かせないアイテムなのだが、私は某有名メーカーの発熱素材のインナーより、地元の百貨店オリジナルの発熱素材のインナーの方が暖かいと感じる。
 これは私個人の見解だが、皆、宣伝文句や流行に流されて、そちらへいってしまうが、本当に良いものは埋もれてしまっているのかもしれない。
それは全てにおいて通じることだと思うが。
 そういう私も、それに流された一人だけど……。

 まだ、もう一つ。
私は両親、姉と共に暮らしているのだが、長いこと一緒に住んでいると、相手の嫌なところばかりが目についてしまい、腹の立つこともしょっちゅうだ。
そんな自分も嫌になってしまうが、それでも時間が経てば、またいつも通りに話せるのは、やはり「家族」だからか。


 なんて思った今日この頃でした。