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第2回3000字小説バトル
Entry6

ロマネスクA

作者 : 伊藤右京 [いとううきょう]
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文字数 : 2970
 その音色は既に終わった恋の悲しい記憶を呼び覚ます。全て、何
かに取り付かれたごとく、あいまいなバラードで、愛した女の姿を、
思い出せば、何かが壊れる、破壊音で、眠るのか。ジャズバラード
で凍えた心を癒してくれ。何もかもが、終わってくれと、願うもの
の、それは結局、古の昔の、寂しい場所での、記憶。
 よもやもう会うこともないと思っていたある人物に合う機会に恵
まれた。その人物とは、彼が早稲田大学文学部在学中の頃に、バイ
トで知り合ったのだが、付き合っているうちに、彼が普通の感性の
持ち主でないことに気付いた。まず、彼は殆ど大学に行ってなく、
何をしているのかさえも、あまりよく把握出来ないのだけれど、し
かしながら、毎日といっていいほどに風俗街に行っていることだけ
は知っていた。そこで一体何をしているのかは全くと言っていいほ
どに、分からなかった。しかし彼が言うには、自分は寺山修司を尊
崇していて、満月の夜には、必ずストリップに行っている、とのこ
とだった。
 そんな彼と、久々会ったのだが、依然として彼の正体を知ること
はなかったし、それにあまり興味がなかった。電話にて会おうと言
い出したのは彼の方だったし、そして何か意味ありげの口調で、裏
金が入ったとか、芸術的にはやはり俺は非凡な存在だったとか言っ
ていたから、また何か新しい事でも始めたのだろうかと思い、会っ
てみようとしたまでだ。
 彼に会って、その皮肉った笑顔に疑念を懐いた。こいつは一体何
を企んでいるのかといったような。場所は駒沢にある地下の喫茶店
で、客は彼以外にはいなかった。店には、老いぼれたじじいが一人、
薄汚れた眼鏡越しにコーヒーをいれていた。
 席についても、視線を合わせづらかった。それこそ二年ぶりだっ
たにし、実際俺と彼は、大した仲でもなかったからだ。しばらくし
て、いきなり彼は話し出した。
「俺とお前が初めて会ったのを覚えているか。あれはバイトでやっ
ていたホストクラブだっただろ。お前は一週間も経たないうちに、
自分には合ってないとか言って辞めたけど、俺はその時既に一年は
続けていたんだよ、この仕事をさ。で、お前が辞めた後、いつもど
うりに通っていて、そんなに人気はなかったが、それでも二人くら
いは、俺を指名する女がいたんだよ、風俗女だったけどよ、二人と
も。そん時は二十歳で、クラブの中ではそんなに若い方じゃあなか
ったが、お前は俺より三つ上だから、やっぱその歳になってからじ
ゃ続けるのは無理だっただろうな。お前とはその後しばらく連絡を
取り合っていたけど、何となくそれも終わってしまったよな。まあ
そんなことはどうでもいいんだよこの際。で、そのクラブでのこと
なのだけど、普段どうりにキャッチ終えた後、接客やってたらさ、
見なれない客がいて、フリーだったから、ホストの連中がここぞと
ばかりに付いたのさ。結構歳いっている感じで、三十位に見えた。
俺も周りと同じくその女に付いて、くだらねえ話をして、盛り上げ
ようと必死になった。女はその手の話には全く興味ない様子だった
からカラオケやったりしたが、それにも全く乗ってこなかった。一
時間近く経つと、他のホストは別の客の席に行って、結局その席に
は俺と、その女しかいなくなった。その女は確かに少し異質な感じ
がしないでもなかった、今思えば。俺が何を聞いても殆ど声を出さ
なかったし、この場を楽しんでいるようでもなく、かといって居づ
らいというわけでもなさそうだった。そうやっているうちに、自分
も女もしゃべらなくなり沈黙だけがそこを流れるようになった。や
ばいなあと思い、何とかしようと会話のねたを探していると、不意
に女が、あなた何をしている人なの、と聞いてきた。俺はその意味
がよく分からなかったから、どういう意味なのか聞くと、あなたの
顔、アーティスティックなのよ、と言った。そんなこと言われたの
は初めてだ、と言うと、女は一枚の写真を見せてきた。そして、こ
の写真はとても意味の深いものなの、と言い、あなたにあげるわ、
とそれをくれた。俺は何のことやらさっぱり訳が分からなかったが、
その場しのぎで、ああどうも、とそれをあっさりと受け取った。そ
の後ほとんど何の会話もなく時は過ぎていき、見かねたホスト達が
その場に入ってきて、俺はその席を離れた。やがて時間はそろそろ
終わりという頃になり、客達は夜明けの街へと帰っていった。その
時俺のところに例の女が来て、別れ際にこう言った。あの写真の名
は、ロマネスクAよ。それ以来毎晩のように俺は、奇妙な夢を見続
けた。決まって真夜中にそれを見て、目が覚めことが習慣になって
いった。その夢とは、たとえばこんなふうだった。どこか遠い戦場
で、そこは最前線だから激戦が繰り広げられていた。そして俺は、
一人の兵士としてその戦闘に参加していたのだ。いつ死ぬとも分か
らない状態。爆音が常に鳴り響き、閃光がその都度ひらめいた。そ
して、もう一度、今度は向こうから飛んできた手榴弾が爆発した。
俺はそれを直撃して、爆風に飛ばされ、地面に叩きつけられた。全
身打たれ、意識が朦朧となってくる中で、最後の力を振り絞り向こ
うに燃え上がる炎を見た。最後に、俺の視界に映ったのは、最前線
で炎上する火の光の中、真赤なドレスの女が、涼しげな様子で歩い
ている姿だった。あるいは、こんな夢も見た。俺は一人、黒の愛車
でドライブしていた。運転していると雨が降りだし、ワイパーを入
れたが、次第に雨が激しくなってきて、前が見えにくくなるほどだ
った。ようやくたどり着いた場所は、荒れ狂う日本海で、激しい雨
と寒さで、傘を持つ手が震えていた。一体何のためにこんなところ
に来たのだろうと思い、眼の前に広がる荒れる海を見ると、そこに
は、サーフボードで楽しそうに軽々と波乗りする、日焼けした少年
が映った。また別の夢で、俺はロック歌手になり、ステージの上で、
響くギターとドラムにのせて声を張り上げていた。スポットライト
の内、心地よい汗と、そして歓声。だが、俺の目の前にあるのは、
鬱蒼とした薄暗い不気味な雑木林だった。そういった種類の変な夢
を断続的に見続けるうちに、それらに共通した特徴を見つけ出した。
それは、異なる二種類のフィルムが、重なっているということだ。
また、それと同時期に、ひどい神経痛に悩まされた。左半身がじわ
じわと痛み、その苦しみは半端でなかった。俺は、悪夢と神経痛で、
混乱し始めた。だがそんな苦しみの中で、ようやくその原因をつか
んだのだ。その原因は、見知らぬ女からもらった、あの写真だとい
うことだ。あの写真をもらって、それを机の引出しにしまって時々
見るようになってから、奇妙な夢や原因不明の神経痛に悩まされ出
したのだ」
 彼は長く話すと暫くの間、じっとテーブルの一点を凝視して動か
なかった。ふと気が付いたように前に置かれたコーヒーを一口啜っ
てから、俺の方を見て
「今の話、信じなくてもいいが、とりあえずこの写真はお前にあげ
るよ」
と言って、一枚の写真を俺の前に置き、一言軽い挨拶をしただけで
そそくさと外に出て行ってしまった。店の戸を押して出る時の彼の
表情は、どことなく晴れやかな感じだった。
 俺は呆気にとられて彼の出て行った方を長い間見ていたが、ふい
に思い出して、その置かれた写真を見てみた。
 何のことはない。単なる黒猫の写真だった。