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第7回3000字小説バトル
Entry11

クローンのある風景

作者 : 羽那沖権八 [ワナオキゴンパチ]
Website : 小説屋やまもと
文字数 : 3000
「白血病――?」
 藤田浩平の顔を、妻の鈴香はじっと見つめる。
「ああ」
 浩平は苦笑いする。
「この前の健康診断で引っかかったんだ。君には結果を見せなかっ
たけど」
 病を自覚しているせいか、表情に生彩が欠けている。
「じ、冗談でしょう? だって、そんな」
「僕もよく分からないけどね、本格的な症状が出るまでに一ヶ月あ
るかないかだってさ。骨髄移植が必要になるらしいよ」
 白髪混じりの頭を、浩平は指ですいた。
「移植すれば、治るの?」
「治るさ。最近は手術後もしっかり元気になるらしいし」
「でも骨髄移植のドナーなんて……」
「本当言うとね、もうドナーにあてがあるんだ。それが確認できる
まで黙ってた、っていうのが本当かな」
「えっ!? ドナーの情報って、患者には知らされないんじゃない
の?」
「普通はね」
 浩平は笑って立ち上がった。
「ところが僕には、クローンが一人いてね」
 帽子とコートを引っかけ、彼は鈴香に手招きした。
「今日、初めて会うんだ」

 東海道線のリニアから見える太平洋は、太陽の明かりを反射して
きらきらと輝いていた。
「人間のクローンって、禁止されてるんじゃなかったの? 自分が
二人になっちゃうんでしょ?」
 視線を半分窓に向けながら、鈴香が尋ねる。
「禁止はされてないよ。ただ、条件が厳しいだけ」
 体力が落ちて来ているのか、シートにだらりと寄り掛かったまま
で浩平は応える。
「それって、どんな条件?」
「法案が通った当初は新聞にも載ってたけど、まあ覚えてないよね」
 浩平は目を閉じて眉間に人差し指を当てる。
「えーと、夫婦ともに、嫡出の有無を問わず子供がない事。加えて、
後天的理由で生殖細胞を製造する機能を有さない者」
「あれ? 身体の問題で子供の出来ない夫婦なんて一杯いない?」
「そこが違うんだな」
 ぐっと浩平は伸びをする。窓から射し込む日差しのせいか、顔の
皺がやたらはっきり見えた。
「夫婦で子供が出来ないのは、どっちかが不妊症で充分。これだっ
たら、近親から精子なり卵子なりを貰って来るって道がある」
「あ、そっか」
「その条件をクリアしたって、生殖細胞を作る能力があれば体外受
精でどうにかなる。精子や卵子が保管されてる事もあるし」
「それでもダメだったら……」
 ドリンクサービスの無人ワゴンが、通路を通っていく。
「普通養子を勧められるね。そこまで切り抜けても、最後は後天的
理由って奴で引っかかる」
「どうして? 事故で切れちゃうとか病気とかありそうじゃない?」
「片方ならあるいはね。でも夫婦が揃ってとなるとそりゃ可能性は
低いさ。もちろん、意図的にやった場合は認められないし」
「ふーん」
 駅が近付き、リニアは音もなく減速していく。
「って、なんでそんなに厳しい条件なのに、あなたのクローンは作
れたわけ?」
「逆なんだ」
「?」
「条件が厳しいのは、僕のクローンが作られたせい、さ」
 浩平は携帯端末で切符を確認する。
「別れた彼女がね、書類をでっち上げて許可を取っちゃったんだよ
ね」

 列車を降りた浩平と鈴香は、海に面した城下町を休み休み歩く。
「つまり、あなたが捨てた女性が、勝手にクローンを作ったわけ?」
「そんなに怖い顔しなくてもいいよ。もう民事で和解済みだし、プ
ライバシーの保護って事で、公的な報道記録は残ってないし」
「冗談じゃないわ、そんな大事な事、どうして今まで言わなかった
のよ?」
「自分のクローンなんて、デートの話題としちゃあ最悪だと思わな
いかい?」
 浩平は笑った。
「だとして、今ノコノコ会いに行くなんて……」
「もちろん、彼女もクローンも幾度となく殺そうと思った。まあ実
行は出来なかったけど」
「って、それも直接的な」
「そんな時に君に会った。そして五回目を考えるのをやめて、和解
に応じる事にしたんだよ」
「あ……」
 鈴香は照れ臭そうにうつむく。
「彼女の気持ちがちょっぴり分かった気がしてね。君と死に別れた
らって――あ、ここだ」
 古びた小さなアパートの前で、浩平は足を止めた。

 ピンポーン。
 クラシカルなチャイムの音が、戸の外まで聞こえて来た。
 どたどた足音が聞こえ、カギが開く音がする。それからきしみを
立てて戸が開いた。
「誰」
 チェーンロックの隙間から顔を見せたのは、高校生くらいの若い
男だった。
 浩平は頭を下げた。
「お忙しいところ失礼します。わたくし藤田と申しますが、仁科百
合さんは――」
「ああ、聞いてる」
 戸が一旦閉まった。
『かあさーん! 客!』
『ありがとう。あなたは遊びに行ってらっしゃい』
『へいへい』
 チェーンロックの外れる音がして、戸が開いた。
「藤田さん……お久し振りです」
 出てきたのは、髪の短い落ち着いた雰囲気の女だった。
「久し振りだね、仁科さん――妻の鈴香だよ」
「あ、よ、よろしく」

 古ぼけてはいるがこざっぱりとした六畳間に、浩平と鈴香は通さ
れた。
「そうですか、病気に……」
 一通りの話を聞いた仁科百合は暗い顔になる。
「ええ。もう二度と会わないと言ったのに虫のいい話だけど、骨髄
移植に協力して欲しいんだ」
 百合はゆったりとした動作で、浩平たちのカップに紅茶を足す。
「無理、なんです」
「どうして、クローンいないの!? 隠すの?」
「鈴香」
「もうお目にかけています」
「えっ?」
「さっきの子が僕のクローンって事だよね」
「ええっ? だって歳も違うし目つきも――ううん、顔だってほと
んど」
「ええ。でも、あの子は間違いなく藤田さんと同じ遺伝子を持って
ます」
「歳が違うのは当たり前だよ、鈴香。作られたのは僕が二十歳ぐら
いの時だから。クローンだって生まれた時は赤ん坊なんだから」
「え? そういうもんなの?」
「ま、実際僕も、鏡を見てるみたい、ってのをちょっと期待してた
んだけどね」
「ええ。でも、当たり前の事です」
 薄く百合は笑う。
「生まれた年も、環境も違う、ただ遺伝子だけが一緒な別人ですか
ら」
「そっか、それじゃ移植はダメ……じゃ、ないわね。別に遺伝子が
一緒ならいいんじゃない? やっぱり恨んでる――」
「断じてありません。別の理由です。お待ち下さい」
 百合はタンスの引き出しから一通の封筒出す。中身は医師の診断
書だった。
「――同じ病気だね」
 呟いて、浩平は鈴香にもそれを見せる。
「発症の要因は遺伝的なものらしいです」
「発症の時期だけぴったり合うとはね……いや、歳が違うから時期
もずれてるのか」
 浩平は笑った。なぜか安堵にも似た表情だった。

 数カ月が過ぎた。
 白いベッドの隣で、鈴香が四つ切りにした林檎を剥く。
「ドナーが見つかって本当に良かったわねー」
「うん。良かったよ、本当に」
 しゃくしゃく音を立てながら、浩平は剥けた林檎を食べる。
「ほとんど全快して、退院も間近だってさ」
「ふふふ――あら? そのお花誰から? 昨日はなかったよね?」
 窓辺の棚に、スイートピーとカスミ草の花束が置かれていた。
「同病の士からだよ」
 くすっと浩平は笑った。
「ああ、クローンの?」
 花束には、『快気祝』の文字の横に『仁科』と苗字だけが書かれ
ていた。
「ちょうどこっちからも送ろうと思ってたんだけど、下の名前が分
からなかったからね」
「え? 知らないの?」
「うん」
「なんで訊いておかないのよ?」
「別に」
 浩平は花束を手に取った。
「遠い町の子供一人、名前を知らないからっておかしい事も、困る
事もないだろ?」
 カスミ草を一輪ちぎった。
「多分、僕の好きな花はお気に召さないだろうしね」