インディーズバトルマガジン QBOOKS

第7回3000字小説バトル
Entry12

19(nineteen)

作者 : 川辻晶美
Website : Southern Wind Junkie
文字数 : 3000
 最近、この街の色が褪せてきたように思う。私がそう言うと、利
奈はせせら笑って、マスカラを塗り始めた。
「視力が落ちただけじゃないの?」真子がガムを噛みながら、興味
なさそうに答える。
 そして私は話題を変えた。
「ねえ、清美たち、最近見かけないと思わない?」
「受験だよ、あいつら」
「一応、N高生だからね」
 都内屈指の名門校に通う清美とその取り巻きの姿が路の上から消
えたのは、ここ数週間のことだ。
「その点、あたしらは楽だよね」利奈の言葉に、真子が相槌を打つ。
二人は大学までエスカレーター式の私立高校生だ。
「そういえば、あんたはどうするの?」二人の視線が同時に私に注
がれる。私は聞こえなかったふりをして、ストロベリー・シェイク
を一口飲んだ。外気にさらされるままの太ももに寒気が走る。やっ
ぱり、ホット・ココアにすればよかった。
「今日、これからどうする? カラオケ行く?」真子が立ち上がり、
ガムを吐き出して言った。
「んー、風邪ひいて、声出ないんだよね。とりあえず寒いし、ゲー
センにでも入ろっか」
 利奈も続いて腰を上げ、私たちは、一番近いゲーム・センターへ
入った。

「ね、カラオケ行こうよ」
 利奈がUFOキャッチャーでスヌーピーを取り損ねた瞬間、三人
の男たちが声をかけてきた。
「いいよ」利奈が率先してそれに答える。
「私、金ないよ」と、真子。「綾香は? どうする」と私に振る。
「私もそんなに持ってないよ」アルバイトをしているわけじゃなし、
最後に家に戻った時に持ち出したお金も、底をつきかけていた。
「いいって。おごるよ。行こ、行こ」男たちは結論も待たずに歩き
出した。

「君はどこの高校?」テツヤと名乗った男が私の隣に座り、背もた
れに腕をまわした。
「R女子」いつものようにそう答えると、いつもと同じ質問が続く。
「彼氏いる?」
 私は静かに首を振り、今夜の寝床を確保するために、テツヤにほ
んの少し、身体を寄せた。

 17歳の少年は、皆、同じ匂いがする。若い汗とコロンが混じり
合い、独特の香を放つのだ。その匂いに包まれて、私は一時の幸せ
を味わい、代わりに大きな惨めさをもらう。
 かすかな鼾をたてて眠るテツヤの肩に、私はそっと鼻を近づける。
そして、もう二度と私を抱きしめることはないであろう逞しい腕に、
指を這わせる。一夜だけのカレシが支払う代償は、せいぜい、一日
分のアルバイト代くらいのものだろう。今日は平日だから、ホテル
代だって、たかがしれている。朝が来て、外に出た途端、テツヤは
言うだろう。
 それじゃ、メール入れるから。またね。
 それでいい。この街に来るようになって一年、私がつき通した嘘
に比べれば、そんな仕打ちはあって当然だと、わかっているつもり。

 私は綾子。19歳。高校を中退してもう二年。R女子高の制服だ
って、インターネットで買ったもの。名前も歳も偽って、現役の高
校生たちと過ごす時間が、今何よりも楽しい。けれど、いつかおし
まいの一日が来る。そんなことくらいわかっている。真子も利奈も、
大学へ進んだら、街へはもう、来ないと言う。私だけがきっと、17
歳のまま置き去りにされるに違いない。
 そうだ、街が色褪せて見えるのは、これまでしょっちゅう顔を合
わせていた連中が、最近、めっきり姿を現さなくなったせいだ。知
った顔が少しずつ減っていくかわりに、若い、私よりずっと若い少
女たちが闊歩し始めているからだ。居場所がなくなるのは時間の問
題で、それでも他に行くべきところがないから、私はこうして、今
日も街角に立つ。

「クリスマスはどおすんの?」
「彼氏、仕事だし。ZAPPAのイベントにでも行くよ。綾香も行く
でしょ?」
 ここに来てすぐに仲良くなった利奈と真子の二人に、初めて連れ
られていったクラブでは、クリスマス・イブにパーティが催される
らしい。
「お金ないしなあ。どうしよう」一度家に帰ろうか。親が居ない時
間ねらって、ちょっとお小遣いでもくすねてこよう。
「さてと、私、帰るよ」真子が立ち上がる。
「えー、なんで? 金曜日じゃん」
「おやじのボーナス、ちょっといただきに行って来るよ」
「そっか。んじゃ私も」利奈が真子に続く。「綾香は?」
 また夜がやってくる。今夜の寝床はあてがない。
「もう少し居るよ」
 私は手を振って駅へ向かう二人を見送った。
 近くのファースト・フード店で、携帯のディスプレイに次々と浮
かび上がる幾多の名前と電話番号を、私は真剣に確かめていく。二、
三日前にメールをくれた男の名前が出てきたところで、私は指を止
めた。聞いたこともない大学の二年生で、話がつまらないし、ネル
シャツをジーパンの中にいれて着るのがなんともださくて、無視し
ていたけれど、他にあてもなさそうだ。男を呼び出し、待つ間、私
はもうひと歩きして、お腹をすかせることにした。金持ちじゃなさ
そうだけれど、ラーメンくらいは奢ってくれるだろう。

「家はどこなの?」男は、今日は上下色の合わないデニムを着込み、
大盛りのチャーハンをかきこみながら聞いた。
「横浜」それだけ答えて、私はラーメンを啜る。
「送っていくよ。明日、就職試験なんだ」
「いいよ。忙しいのに呼び出してごめんね」

 ついてない。でも食欲は満たされたからいいとしよう。男が帰っ
てゆくと、再び孤独が私を襲った。やっぱり帰るしかないか。戻っ
たところで、暖かく迎えられるわけじゃないけれど。ぐちぐちと嫌
味を言われるに決まっている。もうすぐ二十歳なんだから、とかな
んとか。まだ決心のつかないまま、駅の周りをうろついていると、
路上ミュージシャンたちが演奏の準備を始めていた。
 これ聞いてから帰ろうか。まだ終電には十分間に合うし。誰か、
友達になれるかもしれないし、知り合いに会うかもしれない。
 やがて騒音と区別のつかないロックのリズムが街に響き渡る。興
奮した観客同士が殴り合いの喧嘩を始める。警察官がやってきて、
週末の馬鹿騒ぎもあっという間に終わってしまった。
 人波にまみれて、また街の真ん中まで出てしまった。歩道橋の上
から、駅が見える。酔っ払いのおやじたちが、もつれ合い、愚痴を
言い合いながら私の背後を通り過ぎる。そっか、忘年会のシーズン
だものね。
 今夜は冷えるけれど、クリスマスのイルミネーションを見ている
と、不思議と身体があったかくなってゆく。
「姉ちゃん、どっか行かない」汚らしいサラリーマンが声をかけて
きた。
「あっちへ行ってよ」
「やめとけって。ごめんね。これあげる」もう一人の酔っ払いが仲
間を制し、私にカップ酒を手渡して行ってしまった。私は蓋を開け、
初めての日本酒を口に含んでみる。強烈な匂いが鼻腔をついた。で
も、飲み込んだ後に胸のあたりにじんわりと広がる熱は悪くない。
私は一本、飲み干してしまった。
 空になったカップの底に、白い物が舞い落ちた。雪が降り始めた
んだ。
 私は歩道橋の上で座り込み、夜空を見上げた。マフラーを口元ま
で引っ張り上げ、どうかこのまま降り続くように祈ってみる。身体
が熱い。お酒のせいだろう。火照った頬を冷ます雪が心地良い。も
う少ししたら、家へ帰ろう。最終電車に乗って。そうだ、帰ろう。
睡魔がゆっくりと私の身体を蝕み始める。この前一緒にホテルに泊
まった男はなんて名前だったっけ? でもなぜこんなこと思い出す
の? 少し眠ろう。元気になれば、家に帰れる。起きれるかしら。
それとも、このまま眠り続けてしまうのかな……。