インディーズバトルマガジン QBOOKS

第7回3000字小説バトル
Entry14

苦虫

作者 : 鮭二 [シャケジ]
Website : http://members.aol.com/Shakeji/papyrus.htm
文字数 : 3000
「あたしを罰しておくんなさいまし!」
 乱れ髪の女が警備室、通称番人小屋の窓を叩いて私は居眠りから
覚めたのでした。夏の夜、午前2時を少し回ったところでした。
「何です」
 気怠く窓を開けながらも私は内心ほくそ笑みました。夜の10時
から朝の8時まで、ハプニングのひとつもなけりゃ退屈で身が保ち
ません。
「あの、あたし、主人を」
 女は言葉を詰まらせて窓枠に顔を伏せ、微かに嗚咽の声を漏らす
のでした。
 女は上品な浴衣を着ていました。うなじのほつれ髪がしっとりと
肌に貼り付いています。
「奥さん、困りますね。いま何時だと思ってるんですか」
 女はきつく唇を噛み締めて顔を上げ、込み上げてくる激情をよう
やく堪えています。
「あの、あたし」
「分かりました奥さん。ご近所の目もありますから、取りあえず中
に入ってください」
 丑三つ時に近所の目もあったもんじゃありませんが、私は困惑を
装いつつ女を番人小屋へ招き入れ、スチール椅子に座らせました。
「あたしを罰してほしいんです」
 女の視線は落ち着きなく机の上をさまよっていました。
「いいですか奥さん、私はただの番人です。戸締まり確認、火の元
確認、消灯確認、ね、私にできるのはそのくらいなんです」
 女はほつれ髪を手櫛で整えながら言葉を探していましたが、激情
に押し戻されて嗚咽を漏らし始めます。
「奥さん、少し落ち着いてください。ね、しばらく楽にして、そう
して興奮がおさまったらお巡りさんに来てもらいましょう。駅前の
交番に知っている巡査がいますから、ね、奥さん、そうしましょう」
 私は冷蔵庫から麦茶を出して、泣き伏している女に勧めました。
「さあ、冷たいうちに」
 言いながら、白く、木目の細かい襟足の肌を静かに眺めていまし
た。すると女はきっぱりと顔を上げ、一気にグラスの麦茶を飲み干
しました。
「あの、あたし、どうしても番人さんに罰してもらいたいんです」
「いけませんな、奥さん。自首した方が後々のためです」私は女の
グラスに麦茶を注ぎ足しました。「まだお若いんだし」
「35になりました」
「お子さんは」
「いえ、まだ」
「それじゃあなおのことです。あなたの心がけひとつでこれから幾
らでもやり直しがきくんだ」
 女はぐるりと番人小屋を見回してから浴衣の前をきちんと合わせ
ました。
「実は半年ほど前から急に主人の帰りが遅くなりまして、どうも、
他に女がいたようなのです」
 なんだ、そんなことか。私は足を組み、ボールペンでこつこつと
机を叩きました。痴話喧嘩の果ての刃傷沙汰くらいだったらとっと
と追い返してやろうと思いました。
「いえ、あたしもうぶな生娘じゃありませんから男って動物がどう
いうものなのか、ちっとは分かっているつもりでござんす。でもね、
番人さん、ついこのいけない体が、罪を」
「刺しましたか」
「いえ、毎日毎日主人のご飯に少しずつ、混入、いたしました」
 女はまた泣き崩れました。私もつられて身を乗り出します。
「奥さん、そりゃあ酷い、陰湿だ。それで、ご主人の容態はもうよ
っぽどお悪いんですか」
「ええ、もうかなり、顔が引きつってまいりました」
「混入したのは何です、やっぱり、ヒ素ですか」
 女はゆっくりと顔を上げて私を正面から見据えました。ちっとも
泣きはらした様子はなく、懐からマルボロのメンソールを出すと、
うまそうに呑み始めました。
「にがむし、でござんす」
「はあ? 何ですって」
「ですから、苦虫。河原の大きな石をどかすとたくさん取れましょ
う? あの苦虫です」
 私の禿げ上がった額に蝿が一匹止まっていました。女がそこに煙
を吹き掛けると、蝿は私の鼻に移動しました。
「あたしはそれを毎日主人のご飯に混入しておりました。効果はて
きめん、毎日難しい顔ばかりしてたせいでしょうか、女とは切れた
ようです」
 蝿は私の鼻の穴を出たり入ったり、嬉しそうに活動していました。
「なるほど、苦虫、か」
「そう。苦虫をかみ殺した、ね」
「そりゃ理に適ってる」
「あたしも感心。我ながら」
「奥さん!」
 激しく机を叩いて立ち上がると、鼻の穴から蝿が天井の電球に向
かって飛び上がりました。
「奥さん! 私は許せない!」
「ひいっ」と叫んで女は身を固く締まらせます。
「奥さん! 私はあなたを罰します!」
「いやん」
「あなたが罰してくれと言ってここに来たんだ。違いますか」
 女は椅子のパイプを握り締めて後退りします。
「奥さん、罰して欲しいんですね? 返事!」
「はいっ」
「どんな罰でも受けるんですね」
 女は上気した顔で微かに首肯きました。
「じゃあまず、目をつぶってください」
 半開きの口から弱々しい吐息を漏らし、女は目を閉じました。
「次に、椅子に座ったまま両手で机の縁を掴んでください。そう、
頭を垂れて、そうです。いいですか、これから何が起きてもそのま
ま動かないでください。途中で目を開けたり手を離したりしたら、
あなたの罪は一生贖えません」
 言っているそばから、女は椅子の上で尻をもぞもぞ動かしていま
す。
「駄目だ、奥さん! あんたはとんでもない女だ。懲らしめなきゃ
いけない。いいですね。返事!」
「はい!」
「ようし、いい子だ」
 焦らすように、衣擦れの音をたっぷりと女に聞かせながら、私は
制服を脱ぎました。ズボンを机の上に放り投げると、バックルが冷
たい音を立て、女は一瞬眉根に皺を寄せました。
「いいですか奥さん、自分のやったことをよく思い浮べるんだ」
 パンツいっちょうで厳粛に告げると、私はロッカーからタオルを
取り出しました。両端を握り締め、背中に回します。
「奥さん、始めますよ」
 女の背中から汗が染み出し、浴衣をぴったりと肌に貼り付けてい
ました。
「はああああぁぁぁぁっ」
 下腹に力をこめてゆっくりと息を吐き、私は背中を擦り始めまし
た。シュッと鋭い音を立てて、乾いたタオルが肌を熱く焦がします。
タオルの動きに呼応して、女は熱い息を漏らしました。
 シュッ、うっ、シュッ、うっ、シュッ、うっ、シュッ……
「どうです、奥さん」
「ああ、番人さん、後生だから……」
 シュッ、うっ、シュッ、うっ、シュッ、うっ、シュッ……
 繰り返すうちに私の背中はカチカチ山、女の口からはだらしなく
涎が垂れ始めました。
「さあ奥さん、自分の罪をよく認識してください。はあぁぁぁっ」
シュッ。
「番人さん……うっ、あたし……ああ、むうっ……」
「まだまだ!」シュッ。「しっかり思い浮べるんだ! さあ、奥さ
ん、あなたは何をしたんですか」シュッ、シュシュッ。
「あふぅっ、あたしは……はああぁぁんっ、主人のご飯に……あぐ
ぅ、細かくすり潰した、ああっ、苦虫を、ひぃっ……混入、いたし
ました……あぐ」
 それだけ言うと女は腰をわななかせながら気を失いました。私の
タオルにはうっすらと血が滲んでいました。ふと窓の外を見ると、
空が白みかかっています。
「8月15日(終戦記念日)、晴れ、夜の巡回異状なし」
 警備日誌に書き込んで煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を吸い込み
ました。
「奥さん、奥さん、もう終わりましたよ」
 肩を揺すると、女はけろっと上体を起こし、大きな欠伸をしまし
た。
「どうもお世話さま。これ少ないけど」と言って女は私に5百円玉
を握らせました。私は制服を着て、有り難くそれを胸のポケットに
収めました。体を動かすと背中がひりひり痛んで、思わず顔が歪み
ます。
「あら番人さん、苦虫」
 女は私の顔を指差して、少女のように笑いました。