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第7回3000字小説バトル
Entry4

気分はe滅入る

作者 : 有馬次郎 [アルマジロウ]
Website :
文字数 : 3000
折り曲げた切符のしわを伸ばしながら、もう一度山手線の逆回りに
乗り込もうかなんて、考えている孤独なサラリーマンは自分だけな
のだろうか?いやちがうと自問自答してみた。

取り敢えず自動改札を通り抜ける。

すると、新宿駅南口の無味乾燥した皮肉な砂嵐にまぎれそうになる。

前に進むことも、敵前逃亡もできない、時代遅れのおじさんにだけ
はならない自信があったのに、それがどうだ、そのものを演じてい
る自分がいるではないか。自分そのものが。

バクテリアが、なにかの傷口から侵入して繁殖して肉体が腐って、
蒸発し霧散してしまえば、魂ぐらいは昇華できるよと独り言した。
唾をおもいきり吐き捨てる。

思っていた地点に、唾は唾らしく付着した。ねっとりとしたまさに
臭い汚物だ。 気取ったって答えは出ている。唾そのものだよ。

何をしたいのか、何をするのか、何処から来たのか、何処に行くの
か。汚物の自分は......。

「あのう、今日私どもをお訪ねになった理由をお聞かせ下さい」
「ん......!?」
「とりわけ、なければないでいいのですが、まず年齢からいきまし
 ょうか、おいくつになられます?」

そんな事務的な顔で聞くなよ。 あんたはおいくちゅですか?ん。

若いのに、瞳が光を失っている。20年くらい前には存在してなか
ったタイプの人間だ。唇がうすくて8才の長男が描いた宇宙人にも
こころなしか似ている。小柄だが頭が異様にでかい。

「でも本当に良かったと思いますよ。皆さん気付いてないんです。
 あなたは御自宅にもうすでに持っていらっしやる。それだけでも
 リードです。 再就職のときに断然差が出るのですよ。いまに、
 やっぱり良かったと思う時が必ずきますから、基礎編からがんば
 って進んでいきましょう。今日、大学出てたって何の意味もあり
 ません。企業はあなたの人間性よりスキルを重視します。これさ
 えやれれば、ふふふ鬼にごぼうですよ、いやこん棒ですよ」

何となく違う気もするがなにかしら、この男を突然先生とよんでみ
たくなった。あまりにアホらしくて。
先生、それでおいくらぐらいかかりますか」
「基礎コース初心者ランクで1単元1時間1万4千円の5単元です
 から7万円となります。お安いですよね。他と比較しますとね」

確かに安いですねと相槌うつほど昼間からは酔えないよ。
法外な授業料があんた等のめしのたねとは笑わせる。

「なかには、ひどいのもいますよ。アップルマークをクリックして
 くださいと言うと、どれですかと質問してくる。何も知らないん
 ですね。どうしようもない」
「しかし、わからないから先生のところへお金払ってでも習いに来
 るわけでしょ」
「それはそうですが、なんていうかズレてんですよ。僕なんか5年
 生の時にパソコンを買い与えられて、17年くらいやっているん
 ですが、本当に父には心から感謝しています。習おうとすれば私
 程とは言わなくても、まあなんてんですかねぇ、自分がパソコン
 向きかだめかぐらいのことはバカでもねえわかるでしょ。ね!」

よくよく聞いてると先生がとてつもなくズレて純粋にみえ、鼻を摘
んでアヌスにバターをぬり、ドラセナの幹をつっこんでやりたくな
った。

「会社で皆から、これくらいのことも知らないのですかと馬鹿にさ
 れパソコンに触れたくもないんです。なんとかなりますか?」

へびの青大将が赤い舌をぺロッとだしたように彼は言う。
「ワードとエクセルさえできれば、完璧ですよ」

意外な答えに、小水を漏らしながら先生に唾を吐きかけた。
なんだ、そのくらいのことでねぇ。

「な、なにをするんですか!」
べっとりとして汚い唾だ。とても臭い。 

先生は青ざめながらも反撃に転じた。
「我慢ならない屈辱ですよ。ぺッ!」

自分のおでこに黄色の鼻汁みたいな唾がへばりつき、はじめて我に
返った。 
右目の上からビローンとたれてきた先生の唾。それは静かな憤りで
振り子みたいに揺れはじめた。

「メールもインターネットもアクセスもフォトショップも何ひとつ
 できない奴はウジ虫以下ですよ」
「いや、先に仕掛けてすいません。つい興奮してしまって」

先生の唾を、先生のペーズリー柄のネクタイで拭き取らせてもらう。

「書店のパソコン書籍コーナー、どこへ行っても答えは歴然として
 いますよ。ドブねずみみたいな中年連中が、やれなんだ、これな
 んだと、そのての雑誌にへばり着いている。所詮負け犬なんです。
 それでも自分の無能は認めたくない。フフフ......」
「先生の言われる通りだと思います」

勝手にいつの間にか生徒にされて、迷惑な話だよ、タコ!

先生は論破した高揚感が頂点に達し前立腺が弛んだのか、小水を漏
らした。
向かいあっているテーブルの下では、2人の小水が互いの椅子の表
面に沁みをつくりはじめていた。

「まあ、とにかく奥様に御相談されて御返事下さい。カラープリン
 ターに外付けUSB対応のFDドライブを持ってんですから。意地の
 上にも残念という諺があるでしょう。とにかく他人より一歩リー
 ドしているのは確かです」

うーん、これも違うかなと立ち上がって、お互いのチン○○の前の
沁みを見て思わず失笑した。

「いやー勉強になりましたよ」
「あなたは今日だけで相当の知識がついた筈です」
ほんとかよ、詐欺だぜ。

先生の額の唾は、塩がふいたみたいに乾いていた。

穏やかな秋晴れの昼下がりか......。

パソコンスクールの豪勢な受け付けカウンターを横切り、挨拶して
廊下へ出ると苦渋の表情になり、不安と怒りが交錯してきた。

目の前の壁にもたれた中年社員が、熱心に携帯のメールを見ている。
両目を瞬かせながら読む程のメールかよ、包茎野郎!

虚無感を友として黙々と歩き続け、いつの間にか大久保の駅のホー
ムに立っていた。

ああ、電車に乗ってここまで来たのか。
薄汚い安ホテルの看板がやけに目立っている。ホームの両端を黄色
の電車が行ったり来たりを繰り返す。

到着メロディーと同時に開かれたドアから、どっと茶髪の女子高生
達が降りてきた。まるでカラオケマイクの様にかまえて、全員が全
員共、携帯電話でメールですか。
中には、うんこ座りで陰毛のはみだしたパンツまで見せてメールに
夢中な娘もいる。

どうでもいいけど、なにかの宗教団体の儀式の様に見えたり、工場
の単純流れ作業の様にも見える。

なんか悲しいな、便利で速くて悲しいな。髪型も一人前の化粧まで
も皆、同じだ。同じでどうしようもない。
キャベツ畑にはたくさんのキャベツが育ち、腐ったり売られたり。

額の汗を拭き、開いたままの口を閉じ、ちょうど良かったと飛び乗
った電車がどこ行きなのか、そして何線なのか全くわからない。

車内では、携帯電話の使用は御遠慮くださいのアナウンスが泣ける
程、事務的にむなしく響いている。だれも聞いていないよ。

車窓越しの夕陽がなぜだか、沁みてくるなあ。普段の感傷とは違う
寂しさだ。まだまだ生き急ぐこともないんだと、団欒の明かりを見
てふと思う。

この電車、いま何処を走っているのだろうか。会社への帰り道すら
思い出せない。まわりのほとんどの人間がヘッドフォンをはめて、
禅問答している。残りは鉄仮面の表情で携帯電話のメールを見てい
る。
メタルも光ファイバーも、衛星通信も運命までは変えられないよ。

会社に帰りたいのか、帰れそうもないのか、どこで降りたらいいの
か本当に見当もつかない。

ふと見ると、ズボンの沁みも乾いていた。あの先生あれで28歳な
のか。パソコンは使い方さえ間違わなければ、決して裏切りません
なんて身を乗り出して言ってたなあ。パソコンみたいな人生もいい
か?

ああッ!会社の電照看板が目の前を通りすぎた。自分の会社はここ
にあったんだ。

「残りの人生、転げ落ちるように生きたいな」

独り言がトワイライトゾーンに溶け込むように、静かに吸い込まれ
て消えた。