必殺、ママン旋風脚
ごんぱち
夕暮れ間近の夏の西日が、緑に色分けされた通学路を灼く。
「あつー」
ランドセルを背負った少年が独り歩く。
「シガイセンで、ガンになっちゃうよ、もう」
「ははは! 子供がそんな事を気にするもんじゃあないぞ!!」
「え?」
少年が振り向く。
そこには中年過ぎの男が、精悍な顔立ちに爽やかな笑みを浮かべていた。
ただ。
男の服装は。
野球のユニフォームだった。
「さあ、おじさんと野球をしよう!」
「……おじさん、何?」
「馬鹿者、監督と呼べ!」
一喝するなり、男は少年を拳で殴り飛ばした。
「おぐぶぉふっ!」
少年は吹き飛び、コンクリートの壁に頭をぶつけ、折れた乳歯が転がり落ちる。
「憎んでくれてかまわんよ! その悔しい気持ちを野球にぶつけるんだ! さあ、まずは町内十周!」
意識を失って少年は失禁している。
「どうした、立て、立ち上がれ! 健全な肉体に健全な精神は宿るのだ、だから今の子供はダメなんだ、スポーツをやらず殴られた事のないような子供は!」
男はバットを振り上げた。
しかし。
バットは振り下ろされなかった。
「ちょっと、あんたッ、なんザマスかッ!」
男の腕は、押さえられていた。
「んあー?」
男は振り返る。
背後には、エプロン姿の主婦と思しき女が三人。
「PTA」の腕章を付けていた。
男の腕を押さえている女は、痩せぎすで泣きぼくろのある鋭い目をしており、眼鏡をかけている。
「岸田! その子を早く病院へ! 浅野、それから通報を!」
「はいっ! 小池会長」
「了解、会長!」
「監督の邪魔をするな!」
不意に、男の両肩が盛り上がるや、ユニフォームの肩部分が破れ、ピッチングマシンが二台現れるや、硬球を打ち出す。
「ぐおっ!」
「げふっ!」
岸田と浅野は、硬球を頭に受け、昏倒する。
続いて会長に。
間一髪白球をかわした小池若菜の頬から、二筋の血が流れる。
監督の両肩にピッチングマシン。目にはスピードガン。口にはメガホン。胸にスコアボード。足はストッキング。腹部に埋め込まれたヤカンは水滴がすら付いていた。恐らくは氷入りの麦茶に違いない。
「――聞いたことがあるザマス。井戸端会議で」
小池は姿勢を低くして、間合いを取る。
「二〇年前、サディスティックな指導で、その任を追われた少年野球団の監督がいた」
蝉の声が遠くで微かに聞こえる。
「その後、彼は姿を消した、筈」
「野球の指導に向くように、身体を改造してねぇ。いつの間にか二〇年も経ってしまっていたんだよ」
「その名を、高橋宏一。人呼んで、『ちょっとアレな監督さん』!」
「ふっ、その名はもう捨てた」
「どちらかというとレッテルザマス」
「今の僕の名は、『超スーパー機械メカ監督』!」
前触れなく白球が打ち出された。
小池がこれをかわそうとした刹那。
「僕が一番上手く野球を教えられるんだぁぁぁ!」
監督は一気に間合いを詰め、バットを振り抜いた。
「なに!?」
監督のバットは砕け、グリップ部分だけになっていた。
「ふしゅぅぅぅ」
小池はゆっくりと左足を下ろす。
当たる直前のバットを、突っ掛けの踵で蹴り砕いたのだった。
「『PTA式CQC』、PTA会長に伝わる」
左足が地面に着いたと同時に踏み込む。
「近接格闘術ザマス」
掌底を監督の腹部に叩き込む。
「その本質は!」
「ぶぐあああっ!」
ヤカンがひしゃげ、麦茶が飛び出した。
「徹底して脚部のみを鍛え、これをスカートに隠す事!」
そのままフットワークで側面に周り込みざまに、足払いで脛を刈る。
「即ち、虚を突いての一撃から始まる連撃!」
よろめきかけた監督の足を今度は反対側から刈り、完全に尻餅を付かせる。と、しゃがみ込みながら、踵を一気に振り下ろす。
しかし。
一瞬早く、監督は起き上がっていた。
「女の蹴りは」
にやあっと笑う。
「効かないなぁ」
監督は笑顔を歪めて小池を睨む。
「でも、ちょっとばかり痛かったよ」
監督は背中のポケットから、二本の同じぐらいの長さのものを取り出した。
「金属バット……と、鉈、ザマスか?」
「バットは、本来人を傷つける道具ではない」
いつの間にか日は傾きかけ、蜩の声がし初めていた。
「しかし、指導に必要であれば、その限りではない!」
監督は金属バットと鉈で打ちかかった。
バットをかわせば、鉈が、鉈をかわせばバットが。身一つの小池は、間合いに入る事が出来ぬまま、塀に追い詰められる。
「……長引かせる訳にはいかないザマス」
小池が息を呑み込んだ時。
「――止しなさい」
「新手か!」
瞬時にピッチングマシンが声の主に白球を発射した。
しかし、白球は経路途中で落下した。
「小池会長。ママン旋風脚は、このような雑魚相手に使う技ではありませんぞ」
「校長先生?」
「校長、だと」
「東小学校校長、幡山正男」
夕日を背にして立っていたのは、僅かに残る頭髪の色と同じ白墨を手にした、涼感スーツ姿の幡山校長だった。
「猪口才な!」
監督は幡山に向け、一気に一〇発の白球を打ち出した。
幡山はスーツの前を開く。スーツの裏にはずらりと白墨が並んでいた。
四本を右手の各指の間に掴み、投げる。
命中弾になり得るボールを近いものから四発、確実に当てて行った。
「PTA式CQC『Tの型』、イージス白墨」
「T? そんなもの、聞いたことが?」
「いつ頃からか、引き継ぎがされなくなっていましたがな。『P』ペアレント-『T』ティーチャー 『A』アソシエーションが、PTA。すなわち、どちらか一つが欠けても、子供を守り育てるには不十分」
校長は突進する。
「PTA式CQCも、その精神に則り、また、習得難度を下げる為、技を分離した! すなわち」
監督は小池に鉈を振り下ろしつつ、迎撃の白球を発射する。
「技のP!」
小池が鉈を蹴りで受け流し、態勢を崩す
「力のT!」
校長の無数の白墨が白球を押し切り、ピッチングマシンを破壊する。
「挟撃の破壊力は!」
「四倍に達す!」
小池の後ろ回し蹴りと、校長の掌底が監督を挟む形で直撃した。
「うごおおああああああ!」
小池と幡山が跳び退いた一瞬後、監督は爆発した。
飛び散った監督に、人間の肉体らしい肉体はほとんど残っていなかった。
「何故、ここまで……」
「独りで指導をするため、何でも出来なければならないと思ったのでしょうな」
頭部は何かを言おうとした形のままで、止まっていた。
頭に包帯を巻いた少年が両親に連れられて、病院のロビーに出て来た。
「あ、おねえちゃん! 校長先生!」
小池と幡山の姿を見つけ、駆け寄って来る。
「オホホホ、おばちゃんで良いザマス」
小池は膝を付いて、少年と視線を合わせる。
「どうだった?」
「うん、外傷だけで異常はないし、心身共に後遺症の可能性もこれでもかってぐらいゼロだって。そもそも、途中で意識戻ってたし」
「まあ、説明的で分かり易いザマスね」
「後を引くダメージがなくて本当に良うございましたな」
幡山は嬉しげに笑う。
「さ、今日はゆっくり休むザマス」
「明日は、元気に学校に来るんですぞ」
「はい!」
少年と両親は、その後何度もお辞儀をしてから、病院から出て行った。
「私たちも行くザマス」
「そうですな、早くしないと臨時総会が始まってしまう」
「パトロールの仕方で、提案があるんザマスよ」
「ほほぅ?」
「これまでと違って、無理のない形で先生達と分業と連携を――」
眩しい夏の日差しが照りつける外へ、二人は出て行った。