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第8回3000字小説バトル
Entry2

ヤマグチ君

作者 : やす泰
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文字数 : 2739
 痛い、痛い。ヤマグチ君が僕の頭を壁に叩きつける。痛い、痛い。
部屋にはゴンゴンというくぐもった音が響いた。
 
 僕が悪かったんだ。ヤマグチ君は、僕が美樹ちゃんのことを好き
になってしまったことが、きっと気に入らないのだ。
「ナオちゃん。どうしたの。」
 急におばあちゃまが入って来たので、ヤマグチ君はするりと部屋
を抜け出すと、家に帰ってしまった。
「まぁ、ナオちゃん。いったいどうしたっていうの。」
 僕のおでこには瘤ができて、その先が少し切れて血が出ていた。
だけど僕はヤマグチ君のことを話さなかった。ヤマグチ君は、自分
のことについて話をされるのが好きじゃない。だから僕はずっとヤ
マグチ君のことを黙っていた。

 子供の頃、僕は小児ぜんそくで、おまけに小学校に行ってからも
おねしょをする癖があった。両親が離婚したため、僕のうちはママ
とおばあちゃまと僕の三人暮らしだった。ママは会社を経営してい
て、いつも夜遅くまで帰って来なかった。
 その日、おばあちゃまは、かなりご機嫌ななめだった。たぶんマ
マとケンカをしたのだろう。ママとおばあちゃまは、時々大きなケ
ンカをする。でも、そんな日に限って、僕はまたおねしょをしてし
まう。しかたなく僕はとなりの部屋にねているおばあちゃまを起こ
した。おばあちゃまはぶつぶついいながらしーつと布団を換えて、
僕のお尻をお湯で拭いてくれた。
「今度おねしょしたら、ちんちんをハサミでちょん切ってしまいま
すからね。」
 僕は、とてもびっくりした。怖くてとっさに嘘をついた。
「僕じゃないよ。僕は、おねしょなんかしていないよ。誰かが僕の
ベッドに入ってきて、その子がおねしょをしたんだよ。」
 僕は、嘘をついたことを、このあとずっと後悔した。

 ヤマグチ君に初めて会ったのは、僕がたしか熱を出して寝ていた
時だった。僕は耳まで熱くなってベッドに寝ていた。熱を測りに来
たおばあちゃまの手がとても冷たくて気持ちがよかった。
 おばあちゃまが部屋から出て行くと、ドアの所に男の子がニコニ
コ笑って立っていた。髪の毛が少し長くて、ベネトンの薄紫色のト
レーナーを着ていた。そのトレーナーは、僕も持っていたので、僕
はほんの少し嬉しくなった。その子が、ヤマグチ君だった。僕の学
校のクラスにもヤマグチ君がいるけれど、その子とは別のヤマグチ
君だった。
 僕はヤマグチ君のことがすぐに好きになった。僕とはちがう学校
に行っているので、昼間は会えないのだけれど、僕が家にいる時は
よく遊びに来る。僕と同じ遊びをして、たいてい夕ご飯になると帰
ってしまう。でも、時々は僕が寝るまでいてくれることもあった。
二人で外に遊びに行くこともあったけれど、ヤマグチ君はたいてい
途中で帰ってしまう。僕が相手をしてあげないと不満らしい。僕が
他の子と遊んでいると、急に姿が見えなくなってしまうのだ。
 ヤマグチ君はとても親切だったけれど、時々ひどい意地悪をした。
僕が悲しかったり、淋しかったりすると、冷たい目をして僕を睨ん
だ。そして、僕の手を取ると、指を口の中に入れてガリガリと噛ん
だ。ヤマグチ君が噛んでいる時は、そんなに痛くはないのだけれど
ヤマグチ君がいなくなると、指先がズキズキと痛んだ。でも、僕は
もう慣れてしまい、ヤマグチ君が僕の指を噛みたがっているのがわ
かると、僕は自分からヤマグチ君に手を差し出していた。おかげで
僕の両手の指は、ツメが変形していつも皮がむけていた。
 ヤマグチ君は、僕が悲しんだり淋しがったりするのがとても嫌い
だった。一度、僕がおばあちゃまにしかられて泣いていた時、ヤマ
グチ君はいきなり僕のほっぺたに噛みついた。僕のほっぺたには跡
が残った。その後も、僕の胸や太ももを爪で引っ掻いたりすること
があったので、僕はおばあちゃまに見つからないように治療するの
が大変だった。

 ある日、僕は三浦君の家に遊びに行った。三浦君が、ハムスター
の子供が生まれたので見せてくれるといったからだ。ヤマグチ君も
珍しくいっしょについて来た。
 ハムスターはもう毛がはえそろっていて、小さいけれどもぞもぞ
と動いた。僕はその可愛い小さな動物から目が離せなかった。でも、
僕にはぜんそくがあるので、家でペットを飼うことは禁止されてい
た。僕は、ハムスターの子がとても欲しかったけれど、やっぱりあ
きらめた。
 帰り道、ヤマグチ君は急に僕の前に立ち止まると、ニヤニヤしな
がら握りこぶしをぐいと突き出した。こぶしをぱっと開けると、中
にはハムスターの子がいた。ヤマグチ君はハムスターの子を盗んで
来てしまったのだ。僕はすっかり困ってしまい、目に涙が浮かんで
きた。僕の家ではハムスターは飼えない。返しに行っても三浦君に
何といって説明したらいいのだろう。
 ハムスターを僕の目の前に突き出すと、ヤマグチ君は怖い顔をし
た。僕が首を横に振ると、ヤマグチ君は、親指と人差し指でハムス
ターの首を絞めた。ハムスターは、キーという鳴き声をあげて、小
さな手と足を引きつるように動かすと、そのまますぐに静かになっ
た。手と足がまだかすかに震えているのが見えた。ヤマグチ君は死
んだハムスターを握りしめて、ハムスターの首をひねった。二度も
三度もひねると、ハムスターの首はちぎれかけてぶらぶらに伸びた。
首をつまんで自分の目の前で揺すると、ヤマグチ君は僕の目を見つ
めながらニヤリと笑い、ハムスターに下の方から食いついた。
 僕の口の中は血の味でいっぱいになった。僕はおしっこを漏らし
ていた。暖かい液体が左側の太ももを伝い靴の中まで入っていった。
いつの間にかヤマグチ君は家に帰ってしまい、僕は泣きながら不愉
快な足を引きずって家まで帰った。涙と鼻水を拭うと、セーターの
袖口にはハムスターの毛がついていた。
 
 その晩、ヤマグチ君は僕の部屋に帰ってきた。ヤマグチ君はひど
く怒っていた。僕が好意を無にしたからだ。だから、ヤマグチ君は
お仕置きをしに戻ってきたのだ。ヤマグチ君は僕の手をおさえつけ
るとカッターナイフを取り出して、僕の腕をすうっと横に切った。
「やめて、お願いだからやめてよ」
 僕は目の前のことが信じられなかった。いくらヤマグチ君でも、
こんなことをするなんて。ヤマグチ君はおかしくなってしまったん
だ。血が溢れ出してきた。僕はこれが夢だと思った。こんなことが
起こるはずはない。そうだ、これはきっと僕の夢なんだ。そう思う
と、眠くなって僕はいつの間にか眠ってしまった。しかし、次の朝
目覚めてみると、乾いた血にまみれた傷がひとすじ僕の腕に残って
いた。
 
 それからヤマグチ君はずっとぼくについて来るようになった。僕
がヤマグチ君のことを少し嫌いになったことがわかったのだろうか。
学校でも教室の後ろにずっと立って僕のことを監視している。いつ
も僕のことを怖い顔をして睨んでいる。

 その日は、僕と美樹ちゃんが日直だった。僕たちはみんなが帰っ
た後、教室を点検して学級日誌を書いていた。僕が最後のところを
書いていると、美樹ちゃんの叫び声がした。顔を上げて見ると、ヤ
マグチ君が美樹ちゃんを後ろから抱きしめていた。ヤマグチ君は、
美樹ちゃんの口をふさぎ後ろに引き倒した。
 ぱちんと僕のほっぺたが鳴った。美樹ちゃんは組み伏せられて僕
の体の下にいた。美樹ちゃんの顔が僕の目の前にあった。僕の手は
美樹ちゃんの首に巻きついていた。ヤマグチ君がそれを上から押さ
えている。美樹ちゃんののどがクーという音を立てた。僕の顔を引
っ掻いていた手がぱたりと倒れた。ヤマグチ君がとても嬉しそうな
顔をして、僕に何度ももうなずいた。
 そこに学級委員の村田君が入って来た。ヤマグチ君はどこかに行
ってしまい、床には美樹ちゃんが倒れていた。
「どうしたんだよ。これは。」
 村田君が叫んだ。
 今度は僕がヤマグチ君になる番だった。僕は村田君の前に跪くと
呆然としている村田君の手を取って、口の中に入れるとガリガリと
噛んだ。