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第8回3000字小説バトル
Entry4

モニターな僕

作者 : 有馬次郎
Website :
文字数 : 3000
スバルビルの新宿の目が、いつもより大きく見えている。

今日はなにかあるなと茂仁田優は思わずニヤリとした。

35歳独身、メル友の愛人が3人ばかりいる。すべて自分の母親く
らいの年齢だ。おばさんにはとにかく受けが良い。セックスなしの
シックスナインで毎月15万円ほどのおこずかいをせしめているが、
最近これにも飽きてきた。

広告代理店から内装デザイン会社へ転職して、早2年目が過ぎ様と
している。
今年に入って外回りの営業に出ることがめっきり増えてきた。

半年前のあの初体験からすると余裕の笑みさえ浮かべるようになっ
た自分に気付く。キャッチセールスならぬキャッチモニターだ。

灰色の公衆電話もこの時間はところどころ空いている。正午前の新
宿駅地下道は、バッファローの群れみたいに人々が一斉に飛び出し
てきて大混乱となる。
だから、いま午前11時。快晴。まさにモニター日和なのだと彼は
深い洞察力からくる確信に満ちて、スバルの目に向かって歩き出し
ていた。

一歩、一歩確実にゆっくりと歩を進める。それもなるだけ目立つよ
うに。

居た。やってるやってる。茂仁田は唇の端を微妙に歪めほくそ笑ん
だ。
スバルの目の前に5、6人のおばさん達が、首からマーケットリサ
ーチの会社のカードを下げてモニターを物色中だ。これを業界用語
で網を張ると言うらしい。

ほとんどが40歳代と相場が決まっている。
だってそうだろう。狙った獲物は逃がさない自信と、心臓がミンク
の毛皮を羽織っているぐらいの迫力がなければ、ノルマはとうてい
達成出来ない仕事だ。

特に、押しと引きの絶妙なバランスを備えたおばさんは、タイミン
グのはかりかたとアプローチが実にうまい。

「あら、残念ねぇ、15分ぐらいでもダメ?現金1000円のお礼
 が出るのにィ」の殺し文句で、近くに隣接のモニタールームへ次
から次と、獲物を引っ張り込んでいく。

「あの、すいません。お時間15分くらいいただけます?」
おばさんがカニ歩きで、ササッと斜に近寄ってきたのを茂仁田は見
逃さない。もう逃がさないわよの目つきは、メル友のおばさんで経
験済みだ。

「ええ、まあ」と取り敢えず軽くフェイントでかわした。
さっと右腕ににじり寄り、おばさんは小声でパンフレットの説明を
加える。蚊の泣くような妙がある。

「お礼に1000円分の図書券がでます。うふ」
「まあいいですよ」と半分納得した顔で答え、腹の中で呟いた。
(チェッ!さっきのゴールデン街と同じ図書券か)
つまり、今日2回めのモニターということになる。

モニタールームでは20人くらいのヒマ人サラリーマンや大学生風
や主婦やらが机上でアンケートを懸命に記入していた。

ほお、前にもやったことのあるマクドナルドの新製品の試食とは有
り難い。丁度腹も減っていたところだと茂仁田は内心喜んだ。

「食べながらで結構ですから」と、さっきのおばさんも横に座り質
問チェックしていく。
「このペ−ジ記入し終わったら、次ぎへ進む前に手をあげて知らせ
 てください」

しばらくして、はい、と手をあげた。

「イエスとお答えになった味とは、どのような味ですか」
「う〜ん、筆舌に尽くしがたいとでもいいますか」
「何それ?どんな味」両目は三白眼で、口は鯉のぼりみたいだ。
「別の表現を用いるなら、思わず息を飲んだとか」
「もっと具体的じゃないと、おばさんわかんない」年甲斐もない弾
んだ声だ。

「なんと言ったらいいのか、パンのバンズに挟まるミンチカツとぺ
 ースト状のソースが思ったよりあっさり味で、ホタテからとった
 ような深い旨味分が、じんわりと効いているといいますか......」
「なぜ、ホタテとわかったの!?」興味津々の目つきだ。
「そのての味には精通してますんで。ふふ」
「それで、どんな風にじんわりと効くのかしら」
少しずつおばさんはにじり寄ってきて、茂仁田の右耳にあつい息を
吹きかけてきた。

「とにかく、森林浴のフィトンチッドの成分がストレス解消に効果
がある様に、微妙な食感を通じて間脳視床下部中枢を弛緩させ、そ
こはかとなく効いてくるといいますか......」
自分でも何を言っているのか訳わかんなくなっている茂仁田だった。

おばさんは、いつの間にか左手をさりげなく茂仁田の右太ももの付
け根部分にのせて、うっとりとした表情をつくっている。

「間脳なんとかを刺激するのではなく、解放する感じね。ああ、な
 んだか私も味わってみたいわ」
ここまでくると、知ったかぶりが完全な博学を、見事に乗り越えた
予感すら漂う。

「そんな経験ありません?」
こうなると、どっちがモニターなのかわかんなくなる茂仁田だった。
「ないわ、ここ10年くらい」
「そりゃお気の毒だ」さりげなく今度はカウンセラー口調で呟く。

「なんと言いますか、絶頂すなわちエクスタシーにより近い、行っ
たら戻れないような、リラックス感なんですよ」
ここまできたら、詐欺師だ。

「エ、エ、エクスタシー?そんなにすごいの」
おばさんの瞳は濡れそぼり、虚脱したような表情に変わっている。
「まわりの皆さん、どんどん書いてますけど、僕らは先に進みま
 せんね、いいんですか」
「どうでもいいのよ、そんなことは。それで、それで先を話して」
哀願の表情までして、催促してくるおばさんだ。

「海よりも深い悦楽と山よりも高い煩悩そのものが揺れ動き...」
もう完全に茂仁田は迷路に足を踏み入れている。

「あはーっ!海と山までとうとう持ち出してきたのね。そして...」
おばさんは何を思ったのか、そう叫んで机にひれ伏し、しばらく動
かなくなった。こころなしか、ピクピクと痙攣したように見えた。

おばさんを無視して、首尾よくアンケートの記入を済まし、席を立
とうとする茂仁田の足を、だれかがムンズと掴んだ。
驚いて振り返ると、おばさんがにっこりウインクした。

「まだ、終わってないでしょ」
「はあ」呆れ声で応えると、おばさんは何を感違いしたのか、突然
うわずった声で賛美し始めた。
「あなたはモニターの中のモニターよ!」
その声に気付いたまわりのモニター達が全員立ち上がりモニター会
場は拍手渦巻く大喝采でうまった。
他の職員までもが賞賛の眼差しで見守っている。

こんな経験は生まれて初めてだと、茂仁田はまわりに頭を下げて、
拍手に応えながら感動していた。

なんで今まで気付かなかったんだよ。オレこそがモニターだよ。
(オレはキングオブモニターなんだ)
ネジのはずれてしまった茂仁田は、高揚感に浸りながら、明日から
会社はやめだと即断していた。

まずは『モニターの心構え』という本を書こう。
それからローテーションを組んで、モニター三昧の日々だ。ワイン、
缶コーヒー、ウィスキー、歯磨き、携帯電話、パソコン、戸建住宅、
分譲マンション、なんでもありだ。

「ねえー待ってよ!」
そそくさと、出口に向かう茂仁田を、さっきのおばさんが息を切ら
せて追ってきた。

「あなた、1000円分の図書券いらないの」
「さっき、もらいましたよ」
「いいのよ。この図書券2枚は私のサービス」
おばさんの半開きの口に赤い舌がのぞいている。
券を見ると、メモ書きみたいな字があった。
[私のモニターになってね。電話待っています。さちよ]

去って行くおばさんの後ろ姿を追いながら、ため息混じりに独り言
した。
「当分は、二足のわらじになりそうだな」

茂仁田は、映画『ローマの休日』のラストのグレゴリーペックの足
取りで、ビルの長い廊下をゆっくりと歩いて出ていった。

靴音のシンクロする中、複雑な泣き笑いの表情をして。