第1回 耐久3000字バトル 第1回戦

エントリ 作品 作者 文字数
1(本作品は掲載を終了しました)ウーティスさん
2陰謀の花園アレシア・モード2700
3廃部ブルースLORTO3000
4海辺の王国ごんぱち3000



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エントリ1         ウーティスさん


(本作品は掲載を終了しました)




  エントリ2 陰謀の花園   アレシア・モード


 一面の花、視界のすべてが、花、花、花……

 見渡す限りの大地が、柔らかな薄紅色の花に覆われていた。
 女性レポーターが歓声をあげる。演出ではない、自然に沸き上がった声だ。ビデオカメラはすでに回り続けている。
「皆さーん! 私はいま、ツルテン共和国に来ています。そしてここ、ここがあの、有名なドゥーラの大地なのです」
 足下から地平線まで広がる色は、ドゥーラと呼ばれる小さな花の群生だ。無数の花が視界の果てまで咲き乱れ、薄紅色の大地を成しているのだった。

≪――ドゥーラの大地。古くは聖書の時代から伝えられる花の大地である。その美しさから地上の至宝とも呼ばれる。現在はツルテン共和国の厳重な保護下にあり、立ち入りは厳しく制限されている。(ナレーション:窪田等)≫

「通常、この区域は取材を禁じられているのですが、今回、この番組のため、特別に政府の許可をいただきました」
 レポーターは心底嬉しげに花の中を進んでいく。その姿を追うカメラ。
「美しい、まるで天国のよう……」
 その時突然、怒鳴り声がレポーターの声を遮った。
『スト―――――ップ!』
 レポーターは身を強ばらせ立ち止まる。
『ドーント・オーヴァ! ☆☆☆匚冂卍⇒丗!』
 ツルテン語で野太い叫びを上げ続けているのは、このドゥーラの管理を担当する役人、国家自然保護官のハーゲン氏だった。いま彼の形相のあらゆるパーツは憤怒を溢れさせ、威圧的なボディは戦車のように震えていた。その風貌は役人とか自然保護などといった雰囲気ではなく、明らかに軍人のオーラを発していた。実際、この国である程度の肩書きを持つ役人は、みんな軍の関係者なのである。
 取材コーディネータを務めるスタッフが、ハーゲンの叫びを丁寧な言葉で訳した。
「順路から出ないでください。境界を踏み越えてはいけません。ここは国家自然資産で、すいません、本来は立ち入り厳禁なんです」
「あ、はい、分かりました」レポーターは答えて頷くが、口元は不服げだった。
(なによ。ちょっと近づいただけよ)
「ええー、じゃ次」ディレクターが手をひらひらさせながら言う。「地元青年にインタビュー」
 屈強な「自然保護員」たちに連れられ、貧相な若者が何やらペコペコしながら現れた。そのTシャツのプリントは大統領の肖像画だった。
 レポーターは心の中で秒読みし、気合を溜め、笑顔を調製すると一気に言葉を発した。
「ドゥーラはッ、今が見頃なんですねッ?」
「はい、そうです(声:羽多野渉)。ドゥーラは一年中咲き誇っていますが、今が最高の季節ですねぇ。どこまでも続く薄紅色の花の絨毯は、まことに国の誇り……」
 ここでハーゲンが再び咆哮をあげた。
『フンガァァァ――☆☆☆匚冂⇒丗!』
「ひいいッ」
 地元青年とレポーターは、揃って飛び上がった。
「わ、カット」
「ちょ、今度は何怒ってるのよ、あのオッサンは!」
「さっきの彼の言葉……ええ、花の絨毯ですか、えっと……国家自然資産を敷物に例えるな、と」
「はああん? それで撮影ぶち切ったの? 意味分かんねッ」
 一通り怒鳴りまくった保護官は最後に何度か咳払いをし、ロレックスぽい腕時計をゆっくりと見ると右手を挙げてこちらを向いた。
『オッケー、ユーアパーミション、オーヴァ。☆☆☆З乂匚冂⇒丗!』
「ええっ?」
 コーディネータは慌てて何か訴えたり、何か見せたり、何か差し出したりしていたのだが、やがて沈痛な面持ちで引き上げてきてこう言った。
「……すみません、撮影許可はここまでです。撤収しましょう」
『テッシュー、オーヴァ☆?』
「終わりっすか?」
 自然保護員たちが、壁となってカメラを遮った。


 首都へと帰る車の中で、レポーターはハーゲン保護官をなじり続けていた。
「何がオーヴァ☆? っすか? 取材は三十分の約束だったのに、嘘つきでしょ。だいたいあいつの髪型、ちょっと変じゃない? あれ絶対、ヅラでしょ? でしょ?」
「髪型は関係ないです……」ディレクターが苦笑する。
「でも普通はもっと、サービス精神持つでしょ普通。他になーんの自慢もない国なのに」
「ま、とにかく、それだけ大事にしてるんですよ。それだけの価値はある」
 ディレクターはやや取り成すように言った。この国での外国人の会話は、車の中でさえ政府が盗聴している、というのは真実か否か分からぬ噂に過ぎないが。
「すいません」コーディネータが詫びた。「私の調整不足で、迷惑かけました」
「いや、問題なし、必要なだけは撮れました。あとは編集で大丈夫」
 ディレクターは微笑んだ。
「何より、この絵さえあればもう万事OK、感謝してますよ!」
 手元の液晶モニターに映る薄紅色の絨毯、一面のドゥーラの花、花、花……。


 一方その頃、ハーゲン国家自然保護官は、部下たちを怒鳴っていた。
「さあ早く、この暑苦しいものを外すんだ(声:玄田哲章)。急げ、蒸れるだろ。蒸れるのが一番悪いんだ。馬鹿ッ、丁寧に外せッ、一本でも抜けたらどうする、貴様、地獄に行きたいか」
 取材スタッフの帰った平原で、数十名の兵士がシートを撤去している。TV撮影のために平原を覆っていた、人工ドゥーラのシートを外しているのだ。シートの下から姿を見せた自然のドゥーラは、貧相で、薄くまばらで、平原の少なからぬ面積はその赤い地肌を剥き出しにしているのだった。
(ああ……昔はたっぷり茂ってたのにな)
 ハーゲンは嘆息した。
 海外から取材が来るたび、この「ハゲ隠し」をやる。いくら取材料をふっかけても来る奴は来るし、世界的名勝を隠し続ける訳にもいかぬ。だからこうして時々、カツラを被せてでも披露してやる。
 ハーゲンはまた嘆息した。
「ああ……よし、外したところから順に屋根を置くぞ」
 シートを撤去したら、紫外線対策屋根を設置する。これがドゥーラの標準装備であり、近年の強い日差しからドゥーラを守るのだ。さらには人工衛星からの盗撮を防ぐ目的もある。
(決して、決して、無造作に人目に晒してはならん。そして何としても甦らす……)
 ハーゲンは汗を拭う。
 ドゥーラはこの国唯一の世界の至宝、もしも万一失えば、強固な現大統領の立場もさすがに危うい。だがその前に、ハーゲンの首が文字通りに飛ぶ可能性が高かった。
「保全作業、開始しろ」
 その手順は複雑化していた。シャワー洗浄、土壌のマッサージ、育成剤の噴霧、そして音楽。
(音楽? 音楽って何だっけ……。ああ、ストレス解消の環境音楽か)
 馬鹿馬鹿しい。次は祈祷師でも呼ぶか。
 ハーゲンは二度三度と嘆息しながら、ドゥーラの花を形取った奇妙な髪型――キャンペーン用のカツラを脱ぐ。細い髪がまた何本か抜け落ち、風に舞った。







  エントリ3 廃部ブルース   LORTO


 私立野村高校生徒会室の中に、張り詰めた空気が満ちる。
「――つまり、一週間以内に、合唱部員を、六名にしろってーの?」
 軽部大地は、聞き返す。
 笑顔が似合いそうな顔立ちで、茶色がかった髪をしており、詰め襟の制服をほんの少し着崩している。
「そう」
 静かに生徒会長の空知亜弓が頷く。漆黒のショートヘアで、美人と言って良い顔立ちだが、男子生徒よりも一回り背が高く、全体的にがっしりした印象がある。
「部活動規定を正しく適用したら、そうなった」
「一週間ってのは、ちょっと短くねーか?」
 大地は笑みを浮かべようとしているが、表情は引きつっている。
「生徒会予算が大幅に削減されてる。ない袖は振れない」
 他の生徒会役員達は、興味がなさそうに書類の整理をしたり、パソコンに向かったり、各々の仕事をしている。
「分かったよ、集めるよ、集めりゃいーんだろ!」

「……てな事があった訳だが」
 蒸し暑い合唱部部室で、大地と部員四名が車座になる。
「部員、なぁ」
 二年の木戸光俊は、大きく溜息をつく。
「もう部活入る一年は決めちゃってるからな」
 三年の社彰が制服のボタンを弛める。
「新歓もさっぱりだったっすからねー」
 二年の狭間真琴は胡座を組み直す。
「……狭間、座り方に工夫をしろ」
 彰が眉をひそめる。
「あ、サーセン」
 真琴はめくれかけたスカートの裾を戻す。
「がはははは、細かいな、社」
 三年の服部が笑う。
「後一人なんだけどな」
 大地は大きく溜息をつく。
「……あの、ぼちぼち良いですか?」
 部室の戸口から、一人の男子生徒が顔を出す。
「わーったよ」
 大地達は立ち上がり、楽譜や、資料、私物類を入れた段ボールを抱え、部室から出て行く。
 入れ替わりに、三角巾とマスクにジャージ姿、手には掃除道具を持った生徒達がゾロゾロと部室に入って行った。

 大地達は、段ボール箱を抱え、生徒用の通用門から出る。
「……つか、おかしくねぇ? 普通、猶予期間の一週間の間に、ドラマティックで劇的な色々があって、どうした訳か以前より桁違いにレベルが高い世界を狙える部に生まれ変わるってフラグじゃないのか?」
 大地が呟く。
「現実にはそんな事はねーよ。どこの逆境ナインだ」
「奇跡なんてそうそうナインだ、がははははは!」
「……ポカポカと殴るぞ、服部」
 大地達は学校脇にある駄菓子屋にやって来る。昭和の木造の平屋で、かなり古びている。
「いらっしゃい」
 店主がぼそりと挨拶する。七〇代とも八〇代とも取れる女だった。
 店内は、入り口のすぐ脇に駄菓子類の棚と、ジュース類の入った業務用冷蔵庫が置かれ、奥にはテーブルが一つある。
「うどんお願い」
「オレも」
「ぼくもだ」
「俺もっすね。大盛りで」
「がははは、おれもだな、大盛り」
 注文をしつつ、代金を渡す。うどんが一五〇円、大盛りが二〇〇円。
 大地達は、がたつくテーブルを囲む。狭い店内に無理矢理置かれている為、五人座ると身動きもし難い。
 五人はじっと黙り込む。
「はい」
 店主が小ぶりな丼に入れたかけうどんを持って来る。
 業務用の茹でうどんを湯通ししてつゆに入れ、刻み葱と天かすを放り込んだだけの簡単なたぬきうどん。麺は、普通盛りが通常の半玉、大盛りが一玉。
「潰れたなー」
 大地がうどんをすする。
「潰れましたな」
 光俊はうどんに唐辛子を振りかける。
「お前ら、これからどーする?」
 大地は皆を見渡す。
「え? 家帰りますけど」
 真琴がうどんをすする。
「……そういう話じゃないって」
 彰が苦笑する。
「ぼくは、そうだな」
 うどんの湯気が立ち上る。
「受験に専念するよ。元々Nコンで引退予定だったし、八月引退がと五月に繰り上がっただけだし」
「がははは、受験生はご苦労な事だ!」
「おめーもだろーが、服部」
「いやぁ、おれは推薦狙ってるからな」
「マジで!?」
「マジっすか!」
「あー、お前、成績意外といーんだよなー」
 大地がうどんのつゆを飲む。
「勉強の出来るキャラって、もう少しこう、メガネで参考書片手で、冷静沈着なイメージがあんだけど……」
「うち、そこそこ進学校だからな。抽んでるヤツはガリ勉タイプじゃなくて、天才・変人タイプが多いんだよ」
 彰は食べ終えた丼を店主に返す。
「……でも、社先――みんなと一緒に歌いたいっす」
「まーな」
 大地は呟いて、うどんをすすった。

「ただいまー」
 自宅であるマンションに大地は帰って来る。
「お帰り、大地」
 母親の花枝が出迎える。
「わ、にいちゃんだ!」
 幼稚園の制服を着たままの弟の新太郎が奥の部屋から出て来る。
「ただいま、新太郎」
「その荷物って」
 花枝が心配そうな顔で、大地の持っている段ボールを見る。
「ああ、廃部。昨日付だけど、今日部室引き払った」
「そっか……残念だったわね」
「まあ、どうせおれは受験だからいーけど」
 大地は自分の部屋に行き、段ボール箱を置く。来るとはなしに、花枝も付いて来る。新太郎は、気配を察してか、リビングに引っ込んでしまった。
「後輩と、OBの先輩達には、申し訳なかったな」
「そう……」
 床に置いた段ボール箱の、封をされていない蓋を開ける。
 中には、緑色の背をした合唱の楽譜がびっしりと詰まっていた。
「それ、どうするの?」
「ゆっくり考えるよ」
 大地はベッドに寝転がる。
「ご飯出来たら、呼ぶからね」
 花枝は部屋を出て行き、ドアが閉まる。
「どーすっか、なぁ……」
 大地は仰向けで寝転がったまま目を閉じ、何度か寝返りを打ってから、目を開ける。
 目の端には、段ボール箱が見える。
 目覚ましの置き時計の針は、十六時四十分を指していた。
「……まだ、発声も、終わってない時間、だな」
 もう一度、大地は時計を見る。
 十六時四十一分になっていた。

 翌日、帰りのホームルームが終わり、生徒たちが部活に出たり、帰ったり、思い思いに席を立ち始める。
 大地はバッグを引っ掛け、廊下に出る。
 生徒が行き交う廊下を、大地は大股で歩く。
 三年生の教室のある三階から、階段を降りて二階へ。
 そのまま一階へは降りず、廊下に出る。
 昇降口の上に当たる位置に、音楽室がある。音楽室内では、吹奏楽部の部員が、譜面台を立て、パート練習を行っていた。
 大地はその前を通り過ぎる。
 そして、旧校舎へ通じる渡り廊下に差し掛かったところで、大地は立ち止まる。
 窓を開け放してから、バッグを置く。
 バッグの中から、アンプ付きスピーカーを接続した携帯プレイヤーと楽譜、それからピッチパイプを取り出した。
 ピッチパイプで音を出し、その音を基準に発声を始める。ひとしきり声を慣らした後、携帯プレイヤーを再生すると、合唱曲の伴奏が流れ始める。
 大地は歌い始めた。
 コンクール用に音を取っていた、課題曲と自由曲の二曲。
 歌い切れていない部分を何度もやり直す。
 部のあった時と同じ、練習だった。
「……歌は、どこでもいつでも歌えるもんな」
「やるなら最初から呼べ、軽部」
「そうっすよ」
「だよなー」
「がははは、そうだそうだ!」
 いつの間にか、部員達が集まっていた。
「お前ら」
 大地は頭を掻く。
「でも、発表の場、ねーぞ? ただ、練習するだけだ」
「そういう事はな」
 彰がにんまり笑う。
「歌いながら考えようぜ」
 皆小さく頷いて、並んで立つ。
「じゃ、発声からいこうぜ。社、頼む」
「最初はストレッチだ」
 セミの声は一層大きくなり、まとわりつくように熱い午後の空気が辺りを満たしていた。







  エントリ4 海辺の王国   ごんぱち


 昔、海辺に小さな国がありました。
 領地には、美しいけれど時折荒れる海と、深い森があり、周りの国も攻め難く、人々は平和に暮らしています。
 その国の王子様はある日、船遊びをしている時に海に落ちてしまいました。
 王様は兵隊を使い、三日三晩探しましたが見つかりませんでした。
 そして四日目の朝、岩場に打ち上げられている王子様を、貴族の娘が見つけました。
 娘の適切な手当てのお陰で王子様は一命を取り留めました。
 王子様の感謝の気持ちは、いつしか愛情に変わり、娘をお后として迎える事になりました。娘もまた、王子様の優しく誠実な人柄に、強く惹かれていました。
 王子様の結婚を、王様も、国民達も、大いに喜びました。

 それから何年かが過ぎました。
 王子様は、今日も目を覚まします。
「おはようございます、王子様」
 女の召使いが二人入って来て、王子様とお后様の着替えを手伝います。
「ん、君は」
 王子様は召使いの一人の顔をまじまじと見ます。
「新しい召使いでございます。声が出ませんので、御無礼があるかとは思いますがご容赦下さい」
 いつもの召使いが言うと、新しい召使いは黙ってお辞儀をします。
 新しい召使いは、切り散らかしたような短い髪をしていました。
「そうかい。よろしくね」
 王子様はにっこりと微笑んで、服に袖を通しました。

 着がえて朝食を終えた王子様は、歳を取った王様に代わって執務室で仕事をします。
「王子様、商会の方から、街道に出没する山賊の対応の依頼がございますが」
 大臣が、書類を読み上げます。
「騎士団を向かわせてる筈だよね?」
「はい。けれど、騎士団に気づくと賊は隠れてしまうようで」
「ふうん……だったら、もう少し数を少なめにしようか」
「え? それでは……」
「商隊に紛れこませよう。一ヶ月も続ければ、山賊にも出会すだろう」
「ああ、なるほど!」
 大臣は納得した顔です。
「それから次の件です。教会からなのですが、中央通りの石畳がグラつくようで――」
 王子様は次々と仕事をこなしていきました。

 お城の、海に面した屋上で、王子様とお后様は昼食をとります。
 給仕をする召使いは、いつもの召使いと、あの新しい召使いでした。
 王子様はパンを食べながら、海を眺めます。
「どうなさいましたの? あなた」
 お后様が尋ねます。
「うん……昔は、よく海で遊んだな、って思ってね」
「たまには船遊びも良いのではなくて?」
「仕事の区切りが付いたらね」
 新しい召使いが、王子様のカップにお茶を注ぎます。
「ありがとう、丁度欲しかったんだ」
 新しい召使いは、小さく頭を下げて、逃げるようにテーブルの端の定位置に戻りました。

 それからもうしばらく経って、王様が亡くなりました。
 ほとんど全ての仕事を王子様がやっていたので、国民達は悲しみはしましたが、困る事は何もありませんでした。
 王様になった王子様は、夜になっても明かりを灯した執務室で仕事をします。
 喋らない召使いは、王様にお茶を淹れます。
「ありがとう」
 王様はペンを置いて、お茶を飲みます。
「ミントを入れたんだね。すっきりして目が醒めるよ」
 召使いは小さく一礼して、部屋の隅に控えます。
 王様はまたペンを取り、書類を確認してサインをしたり、新しく書類を書いたり、仕事を続けます。
 窓越しに、波の音が聞こえていました。

 王様の丁寧な仕事は、国を少しづつ良くして行きました。
 国民の暮らしは少しづつ楽になり、問題は減って行き、そして、王様の仕事も少しづつ減って行きました。
 海に面した屋上で、王様とお后様は昼食を取ります。
「あなた、最近は少し余裕が出来たのではなくて?」
「そうだね」
 肉を食べた頃合いにパンとスープを、それを食べ終えた頃合いにお茶を。喋らない召使いは甲斐甲斐しく、それでいてせわしなくは見えないように王様のお世話をします。
「今度、船を出して昼食を取るのはどうかしら?」
「いいね」
 王子様は空になったカップを置きます。
「今度は落ちないように気をつけなきゃね」
「本当。他の女性に助けられてしまっては、大変ですもの」
 二人は、笑いました。

 半月が経ちました。
 昼、王様とお后様は、海に船を出しました。
「うわぁ、見渡す限りの海だ」
 王様はウキウキしながら、甲板に寝そべります。
「まあ、あなた、なんてこと」
「やってみてご覧よ。全部が海と空だよ」
「ふふっ、子供みたいなんですから」
 お后様も隣りに寝転がります。
 空が見えて、海が見えて、他には何にも見えません。どこまでも世界が広く見えるのです。
「ああ……風が気持ち良いな」
「そうですわね……」
 二人はそうやって寝転がっているうちに、どちらともなく寝息を立て始めました。

「……ん、ん?」
 王様は、誰かに揺さぶられて、目を覚ましました。
「ん?」
 揺さぶっていたのは、喋らない召使いでした。
 船遊びに付いてきた御付の者のうちの一人です。後は、船長と船員が四人だけ。それも、昼寝の最中のようです。
「どうしたんだい?」
 召使いは、王様の袖を引きます。
「そっちへ行くのかい?」
 王様は引かれるままに、船縁へ行きます。
「海に何かあるのかい?」
 王様が海を覗き込んだ時。
 召使いは王様の腰の剣を引き抜くなり、王様の胸に突き立てました。
「!」
 胸から狙いが逸れて、お腹を貫きます。
 返り血が召使いに飛び散りました。
 するとどうでしょう。
 召使いの足が、姿を変え、魚のヒレのようになっていきます。
「きみ、は……人魚……」
「そう。あなたに恋し、想いを告げられずに水の泡になった娘の、姉よ」
「人魚……そうか、あれは、夢じゃ、なかった……助けてくれたのは……」
「あなたに会う為に、妹は魔法使いに頼んで二本の足を手に入れた。けれど魔法の呪いで、あなたの心を手に入れ人になるか、さもなければ殺して血を浴びて人魚に戻らなければ、水の泡となって消えてしまう運命だった」
「君の、その、髪の色、瞳の輝き……似ている……いや、そっくり、だった、の、か……」
「私は、魔法使いに頼んで足を手に入れ……妹を死に追いやったあなたを」
「それで、あの子に、償える……なら」
 王様はゆっくりと船縁に倒れ込み、そのまま海に落ちました。
 海には赤い血の色が浮かび、王様は浮き上がっては来ませんでした。
「貴様、何をしたあああ!」
 船員達が剣を持って、召使いに襲いかかって来ます。
 召使いは、身体を切り裂かれながら、海に飛び込みました。

 王様の血は、海に広く、どこまでも広がって行きます。
 そして、水の泡と混じり合いました。
 水の泡は集まって、どんどん集まって、一人の人魚の女の子の姿になりました。
「……あ、あれ?」
 人間に恋をして、水の泡になってしまった筈の人魚姫。
「わたし……水の泡になって、それから……それ、から……」
 水の泡だった間の事を、覚えてはいませんでした。
「王子様は、やっぱりあの女の人と暮らしているのかしら」
 寂しそうに呟きます。
「でも、それは仕方がない事なのかしら」
 ほぅ、と、溜息をつきます。
「そうだ、姉様達にはすごく心配かけてる筈ね。まずは戻りましょう」
 人魚姫は元気よく泳ぎ始めます。
「王子様の事だって、魔法使いのお婆さんに、相談したら良いわ」
 どんどんスピードが出て行きます。
「だって、水の泡になった筈のわたしが、元に戻れたんだもの」
 人魚姫は、懐かしい海の底へと泳いで行きました。








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