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第7回チャンピオンofチャンピオンバトル小説部門 Entry8

春、立ちぬ


 春立ちて、急にぽかぽかとしてきた。
 おとといまでの雪も嘘のようで、縁側に座っていると方々の屋根から雪の落ちる音がする。このまま暖かくなってくれればと思うが、早朝のニュースでは週末からまた雪だという。大学生になる孫の雪絵も春休みでいまごろ白馬だというが、生まれたときの大雪を考えればその通りに育ったということだろうか。
 庭の茂みからとら猫のミーがやってくる。雪のないところを選んでのしのし歩いてくる。太り肉の前足を窮屈そうにさせて、縁側に飛び乗るとずん、と尻が震える。あんたまた太ったんじゃないかい、頭を撫ぜると、ミーはわたしのしわしわの手を舐めてくれる。あんまり熱心に舐めるものなので少々不安になって、そんなもの美味しくないんだからね、というと諦めたように横で丸くなった。危ないところだったかもしれない。

 電話があって、また縁側に戻ってきた。ああ忌々しい、また横溝の婆さんからだ。あの人はうちのひとが生きていたときからさんざん色目を使いやがって、そのまんまうちのひとが生きていると思っているのだ。あら、奥様いらっしゃったんざあますか、だなんて苦々しげな声。厭だわ。それでまた、旦那様はどちらへお出かけなんざますのだなんて聞いて。私もいい加減いやになって「お生憎様ですけれどもね、うちの主人は去年くも膜下で死にましたのよ」って云ってやるんだけど、あの人なんていつもこうよ。「あれ、それは全く存じませんで。お力落としでございましょうがご愁傷様でございます。ああ、それでは今すぐにでもお参りさせてくださいな、ねえ、後生ですから、ねえ!」
 それでこっちの都合も聞かないで電話を切っちゃう。
 ああ全くいやになる。この年になると足腰も立たないし、寒いと出かけたくないし、雪が降ると足元が危なっかしいから出られないし、せっかく出かけようと思ったのに。
 これというのもアレよ、うちのひとがしっかりしないから、しっかりあの色ボケ婆さんをちゃんと断らないから! ああもうなんだってそんな仏壇の暗いところでひっそりと笑ってるのよ陰気臭い。あんた仕事は人一倍出来たけどそれ以外の事ったらからっきしなんだから。ああ、もう横溝の婆さんが来ちゃうわ。なんかお茶菓子はあったかしら、それよりもお客用のお湯呑みはどこへしまったかしら。ほらミーや、そんなところで寝ていたら私がつまづいて危ないでしょう。ああもう、周一さんの女ったらし!


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