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1000字小説バトル 3rd Stage
チャンプ作品
『記憶』小笠原寿夫
 アパートの階段を降りると、にちゃにちゃしたものが自転車置き場の自転車のハンドルにくっついている。恐らくは近所でサッカーをして遊んでいる子供たちが遊び半分でつけたものだろう。コロコロと転がるサッカーボールはどこにも見当たらない。私がつけたものなのかもしれないが、その記憶も定かではない。自転車のサドルに腰を落ち着け、ペダルを踏むと、その車輪は地面を滑るように走り出す。今、私が存在していた場所を忘れるようにして自転車は地面を滑ってゆく。
 ありのままの姿で存在するものなんて世の中には存在しないも同然である。
 それを踏まえた上で我々、人間の生活は成り立っている。
 記憶。
 人間にとってそれこそが凡てだが、それは日々、変化してゆくものである。自転車を必死で漕ぐ私。転がる車輪。手についたにちゃにちゃしたもの。力強くペダルを蹴る私の足と共に回る自転車の車輪。風景を切り裂くように後ろから前へと自転車は速度を上げてゆく。そして、過去から未来へと。
 人は忘れゆく生き物である。
 記憶を遡れば、何かを思い出すことが出来るのかもしれないが、それは今という時間の中での私の記憶。幼少の頃の記憶とは程遠い現在の記憶。記憶というあやふやなものを根底に我々、人間は生きている。しかしながら、それを記録に残すことは不可能である。記憶というものは時間が進みゆくに連れ、薄らいでゆくものだから。ペダルを漕ぐエネルギーに反比例するように時間は流れゆく。自転車の運動量に反比例するように自転車の位置は変化してゆく。私のエネルギーが自転車の速度に変換されてゆく。時間と空間を撫でるように、自転車は風を切る。その風を全身に感じながら、私も過去から未来へ前へ前へと進んでゆく。もう後戻りはできない。自転車も時間も前へしか進まないのだから。それでも人は思い出さずにはいられない。幼き日の記憶。若き日の思い出。現在の記憶。遠い日の私。自転車のペダルを蹴る毎に、その記憶は鮮明かつ大胆に私の脳を揺さぶってゆく。自転車を漕ぐスピードに連れ、少年の頃、公園でサッカーボールを蹴って遊んでいた記憶が頭に蘇ってくる。少年時代は無邪気に笑っていられた。その片鱗も窺えない私の顔で、へとへとになった私の足は、自転車を漕ぎ続ける。もしかすると、サッカーボールで遊びながら、自転車ににちゃにちゃしたものをくっつけた子供の犯人は、幼き日の私だったのかもしれない。





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