QBOOKSトップ

QBOOKS第5回学生テーマ付き1000字小説バトル

エントリ 作品 作者 文字数
1ペインガーデン香坂 理衣1000
2童貞小笠原寿夫1000
316のころゆふな さき1000
4彼女と別れたのはきっとこの日の私の所為。歌羽深空1000
5さよならユニコーン左右田紗葵1000
6千希1000
7微熱相川拓也1000
8 鼻血マッシュルーム 安藝賢治 1000
9 贈る言葉 関口葉月 1000
 
■バトル結果発表
※投票受付は終了しました。


掲載ミス、送信時の文字化けなどございましたらご連絡ください。
その他のバトル開始後の訂正・修正は受け付けません。
あなたが選ぶチャンピオン。お気に入りの1作品に感想票をプレゼントしましょう。

それぞれの作品の最後にある「感想箱へ」ボタンを押すと、
その作品への投票ページに進みます (Java-script機能使用) 。
ブラウザの種類や設定によっては、ボタンがお使いになれません。
その場合はこちらから投票ください→感想箱






エントリ1  ペインガーデン     香坂 理衣


 ガッシャーン。何が起こったのか確認するまでもなく、俺は既に習慣になりつつあるような思いで飛び起き、ベッドの傍を見た。ああ、やっぱり。
「いい加減にしろ。もう何年経ったと思ってんだよ。」
 俺は倒れている幼馴染に向かって吐き捨てるように言った。当の本人は何が起こったのか解らないとでも言うようにこちらを見ている。ウンザリだ。
 別に人柄が嫌いなわけではないが、こいつは毎日俺を迎えに来ては必ず俺の部屋で転ぶ。ここだけでなく、外に出ると必ず転ぶ。しかも自分の家では転ばないというから始末に悪い。最近本当に病院に連れて行こうかとも思う。毎朝のように部屋を散らかされてはたまらないのだから。
「悪い光輝。また転んじまった。」
 人好きのする笑みで、修馬はそう言った。俺は何も言わずに下に降りて着替えた。朝食はいつもとらない。修馬はそれが解っていて俺が起きる前に来るのだ。母親に適当に挨拶をしてから、救急箱を持って再び上に上がった。
 これももう毎日の習慣だ。修馬もそれを解っていて下には降りてこない。
「今日はどこやった?腕か膝かそれとも顔か?」
 投げやりに言うと、修馬は黙って腕を出した。今日はコードに引っかかって腕で受身をとったらしい。受身がとれる位反射神経がいいのにどうして転ぶのか未だに理解できない。修馬の腕には擦り傷ができ、血が垂れていた。光輝は恥ずかしいので言わないが、未だに血に慣れていない。
「…何度やっても転ぶのにも痛いのにも慣れねえなあ。」
「バーカ。神経おかしくなったらマジで病院連れてくぞ。」
 痛みになんか慣れなくていいんだよ、とも付け加えた。痛みを感じない人間なんて馬鹿だ。強いのでもすごいのでもなくただの馬鹿だ。というのが俺の自論だ。
「…そうかー。痛くなくても血出たら死ぬしな。」
 修馬は妙に納得した顔でうつむいていた。毎日の転倒のお陰で、体中生傷が絶えない。修馬は笑うが、自分の家では転ばない彼は何だか本当は外に出してはいけないのではないかと時々思う。柵つきの庭に放し飼いにされているのと似ている気がするのだ。 
「…ついでに俺、遅刻にも慣れてねえから。」
 修馬の言葉に、光輝ははっと時計を見た。ギリギリ遅刻かギリギリ間に合うかという時間帯だ。光輝は修馬の腕に目茶苦茶に包帯を巻きつけ、鞄を持った。光輝はかなり不器用なので、応急処置にいつまで経っても慣れない。
「全部慣れてないってのもなあ。」
 光輝は呟いた。自分達の周りに完全なものは何一つ存在しないのだと、修馬と知り合って余計に知らされた気がする。
「光輝!お前この包帯学校着いたら巻きなおしてくれよ。取れそうだ。」
 走りながら包帯をなびかせて、修馬が言った。包帯に少し血が付いている。

「…げ。」
 血にまみれた日常、と言ってもあながち間違いではないな、と光輝は思った。






エントリ2  童貞     小笠原寿夫


 その日は小雨が降っていた。僕は一人、大学病院の精神科に向かった。待合室はどんよりした雰囲気で、例えまともな人間でも鬱になってしまうのではないかと思われた。その中で、一人、頭にバンダナを巻いたおしゃれな女性が目に付いた。18歳の僕は、何を思ったのか、その女性の隣に近づき、声をかけた。
「ちょっと喋りませんか?」
 標準語にまだ慣れていない僕は、関西弁混じりでそう切り出した。
「いえ、結構です」
 と、女性は手を横に振り、異様な人間を見る眼差しでそう答えた。
 しばらく沈黙が続く。
「こういうとこ初めてですか?」
 自分も初めてのくせに、初対面の女性に失礼な質問をしたと今となっては思う。彼女は「いいえ」と答え、また僕から目を背けた。再びしばしの沈黙が続いた後、僕がまた余計なことを言った。
「僕、初めてなんですよ」
「そうなの?」
 彼女は、少し緊張がほぐれたような声でそう言って、また黙ってしまった。
「大学生の方ですか?」
またしても、失礼なことを訊いてしまったが、その時の僕は何とも無邪気に質問していた。
「ううん。君は大学生?」
 女性が初めて僕に質問を投げかけた。僕は「はい」とだけ答え、また黙ってしまった。
「なんでこんなとこにいるの?」
 僕は、友達に裏切られた、と答えた。
「私なんか、ここに入院してたことあるんだよ」
「そうなんですか?」
 意外だった。女性がそこそこ美人だったことが何より僕の精神科のイメージと合わなかったからだ。
「入院って手術とかするんですか?」
 女性は首を横に振った。
「毎日、薬を飲むだけ」
 僕は黙ってしまった。当時の僕には、精神安定剤を飲むことに多少の抵抗があったのである。
「もう涙が止まらない時期もあった。彼氏に浮気されてね。ちょうど玄関入ったら、彼氏が他の女の人と寝てるんだよ」
 恋愛経験のない僕には、いまいちピンと来なかった。彼女もそれを察したらしく、「二人でチューしてたんだよ」と言い直した。
 頭の悪い僕は、その場で「チューしてもいいですか?」と尋ねた。女性は笑って、「それは駄目でしょ」と軽くあしらってくれた。「手だけ繋いでもいいですか?」という要求に彼女は応えてくれた。初めて女性の手を握った僕の手は汗ばんできた。不快な思いをさせていると察した僕は、「もういいですね」と、すぐに手を離した。
「君、感じは悪くないよ。ちょっとオドオドしてるけど」
 すでに、僕は、彼女に恋をしていた。






エントリ3  16のころ     ゆふな さき


 ビートルズの歌詞に、こんなのがある。
「おねがい、私の車を運転してよ」
「仕方ないな」
「でも自動車なんてないの」

 赤い流線型のフォルム。グラグラするヘルメットを押さえ、女の子は困りながら言う。
「どうやって乗りゃいい?」
男の人は振り返り、不思議そうに言う。
「どうやってって、普通にまたげばいいよ」

 女の子、みちこは異性の前で足を広げることに抵抗を感じながらも、無理やりに乗ろうと試す。男、ヒロがそれを押さえつけているにも関わらず、不安定なものは、不自然にゆれる。ザリ。内腿に、妙な感覚を覚える。一瞬何かに引っ掛かった。ジーパンでよかったと思う。もしカーゴパンツなら破けているところだ。
「乗った?」
ヒロは聞く。みちこは答えがたい。
「乗ったよ」
これで乗ったといえるのか、とても不安だった。前方に投げ出されるような不恰好。大きな跳び箱に、またがったような。なんかはずかしいなあ。そう思っているうちにバイクの姿勢が変わる。

「ひゃあ」
まるで演技をしているようなみちこの声。
「大丈夫?」
少し嬉しそうなヒロの声。
「背中をしゃんとして…」
彼はまるで親か先生のように、彼女に指導をする。
彼ら彼女らの下からは、エンジンがせかすように鳴る。
「燃費悪いんだ」
ヒロが言う。
「○○CCの車と同じエンジンなんだ」
こういったことをしゃべるとき、ヒロの口調は、とても流暢だ。けれど気が付いて、キッとやめる。
「意味分からないだろ?」
みちこの口は退化したようにしゃべる意思を失っている。これが動くということが怖いのだ。でも返事をしようとヘルメットを動かす。ヒロにぶつかる。
(何ぶつけてるんだろ?)
みちこはヒロが何か言うはずだと思った。けれどヒロはまるで気づいていないように、また、乗り方の指導をする。指導の声は叫んでいるようで、それでも後ろにいて、エンジンが響くせいで聞き取りずらかった。みちこは馬鹿っぽく、間があるたび、適当に、
「うん。」
と言った。

 二輪は動き出す。まるで牛か何かに乗っているみたいだ。捕まるものがなくて、後ろに放り出されることを何度もみちこは考える。
「怖い」
ヒロは内心うれしがる。
「大丈夫」
ゆっくり走ってあげる自分の優しさに、そしてイメージどおりのパターンに喜ぶ。

 だんだんとみちこは怖くなくなり、ヒロもそれがわかってくる。楽しい理由をヒロはみちこに教えていく。恐怖がなくなるとみちこも楽しくなる。

「もっとスピード出して」






エントリ4  彼女と別れたのはきっとこの日の私の所為。     歌羽深空


3月14日は、ホワイトデーだ。日本全国津々浦々の女子から頂いたチョコレートへこもりにこもった気持ちを、我々男子が責任とある程度の贔屓をもってお返しする日である。勿論バレンタインデーと同時に付き合い始めた彼女からチョコレートとファーストキスを貰った私も例外でなく、3月に入った頃から既に最高のホワイトデーを演出すべく構想を始めた。その構想は夢の中から卒業式練習中にまで及び、考えすぎて2、3日知恵熱で寝込んだ程だ。普通はこんなに深く考えるのはクリスマスか誕生日くらいのモンだろうと友人は笑うが、付き合い始めて間もない私達に最早そのような事は言っていられる暇はない。改めて彼女に私を惚れ直させ、私自身の男を上げる為には、この際彼女の誕生日だろうが建国記念日だろうが米騒動の日だろうが構わない。ただホワイトデーが近くて手っ取り早かっただけの話だ。しかしここでとある問題が発生した。彼女の欲しがっているものの見当がつかなかったのだ。

だが、忘れてはならない。男には素直さも肝心なのだ。ある日の帰り道、ホワイトデーに何が欲しいと聞いたところ、彼女はこう答えた。手料理が食べたい、と。
しかし、顔を赤らめて言う彼女とは反対に私は青くなった。今まで殆ど料理経験がが無く、家庭科で作った味噌汁も最早飲み物ではなく、通信簿の成績も家庭科の欄ではアヒルがスイスイと泳ぐ、そんな私が料理だと!?
しかし私は男である。いや、漢である。彼女の願い一つ叶えられないようでは、彼女になどふさわしくない。そう考えた私は、2時間前から自宅でベッコウ飴を製作中である。ベッコウ飴とは砂糖大さじ4杯、水大さじ1杯をレンジで温め黄色くとろみがついたものをアルミホイルに流し固めるだけのものである。そういうものであるはずである。しかし現時点、レンジに入れて25分たった今もそれは一向に黄色くなる様子もなければとろみがつく様子もない。いつまでもサラサラとした砂糖水のままである。さすがにコレではおかしいと思い、取り出して味を確認する。……塩水である。まごうことなき塩水である。3月14日、月曜日。日付も変わり親も寝静まった深夜、一番メジャーな間違いをした私の頭に浮かんだ事。それは彼女の喜ぶ顔より先に、今月の電気代はきっと小遣いから引かれるのであろうな、とかそういう事であった。

よし、登校前にコンビニで手作り風マフィンを買おう。それで問題無いだろう。






エントリ5  さよならユニコーン     左右田紗葵


 みんな嘘なんだ、と思った。
 この片付いた部屋も、暖かい空気も、ぬれた髪も嘘なんだと思う。たった今起こったことはあまりにも空っぽで、中身の無いことに思えた。終始目を閉じていた私には、退屈な時間だった。何よりも先に、失ったと思った。ばかみたい。
 それをしたあとに、あの人は一瞬の隙をおいてからこの体を短い時間抱きしめたのだ。芸をした犬を褒めるように、もしくは、小さな子供をなぐさめるように。
 
 とうとうしちゃったね。あの人が言った。

 目的がそれだということは、部屋に入ってからうすうす感づいていた(が、逃げもしなかった)。いつもつけられるはずのテレビはつけられず、居間にいる御家族に挨拶をしようとしたら止められた。ばれちゃいけないことをしようとしているんだろうなと思った。部屋に入れられて、お茶(多分ほうじ茶)一杯と造花のついた小さい袋に入った小粒のこんぺいとうとドーナツ屋のポイントカード2点分をもらった。座布団にもなるピンク色のクッションを前から『狙って』いるのだということを話したらくれたのだった。

 なんだか知らないけど、それをしたときから私は言葉を話しにくくある。七五三で化粧をさせられ、苦い口紅をつけられたときのような柔らかい脅迫のせいで。

 駅まで戻ろうとあの人と部屋をでると外はとんでもない大雪で、風とともに雪が吹き付けていた。はじめ、雨が降ってきて、コンビニであわてて買った268円(税抜き)の藍色の小さなビニールがさを二人でさして帰った。もっとも、さしてくれていたのはあの人で、私はもっぱらその好意に甘えていた。私のほうに傾けられた透明のかさ。私の頭上だけ夜が澄んでいる。
 藍色のビニールがさは、めずらしい。藍色のビニールをとおすと、おそろしく明るい駅の照明がきれいだと思える。買ったばかりなのでビニールは粉まみれだったが、外は暗くなっているので気にする者も無い。
 あの人が、雨が嫌いだ、と言ったので、冗談半分で言ってみた。
「雪にしてあげようか?」
「うん。」
ふと、白いものがふって来る。タイミングよく雨が霙になり、あの人はすげぇ、と騒いだ。私が本当に雨を雪に変えることができるのなら、それはあの人を喜ばせたい気持ちのなせる業だ。歩いていくうちに、霰になり、雪になり、吹雪くようになった。歩き辛いったらありゃしない。

 電車がきた。人の少ない車両に乗る。

 触れられた感触はからだから消えない。






エントリ6       千希


 ある街のある道の上。
雨でも振り出しそうな曇天の空に、何かの鳥の泣き叫ぶような声が響いていた。
道の上を行く人々はそんな陰気な空の下、やはりどこか陰気なざわめきと共に歩いていた。
 ひとりの少女が男に手を引かれていた。
握られた左手を引かれながら右手でスカートの宍色の布地を握り締め、少し下を向いて歩いていた。疲れた革靴が行き交う道の上、彼女の柔らかい靴だけがまだ埃も被らずどこかおぼつかない足取りで前へ進んでいた。
ふいに少女が顔を上げた。自分の手を引く男の横顔を見つめる。その無骨な顔は滑稽なほどに必死で、ただひたすらに前へと向かおうとしていた。
彼女がそのまま男の顔を見上げていると、男はそれに焦ったように歩くスピードを速めた。ただでさえ半分引きずられるように早足で歩いていた少女は、その勢いでつんのめって転んだ。
「…………」
男は慌てて少女を助け起こし、スカートをはたいてやる。少女はそれには構わずにただ立って、しゃがむ男の肩ごしにぼんやりと前を見ていた。

人が、流れて行く。
立ち止まる少女と男をよけて、何も無いかのように前を見て歩いて行く。
――誰も自分を見ない。誰も自分の側には来ない。誰もが自分の事だけで手一杯な、この道の上。
視界の中で人々はぼやけては滲んで、あるいはふやけるように、近づいては遠ざかって行く。
少女は自分が全てのものと切り離され、自分が1人きりになってしまったかのような、そんな感覚に陥った。転んだ膝の痛みですらも自分とは別の世界のもののように遠くにじんじんと響いて感じられ、彼女はそんな中にただ1人立って茫洋と前を見つめていた。

「…………」
ふっ、と。
自分の左手が取られた。
それと同時に、夢から醒めるように感覚が彼女に戻り、雑踏のざわめきの中でまた彼女は男に手を引かれて歩いていた。
少女は前を見た。人々はやはりこちらを見ない。けれど、男の大きな手はしっかりと少女の手を握っていた。その手はとても、とても温かく、その温かさは確かに彼女をこの世界へと繋ぎ止めてくれていた。
男は先ほどよりもずっとゆっくり歩いている。それは少し遅すぎて、少女まで歩調を緩めなければならなかった。
それでも、自分に合わせてくれようとする男が嬉しくて。
彼女は握られている左手にきゅっ、と少しだけ力を込めた。
振り向いた男に彼女は少し笑って、少し遅い、と聴こえない言葉を告げた。

――行き交う人の中、男と少女は手を繋いで、






エントリ7  微熱     相川拓也


 転校してきて最初の日のことだった。
「長田君、今日、一緒に帰らない?」
 真一は素直に「うん」と返事をした。
「松田君、だよね?」
 そう聞かれて、翔は少しはにかんで頷いた。
 帰り道、二人はお互いの学校のことや、土地のことを話しながら歩いていた。
「ところでさ、松田君趣味とかって、ある?」
「うーん、うまくないけど、チェス」
「へぇ、すごいねぇ。俺全然できないよ」
「教えてあげようか?」
 翔は真一に目配せした。真一は悪くないと思い、誘いに乗った。
「じゃあ家に来なよ。遠くないから」
 それから真一は、時間があれば翔の家に寄るようになった。翔の部屋には大きな窓があり、夕日がよく見えた。その夕日がつくる、チェスの駒から伸びる影を、真一は気に入っていた。
「上手くなったね」
「チェックしといてそういうこと言うなよ」
「あ、そこにキング動かせないよ」
「えっ、じゃあこっちしかないか……」
「はい、チェック・メイト」
「あーくそ、まだまだだな」
 翔は小さく笑った。じゃあ帰るね、と真一は立ち上がる。荷物をまとめながら、あ、でさ、と翔に言った。
「今度バスケ部入ることにしてね。来れるのが水曜だけになっちゃうんだ」
「あ……そう」
 翔は不意を突かれたように答えた。翔が予想外に落ち込んだように見えて、真一は戸惑った。
 その次の水曜日、二人はいつもと変わらずチェスをしていた。翔は普段より饒舌なようだった。翔は唐突に、
「ねぇ真一君、俺のこと、どう思う?」
 と聞いた。
「え、どうって……普通に好きだよ」
「そっか……ありがと」
 翔は背中に西日を浴びている。体が火照って軽く汗ばんでくる。チェスの駒に長い影が伸びている。カーテンを閉めようと思ったが、そのまま閉めずにいた。真一の方を見た。神妙な顔で次の手を考えている。翔は小さく微笑んで下を向いた。
 それからまた水曜日が来て、二人は大きな窓の部屋で向かい合って座っていた。
「今週は、少し勉強してきたから」
 と真一は意気込んだが、相変わらず翔の方が優勢であった。翔は真一のミスにつけ込んで攻めて、悔しがるのを見て笑った。真一も、翔に一泡吹かせてやろうと懸命だった。
「ところでさ」
 真一はおもむろに言った。
「乙黒さん、可愛いよな?」
「え……そう?」
「そう思わない?」
「……別に」
 翔はそれきり黙って、真一の不慣れな駒さばきを愛おしむように打ち続けた。ぼんやりとした暑さが、いつまでも部屋に残った。






エントリ8  鼻血マッシュルーム     安藝賢治


「あ、鼻血」鼻血。鼻粘膜からしたたる血。鼻血がでる原因は枚挙に暇がない。顔面の殴打。真夏の太陽。チョコレート、ピーナッツの食べすぎ。卑猥、淫らなイマジネーション……。でも、ほら。ぼくは犬だから。チョコは食べないし、雌を想えばしっぽが振れるだけですから。だとしたら、殴打? 虐待? それもない。隣に座っている彼女は、ぼくに暴力をふるわない。もっとも、ぼくが長い鼻先から紅血を噴き出しているのにも気がついていない。鼻血は止まらない。こういうことは滅多にない。息が苦しい。両手もTシャツも血でぐしょぐしょだ。「ねえ」彼女の肩をちょいとつつく。あ、鼻血。と、ぼくと同じ想いを述べた彼女は、心配そうに、眉をひそめる。彼女は、いい娘だ。耳もかわいい。
「なんか、つめるのない?」「しいたけならあるけど……」
 僕はしいたけを受け取る。しいたけを鼻に詰める。
「…………」ここで、鼻血の止め方をご紹介しよう。脱脂綿(またはしいたけ)を少し大きめに丸めて鼻に詰める。そして、鼻を強くつまむ。するとたいてい止まる。止まらないときは、鼻の付け根(目と目の間)を、濡れタオルで冷やしてみる。タオルの変わりに、氷をあてて冷やしてもいい。鼻血が出たときに、横臥したりする人がいるが、その必要はない。楽な姿勢で座っていればいい。鼻血が止まってもすぐに鼻をかんだり、人指し指を入れたりすると、また噴き出すので気をつけること。
「…………」ところで、ご存じだろうか? しいたけは細かな白い菌糸によって形作られたもので、水分、油分などをよく吸収する。その吸収力たるや、体内の血中コレステロールを根こそぎにし、腸の悪玉菌をこそげ落とすほどである。現に、見よ。その力をいかんなく発揮したしいたけは、ぼくの鼻血を海綿のごとく吸い尽くし、赤黒く膨張をはじめた。
(成長してる……?)と、彼女も怖がっている。ぼくもコワイ。しいたけはぼくの鼻先で凶悪化。ふるふる震えていて、爆発しそうだ。すでに食べ物であることをやめてしまっている。――足がふらつく。目が霞む。貧血かもしれない。は。ぼくは吸いとられているのだ、血液を。しいたけに。犬は体内の血液の、三分の一を失うと死んでしまう。息ができない。斧を、斧を、もってきてくれ。叩き切るんだ、しいたけを。わ、触るなよ。

「あ、胞子!」

 そして、ぼくたちは、純白の胞子が降りそそぐ下、
 静かに立ち尽くしていたのだった。






エントリ9  贈る言葉     関口葉月



 言うべき言葉は何だろう。
 イイ人ぶって『また会おうね』か、それとも素直に『さようなら』か。

「……」
「……」

 気付かれないよう横目で時計を見ると、店に入った時間からもう二時間が過ぎていた。
 空の色が変わってきたのを勘違いではなかったと確認して、視線を戻す。
 向かいに座った彼女は俯いたっきり喋らない。
 ……何か言って欲しいんだろうな。
 薄情な私は何も言わずにコーヒーを飲んだ。すっかり冷めている。

「……」

 少しだけ離れた席にいる女の子達が妙に懐かしい。
 この子と一緒に、何度もあんなふうに笑ったなあ。
 五年? いや、六年かな。学校の関係とはいえ、長く一緒にいたもんだ。
 ちらりと視線を戻してみても、やっぱり彼女は俯いたままで。
 ……もう会うことはないんだろうな、と思った。

「……ねー」

 いい加減に飽きたので話し掛けてみる。
 ずっと俯いていた彼女は赤く充血した目だけで見上げてきた。

「嫌いなんでしょ」
「……」
「あたしのこと嫌いなんでしょ。無理に話し掛けてくんなくていいよっ!」

 ……。
 どうしてこうなのかな。いつも。
 他の友達何人かと遊びに行っただけなのに。
 ……謝って欲しいんだろうなあ。誘わなくてごめんね、って。
 疲れたから、やってあげないけどね。

 時間が経って、この子は変わった。同じように、私も。
 あの頃の私は本当にこの子が大好きだったし、この子もそうだったんだろうけど。

「……ねー」
「……」

 こういう空気は嫌い。すごく疲れる。
 卒業ってことがなくても、私はこの子の相手を放棄しただろう。

「私は確かにあんたのこと嫌いだけどさ」

 ば、と顔が上がった。
 歪んだ顔に滲んでくる涙を見て、ちょっとだけ罪悪感があるけど。
 ……ちょっとだけ、しかない。いつからこうなったのかな。

「前はホントに好きだったよ」

 一番大事な友達だったよ。
 付け加えるけど、ぼろぼろ泣きながら何かを呟いている。聞こえてないかも。……まあいいか。

「だから、」

 言うべき言葉は。

「……元気でね」

 まだ泣く彼女を残して、席を立つ。ひどいことを言ったお詫びに会計は済ませてあげよう。
 外に出ると、まだ少しだけ冷たい風が吹き付けてきた。
 あー疲れた。そう思って、溜息をつく。

 もう、会うこともないんだろうな。
 会っても話したりしないんだろうな。

 別れ、というものに、慣れていないだけなんだと思う。
 悲しくも寂しくもないはずなのに、涙が出た。