最近、息子との会話が少ない。 隆次はリビングのソファーに座り、今朝の新聞に目を通す。 メディアは少年犯罪の原因を、父親へのコンプレックスや家庭内のコミュニケーション不足だと騒ぎ立てる。 気がつけばいつも仕事に追われ、最後に息子と一緒に出かけた思い出は四年前の家族旅行だ。 休日だというのに、息子は今日も家でテレビゲームに没頭している。 「なあ、キャッチボールでもするか」 「無理」 「そ、そうか」 息子は画面から目を離しもしない。 (やっぱり今時の子はキャッチボールなんてしないのか……) 「じゃあ、映画行くか映画。何か見たいものは」 「昨日レンタルで『呪怨』借りてきたけど。一緒に観る?」 「い、いや。やめておくよ」 隆次はホラーが苦手だ。 「それじゃお小遣い、いるか」 「昨日ママにもらった」 (おのれ、ママ!) ……完敗である。 ふとゲームの画面をのぞくと、立体的なキャラクターが息子の操作に合わせて動き回っている。 隆次の世代のコンピューターゲームは、もっと画像の荒いものだった。 サウンドもこんな「音楽」ではなく、ただの「電子音」でしかなかった。 (ゲームも大きく変わってしまったなあ。 そういえば、昔はよく友達の名前をキャラクターにつけたものだったが……) そこまで考えて、隆次はあることに気づく。 「なあ、このユーキって剣士の名前は、友達のユウキくんからとっているのか?」 「うん」 「じゃあ、この魔法使いの名前はタっくんから?」 「そう」 短い返事ばかりだったが、息子との共通点を見つけられたことに、父親は満足感を覚える。 「主人公はお前の名前そのままだろ……ん? このキャラクターは何だ? ずいぶん貧相な身なりだな……お前リュウくんなんて友達いたか?」 「それは捨てキャラだから、装備とかつけてない。リュウは、塾の友達」 「そうかあ、新しい友達を持つのはいいことだぞう。お父さんも親友ができたのはお前の年くらいだっけなあ」 「ふーん」 「ってゆーか、そんなキャラに友達の名前なんてつけちゃダメじゃないか」 「うん」 (なんだ、まだ俺もちゃんと「お父さん」できてるな。よしよし) 父親はひとり悦に入って、緑茶を入れ始める。 何かないかと冷蔵庫をあけるが、めぼしいものは見つからない。 「おい、ようかん食べるか」 「いらない」 (まさかこの捨てキャラ、「隆次」のリュウだなんて言えない、よな……) ピコピコっ……ピっ。 あっ。HP0。
久しぶりの休暇を利用し私は別荘にやって来た。すると丁度そこへ知人が至急の話があると訪ねてきた。紅茶を出してやったが全く口をつけない。息子さんは、と尋ねると、私の実家へ預けているの、と小さく笑った。そしてすぐ神妙な顔をして、一枚の紙切れを手渡した。 そう言って彼女は笑った。その瞬間の僕の顔ったら、きっと割れた風船のような顔だったと思う。だってこれは僕にとっての思わぬアクシデントだったから。きっと彼女はにこりと笑って、ハイと答えると思ってた。勿論少し照れながら耳まで真っ赤にして、ね。実際彼女そっくりのマネキンに向かって予行練習までした位だ(ちなみにそのマネキンは近所のデパートの3階、女性下着売り場にある)。だけど実際の彼女ったら、にこりの筈の顔はニヤリと笑って……思い出さないでおこう。まあとにかく、僕は彼女に今度こそ耳まで赤くしてもらうために、少し家を留守にするよ。お父さん、僕だって男なんだよ、見ていて。お母さん、心配しないで。僕、きっと彼女に似合う男になって帰ってくる。 「という手紙を、息子が残していったの。何を言ったのか、だけはなぜかライターで燃やしてあって、彼女っていうのも、誰だかわからないし、第一うちの近所にはデパートなんかないのに」 「おい、ちょっと」 「何よ」 「息子、どこに行ったって言ってたっけ」 「だから、春休みに私の実家へ……あれ?」 「それ、どうやら息子のものじゃないみたいだな」 「でも、じゃあ……」 「思い当たる節は無いのか?」 「そうねえ」 彼女は、じっくり考えながら紅茶を飲んだ。すると、紅茶を飲んだまま暫く動かなくなり、その後カップを離すや否やこう言った。 「思い出しました。きっとそれ、夫のよ」 「はぁ?」 「夫が私に一回目のプロポーズをした時に書いたものよ。きっと」 「お前、旦那さんになんて言ったんだよ」 「私、あの人の事、あまり好きじゃなかったのよね。なんて言うの?ほら、体だけの関係?でも、あの人は本気だったみたいで。ある日、プロポーズされたから、言ってやったんです」 「なんて?」 「エイを素手で取れるようになったらいいわよ、って。その後、あの人、急にいなくなっちゃって。で、私は妊娠しちゃってて。ついでだから、とあの人の居ぬ間に籍入れちゃったのよね」 秘密よ、そう言って、彼女は海を指差した。 彼女の旦那は、まだ海を漂っているんだろうか。案外、他の女でも見つけているような気がする。
次々と子供が教会に入っていくのを見て、私はふと足を止めた。その教会は私立の幼稚園が横にあるようで、小さな園児達は賑やかに教会へと足を運んでいった。今から何があるのかは知らないが、何となく大勢で教会に入った所を想像するとミサか何かしか思いつかない。しかしまだ生まれたてのような年齢の子供達が神に感謝するのは、何となく違和感があるなと思った。 「ねえ、何かああいうのいいよね。あんなちっちゃい頃からお祈りなんてさ。いい子に育ちそうな感じするよね?」 隣に居た公子が、私と同じようにその子達を見ながら言った。私達は幼稚園の頃からの腐れ縁だ。何だかんだで同じ女子高を選んだ辺り、親友といっていいのかもしれないが。 私と彼女の幼稚園は私立ではあったがカトリック系とは正反対の寺院の隣にある幼稚園で、お寺に上がる時には靴を脱いで必ず正座をさせられていた。いい子に育ったかは別として、とにかく仏様に祈る時間は設けられていた訳だ。今となっては何をしていたのか覚えてもいないのだが。 「ねえ、あたし達は何してたっけ?幼稚園の時。何かお寺の中でやってなかった?ほら、甘茶もらったりしてたじゃん。」 甘茶という砂糖の入った麦茶のようなものを貰ったのは、何の時だっただろう。私はその時の甘茶の味しか覚えていない。少し甘い透き通った茶色い液体は、喉に流すととても心地よく美味しかった。そう思うと何だかとても自分がいやしいような気がして恥ずかしくなった。 「あたし達だってさ、一応そういう幼稚園だったんだからもう少し信心深く育てばよかったね。」 私が答えないのにも関わらず、公子は喋り続けた。私はどちらかと言えば口下手な方なので、彼女のこういうところがとても好きだ。 「そうかもね…。」 やっとそう答えてから、私は更に黙り込んだ。何を、信じればいいのだろう。人生の中で最も微妙なこんな時期に、一体誰を、何を。 隣の公子を見ながら、とりあえず信じる友達は居るな、と思う。出会った日から十四年間、家族以外でこんなにも私を理解している人間は他に居ない。 こんな混沌の中を楽しいと言ったのは、美しいと言ったのは誰だったか。彼女だ。紛れもなく彼女だ。そんな楽天的な面を、私は誰よりも尊敬している。 「何黙ってんの?真由美はすぐ一人で自分の世界入っちゃうからさあ。あたしも入れてよ、そこに。」 何だか無茶苦茶な事を言いながら、公子は頬を膨らませた。 「ごめん。てか話戻すけど、やっぱり私は神様とか仏様より人間を信じたいな。だって皆神様が創ったなら、信じあうのが神様の望みじゃない?」 「んー、そうかもね。」 気のない返事をしながら彼女は笑った。歩き出しながら、私はまた幼稚園に視線を戻した。 主よ、あなたは私を囲む盾、わが栄え、私の頭をもたげて下さる方です。 ○作者附記:最後の文章の引用は聖書からです。
なんだか最近息苦しくなっていた。両親の無謀な期待とか、クラスメイトとの微妙な人間関係とか、そんなことが原因なのではなくて、生意気にも「日本の未来が不安なんです」って感じ。 毎日同じことの繰り返しで、違いなんて授業と食事と睡眠時間ぐらいしかなくて、もしかしたら私達は蟻みたいに小さな虫で、私達を簡単に踏み潰せるぐらい巨大なものに操られているんじゃないか。二つの砂糖の山を往復させられてるだけなのか。なんて馬鹿みたいな想像してしまう。 ただ毎日砂糖を舐めるだけ。 部活帰りに、毎日ほぼ同じ時刻ののぼり電車に乗る。学校は首都圏と反対方向にあるので、行き帰りに立った記憶などほとんどない。六両目には、ひとつ先の座席におばさん一人と、私の斜め前に中年のサラリーマンが一人。 ゆっくり目を閉じると、電車の規則的な揺れを心地よく感じる。電車は、どう考えても誰も降りそうにない小さな駅でさえ、スキップすることなく確実に停車する。「あぁ、私もこんな風に生きれたらいいのに」 目を開けると、私の降りる駅まであと二駅となっていた。いつのまにか眠ってしまったのだろうか、あわてて両足の間においてあったカバンから鏡を取り出す。 ふと、感じた視線。 サラリーマンが私のスカートの中をちらちらと覗いていた。はじめは持っていなかった本を広げ、文章と私を交互に。 「見るんじゃねぇよ」という思いと同時に、なんだか笑えてきた。 私は残り一駅のところで、頭を下に落とし、寝てるフリをしてワザと足を少しひろげて見せた。前髪の隙間から前をのぞくと、サラリーマンが少しずつ正面に移動してくるのが見えた。 心から雲が消えてまっさらになるみたいに、なんだかすっきりした。誰も、みんなちっぽけよ。お前だけじゃないって。誰かに言われた気がした。 「右側のドアが開きまーす」 アナウンスと共に私はハっと顔をあげた。サラリーマンは少し慌てた様子で再び本へと目をやった。「俺は何も見ていないぞ」と、迫真の演技が私に伝わってきた。 電車のドアが開いた瞬間、私は席をたって、サラリーマンの目の前に立った。下から見上げる男に向かって、 「・・・・・くす」 小さく笑ってやったときの、男の顔があまりにもみすぼらしくて、「大人なんてたいしたことないな」と思った。 笑ったのは、 日本に嫌気がさしたからじゃない。 今の日本なら、 どうやってでも生きていけるとわかって、 自分の悩みがひどくちっぽけに思えただけ。