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第10回中高生3000字小説バトル
Entry3

作者 : 相川拓也
Website : iKawa's Telescope
文字数 : 2111

 街は灰色が覆っていた。重苦しく広がる殺風景。遠くに霞む砂利の道。あたりに無気力が漂い、どろっとした雲間から、弱々しい陽の光が差し込む。梅雨が近い。

 圭一は目抜き通りを----かつての目抜き通りを----いまの世間が象徴するように、あてもなく歩いていた。通りには、焼け野原や、その中で孤独に焼け残った建物がある。それだけだ。晴れていれば、耳障りな飛行機が静寂を乱すが、こう曇っていると、それも滅多にない。頽廃(くさ)っていた。
 砂利を踏む音が、虚空に散っていく。灰色の向こうから、人影が近付く。
「圭ちゃん。」
 この聞き覚えのある声は小池だった。圭一の父親の友人で、小さなころから圭一とは親しい。片手には袋を下げ、呼びかけるのと同時に挙がるはずのもう一方は----ない。戦地で負傷兵となり、送り返されたのだった。以前は饒舌な男だったが、帰って来てからはすっかり喋らなくなった。圭一は、どうも、と軽く会釈をしてすれ違った。

 家に戻ることにした。家に戻っても何かあるわけではないが、この街を歩いていても仕方がなかった。
 圭一の家族は全員死んでいる。父親は白木の箱になり、母親は妹を産むときに、妹は栄養失調。まともな死に方をしていない、と思った。自分もまともな死に方はしないだろう。もう十六である。すぐに徴兵される。
 小池には、五歳になる子供がいた。名前は知らないが、父親が帰って来て、いまは二人暮らしである。母親は空襲で焼かれていた。

 長い夜だった。このまま永久に夜が続いていくような錯覚を覚えた。生への諦めが生み出した死への恐れ。降り続いていた雨は止んでいるようだ。心なしか明るい。月の光が、夜の緊張を一層強固にし----来た。空襲。
 死の舞踏の拍子を刻む空襲警報が街に響き、人は防空壕に雪崩(なだれ)た。圭一にとって、敵国機の破壊の音は交響楽であった。悲しさ、虚しさ、儚さ、全てがにじんだ。おさまったのを見計らって、顔を出して外を見た。一面の闇。ありがたかった。しかし無情な空気が、周囲の破滅を圭一に知らしめた。
 壕の中は、悲痛な声で埋まっていた。とりわけ圭一の耳によく聞こえたのは、一人の女性の声であった。
「ごめんよ…ごめんよ…。」
 こればかりかと思うと、子供のものらしい名前を呼んでは、また、ごめんよと泣いた。彼女の側に、子供の姿はひとつもなかった。若い母親だった。「死ぬ」ということを、果たして知っている子供がいただろうか。

 翌日、小池が命を絶った。横では五歳の息子が寝ている。不思議な画(え)だった。
 戦争もこの国も長くはない、と圭一が感じ始めたのはここからであった。消滅に向けて、全てがひたひたと歩いている。

 日の沈みかけた頃だった。山ぎわからの陽の光が、風景を刺す。
 四十がらみの小男が歩いていた。圭一と目が合った。
「死にたいか。」
「生きてても…何もありませんから。」
「…よし。一緒に来るか。」
 行動で返事をした。男についていくと、割ときれいで、大きな倉庫のような建物があった。蒼い闇が奇妙に映えた。
 中に入ると、生臭い匂いがした。傍(そば)には、肉の塊。
「さあ、今日はもう遅(おせ)え。少し臭(くせ)えが、早く寝なよ。」
 ぼろぼろの布団が用意された。それでも、もうなくなった自分の家で寝るよりはずっと良かった。圭一が布団に入ろうとすると、
「いや、ちょっと待て…。やめだ。お前、本当は死にたくねえだろ。…おまえの目は未来を見てる、不安だが、輝きのある目だ。俺は好きだ、そういう目が。生きなきゃだめだよ。いや、俺が死なせねえ。」
 小男は言った。続けた。
「実はな……。ここの肉は、人間の肉だ。俺が今みたいに、連れてきた人間を寝かして、な。どれも覇気のない人間ばかりだよ。
 こいつをヤミで売るんだ。なかなか悪くない商売だよ。だが、お前は生きるんだ。…どうだ、俺を手伝う気はあるか。」

 不思議な衝動だった。人を殺す、という意識のないまま、引き取り手のない小池の息子を、「倉庫」に連れてきていた。
「ガキか。まあいいや。折角だ。一度くらいは見とけ。」
 と、おもむろに刃物で子供の頭を切り落とした。頭の転がるグラリという音が、大音響で響き、その刹那、圭一の心に殺人の意識が戻った。自分の存在が信じられなくなった。

 その間にも、男は子供の小さな体を切り刻んでいた。鼓動を続ける心臓、首から、体から流れ出る血液、小刻みに動く手、体…。肉を取り除いた後に残ったのは、およそ人間と思えない、無残な骨と皮だった。
「少し刺激が強すぎたか。でもな、覚えとけよ。…戦場ではな、帝国軍の兵隊が殺され、敵国の兵隊も、人も、殺されてる。一人や二人じゃねえ。何万だ。…俺だって、やりたくはねえんだよ。生きる為だ…。」
 小男は、死体と肉を片付けてから言った。
「嫌なら、帰んなよ。」

 圭一も徴兵された。たまらなく嫌だった。六月の雨が耳障りだった。
 戦場で、鉄の弾が人殺しをしようと飛び交う中、圭一はただの一度も銃を使うことはなかった。異国に来ても記憶は変わらない。あの日の子供の姿、小男の言葉。引き金が重くなった。
 遠い、名前も知らない異国の地、若者は曇り空の下に消えた。







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