第14回中高生3000字バトル

  INDEX
 エントリ  作者  作品名  文字数  得票なるか!? ★
 1  朝霧    鳥と郵便屋    3000    
 2  lapis.    赤い閃光に消えゆく鳥    3027    
 3  相川拓也    熊    2471    
 4  志月    少年達が空を見上げた日    2999    
 5  町里遊穂    人ニ非ズ    2330    
 6  佐輔    朝    3275    


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Entry1
作: 朝霧  website: 成長未知数

鳥と郵便屋

本当に言いのかい?この薬は確実だ。
だが、威力が強すぎる。君の体にかかる負担は通常のヒトの数十倍だ。
…どんな短い言葉でも、2回。
2回目を口に出した時、君の命はなくなる。それでもいいのかい?
この薬を飲んだら、もう2度と声が出ないと考えてくれ。
君のその勇気は、尊敬に値するものだけどね。
できれば、手伝ってあげたいと思う。でも、現実はそんなに甘くはないんだ。
絶対に、後悔はなしだ。後悔するくらいなら飲まない方がいいだろう。
これを口にすればたちまち、君は姿を変えられる。
もう声は出せない。最後に伝えたい言葉があったら聞くよ?
「大丈夫デス」
そう…じゃあ飲みなさい。私は強制しないよ。
ゴクゴクと喉を鳴らして、願いビトは薬を一気に煽った。

重い冷たい空気がのしかかる。
蒸し暑いはずの真夏にもかかわらず、ここはひんやりとして涼しい。
彼は床に転がって、ぼんやりとしていた。
面会人なんて来ない。誰も来ない。
食べ物は壁越しから決まった時間にでてくるだけ。
正直つまらない。
ゴロゴロ転がるたびに、ジャラリと枷についている鎖が鳴る。
あー五月蝿い。
耳を塞いだら本当に何も聞こえない。
ここはあまりにも静かで寂しい場所だ。
「外…出たいなー。」
少年は呟き、うつ伏せになる。冷たい床にほおをつけてまた溜息を漏らす。
何も無いは、死んでいるに等しい。生きている感覚が皆無ともいえる。
何もする事も無く、また昔の事を思い出す。

耳をすませば、鳥の声がさえずり規則ただしい音色が聞こえていた。
街に香る香りは、ほんのり春の空気を帯び暖かい。
目にかかった前髪をかきあげながら、
顔を上げると高々と空に昇った太陽が地を照らす。
「んーいい天気」
気分も上々で、地図を手にとる。次の届け先はこの近くのはずと辺りを見回す。
立ち並ぶ家々はどれも同じように見えて首をひねる。
「特徴…郵便受けが黄色?何だそりゃ?」
首を傾げてオロオロしていると、肩に鳥がとまる。
相方でスカイバードの春雨。
「よお、相棒。ミハラシ家は何処にあるか分かる?」
春雨の頭をなでながら聞く。彼はコクンと頷き辺りを見回し始める。
スカイバードは恐ろしいほどに視力がよく、2キロ先まで見えると言われている。
この村では、比較的よく見かける鳥で生まれつき魔法能力に目覚めているやつがいるらしい。
でも、俺の相棒は普通のスカイバードだ。
「アッタヨ。ここから丁度南に200メートル。家造りは緑がかったレンガ」
パタパタと羽音を立てて飛立つ。
いつもありがとさんとポケットから飴玉を取り出し食べさせる。
空色の…スカイバードの最も好きな飴玉。空飴。飴玉の中に渦巻く空間が閉じ込められていて結構綺麗だ。
美味しそうにほおばり、頬擦りをしてくる。可愛いやつだなと額にキスして地図をカバンに放り入れる。
バタバタと走って、緑がかったレンガの家を探す。
暫く走ると、それらしいものがすぐに見つかった。所々につたが絡まり、黄色い花が咲いている。一見、不気味ともいえよう悪趣味な家。
―変わりすぎじゃん。
瞬時に頭を横切る。春雨は飴を食べ終わったのか羽を繕いながら、キュウと鳴き声を上げた。
家のほうを見上げて、動きを止めて首を横に振り出す。
「…ココ、速めに終わらせるベキダヨ!何か嫌な予感がスルんだ。早く戻ろう?ココ、気味が悪いよ」
僅かに震えながら訴えかけてくる。
「あーはいはい。わかったわかった。」
意味がよく分からなくて、仕事のために郵便ポストを探す。
敷地内に黄色い郵便受けを見つける。
「わかったよ。春雨はここにいな。俺が行ってくるから」
門の所に春雨をのせて、イソイソ中に入り込む。
後から入っちゃダメだって声がしきりに聞こえる。
その声がどんどん遠くに行くような気がして振り返ると空間が歪むのがわかった。
「うわー!!…春雨!!春雨ー!!」
「トキー!!行くな!戻ってコイ!!」
大声でお互い相方の名前を叫んで、俺は空間のゆがみに飲み込まれていった。
気がつけばそこは石造りのなかなか広い部屋だった。
ズキズキと傷む頭を抑えて、顔を上げるとジャラッと音が響く。
何の音かと辺りを見回すと、自分の腕に枷をされてるのが分かった。

「……思い返したら余計わからんわ」
床にごろごろしながら呟く。
他に思い出したいものもないし、このまま寝てしまおうかと転がる。
窓から刺さる光は別空間のものだろうかと溜息が漏れる。
ガサッと音がして、目をあけると先ほどまで入ってきた日の光が遮られていた。
その代わり、窓から人の顔みたいのが見えた。
「誰だ?」
身を起して問うと、相手は眉を顰めて黙って自分を見つめてくる。
―なんか、気に障ることでもいったかな。
頭を掻きながら立ち上がり、少しでも近くで見えるようにする。
背伸びして、鉄格子のかかった窓の隙間から手を差し出し相手の顔をなでる。
「気に障ってたらごめんな。」
幼子をあやす様な口調で呟く。
よくよく見るとその相手は水色の髪で綺麗だなあと思った。
哀しげな表情で見てくるその子供は、自分を見据えて首を横に振るばかりだ。
「…お前、俺をここからだしてくれない?」
到底、できないだろうと思いながらも言った。
少年だか少女は瞬きをして、にこりと笑う。
立ち上がり何か辺りを見回しているのが見える。
シッシッと手を払うのを見て離れろってことかと
後に下がると子供は何か手の中に光をあつめているようだった。
次の瞬間、鋭い光が壁にあたり大きな穴が開いた。
ポカンと口を開けて呆けていると子供が駆け寄ってきて、手を引っつかみ引っ張る。
「逃げろって?」
首をかしげると、凄い勢いで首を縦に振る。
手を引かれ走り出す。日の光が気持ちいい。
外ってこんなにいいところだったんだ。
あっという間に、門の所までくると黄色い郵便受けが見えた。
郵便受けが歪み、人の形になる。子供はびくっと肩を震わし、俺の肩を持つ。
首を横に振り、何かをしようとしている。
肩口にさっきに光が集まり体が軽くなる。
「…逃……ゲテ!」
子供は大声で叫び、違う光を集めている。
空間のゆがみが見える。また吸い込まれるのだろうか。
目を見開いていると、すごい音が聞こえた。
振り返ると子供の方が血を吐いて倒れている。
「おい!子供!!お前…何してるんだよ!俺なんかどうでもいいだろう?おい!立て!一緒に逃げよう!」
大声で叫ぶと、子供は顔を上げて力なく笑う。首を横に振り、閃光を放つ。
「それは無理ダ…チカラ……使いすぎちゃったから。お前だけニゲロ!相棒!」
耳に残るその声は遠い昔に聞いた懐かしい声で俺は涙が溢れた。
空間のゆがみに飲み込まれ、俺はまた意識が遠のく。
相棒って…春雨、だったのかよ。
「春雨!!!一緒に行こう!春雨―!春雨……」
聞こえるはずのない言葉を懸命に、大声で叫ぶ。
己の非力さに、自分を呪った瞬間だった。

目を開いた時には、辺りはもう真っ赤な夕焼けに染まっていて
俺は見慣れた道端に、無造作に倒れていた。
今までのは夢?そうだ…きっと夢なんだ。
ホッと息をつき、胸をなでおろす。いたるところが傷むが気にせず身を起すと、春雨が横たわっていた。
羽の部分、頭に至るまで血塗れで痛々しい。
「はる…さめ?」
近寄って揺らす。身動き一つ返さない。ゴロンと仰向けにした。
冷たい。息をしていない。心臓が動いていない。
「春雨!!」
大声で叫んでも、春雨は2度と動かなかった。目から涙が溢れた。
夢なんかじゃない。本当にあったんだ。
顔を上げると緑がかったレンガの家は、ボロボロの廃墟となっていた。

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Entry2
作: lapis.

赤い閃光に消えゆく鳥

 敬がふと立ち止まり空を見上げると一つの紙飛行機が飛んでいるのが見えた。快晴の空を自由に飛び、敬はそれが羨ましく思った。
「……紙、だもんな」
 やがて紙飛行機は意志を持ったように敬の足元に降りてきた。普通ならそのまま無視して歩き去ってしまう敬でさえも、その紙飛行機に運命などを感じてしまった。
 敬はおもむろにしゃがみその紙飛行機を手に取った。そしてそれをゆっくりと解体していくと最後には『進路希望調査』という文字と、見慣れた名前が書かれていた。
「…桐野、……だとぉ?!」
 敬は目を細め、声をいっそう低くし呟いた。その紙をくしゃくしゃに握り締め足早にその場を去った。

 夏に近かった。けれど、からっとした天気は珍しかった。雨が降りながらも蒸し暑い日が多かったからだ。
 敬は放課後学校に残って勉強をしていた。しかしどんどん降り積もって止まない雑念を払う為に少し散歩していた。
 荒々しく階段を登り、自分の教室の扉を大きく音を立てて開けると、びくりと桐野という名の女の子が肩をびくりと震わせ、ゆっくりと振り返った。肩に垂らす黒髪が太陽の光に照らされてよりいっそう艶やかに見え、敬はちょっとうろたえた。
「なんだ、敬か」
 桐野は、ふう…と溜息をついてからにこり笑みを浮かべて敬を見据えた。敬ははっと思い出したように桐野に近寄った。教室には桐野以外誰もいなかった。
「おまえっ、これっ!」
 敬はくしゃくしゃにした進路調査の紙を桐野の机に叩きつけた。桐野は淡々と見据えた目でそれを見やると「あーあ…」と残念そうな声を小さく零した。
 桐野のその対応が敬の神経を逆撫でし思わず声を荒げた。
「何で、こんなことしてるんだよっ。これ明日提出だろうがっ!」
「……何でって言ったってねぇ。別に飛ばしたいから、飛ばしただけであって」
 桐野の言葉に敬は思わず首を傾げた。そして小さく「何を言っているんだ」と非難した。
「お前、もう高校せ…」
「―――そういえば、敬。東大行くんだって?凄いねぇ」
 桐野は敬の言葉を遮る様に言った。敬は言いかけた言葉を飲み込み、やけに淡々としている桐野を見、それから気恥ずかしそうに頷いた。
「あぁ、まぁな」
 桐野はそんな敬を見、それからにこりと笑った。

 お互い近い環境で育ってきた二人だったが、敬は桐野のことがまるで掴めていなかった。どんなに敬が桐野を正そうと一緒に何かを論じ合ってきたのか数え切れない、今では霞むように綺麗な思い出かもしれなかった。
 けれど、敬にとっても桐野にとってもそれらは美しくなどなかった。
 敬によれば、結局そんな事をしても桐野を正せる筈もなかったからだ。

「私は、この飛行機に私の全ての気持ちを飛ばしたかったの」
 やがて桐野は小さくそう呟き、くしゃくしゃにされた紙をもう一度飛行機に作り直そうとした。けれど、敬はそれを制止するように桐野の腕を掴んだ。
 …やけに細かった。そのまま折れてしまいそうなぐらい。
「気休めのつもりかよ?そんな事をしたって…」
「…分かっているつもりよ。現実は変わらないし、普通の人から見れば意味のないことかもしれないって」
 桐野はそう呟いた。その呟きは時折見せる彼女の強さを秘めていた。敬はそんな彼女に苛立ちを隠しきれなかった。同じ道を進もうとしない彼女は、敬が所属している進学クラスでも異彩を放っていた。
 確かに、おそらく二年生の終わりまでは同じ道を進むであろうと敬はそう確信していた。
「……分かっているなら……、どうしてそんなことをするんだ?お前はいつだってそうだ。大学に行かないって事がどんなに社会からレッテルを貼られるぐらい逆境かを知らない。人とは違う道が必ずしもお前にとって幸せだとは限らない」
 敬は桐野の手を放し、代わりに荒々しく力任せに机を叩いた。桐野の机は揺れて彼女は思わず顔をしかめた。
「……人と、同じ道が必ずしも幸せだと限らない筈でしょう?…だって、例え私が敬になろうとも、私は敬みたく頭がいいわけでもないし東大に行きたい訳でもないし、それで幸せになれるかっていうとそうでもないし。
 大体、世にいる全ての大学生が幸せに見える?幸せなのもいるし、不幸せなのもいる、全部が全部かたどった答えに当てはまるとは思えない」
 そう桐野が言いきってしまうと敬は心の中でそうなのかもしれないと自身に呟いた。それを打ち払うように頭を振り、消え行くような声で呟いた。
「…俺、お前のこと全然理解できねぇ…」
 そう呟きながら敬は桐野から目を逸らし、やがて俯いた。夕陽が差し込む赤く照らし出された教室で桐野の白い足がゆらりと動くと敬は顔さえもその夕陽に赤く染められてしまった。
 それから、桐野は呆れかえった声色で窓辺に立ち言い放った。
「受け入れようとしないから、理解できないのよ」
 その言葉を聞くや否や、敬は慌てて「…そんなことっ!」と言い、顔を上げた。 風が桐野と敬の頬を吹き抜けた。やけに冷たかった。
 窓辺に立つ彼女の黒髪は風に攫われて、その時敬は彼女を綺麗だと思った。けれど敬の背筋を這うような彼女の冷たい視線は、どうやっても拭いきれるものではなかった。
「お前はいつもどこへ消えてしまいそうで危なっかしくて、意味が分からなくて…。宿題もやらないし勉強だってそうやっているところをみたことがないし自分には無頓着で。そのくせ、どうでもいい他人事には首突っ込むし」
「すごい言い様ね…」
 桐野は敬を見、呆れたように笑った。そして付け加えるように「私は敬に理解されていると思っているよ」と小さく呟いた。
 その言葉に敬は胸を撫で下ろした。やがて、桐野は諭すように言い始めた。
「私は、自分に嘘をつくのを止めたの。どんどん辛くなるからって。今はそのぐらいの理由しか思いつかない、敬を納得させるような現実的な理由は私には思いつかないし、敬を欺いても気持ちが悪いだけだわ」
 敬はそう言った桐野を取り繕うような曖昧な笑みを浮かべた後でうなだれた。頭でははっきりと分かっていた。何度も理解しようと頭を振り、意味不明な言葉を並べあげ、それでも泣きそうなぐらい敬は桐野の優しげな言葉を欲した。
「精神的に向上心のないものはばかだ」
 桐野は淡々とそう呟いてから、にこりともしなかった。取り繕う笑顔も泣きそうな自尊心も全てが消えてしまいそうなぐらい強い言葉に聞こえた。
 それは、夏目漱石著作の『こころ』という小説の一節だった。それを思い出すのに少し時間がかかった。やがて、それは敬が桐野に放った言葉だと気づいた。
「俺は、ばか、か?」
 敬は桐野に皮肉を込めてそう呟いたが、桐野は何も言わず紙飛行機を手に取った。それから、小さく「違うよ」と呟き、大きく紙飛行機を赤い空に飛ばした。
「―――あっ!」
 敬はがたんと椅子から立ちあがって、飛んだ紙飛行機を取ろうと窓辺に桐野と並んで手を伸ばしたがそれは掴めなかった。
「おいっ!ばかっ!取ってこいよ!あれ、明日提出だって言ったろ?」
 敬は慌てて桐野にそう言い寄った。けれど桐野は首を振るばかりだった。
「書類はなんとでもなるでしょ?あれには私と敬の気持ちを乗せたの。私自身は自由になれないけど、気持ちだけは自由になりたいと思ったから」
 そんな自信の満ちた声で桐野は呟いた。敬はそんな桐野に言葉を無くし、それどころか夕陽に映える彼女の横顔にどぎまぎしながら、意志を持つ紙の鳥が赤い空を切り裂くように飛ぶのをぼんやりと眺めた。

※「精神的に向上心のないものはばかだ」…夏目漱石『こころ』より引用。

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Entry3
作: 相川拓也  website: iKawa's Telescope



 彫刻家は山奥の自宅で凡庸な熊を一匹彫り上げた。腕は確かで、この熊もまるで木製のスナップショットを見ているように、気持ち悪いほど動き出しそうである。しかしあまりに凡庸で傑作とは言えない。
 それでも彫刻家は、会心の作だ、と熊を眺めて、体をのり出したりしながら見入っていた。それが終わると今度は相変わらず視線を熊に置いたまま、いい値が付きそうだ、などと考えていた。

「うるさいな」
 彫刻家は窓の外に目をやる。鳥が子らに食事をさせているらしい。途切れがちに会話のような高い声が聞こえる。
「鳥め。まったくピィピィと」
 一言吐き捨て、また彫刻を見てニヤリとする。午後の一時を過ぎた。彼が食事の準備をしようと振り返ると、
「ジロジロ見んなよ」
 というつぶやきのような言葉が背後から聞こえた。彫り上がったばかりの熊が立っている、その付近からのようだった。
「昼間から……まさかね」
 彼は幽霊の類を信じない性質(たち)であったが、信じまいとすればするほど恐ろしくなった。不安げに目を泳がせる。
「人のこと見てニヤニヤしやがって」
 その声は驚くほど違和感なく動く熊の口から発せられていた。高くもなく低くもない男の声で、およそ熊に似つかわしくない。
「貴様彫刻のくせに」
 嫌悪感露に、彫刻家。
「うるせえ」
 と言ったと思うと、熊はもとの彫刻に戻っていた。
「気味が悪い……」
 彫刻家は熊に風呂敷をかけてから、昼食の仕度にかかった。

 あくる日、ふと机の方を見ると熊にかけてあったはずの風呂敷が床に落ちている。男はそれを拾ってかけようとすると
「暗いんだよ……」
 とけだるそうに熊が言った。
「何だと? 彫刻のくせに生意気な」
「うるせぇなァ。こっちも彫刻にしてくれたァ頼んじゃいないよ。どうせなら本物の熊が良かった」
「貴様、貴様を彫ったのは俺だぞ。俺は今貴様の首をこの彫刻等で叩き切ることもできる」
「やってみなよ。金が欲しくないなら」
 彫刻家に熊の首をはねることは出来なかった。
 彫刻家は乱暴に彫刻等を投げ捨てるとテレビを点けようとした。しかし動作は完了しない。テレビが動かない原因が彼には分からなかった。
「電気は届かないよ」
 熊が言う。
「憎たらしいから」
 彼は外へ出た。すると山中の風景に不釣合なほど立派な電柱が、結ばれていたはずの腕を今はダランと垂らしている。
「畜生、貴様! こんな物とっとと売っちまえ!」
 彼は彫り上げた何体かの彫刻を熊と一緒にまとめると時計に目をやった。
「九時…あと一時間」
 問屋が開くまで、冷蔵庫の中で眠っている生のものを彼はとりあえず調理し始めた。

 腹は膨れた。問屋も開いた。彫刻家は自分の作品をクルマに積もうとした。いつもそこにあるクルマはタイヤを失って、地面に這いつくばって参っていた。箱の中から笑い声が聞こえるような気がした。あえて気にとめまいとする。
 歩くことにした。歩けない距離ではない。下り坂は軽快である。そして彼の足が止まった。
「……」
 下の方からザァザァと川の流れる音がする。目の前は谷。立派だったはずの吊り橋はその底で、見事な死に様を見せていた。山奥と町とを結ぶ唯一の橋だった。

 家に着くと、熊は自分で箱の中から出てきた。不気味によく動く。それはもう生きていたのではないか。男は訊いた。
「おい、俺をどうするつもりだ」
「山を、きれいに、する」
「俺を消すのか」
「…きれいに、する。元に戻して、俺は本物の熊になる」
「何言ってるんだ……」
 男の状況は尋常ではなかったが、彼は驚くほど身の回りの事について冷静である。このときもさして心配することなく、熊を放っておいた。
「腹も減らん」
 男は、床に寝転がってそのまま眠った。

 熊は動き出すと辺りの物を手当たり次第壊し始めた。椅子の足が折れて傾く。電気の通わない冷蔵庫が倒れて、中の物を吐き出す。潰れた。窓ガラスを割る。派手な高音域の和音。偽りらしく置かれた観葉植物が倒れる。土がこぼれた。テーブルを崩すと、上に乗っていた彫刻や道具が、ジャラジャラと床に落下した。平刀が床に突き刺さる。
 程なくして、そこは人の住まいと思えぬぐらいに荒んだ。文明の残骸が、人の住むことを僅かに伝える。その中でも男は、取り憑かれたように安らかな寝息を立てていた。熊は蛇口を破壊すると、そのまま水浸しで転がっていた。
 男は夕方になって目覚めた。変わり果てた自分の家を見て、そのまま何もせず一日を過ごした。そして暗くなると、また眠った。

 食べる物は冷蔵庫の下敷きになって朽ちていった。水は壊れた蛇口からあふれ出て、やがて止まった。家は壊れるにまかせていた。あれからトイレと風呂が消え、床にいくつも穴が開いた。
 十日経っても、男はしぶとく生きていた。痩せ、汚れ、原形を失っていたが。男は喋らなくなっていた。言葉を口にするたび、膨大なエネルギーが口から漏れているような気がした。胃腸が仕事を求めるシュプレヒコールや、脳が栄養を求める怒号や、そんなものが体中から聞こえていた。喉は水にふれるとひび割れそうなほどカラカラだ。
 彼は寝ることもなかった。寝たら死ぬと思った。
 熊は相変わらず、壊し尽くした家を更に破壊していた。ドアが何枚か倒されていた。水に濡れて、熊は腐りかけていた。
 夕陽が射した。赤い光に彩られて、現実から遊離した空間は不思議に美しく見えた。静かに、幻想的な色を残して日が暮れた。

 熊の動きは意味をなさなくなっていた。狂った人形のような動き。家の中で踊っているようだ。腐食は進み、熊には見えない。家は骸のようになって朽ち果てていた。生き物の気配はなかった。
 男はやがてまばたきをやめ、考えることをやめて人間としての機能を捨てていった。肺のガス交換が僅かに行われ、トクトクと心臓がか細く動いていた。十七日目の午後、その心臓も止まった。

 熊は家の外へ転がっていった。勢いにまかせ坂を滑り落ちる。原型を失いながら速度を増した。
 熊はそのまま谷に飛び込んで、岩壁に衝突し大破した。木片がはらはらと流れの速い川へとび込んでいった。

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Entry4
作: 志月

少年達が空を見上げた日


長い下り坂を自転車で一気に駆け下りる。
吹き付けてくる風がシャツの袖をばたばたとはためかせる。
瞼を閉じれば空を飛んでいる様なそんな錯覚さえ覚える。
最も危険過ぎるので出来ないのだけれども。
「気持ちいいな!!」
浩はハンドルを強く握り締めながら、青空号のステップに立っている悟に言った。
「あぁ?聞こえねぇよ。」
耳元を強い風が轟々と叫び、他人の声はおろか自分の声さえ見失いそうになる。
「気持ちいいな!!」
ほとんど怒鳴っている様な感覚で浩はもう一度叫んだ。
「ああ、気持ちいいー!!!」
今度はちゃんと伝わった様で悟は声高々に叫んだ。
それが隣を走る晶にも聞こえたようで同じ様に叫んだ。
「夏休み最高ー!!」
この道は何処までも続いているようだった。

世間は夏休みに突入していた。
気温の上昇と比例して僕らの温度も最高潮までの放物線を描き始めていた。
「やっぱステップつけて正解だったな。あの自転車に荷台はダサいっしょ!!」
「っていうか、お前自転車買えよ。俺のばっかり乗りやがって。」
波間に漂い、くらげの様に身を任せて漂流する。
青い空と海が眩しかった。
浩と悟と晶の三人以外人影はなく、プライベート化したビーチは三人の秘密の場所だった。
町から自転車で三十分。
ただでさえ田舎の町なので誰もこれ以上自然を欲しがらない中、この三人は毎日の様にこの海に集まった。
「悟は自転車乗れないんだよな。」
晶が海面に顔を出して冷やかすように笑った。
「マジ?マジでお前乗れねぇの?」
浩は心底驚いた様子で悟の顔を凝視した。
その瞳は真剣で軽蔑と言った様な類のものではなかった。
「うるせぇな。自転車に乗れなくても生きて行けるって。」
悟は開き直ったのか堂々と言い回していた。
確かにその通りだと晶は納得したが、浩は可哀相にと言わんばかりに言葉を放った。
「確かにそうだけどさ、自転車に乗れないなんて人生損してるぜ。」
浩の中では自転車に乗れる事がどんなに重要な事なのかが垣間見える。浩なりの価値観だ。
「乗れねぇものは仕方ねぇだろう。いいんだよ。自転車くらいで人生悲観したくないし。大体自転車ってそんな大そうな事じゃねぇだろう。なぁ、晶だってそう思うだろう?」
悟はそう言うと海から上がった。
「あのなぁ、高校生になれば源チャリだろ、18歳なったら車。それまでは自転車ってのが相場だろ。なぁ晶だってそう思うだろ?」
浩はそう言いながら海底に足をつけて立った。
晶からの答えが返ってこない事に気付いて振り向くと、海面に晶の姿はなかった。

「あいつ、まじで潜るの好きだな。」
「将来、海女さんにでもなるんじゃねぇの?」
浩も悟に続いて海から上がる。
海から上がる瞬間のあの途轍もなくダルイ感じが浩は好きだった。
普段ある重力を実感する数少ない方法だと思うからだ。
そしていつも「ああ、重力に縛られてるんだっけ。」と思い出すのだ。
二人して浜辺に寝転がり、何度も浮かんでは消えていく晶の様子を眺めていた。
「今日はいつにもまして潜るなぁ。ちょっと異常じゃねぇ?」
晶の通算9回目の潜りに見ている方の浩と悟が音をあげたのだ。
「ああ、おかしいな。」
浩は首を傾げた。晶が多く潜る時は辛い事や嫌な事があった時だ。
確か前は晶が産まれた時から飼っていた愛犬ムサシが死んだ時だった。
「何かあったのかな。」
浩はそう言いながらも確信していた。
そして多分悟も同じことを考えていただろう。
大ざっぱな割りに感受性が鋭い性格だから。
それから暫くして晶は海から上がった。
10回目の潜りを終えたところだった。
「ああ、疲れた。」
晶が浩と悟の隣に腰を降ろした。
目鼻立ちがすっきりと整った、いわゆる美少年の晶は全ての感情をその仮面の奥に隠す。
けれど長い間一緒に過ごした二人には全てお見通しだった。
「・・・お前さあ、最近なんかあった?」
悟がさり気なくぶっきらぼうに切り出した。
そして、浩も真剣な表情で晶を見つめてた。
「何だよ、お前ら。何にもねぇよ。」
晶は慌てる事もなく即座に否定した。
そんなところはさすがと言うべきか。
だが、それでもやはり二人の方が一枚上手だった。
「俺達に言えないことなのか。」
浩は晶から目を逸らさずに尋ねた。
信用されていない事が悲しいと思いっきり表情に出して。
晶が友情をどんなに大切に思っているか知っているからできる事だった。

暫く晶は黙って海を見つめた。
その横顔があまりにも綺麗で二人は目を逸らす事が出来なかった。
「綺麗だよね、ここの海。静かだし。」
晶は海から目を逸らさずに静かに呟いた。
二人は静かに広がる海に目線を移した。
「この海がもう見れなくなるなんてな。」
海を見ていた二人が顔を見合わせた。
そんな二人を横目で見て、晶はふっと笑った。
「親父と母さんの離婚が成立したんだ。」
長い沈黙の末に晶はただ一言だけ呟いた。
「あっさりでびっくり、なんちって。」
場を和ませようと放った晶の言葉はちっとも笑えなくて、むしろ悲しかった。
乾いた笑い方をして晶は空を仰いだ。その瞳は決して笑ってなかった。
「本当にあっさりだったよ。今までのは何だったんだよって言いたくなるくらいにさ。あまりにも呆気なくて泣けもしない。逆に笑っちゃうほど。」
晶がどれほど家族の関係を気にしていたか知っているから浩も悟も何も言えなかった。
二人はただ黙って、晶が全部ぶちまけるのを受け止めるだけだった。
そんな事しか出来なかったのだ。
「夏休み終わったら、母さんの実家に引っ越すんだ。あっちには爺さんもいるし、従兄弟だっているし大丈夫だけどさ・・・・」
そして、晶は言葉を濁した。
さざ波が静かに寄せては帰っていった。
晶はどさっと砂浜に仰向けで倒れこんだ。そんな晶を浩と悟は黙って見つめた。
「・・・やっぱさ、お前らみたいな友達できないと思うんだ。」
晶がそう言い終わると浩も悟も晶と同じ様に砂浜に倒れこんだ。
「俺らも同じだよ。」
静かにそれでも確実に時間は過ぎ、タイムリミットは迫っていた。
「何かちっぽけだよな。親の離婚で引っ越さなきゃならないなんて。結局どう足掻いたって俺らは」まだ子供なんだよな。」
「早く大人になりてぇな。」
引越しなんて良くある事だと言ってみても離れた友情が崩れやすいのは確かだった。
三人共「しょうがない」と流せるほど大人ではなかった。
「発つまでに最低二週間あるんだろう?それまで毎日この場所に来ようぜ。」
浩は上半身を起こして二人を見つめた。
「そうだな、時間がもったいない。いっぱい遊ぼうぜ。」
悟も身体を起こした。そして晶を見た。晶も身体を起こすと頷いた。
「そうと決まれば、花火は買って来ようぜ!」
悟が立ち上がり二人を急かした。
「浩、早く自転車出せよ。時間はねぇんだ。」
「お前、俺が乗せてやってるんだ、そんな偉そうな事言うと歩かせるぞ。」
「お前ら何ぐずぐずしてるんだよ。早く行こうぜ!」
晶はすでに自転車にまたがり、二人を待っていた。
「何だよあいつ。さっきまで泣きべそかいてたのに。」
浩と悟は顔を見合わせて笑った。
晶がふと空を仰いだ。それにつられて二人も空を見上げた。
「いい天気だな!」
三人の上には青く抜けた様な空が何処までも広がっていた。
「未来まで続いているんだろうな。」
「浩、何か言ったか。」
「いや、何でもない。よっしゃ!行くか。」

三人は何処までも続きそうな一本の道を飛ぶように走っていった。
青く深く澄んだ空に一筋の飛行機が途切れることなく続いていた。

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Entry5
作: 町里遊穂

人ニ非ズ

ひにん【非人】江戸幕藩体制下、「えた」とともに四民の下におかれた最下層の身分。
       卑俗な遊芸、罪人の送致、刑屍の埋葬などに従事した。  (広辞苑より)

 みんなで作った雪駄を街まで持っていくのは、子供のおいらの仕事だった。
 大人達は一分一秒も時を無駄にはできず、歩いて二時間もかかる街まで行く暇がないからだ。
 おいらは大きな街にある、大きな呉服屋の裏口へまわった。表から入れないのは、おいらが非人だから。非人は街の外でしか暮らすことができないし、着るものも職業も制限されている。
 裏口のところでは、呉服屋の女の子が待っていた。
 おいらと同じ年くらいだけれど、身なりのいい子で、名前は知らない。誰も非人なんかに名は名乗らない。
「……ごくろうさま」
 女の子は小さな声でそういうと、おいらが持ってきた雪駄を受け取り、数を数えてその分だけの銅銭をおいらに渡す。ジャラリと、たくさんの銭が土塗れにおいらの手に乗った。
 それから黄色っぽいものも。
「?」
 初めてみるものだった。
 おいらは驚いて女の子を見ると、女の子はそっぽを向いて店の中に戻りながら、
「べっこう飴あげる。…私、嫌いだから」
 と言っていなくなってしまった。
 口にいれると飴はとても甘くて、思わず口から吐き出した。不味かったのではない。こんなところで食べてしまっては勿体無いからだ。これは帰ったら、みんなにも舐めさせてやらなきゃ。
「ありがとうございます」
 おいらは女の子のいなくなった裏戸口に深く頭をさげて、大急ぎで家へ戻った。

 せっせと家の中で雪駄をつくっていたのはお母とお姉で、お父達は外の畑へ出たという。
 おいらは早口に、呉服屋の女の子からべっこう飴を貰ったことを話す。
 するとお母もお姉も、面白い程に狼狽して、
「そんな、物を貰うなんて!」
 と、おどおどしている。
 なぜそんなに困るのか、おいらにはよくわからなかった。
 とりあえずべっこう飴を割って、二人に手渡す。
「すごく甘いんだ。栄養になるよ、きっと」
 それを食べると困っていた二人の顔もだんだんと綻んで、嬉しそうな顔になった。
「こんな良いものをくださるなんて……、呉服屋のお嬢様には、しばらく頭があがらないねぇ…」
 お母などは、目尻に涙を浮かばせている。
 しばらくおいら達は幸せな気分で働いた。
 おいらの分のべっこう飴は、まだ舐めずに懐に入っている。

                   ◆

 次の日、お父はどこかへでかける支度をしていた。
「急な仕事で街へ行くんだ。お前もくるか」
 お父の顔は、なんだかうんざりしていた。
「また、牢番?」
「それだったら、まだ良かったんだが」

 お父と来たのは町外れの火葬場で、苛立った様子のお侍様が一人で待っていた。
「この者達を火葬しておけ」
 吐き捨てるように命令する。おいらとお父は、黙ってそれに従った。
 もう火は盛大にたかれていて、その側には被いをかけられた無数の屍体が並んでいる。
 時折あるおいら達の仕事の一つで、刑罰により殺された人間を埋葬しなくてはならないのだ。埋葬とはいっても、全てを一度に火の中に放り込んで、誰が誰のだかわからなくなった骨を適当に埋めるだけというお粗末なものなのだが。
 被いをはずすと、どれも衣服を剥ぎ取られた屍体があらわになる。ガリガリに痩せたのもあれば肉がぱっくり裂けているのもある、もう腐っているのもたくさんある。
 おいらとお父は、それを単調に火の中に投げ込んでいく。
 だがその中に、珍しく子供の屍体があった。
 それは頭から上が無い。打ち首だ。
「……あの、お侍様。この子供も罪を犯したのですか?」
「こらっ、坊!」
 気安くお侍様に声をかけたからか、お父が青い顔をして叱責を飛ばす。
 しかしお侍様は鼻をならすと、
「まさか。打ち首になるといえば、よっぽどの罪でないとな。今日のさらし首は、売り上げを隠して税を少なくしようとした呉服屋の主人とその家族だっていうから、おおかたその娘であろう。わかったらさっさと働け、非人」
 呉服屋の、娘? 嫌な予感がした。

「お、良かった良かった。まだ終わっちゃいねえな」
 ほとんどが燃やされつつある頃、黄昏時。人相の悪い男が両手から何かをぶらさげてやってきた。
「これも燃やしちまってくれ。今日のさらし首はお終いだとよ」
 突き出してくるのはたくさんの生首。
 どれも無念そうに宙を睨んでいる恐ろしい形相で、もう血は滴らず、かわいて肌は質の悪い紙のようになっている。見ているだけで胃の中のものが逆流しそうなのに、よくこの男は平気で生首を持ってこられるものだ。
「あー、例の呉服屋かぁ」
 お侍様がふところに手を突っ込みながら、顔をしかめて言う。
「らしいな。儲かっているなら大人しく税を払えばいいのに、馬鹿な商人だぜ、まったく」
 どさりと地面にそれを投げ、手を叩きながら男は笑う。
 生首の一つが、僕をじっと見ているようであった。
「お父…」
 おいらは泣きそうな顔でお父の腕にしがみつく。
 お父もおいらが呉服屋の女の子から飴をもらったことは知っていた。お父はつらそうな顔で首を振る。
「我慢しろ、坊」
 生首の中には、白目を剥いたあの女の子の頭が、たしかにあったからだ。

 火は消され、お天道様もとうに沈んだというのに、おいら達はまだ働いていた。 ずっと見張っていたお侍様はもう帰ってしまっている。明りもつけず、おいら達は穴を掘って骨をそこへ埋めていった。
 おいらの口の中には、甘い甘い、べっこう飴がある。
 飴はだんだん小さくなって消えていく。
 おいらが子供の頭蓋骨を見つけた時には、もうべっこう飴は消えて無くなっていて、かわりに目から、飴玉のように大きな涙がこぼれていった。

※参考・岩波書店『広辞苑』/東京書籍『新しい社会 歴史』

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Entry6
作: 佐輔




 普段、翳ってしまう方角からの斜光はとても新鮮で、嵐前の悪天候なのは承知だったが、私の心は浮き立っていた。
 朝日はいつも山の向こうから昇ったが、高く険しい山にかかる濃い靄が晴れる朝というと、これは殆んどなく、昼近くまで太陽が昇ってやっとようやく黄色い光の塊を、それが確かな球体だとして確認できるといったありさまだった。
 今朝は夜明けと同じ頃合から、大風が吹いている。
 夜が朝へと移り変わるちょうどそのとき、張りつめた蒼さが一層増すころに、バタバタと温く強い大きな雨のつぶてが屋根や濡れ縁を叩いたので、私は煙のようにあちらこちらへと散ってゆく夢を惜しみながら身を起こた。
 好いた人が枕元へ通ってくれていたように記憶している。滅多にない事柄だけに朦朧とした意識が、ほんのわずかの暇にいかにもそれらしく都合よくでっちあげたものとも知れないが、夢占はそれほどに信じていなかったから、夢幻で一向に構わなく、それならばむしろ自分の想像力に感謝さえもする。
 寝汗で髪がはりついた首元に風が当たって、小気味のいい、あるいは単に耳ざわりな音をかなでているのは、雨だけではなくどうやら寝室を囲むように下がっている帳の重しのひとつが外れてしまっているようだと気付く。
 ボカボカとした生温いが強い風に、厚い布はまるで生き物のように暴れ、はためき、膨らんでは張り、その度にバツバツと鈍い音を立てている。
 通り雨だったようで、もう雨足は弱くなってきている。
 そうすれば一層、布の立てる音ははっきりと区別できた。
 私はそれを抑えようと両手で、湿気を含みズッシリと重くなった布を抱え込む。
 もし、私がもうひと眠りとでも、惰眠をむさぼろうとでも考え、惰弱にも足で重しを動かし直すだけに留めていれば、囂々と流れる雲間から晧々とした太陽が姿をみせたその瞬間を見ることは叶わなかった。
 雨は地面をぬかるませ、そこかしこ、それこそ黒く磨かれた縁の上にまでも水溜りをつくった。
 風はその水面を細かく波立たせ、私の髪を心地好くかき乱し、高空の雲を私のまたたきひとつの間さえも待とうとせずに優々と流している。
 夏の海の上に高く積もる雲とも違う。
 秋や春の細く二次元的なそれとも違う。
 私が見た中で、あれほどに絵画的で作りものじみた空模様があっただろうか。
 否、あるまいし、そうそうやすやすと今一度と出会えるものとも思えなかった。
 夜は明ける。
 私は上着を羽織るのさえももどかしかった。
 闇に閉ざされているはずの時間帯、今この時に、目前に広がるのは小さな半月の浮いた青空。そこに悠然とかがやく太陽の下、照らしだされた故郷。
 その土の上に、私は下り立たずにはいられなかった。
 光源のその角度を変えるだけで、世界はこれ程までに姿を変えるのかと私はまったく忙しなく視線をあちこちにやった。
 見上げれば相変わらず、ため息のでるほどの光彩を見せる空。
 見渡せば、見慣れたはずの町並みや田畑はあきれるほどに様変わりしていて、美しい物語の挿し絵を見せられているようだった。
 これは夢か錯覚であろうか、子供のようにはしゃぐ心のすみで思う。
 否、これは全て、この土地の持つひとつの面にしかすぎないのだろう、と応えは返る。
 この地がいつも見せてくれる顔も、また、今目の前に広がっているそれも、気紛れな隣人であるこの世界のほんの一面にしかすぎず、こんなにも心浮かれている私はきっと、この世界に恋でもしているのだ。
 特にどこへ向かうでもなく彷徨い歩いていた足を止める。
 否が応にも目に入ってきた大きな屋敷の、その北東の塀には、苔や日照を好まない植物が蔽い繁っていたが、普段は灰色の陰としてジッと黙っている葉の、一枚一枚の光沢、微妙な光陰、凹凸や、ハッと目が覚めるようなあざやかに深い緑色を、私は二十年足らず生きてきたその日にはじめて見た。
 あとになって私が誰と構わずに息巻いてその風景を心のままに語ると、家の手伝いにきてくれる初老の女は
「なれば、常時も外の仕事を手伝ってくれていたらいくらも助かりますのに。一年に一度二度は同じ空にも巡りあいましょう。家で一番の早くに目の覚められる方が、稀有なこともありました」
と穏やかに諭してくれたが、私は見たものをすぐにでも字にするのが好きだったし、またそのときは夜の明ける前から父親の帳簿書きの仕事の真似事をするのが楽しかったので、ウンウンと言葉を濁して一礼をし彼女の元を足早に去った。
 手伝いがしたくなかったのではないと言い訳をさせて欲しい。
 商人という家柄は特殊だ。
 とくに私の家のように非生活品を扱う小規模なそれは、この集落でどういったふうに扱われるべきなのかが非常に曖昧になっていた。
 それなりの規模の農家のように家の雑務を任せる人間をやとってはいるが、その関係は地主と小作人というわけにもいかないし、もちろん自らが農民であるというわけにもゆかず、また、他の郷の人間や、ここに住む住人たちと濃くも薄くもない一定のつながりを有している。
 ここに私たち一家が居を構えたのは曽祖父の時代だというのに、いまだ私たちは新参者であり、得体の知れないものといった扱われかただった。
 因のひとつに、家の者の大半が年中出払っていることもあっただろう。
 しかも家も守るべきとされる母や姉など、女性の方が外へと出、父や例外的に私などがひっそりと家にこもり、一見、非生産的な書きものをしているのだから、いまだに自給自足を生活規範とする人間からすれば、私たちは正に不可思議な生き物なのだろう。
 私は、自分の痩せた狼のような腕や目の光を、私自身がとかく恐れていた。
 日焼けをしていない肌や荒い仕事をしない指が、嘲笑や批難を浴びるのではないかと勝手一方に思い込んでいた。
 それは強って間違いでもなかったがまったくもって、情けない話。
 ……転機が訪れたのは一昨年の春。
 私はにじり寄るように集落のはずれに位置する、大きな屋敷のほうへと近寄っていった。
 そこは一昨年の春に、都より土地長という役職として遣わされた人間とその一家が、放置されていたものを建て直し住みはじめた屋敷だった。
 土地長という存在は始め、どこの集落でもそうであるようにまた、この郷でも受け入れられなかった。
 一昨年の春。
 商売柄、都の事情などを訳知りだった私と父は、彼らと共謀した。
 とは言えど、取り立てて派手なことをしたわけではなく、都から多くの商人を呼んだ。
 ただそれだけだ。
 ただそれだけだったが、商人がもたらした品物や都の文化、宗教、思想の数々は結果として、郷と住人は急速に近代化、あるいは都の体制へとこの郷を迎合させた。
 転機は訪れ、土地長は認められた。
 ……しかし私はいまだ痩せた狼だ。
 空は抜けるように青いが陽射しはこの上なく白く、柔らかかった。
 今朝がたの雨が空気中の塵を叩き落とし、この強風が更に埃を拭い去ってくれているのだろうか。
 まだ月は意固地に中空にはりついている。
 真っ白なそれは雲の切れ端にも見えた。
 ふと、私は屋敷の真東の質素な門に人影を見つけ、遠目にもそれが誰であるかの察しがついて、思わず頬が緩むのを抑えられなかった。
 決して長身ではない彼はこの屋敷の主の一人息子で、さっきまで夢の中で他愛のないことを語らい合っていた、私の思い人その人、ちょうど同い年の、とても人の良い青年だった。
 しばらくすれば彼もこちらに気が付いて、いかにも睡眠が足りないというような緩慢な動作で片手を上げた。
 私は組んでいた腕をほどいてそれに応え、となりに並ぶようにして立ち止まる。
 はじめて逢ったときにはまるで陶器のようで、私のそれよりも白かったはずの彼の肌は、奉仕とばかりに近くの田畑の農作業を手伝ううち、今となっては浅黒く、至極健康的に染まってしまった。
 彼は私に目もくれずに空を見上げて目を細めると、あくびをひとつ噛みころした。
 遅くとも今日の夕方には嵐がくるな。
 彼がそう呟いたので、私はもったいぶったように重々しく頷いた。

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