第15回中高生3000字バトル

  INDEX
 エントリ  作者  作品名  文字数  得票なるか!? ★
 1  暁    ハードボイルド    2559    
 2  志月    空と煙草と飛行機雲    2679    
 3  相川拓也    花、ふたつ    3000    


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  • Entry1
    作: 暁

    ハードボイルド

     君が僕を食べるだって?”
     私は驚いて反射的に答えた。彼はもっともだという様にゆっくりと、威厳を持って首を縦に振った。
     体長:37cmのテディベアが? 身長:160cm弱の人間を食べる?
     ロシア製のトカレフの銃身が黒光りする。
     私はつい、微笑んでしまう。

     彼の名はベッコと言う。腹の辺りを強く押すと腹がへこみ“ベッコ(実際にはこの表音は間違いだろう)”と言うからだ。どういう作りなのかは知らないが、大方薄っぺらいプラスティックの型の上に適当に毛糸を付けているのだろう。別に私がこの縫いぐるみを買ったわけではない。ある女の子から貰ったモノだ、今はその子の事は出来れば考えたくない。
     どちらにしろ私はそのぬいぐるみの腹を押さえては音を出す残酷な遊びを楽しみ、それを好んだ。毎朝それをしてから学校に向かう程だ。一時期私は事ある毎にその遊びをしていた、鬱病的に。私には考えることが切実に差し迫った問題としてあったのだ。時に殺意を込めて私はその遊びを手持ちぶたさに、物欲しそうに、していたのだろう。それが終わったのはある朝だった。いつものように腹を押して学校へ行こうとした時、ベッコはその黒光りする眼で私を見つめ、こう言った。
     “よう、相棒。そんなに物欲しそうな顔で俺の腹をたたかれても、何も出て来やしないぜ。見ての通りのぬいぐるみだからな。それとも俺の中になんかの『解決』が詰まっているとでも言うのかい、ええ?”
     ベッコは少しハードボイルドだ。そして正しい。たぶん私は『解決』を求めているのだろう。

     その日からベッコと私は親友になった。ベッコは手放しに信用していい極めて貴重なタイプの話し相手の様に私には思えたし、事実そうであったからだ。

     その日から、夜には私はベッコを腹に乗っけて、ベランダで仰向けになった。ベッコは色々な星の名前を私に教えてくれた。ベッコはよく星の名前を知っていたが、それら全てがベッコなりの言葉だった。北極星は“弾き出されたビー玉”という名だったし、オレンジ色に光る南南東の火星は“曼珠沙華”だったし、シリウスは“青白い孤高”だった。彼はある星を私の知っている女の名で呼んだ。私はその星の位置を忘れまいとしたが、いつしかそれは忘れ去られた。
     “相棒、おめえは星の中に知り合いがいるかい?”
     ベッコは変に細長くシックな煙草を取り出して火を付けた。
     “――イル。”
     “そうか、”
     ベッコは深く、長く、煙を吐く。
     ――星達の中のいくつかが、おまえを見てるぜ。
     私はその言葉を忘れない。決して。

     ベッコは多くの星達について語ってくれた、多くの夜を使って。

     私が悪夢にたたき起こされる時、それがAM.3:00だろうが、昼前の10時だろうが、PM.4:00だろうが、私の横にはベッコがいて、私をじっと見つめていた。けれどもベッコは何も言わなかった。深夜に悪夢にたたき起こされた時などは、煙草の匂いと、オレンジ色にぼんやりと光る火の存在で落ち着いたものだった。

     “よう相棒。おめえがあの星をそんな目で見ても、喪われたモノは戻ってこないぜ。酒でも飲んで、いい加減忘れろ。その呆けた顔をどうにかしな。”
     ベッコはレモンと塩とウォッカを私に差し出す。

     夜の闇は何故こんなにもひっそりとしているのだろう。何故そうやってまで人の心を捕らえなければならないのだろう。何故君はそうやってまで……。
     私はもはや抜け出せない。 私の口から白い煙が飛んでいく、ゆっくりと尾を引いて。
     ――それでもアルコールと闇が、私を捕らえて離さない。

     ベッコは『星の王子様』を暗唱している。
     夜の儀式。流れゆく時間。
     毎晩、夜通しの会話。定まっていない時間単位は、
     今日も少し変化する。  そして、
     
     ――あの夜。
     ある夜のこと。不意にベッコが言った。
     ――君が僕を食べるだって?”
     私は驚いて反射的に答えた。彼はもっともだという様にゆっくりと、威厳を持って首を縦に振った。
     体長:37cmのテディベアが? 身長:160cm弱の人間を食べる?
     テディベアの瞳が黒光りする。
     私はつい、微笑んでしまう。
     黒光りするそれを自らの顔に向ける。口を開き、舌を引っぱり出してみせる。――これが人間が本来することなのだ。私の体内の六十億個の細胞がそう叫んでいる。
     私の口の中で光を目指す、怒りと悲しみと喪失の記憶の感触達が破裂する。
     

     ――死んだ。

     と思って、私の目は覚める。
     “にいさん、まだ生きてるぜ。”
     横で少しハードボイルドなテディベアが言う、煙草に火を付けながら。その火が闇の中で浮かび上がる。
     “にいさん、俺は帰らなきゃならねえ。”
     “どこに、”
     “遠い所だ。”少しハードボイルドなテディアは煙草の煙を長くゆっくり吐き出した。
     “遠く、本当に遠くにある星なんだ。”
     “どこの星?”私はすがるように訊いた。
     “企業秘密だ……。星の王子様もこう言ってる、『どこに僕の星があるのか君に見せるわけにはいかないけど、その方がいいよ。』ってな。”
     “ああ、分かってるよ。”――けれども私の頬を涙が走っている。
     “なあ、相棒、……。”
     “相棒、”
     “そうだ、お前はいつまでも俺の相棒だ……。でもな、お前のその心に開いたブラック・ホールをな、俺みたいな応急処置のための穴埋めじゃなく、きちんと堰き止めてくれる女性がその内現れる。そして残った底のある穴は井戸になって、相棒お前だけじゃねえ、多くの人間に水を飲ませてくれるんだ。怒りの記憶を怒りで終わらせるんじゃねえ。悲しみの記憶を悲しみで終わらせるんじゃねえ。喪失の記憶を喪失で終わらせるんじゃねえ。お前がその女性に会うまでに苦しめば苦しむ程井戸は深くなり水は溢れる。苦しみを苦しみで終わらせていいはずがねえんだ。 今度の女は逃がすなよ。”
     “分かってるよ。”私は答える。
     “それでいい。忘れるな、『少数派が多くを持ち、多数派は何も持ち得ない。』んだ。”
     “わかってる。”
     “じゃあな、”
     “ああ”私は答える。彼の存在感はすっと深い水の底ヘと引っ張られ、煙草の煙すら底には残っていない。

     私の涙は止まろうとはしない。この涙はやがてこのコンクリートの上に一つの水たまりを作るだろう。そして夜になるとそこには、真実の星達が現れる、そのハードボイルドな光を放って。


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    Entry2
    作: 志月

    空と煙草と飛行機雲

     空を仰ぎ見る。
     終了式が行われている体育館の入り口に座り込んでいるから、垣間見える程度だけど。
     空を眺めながら今夜のメニューを考えていると、ふと青い空に上っていく白い糸が見えた。
     目を凝らしてよく見ると、その動きは不規則でどうも風に乗っているらしい。
     どうしようと思い、振り返ってドアの隙間から体育館を覗いて見る。
     肩越しに見た館内はまるで水を打ったように静かで、とても参加する気はしない。
     じっと見ていると学年主任と目が合いそうになり思わず顔を元の位置に戻した。
     何となく居心地が悪くなり、ヤレヤレと思い腰を上げて糸の発信源である屋上へ向かった。

     式中で、皆体育館にいるのだから廊下や階段に生徒はおろか教師さえいなかった。
     一度念のため覗いた教室は、人間がいないだけでここまで雰囲気を変えるのかと思う程、寂しい感じを受けた。
     自分の足音だけが建物内に響く。
     もう何段目か分からない階段を踏みしめて屋上へ出る為の扉に手をかける。
     その瞬間、今朝の職員会議で屋上に鍵を取り付けたと放しているのを思い出したが、意外とすんなりノブが回りそしてゆっくりと扉は開いた。

     少年が一人柵にもたれ、足を投げ出して、そして射るような目線をこちらに投げていた。
     多分僕がドアを開けるずっと前から。
     そして少年の指にさり気なくはさまれている物に目を向け、「やっぱり。」口の中でそう呟いて、少年には聞こえないように溜め息をついた。
     そして一歩を踏み出した。

     「今。終了式中だよ。何でこんなトコロに居るのかな?」
     優しく相手の機嫌を損ねないように尋ねる。
     僕が知る限りでは、彼の様な年代の少年は自分とはまったく異なる生き物だ。
     笑ったかと思えば、数秒後には怒り出したり。
     まるで山の天気のようにコロコロ感情が変わる。
     あの頃の僕のように。
     
     「そっちこそ。」
     少年は慌てず、かといって目線も逸らさずに返した。
     その言葉に先生とは見られてないな、なんて思った。
     「たまたま外に出てみたら、それが見えたから。」
     僕は右手の人差し指で少年の頭上を昇って行く煙を指した。
     「俺もたまたま暇していたら、吸いたくなったから。」
     少年は悪びれる様子もなく、指にはさんだそれを口に運ぶ。
     「う〜ん。暇しているなんて事ないと思うけど。」
     少年は意味が分からないと言うように頭を後ろに倒して空を見る。
     そして口から煙を吐き出した。
     白い煙が空の青と混ざって昇って行く様子を眺めながら思う。
     教師じゃあるまいし、式中ぼ生徒には暇なんてないはずなんだけどな、と。
     口の中で呟いたら、少年は何ひとり言言ってるの、と言わんばかりに顔を顰めた。

     「こんなにいい天気なのに、校長の話なんて聞いてられるかよ。」
     僕に言うのではなく、そうかと言って自分自身に言うのではなく、少年は声を絞って空に向かって言葉を吐いた。
     その声には不思議と説得力みたいなものがあって、「そうだよなぁ」と納得している自分がいた。
     少年は目敏く僕の変化を見つけ、にかっと笑った。
     煙草を吸っている割にはあまりにも白すぎる歯が日の光を受けてきらりと光る。
     多分まだ吸い初めなんだろう。
     
     「キミどうやってここに入ったの?」
     少年はビックリした表情で「鋭いな。」と一言。
     「屋上には鍵をかけるってこの前言ってたし。」
     少年は再びにかっと笑った。
     その笑顔が指す意味が分からずに黙っていると、少年はズボンの後ろのポケットから鍵を一つ取り出した。
     「屋上の鍵、作ったんだ。」
     鍵を指で回しながら少年は言った。
     「職員室から鍵を拝借して、代わりに俺の家の鍵下げて。同じモノ作らしてまた元の位置に戻す。まぁ、楽勝だったけどな。」
     僕は呆れて溜め息を一つ。
     「そこまで行くともう何も言えないよ。」
     少年は口だけで笑うとまた「いい天気。」と呟いた。

     僕は少年の傍で柵にもたれた。
     「吸殻はどこに捨てるの?」
     「トイレに流す。」
     「見つかってここ立ち入り禁止されるのだけは避けたいし。」
     意外に細かい性格なんだな、と思いながら僕は溜め息を一つ。
     「キミ、幾つ?」
     「えっと・・・15。」
     脈絡のない質問の所為か少年は少しうろたえた。
     「15ねぇ。」
     僕はそれだけ呟くと黙った。
     耳元で風が唸る。
     高い場所だからだろうか、風が強く吹き付ける。
     少年の煙草の灰も風に舞っている。
     校庭には誰も居ない。
     終了式、いまどの辺なんだろうかと考えていると少年が先刻の傍若無人な態度とは変わって遠慮がちに尋ねてきた。
     「あのさ・・・・なんで注意しないの?」
     「注意しようと思ってたけど、キミ15だろう?僕が吸い始めたのと同じ年。」
     僕にはそれが答えだったけれども、少年はまだ言葉を待っていた。
     「だから何も言えないじゃないか。僕も同じことしたんだから。」
     一息ついて、少年の方を見る。
     「まぁ、僕の経験上言えることは、吸わない方がいいよ。法律が何だって思うかもしれないけど、守られているうちは守られていた方がお得だよ。」
     少年は僕を敵と見なしたのか、再び射る様な目線を向けた。
     「余計なこと言ったね。でもこれは僕からのアドバイスとして受け取ってよ。キミにはまだ見えないだろうから。見えていたら僕だって吸わなかっただろうし。」
     少年は目線を落とし暫く黙り込んだ。

     怒らしちゃったかな。
     そう思って屋上を出て行こうと柵から身体を離した瞬間、少年が前触れもなく顔を上げた。
     「これやるよ。もう吸わねぇ。」
     少年は僕に煙草を差し出した。
     僕は少し考えて煙草を受け取ると、青空に向かってそれを投げた。
     「何するんだよ!」
     少年は目を丸めて言った。
     「いや〜。大人だから自制してるの。本当は見てるのも辛いから。」
     煙草は放物線を描いて落ちていく。
     「ふ〜ん。大人も大変なんだ。」
     少年も立ち上がり、並んで煙草の行く先を眺めた。
     「あぁっ!!」
     煙草は急速に落下し、たまたま下を通りかかった学年主任の頭上に落ちた。
     少年はタイミング良く引っ込み、下の教師からは僕だけが見えた。
     「俺は知らない。」
     少年はそう言って駆け出していった。
     あ〜あ、後でどやされるな。
     そう思いながら少年を見送りながら空を仰いだ。
     「じゃあな」
     口だけでそう言うと少年は足を止めて振り返った。
     「じゃあね、センセ。」
     
     少年が去った屋上で一人、空を眺めた。
     飛行機雲が空の果てまでも続いていた。
     あの少年みたいだなぁ、そう口にしたら自分の失笑を誘った。
     それでも相変わらず空は青く高かった。

     明日から夏休みだ。
     

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    Entry3
    作: 相川拓也  website: iKawa's Telescope

    花、ふたつ

     夜、煌々と空に輝く光は街灯、一本むこう、表通りのネオンが空を原色に彩る。人、自動車、忙しく往来。ゴウゴウとうなる声が飛び交う。歩道の端、ひっそりと、小さな花、ふたつ。時折風が吹き、りんと花を揺らす。
    「今日もお星様は見えないのですね」
    「そうですね」
    「どこへ行ってしまわれたのでしょう」
    「ずっと遠くへ行ってしまわれたのかも」
    「そうですね……」
    「また、お星様にお会いできるでしょうか」
    「わかりません」
     赤く染まった藍の空、その下で、眠らぬ雑踏。

     しとしと静かに雨。薄雲のうしろ、太陽見え隠れする。時折トラックが、走り去っていくだけ。
    「静かですね」
    「はい」
    「どうしてでしょう」
    「さあ」
    「たまにはいいですね」
    「ええ」
    「お天道様はお元気かしら……」
     ぼゥッと白んだ空、細長い雨のすじ、斜に走ってどこかに消える。ベコンベコンの道路の、所々に雨がたまって、濁る。
     雨上がって晴れない。消化不良の雲、腹いせに太陽を隠し、街どよりと薄暗く、花のつゆ光らない。じとじとしたコンクリートを人や車が踏み固めていく。日は西に傾く、雲厚く、入り日は見えない。ポツンと雲の穴から、朱い空。
    「結局、今日もお星様にお会いできませんね」
    「はい。でも、明るいですね」
    「ええ」

     太陽、強く光って方々の雲を照らす朝、ひときわ活気。縁日の屋台、並び始める。
    「お天道様、お早うございます」
    「今日は晴れにして下さったのですね」
    「ありがとうございます」
    「気持ちがよいです」
     静かに、天高く太陽が見下ろす。秋の風、心地よい汗、人々の肌に滲む。やんわり、太陽照らし、二輪の花輝く。

     西に日が沈む。東の空、むらさき、眼前の山の紅葉、彩る。空にむらさき流れ込み、やがて藍が染める。太陽は山の奥へ奥へ、足早に去っていく。
     提灯華やかに、通りの屋台さかる。人の波、今宵はあたたかく、ゆるり流れていく。
    「賑やかです。楽しい」
    「晴れて、よかった」
     日が沈み、灯が金魚の池に映って、ゆらゆらと揺れる、時折ちらちら光を返す。赤や黄の光が輪舞して、小さな風車気まぐれそうにくるくる回る。光、人の声、祭りの夜。
     近くでちゃプッと水の音、一呼吸、子供泣く。手には切れた紅いひも、足下に、裂けたビニール袋の上、水散ってあえぐ和金。水はなおキラキラ光る、和金の動き、止まる。母なぐさめて、子供は去って、窒息死した魚はそのまま、誰にも気付かれない。まだ名残惜しげに尾が動く。潤った朱い身体、縁日の相を映し返す。
    「彼女は……死んだのでしょうか」
    「そうかもしれません」
    「……残酷ですね」
    「哀しい命です」
    「醜い」
     翌朝、和金は干からびて、雑多なごみと捨てられた。

     それから幾日か、すすり泣くような雨、続く。道はギラギラ光り、自動車通るたび、たまった泥水が跳ね上がる。風も、街の色も寒々とする。干からびた和金の跡はすっかり流れた。自動車、心なしかスピード上げて通り過ぎる。
     雨止んで、朝。厚くて白い雲の奥に青い色が見える。日光はいっそうやわらかく、肌寒い朝にあたたかい。それでもどこか、憂いの残る晴れ。
    「不思議な空ですね」
    「晴れているのに、明るくないなんて」
    「お天道様はあの雲の奥でしょうか」
     遠くの雲、陽光の帯降らす。その遥か奥に、もくもくと黒い雲。

     正午近くなった。少し前から雨が降り、気まぐれに雷が鳴った。空は赤裸々に青を見せて、平然としている。雷は遠くでゴロゴロと、不機嫌そうに愚痴こぼす。
     交通量、相変わらず多い。シャアシャアと自動車は、無愛想に雨を押しのけて。雨足強くなる。
    「青い空」
    「雨が冷たいですね」
    「お天道様は」
    「あの雲のむこう」
    「ぼんやり光っておられます」
     さあっという驟雨のような雨、なでていく。日の光は衰えず、辺りは明るく照らされる。雨、やがてどこかへ走り去る。パラパラ、余韻。

     右から、乗用車、スピード出して、花のすぐそばの塀に激突。ガァンと一・五トンの鉄塊、僅かにはねて、グルグル回りながら交差点、出ると大形トラック、車体を歪めて突っ込む。轟音。吹き飛ばされてグシャグシャになった車体が、力なく這いつくばっている。静寂の後、騒動。
     次第を静かに見ていた太陽、沈んでからも赤いパトランプ、ひゅんひゅん回る。どちらも相当スピードを出していたらしいな、信号はトラック側が青だったらしい、乗用車は蛇行して塀に突っ込んだというし、飲酒で間違いないだろうな…………それにしても、ひどい潰れようだよ、これは。主の運ばれた車の骸、トラックの上。エアバッグ吐き出して、赤く照らされる最期。
    「簡単に死んでしまうものですね」
    「そんなものです」
    「もろいですね」
    「ええ、生き物は弱いもの」
     数日で、事故現場はもとの交差点に戻った。崩れた塀を除いて。

     つらつらと山の稜線、家々の間を、花と対峙して流れる。つたの巻くように、山は道路に絡まれる。所々に、土色の肌を剥き出しにして、夜はポツリ、ポツリと灯がともる。無機質な建物が、頂上付近に鎮座。
     山の民家の灯がチラチラしていた。
    「小さな灯」
    「大きな山」
    「……寄生しているようですね」

     ある朝。いのししだって、また出たの? 被害は、いまのところまだ、いや、怪我人が出たそうだ、今、どこ? さぁ。
     トコトコ、いのししが来る。道路の中央、車は少なくないが、意外なほど轢かれない。興奮してきたのか、落ち着かなくなる。停めてある自動車に硬い音で激突。なお走る。そこへ自動車一台、いのししをはねる。タイヤが悲鳴上げて止まる。いのししはアスファルトに黒く血をしたたらせて、カクン、カクン、逃げる。後ろ足くずれてズルズル引きずりながら、まだ這っている。故障した人形のようになった獣は、血の跡を描きながら道の向こうへ消えた。
     夕方近く、銃声。
     暗くなった。
    「冷えるようになりました」
    「山に、食べる物もないのでしょうね」
    「あ、あれは? 明るい星」
    「……いいえ、飛行機でしょう? 動いていますから」
     表通りから漏れてくる光は浅い。

     いのししの血痕はしばらく消えなかったが、自動車が踏み固め、そのうち道の色と同化した。
     やや曇った朝、空気は日々後ろ向きになる。寒い。太陽が雲の裏側で、空虚に運行した。
    「今日は、何もかも透明」
    「虚ろな」
    「日」
     いつも通りの夜が来る。ふけない、暗くならない夜。不意に、すっと静けさが空を包む。

     目まいのようだった。安定していたはずの大地、今はどこかへ落ちてしまうように、ガタガタ震える。豆腐のように崩れる家、ぱっくり割れた道路の上に、電信柱がコトン、と倒れる。実物大の模型が、揺さぶられて壊れていくようだ。火花も上がる。空はさらに朱く染まる。
     塀が崩れて、花を一輪潰す。

    「ああ……お怒りなのですね、私には分かります。私で良ければ殺して下さい。逃げませんから。不満でしょうか?」
     道がごったがえす。逃げる人。盲目。揺れはおさまった。
     焔はいたる所で市街を焼いていた。浅い光はもう見えない。パッ、パッと飛散する火の粉、空中にフッと消える。

     明るくなった。やわらかい太陽が、崩れた街をふわりと照らす。泣く声、黙る人、虚飾は消えた。火も収まって、騒々しく静かな一日、暮れる。
     まっ暗だ。空は藍色、大小の星がまたたいて、降ってくる。冷たい風がひゅうひゅうと吹く。花はひとりで揺れている。以前より、色あせていた。
    「お星様……これが夜空なのですね……」

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