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第2回中高生3000字小説バトル
Entry4

フカシン

作者 : Ruima
Website :
文字数 : 2995
 まだ天使学校中等部にいた頃、初等部に通う5つ下の少年に勉強
を教えていた。いわゆる家庭教師。正直言って勉強の出来はあまり
良くなかったけれど、弟でもできたような気持ちで面倒を見ていた
覚えがある。
 ある日、漢字の問題を宿題に出した。その一つが、「A国とB国
はフカシン条約を結んだ」。2日後、僕が受け取ったノートに、彼
は堂々と「不可神」と書いていた。しかも丁寧にそれを10個、ミ
ミズのような字で。――言うまでもなく、正解は「不可侵」である。
僕は思わず大笑いした。
 すでに少年の名は思い出せない。そう、それは、もう10年以上
も前のこと。

 本来、天使の仕事は、神の決定に沿って世界――人間界を動かす
ことだ。神は世の中の動きを見守り、苦しんでいる人がいれば天使
に手助けさせ、流れが停滞すれば池に石を投げるように小さな波紋
を起こさせる。一生を全うした者がいれば、魂を迎えに行く。決し
て一定以上に手を出さない。
 しかし現在、神は形だけのものとなっていた。発端は、今から数
年前に勃発した対魔界戦争。
 もともと神を中心とする天界と、冥王を中心とする魔界とは、無
干渉を原則に表面上の平和を保っていた。しかし現冥王は、長い間
続いていた静寂を破り、悪魔を率いて天界へと攻めてきた。それに
対し、天使達は武器を手に悪魔軍と戦った。争いは長く、全盛期は
過ぎたと言え、今もなお続いている。
 その途中、神は表から姿を消した。正確には、消されたのだ。平
和主義を基本とする神を、本来の職務を忘れて手を血に染める天使
が裏へと押しやった。自由に戦うために。現在、人間界の管理も含
め、天界の職務は全て天使が好き勝手にしていると言えた。
 神と違い、人間界に必要以上に干渉する天使。戦いの影響もあり、
人間界では死者が跳ね上がった。貧富の差の拡大、天災の続発。全
ては、大天使とその下の上級天使によるゲームだった。純粋に愛に
動く神とは違い、天使には邪心があったから。
 僕は中等部から高等部、学問院へと、典型的エリートコースを進
んだ。卒業したばかりで経験が浅く人間界に関わることは出来なか
ったが、しかし……いや、だからこそ、天使に操られる人間界を距
離を置いて見守るうち、僕はむなしさを感じていた。人々の悲痛な
泣き声が耳に残り、僕はいつからか、夜あまり眠れなくなった。医
者には精神的なストレスからくる不眠症だと言われた。心当たりを
聞かれたが、まさか、天使のやっていることへの疑問、大天使への
反感です、なんて言えない。医者だって立派な上級天使。密告され
れば捕まって牢屋行きだ。実際そうして社会から消えた仲間を、僕
は何人も知っている。
 だから僕は、耐えるしかなかった。仕方ない。いつも内心そう呟
いて、僕は働いた。鏡に移る自分の翼が――本当は純白のはずの翼
が――時折真っ赤に染まって見えた。それは一体、誰の血だろうか?

「なあ、魔界の噂、聞いたか?」
「ああ……冥王がもう先、長くないっていう話だろ?」
「そう、それなんだけどさ。いよいよ、危ないらしいぜ」
 そう言って、同僚の天使はにやりと笑った。
「上はその時を狙っている」
「また戦いが激しくなるのか」
「今度はうちの部署も駆り出されるって話だぜ? 直接戦地に向か
うのは下級天使が主だろうけど……指揮官を志望すると、昇進早ま
るらしいぞ」
「おまえ、志望するの?」
「いや、そんなことしたら妹に怒られる。予定日4月なんだ」
「もうあと2ヶ月ちょっとだな」
「ははは、所詮天使も人間と変わらない、ってね」
「おい、それ、上に聞かれたら危ないぞ。どうしたんだよ、普段は
そんなこと言わないじゃないか」
 戦いが近いからだろうか。最近、発言の取締りが厳しい。上への
反発はもちろん、聖職である天使を人間や他の生物と同格に扱うこ
とも許されない。あくまで天使は全ての生き物の上に立つべきなの
だ。唯一、名ばかりの神を除いて。
「この前の仕事、人間界にちょっとした列車事故を起こすことだっ
たんだ。やったのは俺じゃないんだけど……唯一出た死者が妊婦で
さ。なんだか後味悪くって」
「……なるほどね」
「そんなことより、おまえは? 志望するの?」
「多分しないよ。戦地って寒いじゃん」
「そっか。おまえ、寒がりだもんな」
 彼は声を出して笑った。

 それから数日後、彼は職場から姿を消した。極地への異動。あま
りに突然だった。受け持っていた仕事も中途半端なままなのに。
 どうにかして会いたくて、僕は仕事を早めに切り上げ彼の家へと
急いだ。着いた時、彼は家に鍵をかけ、まさに発とうとしていると
ころだった。
「ああ……おまえ、来てくれたのか」
 僕の姿に気づくと、彼は僅かに笑った。悪い顔色、疲れのにじみ
出た声。
「なんとか間に合ってよかった」
「そうだな。これが最後の別れになるかもしれないし」
「戻っては……来ないのか?」
「多分、無理だ。聞かれてたんだよ、あの日……おまえとの会話」
「!」
「その調子だとおまえは大丈夫だったんだな。よかった。巻き込ん
でないか気がかりだったんだ」
 彼の表情が、ふいに変わる。
「嫌になるよ。本から手紙から日記から、全て没収。でもって危険
分子は遠くへってわけだ。……最初は、いっそ抵抗でもしてやろう
かと思ったんだけどな。結局、俺一人じゃ何もできやしない」
 自嘲めいた笑い。無力さを痛感した後。なんて非情な社会。疲労、
悲しみ、そして……? ちょうど沈みゆく夕日に照らされ、真っ赤
に染まる翼。

 それから、数週間後。忘れもしない。魔界遠征が決まった、翌日。
その事件は突然、何の予告もなしに起きた。
「おい! 大天使様が殺された!」
 一人の天使がそう叫びながら、僕たちの職場に駆け込んできた。
その時起きたざわめきとも叫びともつかない大勢の声は、驚きだっ
たのか嘆きだったのか……歓声だったのか。
「大天使様、御崩御!」
 僕はそっと口元に手を当てた。何故かって? こんな時に僕の表
情を気にする奴なんかいないとは思うけれど、見られたらまずいだ
ろ? 僕は思わず浮かぶ笑みを、抑えることができなかった。これ
で遠征も中止になる。
 次々と飛び込む新しい情報に、騒ぎはどんどん大きくなっていく。
「え? 殺された?」
「一瞬だよ! 防ぐ間も、誰かが止める間もなく、剣で一突き」
「誰がやったんだ? そんなこと」
「それがさ、なんと! 下級天使なんだ」
「嘘だろ? よくやれたな」
「お茶汲み担当だったんだわ、そいつ。さすがの大天使様も、油断
してたんだろ」
「へー」
「でも、すごい迫力だったよ。『天使は神になれない! なっちゃ
いけないんだ!』とか言ってさ。何を言ってるんだろうな? どこ
が違うんだよ、俺たちと、神と」
「そうだよな」
 笑う同僚たち。僕はそっと尋ねた。
「それで、そいつは?」
「え? ああ、その場で周りの上級天使に殺された。そっちも一瞬」
 まだ笑い続ける仲間を前に、僕はいつか大天使になろうと決意し
た。そのためには何だってする。この手を、翼を、血に染めたって
いい。最後に、腐りきったこの世界を変えるために。
 その決意を忘れぬため、僕はその下級天使の名を胸に刻んでおこ
うと思った。
「そいつ、名前は?」
「んー? なんだったっけな。確か……」

 少し間を置いて、彼の口から出たその名前。どこかで聞いたこと
のある……。首を傾げた僕の脳裏に、なぜか、遠い過去、「不可神」
という3文字が思い出された。






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