第3回中高生3000字小説バトル
Entry4

蝶々色

 夢の中を、蝶々が舞いました。
 白い部屋に一筋、深紫の羽の軌跡を残像として残し、蝶はくるりくるりと大きく旋回しながら飛んでいました。
 目が覚めた時、私はぼんやりと部屋を見回しました。蝶の姿はどこにもなく、確かに夢だったのだと確認しながら、私はあの蝶の名前は何だろうと考えました。


 最悪。
 今日あたり別れることになるだろうってわかってた。先に優しさを忘れてしまったのは私で、もう一度やり直すための努力をしなかったのも私。言われそうな気がしたから先手を打って「別れよう」と言ったのも私だ。
 だけどどうして、よりによって海の見えるこの公園でこんな展開。デートスポットである。駅まで続くちょっと洒落た店の建ち並ぶ通りも含め、恋人達ばかり。別れたのは自分の意思なのに、どうしようもなく惨めな気分だった。薄暗い夕暮れの元町を足早に歩く。
 ふと、露店に掲げられていたある看板が目に入り、私は足を止めた。黒地に白い文字で書かれた「蝶々屋」の文字。一体何の店なのかと見やるが、広げられた黒いシートの上には、一枚の紙切れ以外、何も置かれていない。不思議に思い、思わずその紙を覗きこむと。

『あなたにぴったりの素敵な蝶々、あります。』

 ……第一印象。胡散臭い。
 胡散臭いもここまでくると、ある意味見事じゃないかと思う。まるでジュエリーショップような宣伝文句を蝶々に使われても困る。『あなたにぴったりの素敵な指輪』なら、引っかかる女性も多いかもしれない。それにそもそも、ここには蝶々どころか虫かごの一つもないじゃないの。
「お姉さん、一匹どう? 今日は夕焼けが綺麗だからサービスしておくよ」
 突然に声をかけられ、私は顔を上げた。シートをはさんで向かい側に、これまた胡散臭げなサングラスの男のにやけ顔。あまりに黒ずくめで、彼の回りだけ一足早く夜が来たような気がする。
「悪いけど蝶が欲しいわけじゃないのよ。ちょっと気になっただけで」
「でもこれも何かの縁だ。お姉さん美人だし、綺麗なの用意するよ」
 警戒心が好奇心に少しだけ負ける。私は遠慮気味に訪ねてみた。
「売っているのは、本当に本物の蝶? 生きているの?」
「もちろん」
「でも、ここには何も無いじゃない。近くのお店に置いてあるの? それとも後で宅配とか?」
「それは、注文してからのお楽しみ」
「……胡散臭い。密輸入した希少価値の高い蝶だったりするんじゃないの? じゃなきゃもっとストレートに、詐欺とか」
「ひっどいなー。法に触れるようなこととは縁がないから安心してよ。それに、言っとくけどお姉ちゃん、一つ誤解してるよ?」
 悪戯めいた笑みを浮かべ、男はサングラスを少し下にずらした。カラーコンタクトだろうか、深い紫色の目がこっちを見つめてくる。なんだか全て見透かされているような気がした。
「俺はお金は取らない。俺が蝶の代価として貰うのは」
 サングラスを掛け直し、彼は私の前で右手を握ってみせる。
「君の心の欠片だよ」
 そして、ゆっくりと開いた手の中から。
 紫の羽を持つ蝶が、飛び立つ。

 それは、今朝の夢に見た光景でした。
 私は、何故か流れ出る涙を止めることも拭うこともできず。ただただその蝶を見つめることしかできませんでした。
 蝶々は私の目の前をひらりひらりと舞い続け、どこにも飛んで行く様子はなく。私はそのことに妙な安心感を覚えたのでした。

「この蝶は、君の心の欠片でできているんだ」
 男の言葉に、私は現実に引き戻された。蝶はそれでもまだ私の視界にいる。夢ではない。半ば呆然としている私に、男が尋ねた。
「何がそんなに悲しいの?」
「え?」
「ほら、悲しみでできた蝶だから、涙を流してる」
 男の指差した先には、すでに日が沈みきり黒々とした夜空を背景に、淡く光る蝶の鱗粉が、まるで涙のように、はらりはらり。
 ああ、そうか。これが私の心だというのなら。
 私はやっぱり、悲しかったのだ。

「優しい人だったの。いつも笑ってくれてね」
 口から自然に言葉がこぼれだす。なぜ会ったばかりの、よりにもよって怪しさの塊のような男に、私はこんなことを話しているんだろう。友達にすら、ほとんどしたことのない話。
「私、最初から最後まで勝手ばかりだったのに、『別れよう』って言ったのも私なのに」
 それなのに。怒ったって、責めたってよかったのに。
「あの人最後に、『ごめんね』って言ったのよ」
 涙が次から次へと溢れ出す。
「私、全然素直になれなくて。『嫌い』とは何度も言ったけど、『好き』とは数えるほどしか言ってなくて」
 蝶がゆっくりと、差し出された彼の手に止まる。
 深い紫は悲しみの色。後悔の色。
「だけど、彼のこと、本当に好きだったのよ?」
 本当に、愛していたのだ。その気持ちは、心の奥底で、今もなお。
「彼のこと、本当に、好きなの」
「……そうだね」
 微笑を携えて、彼は蝶を止まらせたまま、手を高く持ち上げる。
「その思いはきっと、届いているよ」

 蝶々はふわりと舞い発ち、まるで夜空に吸い込まれるかのように、高く高くへと上って行きました。
 そして不思議なことに、少しずつその羽の紫は薄れていき。その代わり、まるで輝き始めた月の光に染められたかのように、とても優しい、淡い黄色に染まっていったのでした。
 それは私が、心のどこかに押しやったまま忘れていた、愛の色でした。


 視線を下ろした時、そこにはもう、「蝶々屋」などという胡散臭い店の姿も、サングラスをかけた黒ずくめの男の影も全く存在しなかった。慌てて姿を追い求め辺りを見回すが、目に映るのはただ、流れ行く雑踏ばかり。
 あの蝶はきっと、彼の元へ飛んで行くのだろう。
 突然だけど、彼に電話しようと思った。もう手遅れかも知れない。それでも、好きだという気持ちを伝えなければ、私の心の羽は、きっと紫のままだから。
 カバンから携帯を取り出す。コール音を聞きながら、彼の番号をメモリに登録した時のときめきを思い出す。
『はい、もしもし?』
「……私。さっき別れたばっかなのにごめんね。少し、大丈夫かな」
『美咲? いや、平気だけど……どうした?』
 変わらない、優しい声。付き合い始めた頃は、電話でこの声を聞くたびドキドキしていた。一つ一つ、愛しい気持ちを思い出していく。
「うん……あのね、話したいことがあるの」
『何?』
 彼に聞かれた途端、臆病になる気持ち。「何でもない」と言ってしまいそうな心に必死であの蝶の姿を描く。その黄色い羽を、私はとても綺麗だと思ったのだ。私の心にもこんな色があったのかと。
『もしもし? 美咲?』
 気持ちを鎮めて一呼吸し、私は言葉を搾り出した。
「佐原、私ね。本当は佐原のこと、大好きだよ」


 蝶々は無事、彼の元へと辿り着けたでしょうか。






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