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第6回中高生3000字小説バトル Entry13

リベンカ


「花には、離弁花と合弁花とがありますが、入試に出ることはないでしょう」
塾の先生は黒板のほうを向いたまま話している。どうして塾の先生はみんな同じように色つきのワイシャツを着て黒っぽいずぼんをはいているのだろう。制服なのかもしれない。
奇妙な響きの単語、『離弁花』。

リベンカ。私はそれをイタリアの女の人の名前だと思った。──リベンカにはトニーという灰色の眼をした恋人がいる。トニーとリベンカは毎週金曜日にどこか海の見えるところにいるのだ。
リベンカは上手に微笑まない。リベンカは上手に話せない。顔も心も錆びついているものだから。それを和らげる唯一のものがトニー。
「毎日つまらなそうだね」
トニーは逢うたびリベンカを気遣う。優しいけど、結局トニーは何も判っちゃいない。リベンカは不器用に口の端だけをくっ、とつりあげて(これが彼女なりの笑い方)彼の言ったことを否定する。
「そんなことない。」
トニーはそうか、と安心したようにゆっくり2回肯いた。私は一つのことに集中できない。リベンカも。いつも考えている。だから今トニーが言ったことを聞き取ることが出来なかった。
「え?」
「日曜日空いてるかってきいたんだけど」
トニーは不機嫌そうにもう一度言ってくれる。日曜日ねえ…。
「友達とかと遊ぶんなら別に良い。空いてるなら」
友達って。自分からすすんでその人の前でそう言える人はいない。やっぱり何も判っちゃいないのね。

想像を膨らませるうち私の意識がふたつにわかれてしまった。ぷちぷち音をたててそれははなれていく。不透明なひとつには体があって、透明なひとつにはそれが無い。不透明な本能と、透明な感情込みの言語付き思考。

塾の講師が黒板をたたきながら言う。
「チューリップも花びらが別々なので、離弁花ですね。」
どこかからチューリップの歌と電子オルガンの伴奏が聞こえてくる。
ずっとさがしていた。さがしてもさがしてもみつからないひとを。たくや。私はたくやをさがしていた。今は名前しか覚えてない男の子。なぜ仲がよかったのかどうやって仲よくなったのかも覚えていない。ただ残っているのは、
「たくや!」
と駆けより、ぽんと抱きとめられる記憶。一瞬 静かになった世界を覚えている。自分とおなじぐらいの高さの小さな肩にあごをのせたことも、周りの大人の丸くなった眼も覚えている。あのときは抱きつけば抱きとめられるのがあたりまえで、恥ずかしいからよそうとかよけられるかもしれないという考えはかけらも無かった。だからこの記憶は私をいやすのだろうか。この記憶は安心できない時間から逃げるための最高の乗りもの。
でもその記憶は仮想の現実なのかもしれなかった。「初恋の人」という概念から生まれた身勝手な妄想。確かめるのが怖い。いやしがなくなれば壊れてしまうから。だから確かめない。
透明なひとつである私が暗いきもちになると、不透明なひとつが苦しそうにうめいた。わかれても回路がつながっているのだろうか。

もしここに私が存在しなければ何だったのだろう。希望としては、だれか頭の良い子供のアキレス腱辺りの細胞がいい。ぼんやりと在って、本人の知らぬまに消滅。一回、細胞の気分を味わいたい。細胞分裂がしてみたい。ゆっくりと時間をかけて染色体がわりばしみたいにわかれてゆらあ、と細胞質をただよってラーメンのスープに浮かぶ油のような形になって、無限大の記号みたいになって
ぷちっ
と分裂したい。
──さようなら、右側にわかれた私。さようなら、左側にわかれた私。
ぷちっ ぷちっ
──さようなら北にさようなら南にさようなら東にさようなら西にわかれた私。
透明なひとつが楽しくなると不透明なひとつは
「あははははは」
ときっかり6文字ぶんだけ正確に笑い、止まった。


「バラの花も離弁花です」
あ、時間ですね。と講師が言い、そこで授業は終わりとなった。もう帰れるのに、斜め前のもうひとつ前の席の女の子たちはまだ話している。
「あー、リスカしたい」
「リスカって何?」
「リストカット。自殺。手首切るの。ああ自殺してぇー。」
「やめなよ。こわいよぉ」
自殺したいという女の子はその反応に対し、薔薇色の頬をして醜悪な笑みを浮かべてげらげら笑っている。
(死にたきゃ死ねば? 死にたくなくて死んでいく人だっているのに贅沢な。)
私の考えを教えてやりたかったがそんな事したら人の話をきいていたというおろかな行為がばれてしまう。でもあんな大声で話しているから聞こえて当たり前だ。ばかみたい。
(私はどんなに追いつめられたって病んだって生きるんだ。)
板書を写したノートに細かくうずまきを書いた。気持ちがのりうつったように混乱したうずまき。私はうずまきが好き。うずまきを愛しているの。ホルマリン漬けの寄生虫が描くうずまきも、人差し指の指紋のうずまきも。かたつむりの殻も。
わたしは合皮の鞄に勉強道具を詰め、人間の匂いがたちこめる塾の建物を出た。

外は晴れているのに雷がなっていた。駐車場にいくと母が迎えに来ていた。
「ただいま」
母の車に乗り込み、シートベルトをしめる。おかえり、といつも通りに母は微笑んで白いオデッセイを発車させた。


リベンカは今頃トニーと夕飯を食べているはずだ。

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