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第8回中高生3000字小説バトル Entry11

静かな恋

 
 さらさらと木漏れ日がさす。

 そんな中、彼は一人、本を読んでいた。

 静かな落ち着いた雰囲気。

 それがこの風景に似合いすぎているような気がして

 私は不意に悔しくなった。

 いつものようにスケッチブックを広げる。

 この風景を切り取るために。

「じゃま?」

 ふいに彼が言った。

 ひらがなの、こっちが悔しくなるくらいの優しい発音で。

「いいえ」

 私は答える。

 冷たく自然な発音。

「そう」  

 優しい静かな返事。

 彼はそう言うと、また本に目を落とした。

 私も静かに空間を切り取り始める。

 鉛筆が紙の上を走る音。

 彼がゆっくりとページをめくる音。

 さらさらと木漏れ日がふりそそぐ音。

 すべての音が優しく、そして心地いい。

 不思議と彼のことは、ほとんど気にならなかった。

 空気の中に溶け込んでいて。

 まるで、この空間ができたときからそこにいたかのように。

 不思議だ、と私は思った。

 無心に絵に没頭しているのに彼のことばかり考えている。

 静かに時は流れる。

 彼は何も言わずに本を読み。

 私は何も言わずに絵を書いた。

 ふいに景色が赤に染まった。

 夕暮れ。

 彼は、ぱたんと本を閉じた。

 見上げた私と視線があう。

「それじゃあ」

 彼は静かにそう言って少し笑った。

 私は彼を黙って見送った。

 彼がいなくなった景色の色が薄れたように感じる。

 鉛筆が思うように動かない。

 今日はもう無理かな。

 スケッチブックをゆっくりと閉じる。

 そこに今日の景色を閉じ込めるように。

 

 彼と共に過ごす時間。

 それはごくゆっくりと静かに流れた。

 彼が来ない日も私は絵を書いていたし、

 私が来ない日も彼は本を読んでいたと思う。

 ただ静かに、お互いに何も言わず心地よい沈黙だけが流れる。

 私はただ景色を切り取りつづけたし

 彼はただ本を読みつづけた。

 いつのまにか、私はこの空間に惹かれていた。

 

 ある日、私は彼にこう言った。

「書いてもいい?」

 あなたを書いてもいい?

 彼はやっぱり優しい静かな発音で答えた。

「動かないでいいなら」

 彼はそう言うと少し笑った。

 私も静かにそれに答える。

 彼が本に目を落とす。

 私は彼を白いステージの上に切り取っていった。

 二人とも何も語らない。

 彼は本に目を落としつづける。

 私は彼をただ描いていく。

 それが自然なことのように。

 ごくごくゆるやかなときが流れる。

 いつもの唐突な夕暮れが訪れる。

 そして、いつものように彼は帰ってゆく。

 私は紅いスケッチブックの上の彼を見た。

 これは彼じゃないな。 

 私は静かにスケッチブックを閉じた。

 

 次も、その次も私は彼を書いた。

 それでも私は彼を捕まえられなかった。

 書いている最中は確かに彼なのに

 それが終わってしまうと、それは彼ではなくなった。

 彼は一度もそれを見ようとはしなかった。

 ただ、そこで本を読み、夕暮れとともに帰っていった。

 そして私は紅く染まった彼を見て

 やっぱり静かにスケッチブックを閉じるのだった。

 

 ある日、私は彼を書くのをやめた。

 そこにある景色を切り取ることにした。

 木漏れ日の中、彼が一人本を読んでいるその景色を。

 彼一人を切り取るには彼を知らなすぎたから。

 私が知っている彼は景色の中にたたずむ彼だから。

 私が切り取れるのは知っている彼だけだから。

 私は景色の中の彼を切り取ろうと思った。

 静かな沈黙だけが流れるその景色を、私はただ無心に切り取った。

 気がついたらそれは完成していた。

 ちびた鉛筆をゆっくりと置き、じっと見つめる。

 紙の上に広がる風景はただ一点、彼に吸い寄せられていった。

 そこにはまぎれもない彼がいた。

「見せてくれるかな?」

 はじめてあった時のように、ふいに彼が言った。

 優しい落ち着いた発音で。

「ええ」

 私はそっと彼に近づくと、その風景を彼に手渡した。

 本を静かに置くと、彼は私の切り取った風景をじっと見つめた。

 限りなく優しい目で見つめる。

 ふっと彼が笑った。

「僕みたいだね」

 柔らかい優しい声で言う。

 まっすぐに投げかけられる言葉。

「あなたですよ」

 私も笑ってそう言った。

 ひらがなの、自分でも驚くくらいの優しい発音で。

 ふいに世界がむらさき色に染まった。

 きれいな薄いむらさき色に。

 そして景色が赤く染まる。

 それでも、彼はじっと私の切り取った景色を眺めていた。

 私も黙ってじっと彼を見つめていた。

「ありがとう」 

 彼は静かにそう言った。

 ただ、静かに一言そう言った。

 そして、その景色を私に返すと本を拾い上げた。

 そして、じっと私を見つめる。

「それじゃあ、また」

 いつものように彼は帰っていった。

 いつものように静かな別れの挨拶だけ残して。

 ふっと景色がぼやけた。

 こんなにも静かな恋があるなんて。

 私は静かにスケッチブックを閉じた。

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