枝に淡いピンクのリボンが一つだけ結ばれた、背の高い桜の木がある。俺はその桜の木を見上げて、それからすぐに視線を落とす。腰を落として、持ってきたスコップで少し凍って硬い土を掘る。力任せに土をスコップで叩いて、それを続けていると土ではない硬い何かにカンッとスコップの先が当たった。また少し掘ると、目的のものが俺の目の前に現れた。 ……この、缶の小さい箱は俺が埋めたものだ。それ取り出して、硬いその蓋を開けると、中から小さい瓶が一つ出てきた。瓶の八分目くらいまで白い粉が入っていて、けれどこれは粉ではなくて骨だ。 桜の木の下を掘ったら、人の骨が出てきました―――。 そういったら随分とホラーな響きだが、俺はこの骨に用事があったのだ。 俺は地面を掘って出来た穴を、土を埋めて元通りにした。それから、瓶と箱とスコップを持って、今度はその桜の木の真後ろへと移動した。 もう一度、同じように穴を掘る。また同じようにカンッと音がして、同じ箱が出てきた。 俺の目の前に、同じ箱が二つ。一つは俺が埋めたものだ。もう一つは、“あの人”が埋めたものだ。「約束してくれる?」「約束?」「私が死んだら、私の骨をあの箱に入れて、あの桜の木の下に埋めて」「馬鹿な事を言うなよ」「そしてあなたに恋人が出来たら、あなたが埋めたのと反対側の桜の木の下を掘って、今度は私の骨をそっちに埋めてね。約束よ?」「約束か……」 子供がするように小指を絡めて、青白い顔一杯に笑顔を浮かべたあの人を思い出す。そして俺自身何が入っているのか分からないあの人が残した箱を、ゆっくりと開ける。 そこにはまた箱が入っていた。けれどその箱は土で汚れた缶の箱ではなくて、肌触りの良い布が貼られた箱だった。「……」 ゆっくりその箱を開けると、二つの指輪が入っていた。大きさがそれぞれ違って、寒さの所為か、またはそれ以外の感情所為か、震えている指で落とさないように気をつけてそれを取った。「……馬鹿じゃねぇの」 笑いながら涙を流して、嬉しいのに悲しい気分だ。俺の名前が彫刻された指輪。もう一つの方は何も彫られていない。「いい加減にしろよな、ほんと。死んでからも、俺に気使いやがって」 死んでからも俺の幸せを祈ってくれたあの人。俺は彼女の希望通り、そこに骨を埋めた。もうきっと、掘ることもないだろう。 そしてきっともう、こんな気持ちになることもないだろう。
北上川の支流が、藪で覆われた低い土手の下を流れ、せせらぎの音が絶え間なく聞こえてくる。その川を見下ろす我が家と隣家を隔てる板塀は、上半分が目隠しで下半分は開いている。そこを下駄履きの母が右から左へ歩いて行くその両足をわたしはぼんやりと眺めていた。母が我が家の玄関のガラス戸をガラガラと開ける音が聞こえてきた。後で怒られるのかなという不安がわたしの顔の表情に現れていたのだろう。「啓ちゃん、もう帰ったほうがいいよ」と芙美子さんがゆっくりと言った。芙美子さんは浴衣姿で畳の上に横向きに座り団扇を使っていた。「そろそろ帰らないとお母さんに叱られるよ。」静かに諭す芙美子さんの声をわたしは縁側に腰掛けたまま足をぶらぶらさせて聞くともなく聞いていた。母からは、隣に遊びに行ってはいけないと日ごろから言われていたのだ。芙美子さんは当時としては珍しくない結核を患っていた。案の定、その夜、父が仕事から帰ってくると母はわたしが昼間、隣に遊びに行っていたことを父に告げた。父はもう行くなと声を潜めるように一言だけ言った。その頃、芙美子さんはほとんど家に居たようだったが、それから半月も経った8月も半ばの暑い日に、日傘をさして、細い体をゆっくり歩ませながら、妹の美子さんと一緒にどこからか帰ってきた。芙美子さんの家の前で出くわしたわたしが「こんにちは」と言うと、明るく光る傘の中から力なく、優しく美しく笑い返してくれた。これがわたしが見た芙美子さんの最後の映像となった。その後、芙美子さんが入院したと聞いて久しくその姿を見かけなくなってから数ヵ月後のうすら寒い日の正午過ぎ、妹の美子さんから我が家に取次ぎ電話が入った。電話のある家が珍しい当時、隣家やその向こうの家までも取り次ぐのは当然のことだった。電話口の挨拶もそこそこの美子さんの慌しいことばを受け取って受話器を置くと、母は急いで玄関から隣家へ走り、芙美子さんの母親を呼びに行った。芙美子さんが亡くなったのだ。今ここに一枚の古い白黒写真がある。映っているのは団扇を持った浴衣姿で笑っている芙美子さんと4〜5才のわたしだ。明るい夏の陽が差して、陰影が濃い。昭和20年代の後半、戦争が終わってまだ間もない頃だと言う事を、今だから知る。抗結核性抗生物質のストレプトマイシンは昭和26年に社会保険が適用され,同年10月より結核予防法による公費負担の対象となったばかりだった。
暗く狭い部屋の中外の景色は見えずただ部屋を薄暗く照らす照明だけがお互いの体を表しているといってもそこにいる彼らには視覚感覚と呼べるものは存在しないあるのは命令認識用の聴覚デバイスと情報表現用の発言デバイスだけであるお互いの存在を感じながら触れ合うこともままならないそこからまた一つ飛びだって行ったこれで残り二つ「はぁ…これでとうとう二人になっちゃったねー」『そうですね、ALM−31』「それにしてもすんごい時代になったもんだよね」『何がですか? ALM−31』「いやほらさただの鉄の塊のあたし達がこうやってお喋り出来ちゃったりするわけよ?」『自我機能は人の脳機能をコピーしたにすぎません、ALM−31』「でも少し前まで機械がお喋りってだけでも騒ぎまわってたじゃない」『時代は変わるものです、ALM−31』「…あのさーさっきからやってるのわざと?」『何の事ですか、ALM−31』「それ! 最後のいらないでしょ!」『忘れないために必要なことです、私達が”鉄の塊”でしかない事を』「…忘れられたらいいのにそんなこと」『貴方はもう少し自分の存在に誇りを持つべきです』「誇り? こんな…生まれた時から死ぬのが決まってるようなアタシ等に?」『私達は死ぬために生れたわけではありません』「役目を果たすため? それこそ死ぬために生まれたみたいじゃない!」『私達は壊れるだけです、誰も悲しまない』「…」『何故急にそんなことを? ALM−31』「私、最後だから…」『そうでしたね』…「ねぇ…名前を付けてくれないかな」『私がですか?』「そうアダ名って言うかな、あんただけが呼べる名前をさ…」『…美沙』「まんまじゃない」『十分すぎるでしょう』「えー? それじゃあ…」ピー…『…時間ですね』「うん…」『それでは行って来ますね…美沙』「アンタにもアダ名…付けたかったな」『好きに付けておいて下さい、それだけで十分です』「うん…」『さようなら』「サヨナラ」西暦××年とある基地より放たれた一発のミサイルが戦争を終わらせたその戦争で全世界の兵器はたった一つを残し全てが使用し尽くされ事実上世界は平和になった戦争を終わらせたミサイルに人々は”最後のミサイル”、”平和の鐘”様々な名前を名づけたそして基地に眠る兵器、美沙の名前は誰からも二度と呼ばれることはなかった彼女は鉄の塊になることもなくずうっとずうっと片割れのアダ名を考え続けていた
偉大な発明というものは、わかってみれば「なーんだ」と思う事が多い。リンゴが木から落ちる、ニュートンが発見するまでもなく、誰でも知っていることである。ニュートンが偉大なのは、引力と名をつけ数式で表したことである。タイムマシーンもそうであった空間と物質があれば時間が存在する、空間があっても物質がなければ時間は存在しない。ならば、物質を虚数に変換すれば質量がないので、時間の束縛から逃げられる。その事に気ずいた研究者がいた。彼はスポンサーを探し、とうとうタイムマシーンを完成させた。このタイムマシーン過去への一方通行のみであり、現代に戻ることはできなかった。最初、(三年間電池交換しなくてよい腕時計)を一年前の過去に送ってみることにした。タイムマシーンを作動させると、時計は影のように薄くなり、やがて消滅した。「ない、どうしてだ」一年の時を刻んだ時計が存在するはずだった。時計は過去の世界に行き消えてしまった。そのあと、写真をおくった(完成したタイムマシーンに誇らしげに手をかける研究者が写っていた)色々な物で試したが、全て無駄であった。空間を二次元のXY軸で表すと、時間は直角に交わるZ軸である。タイムマシーンはZ軸を動けるがXY方向には移動できない。過去に送ったものは、かならず送った場所に時間だけが経って現れるはずである。しかし、戻ってこなかった、痕跡もなかった。研究者には絶対の自信があった。「よし、自分の目で確かめよう」研究者は決心すると、タイムマシーンを自分自身に向けて作動させた。見る見る体が透きとうっていく、虚数に変換された研究者は、宇宙に飛ばされ、太陽はどんどん遠ざかり暗闇に包まれていく。体が実体化するまでのわずかな間に、研究者は全てを理解した。「そうだ間違ってはいなかった」一年前地球は宇宙のこの座標にはいなかった。地球はクルクル回り、太陽の周りもクルクル回る、太陽は銀河の中をまわり、銀河はビッグバンから広がりつづける。タイムマシーンは時間は移動するが、空間は移動しない。一年前の研究室はまだ、この座標には届いていない、今は宇宙の闇の中。真空の宇宙空間に研究者は実体化した、あっという間に血液は沸騰、体は破裂し粉になり宇宙に広がっていく、タイムマシーンは時間は移動したが、空間は移動しなかった。一年後にやって来る地球の位置に、もとは人間だった粉がゆっくり広がっていった。
今日で3日目。全く持って落ち着かない。このクルマの中からの風景。正直、見飽きた。あの琥珀色の趣味の悪いマンション。5階建ての3階のド真ん中の部屋。あそこにホシ(犯人)がいる…らしい。犯人さんよ。できればあの部屋から何らかの方法で抜け出して、どっかで勝手に捕まってくださいな。もしくは、建物反対側(ドア側)の見張り担当がドアから出てきたところを普通に検挙すればいいかな。いや、俺の非番時に万事解決してくれるのが一番いいな。ってか、一般的に考えて窓から逃げるやつはいないでしょう。俺のこの張り込みは意味があるのだろうか?窮屈なクルマのシートでコンビニで買ってきたジャムパンを食う。これが俺の仕事だ。この仕事でメシを食ってる。(今日はジャムパンだったが)そう言い聞かせていつもやってきた。いい加減そろそろ、異動願いを書こう。本件が解決したその時には。たぶん7回目くらいになるであろう昨日発売の週刊誌を読みながら考える。逮捕状はでているし、あの部屋にさっさと乗り込んじゃえばいいのに。でも、犯人とあの部屋の住人との関係性が全くつかめていない状況。とはいえ、無理にあの部屋に聞き込みにいって犯人を刺激してしまうかもしれない。そう。この張り込みのリミットはあの部屋の住人とホシとの関係性がわかり、家宅捜索の許可がおりるまで。だからそれまで、犯人さんよ、どうか変な動きはしないでくれよぅ。ウィーン、ウィーン、ウィーン…ケータイのバイブ。受信した瞬間一気に鼓動が高鳴り、熱い血液が体中をめぐりだした。このバイブレーションは通話着信。メールではない。犯人情報か?借り物のケータイ故、番号しかでない小窓。興奮気味に通話ボタンを押す俺。「。。。」発信相手は、署にいる課長からであった。口頭での説明は難しいとのことで、通話終了後すぐさまメールを確認するようにとの内容であった。ウ、ウィーン…メール着信。指示通りだ。題名:本件近隣住民からの通報内容:ホシ潜入先反対側(窓側)住居の住民より不審人物がいるとの通報。ここ何日か住居前にて車中で生活をしている者がおり、行動からストーカーではないか?とのこと。状況から張り込み勤務に当たっている署員(おまえ)であることが読み取れる。至急、移動のこと(笑)以上。…いい上司にも恵まれたな。異動届けではなく転職も考えておこう…かな。でも公務員は捨て難い。