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第39回1000字小説バトル Entry6

あぶらうり

 難しい教えもわからないし、厳しい修行にも耐えられそうにないから、寺男にしてください、と二十歳の春に頭を下げた。寺男というのは、日がな境内を掃いている、サトウガジロウみたいな男のことだとかんがえた。高校の、主任先生が世話してくれた印刷工場を断りもなく飛び出して、大垣行きの鈍行列車に乗って、それからまた名前の知らない鈍行列車に乗って、京都の街にたどり着いたのだった。
 片腕のないぼさつさまが、やわらかくほほえんでいた。あれ、そうかい、と目をひらいた。
「おめえさん、まだ若いんだし、もうちっと娑婆の空気を吸ってみちゃどうだい」
 坊さまは、法衣を居心地悪そうに揺すった。かさばる肩のあたりを揺する仕草さえなければ、歯切れのいい東京コトバだった。
 それから東京に戻って職を転々とした。今の商売をはじめたのが十年ほどまえ。
「あぶらを売っております」
 看板をかかげ、軽トラックにサラダ油の徳用ボトルを積み込んで、日本中を売り歩く。暑いときにはしぜんと北に向き、寒いときには南へ下る。お客さんは四十代、五十代のおんなの人だ。こっちが択んだわけじゃねえが、天然しぜんとそうなった。
「あぶらはいりませんか」
 はじめてのお客さんは、まず値段にびっくりする。市価の半値以下だからだ。つづいて味におどろく。中身が水だからである。
「あんた、昨日のあれ、水じゃないか」
 売ったあくる日、かならずお客さんを訪れ、しかられる。
「あいすみませんっ」
 玄関先で頭を地面にすりつける。それが、あこがれの、二十歳のときからずっとあこがれの、修行だった。
「失礼ながら申し上げます、あれを水と思うのは、お客さまのこころ、あるいはからだ、あるいは両方が病んでいるからであります」
 そして、私はお客さまのおまんこを舐める。おまんこにたどり着くまでにはさまざまな紆余曲折がある。しかし、かならず、私はおまんこにたどり着き、舐める。
 私はていねいにおまんこを舐める。味がする。いろいろの味がする。お客さまが四十年、五十年と時間をかけて養われてきた味を、私はありがたくいただく。
 終わったあとで、もう一度徳用ボトルのあぶらを舐めていただく。
「これは、水ですか?」
「いいえ、あぶらです」
 それから、私はお米とお味噌をいただいて帰る。この商売を続けるうちに馴染みになったお客さまは、お米と味噌以外のものをも私に与えようとするが、それは丁重にお断りしている。

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