宙空を鳶が飛んでいる。青空の向こうに何があるのかなんて知る由もない。ただ私は入院中のベッドに横たわり、空を眺めているだけだ。
ホーキング博士の宇宙論を思い出す。宇宙が開いている(膨張し続ける)という考え方と閉じている(収縮を繰り返す)という二つの説があるそうだ。どちらかというと宇宙は無限に広がると考えた方がイメージは沸きやすい。そんなことはどうでもいい。いかにしてこの退屈を過ごすか。私の思考は、どちらかと言えば、そちらの方に傾いている。必要だからと学校で教わった知識はなんの役にも立たず、ただ入院患者同士の会話に相づちを打つだけだ。
「宇宙人っていると思う?」
私の答えは、いいえだった。所詮大学を中退してもその程度かと思われるのが嫌で何かと理由をつけてしまう。
「地球は違った成分で構成された生物めいたものはいるかもしれませんけどね」
先祖から受け継いだDNAなんて本当にあるのかすら疑わしい。
まだ鳶は宙空を旋回し、我々を見下ろしているようにも思えてならない。
急に隣のベッドの患者が私の名前を呼ぶ。
「だけど不思議やと思わへん? キリンの首が長いのは分かるわな。な? だけどカメレオンはどうして色が変わるんや? 心がそうなりたいと望めば生態も変化するってことやろ?」
私は、それを不思議だとは思わなかった。その疑問を否定するわけではないが、それはそうなるものだと決めつけているから。教科書にしたがって物事を考えてきた我々にとって教科書に載っている問題以外は問題ではなかった。知的好奇心の薄れた私は、その時点で昔、志した科学者の試験は失格なのだろう。常に何かに疑問を持ち、それを解決できたときの喜びは何にも変えがたいと聞く。当たり前の事を疑う気持ち。これは何にも変えがたい科学者の基盤となる。
空模様が怪しくなり、鳶の群れはいなくなってしまった。
「皮膚の中で何らかの化学反応が起きているんでしょうね」
と言いかけたが、それを言うために息を吸い込んだ瞬間、次の質問が来た。
「人間も突然変異によって生まれた生物やろ?」
不意を憑かれた私は、ただ「はい」と答えるのが精一杯だった。
知的好奇心だの学校で習った知識だのより人間同士の会話の間合いの方がよっぽど難しい。それは、肌で感じとり、自然と身に付けていくものだから。宗教家がその際たるもんだと考える。科学者と宗教家。常識を疑うか、信じるかという差こそあれ、真実を求めるという一点に限って言えば、同じものを追求していると言えなくもない。
そう考えると、さっきまで気になっていた鳶の群れが飛んでいること自体が馬鹿馬鹿しく思えてならなくなってきた。
「人間が火を起こしたきっかけは?」
昔、狩人が銃で鳶を落としたように、核ミサイルを迎撃できればいいのに。