予てより心待にしておりました暑い夏。甲子園球場にかち割り氷に応援歌。高校球児たちが校章旗。愈々、この日がやって参りました。
そのようなアナウンスが流れるテレビを背に汗をかきながら、麺を湯がく。黄色い生麺を氷水に通し、皿に盛り付ける。卵を溶き、四角いフライパンにそれを流し込み、両面焼く。生ハムと卵を千切りにし、胡瓜を細切りにする。トマトを八方切りにする。
錦糸卵、生ハムの千切り、胡瓜、トマトの八方切りを上手に四方に盛り付ける。冷麺のタレをまんべんなくかければ、美味しい冷麺の出来上がり。冷やし中華というのが通称だが、関西では、冷麺と呼ぶ。
通例では暑い夏の風物詩とされ、「冷やし中華始めました」という幟も立てられる程である。その幟を見るだけでも涼しげな空気が流れる。
つるつるの麺の喉ごし、新鮮なトマトの冷たさ、胡瓜のシャキシャキ感、錦糸卵の仄かな甘味、生ハムの柔らかな舌触り。それを包み込むようにタレをかき混ぜ、麺を啜ると、協奏曲を思わせる心地よさがリズミカルに脳を癒してくれる。冷麺(敢えて冷麺と書く)を喰いながら、野球中継を観ていると、夏の高校野球選手権大会は、今年の優勝校はどこに当たるのか、なんてことを思い出す。ここ数年の野球人気のなさに朧気な憂いを感じつつ、それでも夏の甲子園を思い出す。
冷麺と麦わら帽子を見ると何故か、あの日の直射日光を懐かしみ、また来年の夏の風物詩を思うばかりである。
初めて見るスイカを不思議そうに眺めながら、この夏の終わりに昨年のこの季節がもう一度、脳裏に一瞬、甦る。
冷麺にスイカ、それからスイカの種。麦わら帽子をカンカン照りの日差しの中で農作業をしているとあの日の高校球児たちが何を思い、プレーしていたかなんて忘れてしまうくらい、精神が研ぎ澄まされる。
この畑一面のトマトの集穫量を見ると、今年も野菜は値上がりか、などと感じてしまう。年々、増加傾向にある農家の数と反比例するようにして、トマトの集穫量と物価は下がる。
食卓にトマトが上る頃には、暑い夏の甲子園で、ずっしりとしたストレートがバッターボックスの打者のバットが空を切る。
今年の夏はまだ始まったばかりである。
もっともこの作文が発表される頃には、アブラゼミが鳴いている頃であろう。
夏の落語「千両みかん」ですら、今となっては通用しなくなった。便利がよくなると古いものは廃れていくのが世の常である。