ホワイトジャックは撲滅キャンペーンを止める事にした。結構ボランティアはしんどい。2010年末キャンペーンをやらして頂いたお礼に店内のトイレ掃除をしたのだがパワー液とジフを垂らしてデッキブラシで男子トイレをごしごしして、白く泡立ったまま完了させたら、その中途半端さが問題になった。
2011年1月8日撲滅キャンペーンの後お礼に店内をモップで拭いて居て、偶然5千億円を拾ったのだが、届けようとした所、まさか交番に届けるんではないでしょうね、交番に届けると、法的にあなたの者になる可能性が生じる、それはいかんよ、店内での拾得物は、端的に言って所有権が店主に属して居ます、あなた、拾得場所を偽って、そのお金をわたくししようとしたでしょう、とあらぬ嫌疑をかけられて仕舞った。
1月31日ホワイトジャックは父と母の3人で喫茶店へ行った。らんちを食べようとすると、表示上のナポリタンが無く、カレーしかない。仕方なく何時ものモーニングで済ませる。モーニングサービスが14時頃までやって居て何かと便利だが、ランチは残念だった。
ホワイトジャックはいろいろと落ち着いて来ると、撲滅キャンペーンは止めて、ヒトラーの研究に没頭する事にした。
三嶋由紀夫の「我が友ヒトラー」は三嶋由紀夫がヒトラーの事を「我が友」と言って居るのだと思っていたが、これは突撃隊隊長のエルンスト=レームとヒトラーとの親密な関係からレームがヒトラーの事を「我が友」と言って居るのだとホワイトは知った。
ヒトラーは長いナイフの夜事件でレームを粛正する。これは当時のドイツ国においては大統領からも国防軍からも支持され、国家の正当防衛行為とされた。諸外国は様々な非難を投げかけたが、むしろヒトラーは事件後ほどなくしてヒンデンブルク大統領が死去すると、自らの首相職に大統領職を合わせた様な日本語で言う所の「総統職」につく。フューラー=指導者であり、国家元首として独裁権力を確立したのが1934年。
それまでにもヒトラー率いるナチ党と共に伸長著しかった共産党は解党させられ、ナチ党政権奪取以前は政権政党を担う事の多かった社会民主党も共産党同様活動禁止の憂き目にあってナチ党に匹敵する政党が壊滅していた。
ヒトラーいかにして政権奪取したかにホワイトは大いに興味をそそられた。ある出版社の大物政治家叢書ではヒトラーもチャーチル、ルーズベルト同様に扱われて居るのを知って自分の探究心に確信を持てたのだった。