また、私は猫が好きらしい。これも今となっては曖昧な感覚で、猫と言うちんまりとした温もりは思い出せても、それのどこがどうよかったのかなど具体的なことは結局思い出せなかった。「兄」が病室に持ってきた黒猫の縫いぐるみに怪訝な目を向けた私の様子など「母」は構っていられないようだった。彼女は、自分や家族の存在を認められない息子に怒りを抱くのに忙しい。それでも泊りこんで病室を出て行こうとしないのが彼女の可愛らしいところだと思う。そんな風に怒っている姿を見るだけで、「母」が私を他人以外の特別な存在としてみていることなど分かるのに、そこまで怒らなくても。いやしかし、怒って拗ねてくれないと私も彼女を特別な存在として見れないのだから、悩ましいものである。
「父」はただ口を文字通り「への字」にして私の手をぎゅっと握っていた。一番悔しいのは私だ。こんなにも想ってくれる人たちがいるのに返せない。悔しいのに悔しいという感情すら控えめで、それに苛立つ。
健忘症については時のみが解決すると医師に言われ、私は事故から一週間で退院した。歩いているところを自転車に突っ込まれて吹っ飛んだらしい。なんと情けない、と笑いすら起こせない理由で色々とすっ飛んでしまいここにいる。幸い、外傷は打撲と擦り傷程度のもので、退院する頃には殆ど治っていた。
一人で出歩くのは、退院した翌日の一度で懲りた。心配げに眉を八の字にする「母」に散々言い返しての一人散歩だったが、近所の人に話しかけられると飛び上がる有りよう。私にとっては初対面なのだから仕方があるまい。今度からは全ての事情を把握しているうちの人間に同伴してもらわねば、どうにもならないと感じた。
それでも、あの日足の向くままに赴いたあの場所は、何があろうとたった一人で行きたいと思った。――大小様々な猫が自由気ままに寛ぐ空き地。砂利の多い地面からは、生命力の強そうな雑草が天に伸びていて、それに隠れるでもなく、じろじろと眺め渡す私に警戒心を抱きもせず暇そうな半目の猫に、胸を鷲掴まれた。先にも言ったように、私は依然から猫が好きだったらしいが、未だにその感覚が分かっていない。それでも恋の開始を告げるかのように強引に揺さぶられたあの日のことを、あれ以来ご無沙汰であるにも関わらず鮮烈に覚えている。
不可解な気持ちを抱いたままに、猫から全てが解けるような気がしているのは、きっと思い違いではない。