去年末から今年初めにかけてカラオケへ3回行った。私は昨年度11月と12月に試験を4回受けてまだ全部発表になって居ないが1回合格で後は全部滑ったのがほぼ確実な情勢なので、カラオケの3回はきっちり3回分の残念会と言う事になって仕舞った。(実は残りの1つも合否通知が来てないだけで公式には発表になって居る。私が確認してないだけだ)
五木ひろしの「終着駅」の「勇気のない俺を笑ってよ」の部分が残響する。その前に「死ぬ気で来たのに」とさらっと歌うのだが、本気かしらと言う疑念に捉われて中途半端な歌い方になる。
去年末から今年初めにかけてと行っても、最初の1回目は12月初めで、まあ年末と言えるかどうか、クリスマスイブやクリスマス、大晦日などを考えるとまだやっと師走と行った所で年末とは言えないだろう。
例えばミスチルの「マシンガンをぶっ放せ」などはその後の伯父貴の死に強く結び付いて居る様で感慨深い。あと横浜関連の唄もよくその3回のうちの1番初めに行ったカラオケで歌って居た様な気がする。
ソフトドリンク飲み放題で、ソフトクリームも食べ放題。(これは今まで気付かなかった。ドリンクのみと思って居たのだ)。自分で歌を入れて、その曲の歌詞が始まる前に慌てて注ぎに行った事もある。ほぼ私一人で歌って居るのでそうせざるを得なかった。
カラオケに着く前に「牧野伸顕伯爵」が車に乗って居るのを見た様な気がした。気のせいか。しっかり運転席に座り。ハンドルを回して居た。
私は猛烈に歴史小説を書きたくなった。超国家主義者に付け狙われた牧野。第1次世界大戦では全権の西園寺に代わって次席全権と言っても実質彼が全てを取り仕切ったと言う。クレマンソーとも、フランス留学中の下宿が同じだったので旧交を温めたと言う。宮内大臣、内大臣を務め陛下の信認絶大にして自由主義的な英米派。戦後政治でも娘婿の吉田茂の良きアドヴァイザーだっと言う。
私はアフリカンホームダイレクトのCMを見てから市役所へ行った。夜姉が帰って来て母らが風呂へ入る前に、妙に睾丸が急激に痛む。私は襖を開閉したり、簾式のアコーディオンドアを鋭く閉めたりして、ガイストの調和をたもとうとするのだが、母は風呂から風呂桶を鋭く風呂床にこすらして何とも言えない鋭い音を発生させて、こちらの不安定さを助長させるのだった。
私は歴史小説はまず天皇を中心に書くべきではないかと思った。特に明治以降の。