八月の雨は容赦もなく地面を叩きつける。まるで爺さんの話した雨だと親は思った。
赤い雨、少年の頬には雨に打たれた様な傷がいくつもの赤い線になって流れていた。
八月六日。少年の十六回目の誕生日は雨だった。少年は自ら選んでこの親の元に生まれてきた。何をこの子に残せるのか、してやれる事は何か。親達はまだ何もしてあげられていないと感じていた。だが少年の命は確実にリミットへと近付いていた。
「省吾、今朝は雨みたいだし車で送って行こうか?」
「いいよ。小降りだし自転車で行ける」
少年の声が玄関に残る。雨に遮られ、言葉がそこで切り取られた気がした。親は不吉な予感に外へ飛び出し右を向く。濡れるのを避ける様に猫背になった彼の後ろ姿が、鮮やかな向日葵のカーブへ消えて行った。残された足元には雨音だけが残った。赤い雨の予感。小さな頃に感じた不吉が近付く。
━━爺さんは語る。
黒い雨が何日も降り続き、兄妹や叔母が焼けた炭の様に川を流れていた話し。沢山の黒い人形。語り継がれる悲しみは、爺さんにとっては赤い雨へと変わった。爺さんの母の背は赤く醜かった。まるで赤い雨が背中に描かれている様だったと。耐えられない痛みが母を川へと誘い二度と爺さんの元へは戻ってこなかった。その悪夢は爺さんの全てに赤い雨として刻まれた。
「赤い雨が降るんだよ、黒い雨が止んでもな」━━
親は直感する、大事なものが奪われる予感。そして無力でただ受入れなければならないと。
少年は何の不安も抱かずに自転車を漕ぐ。小雨に少し上目遣いに顔をそむける。ほんの先のアスファルトの切れ目、マンホールの無機質な蓋、それは余にも短い彼の未来が見えていた。普段の光景が鮮明に彼の脳に映る。緩やかな上り坂を駅へと漕ぐ。息はまだ上っていない。家から離れる、どんどん離れる。親から離れる。消える、そして雨に消える。赤い雨に少年は消えた。
親は振り返る。暗い淵に佇みながらも振り返る。
彼が残せたもの。十六年間、親として生かしてくれた事。小さな命で平凡な生きがいを感じさせてくれた。真に腹から笑わせてくれ、嬉しさで涙を流させてくれ、自分でもびっくりするほど怒鳴らせてくれた。何気ない小さな幸せな日々ばかりが映画のように流れ続ける。
私達を選んで生まれてくれてありがとう。十六年間、私達はあなたの存在が幸せだった。
八月六日の雨は容赦もなく地面を叩きつける。悲愴など小さな欠片だと赤い雨は降り続ける。