アンニュイ
アレシア・モード
ドアチャイムの音がした。
(誰よ)
私――アレシアは、アンニュイに髪をかき上げると取り敢えず立ち上がる。玄関に向かう前に部屋の鏡を覗いた。うんアンニュイ。よく分からないけどアンニュイな顔立ちだ。結構気に入っている。柔らかく膨らむ頬と不服そうな唇のコントラスト。眉を顰める。ああアンニュイ。良かろう。さて。
「どなた?」
「七階の伊藤と申しますが」
上の階だ。穴から窺うと女が一人立っている。見覚えのある顔だ。私はそっと扉を開く。何の心当たりも無いけど、彼女の口元からは不穏な言葉の予感を覚えた。
「……何か?」
「首、返せ」
「はぁ?」
女の姿を改めて足下から順に観察する。スリッパだった。その上は長いスカート。上半身は妙に大きなフリースをだらりと着て、汚れて染みだらけ。変な色のマフラー。顔は割と端正で、まあ悪いレベルでもないよねとも思われたが、黙っている私が不満なのか、その目は次第に吊上がっていった。
「首、返せ」
「いえ、結構ですから」
私は扉を閉めようとする。そこへ彼女の腕がにゅうと伸びたので、私はその腕を扉で挟む事となる。ごっという音がして、私はつい扉を開き「あ、ごめん」とか口走っていた。私はそんなネガティブな言葉を吐く性格では無い筈だが、根は善人なのだ。
「結構ってなんだよ」
中に押し入った女は、怪我しただろう腕を私の方に伸ばして叫んだ。
「首返せ首返せ!」
声が廊下に響いてみっともない。私は扉を閉めてしまった。
「首ならあるだろ。恥ずいから静かに帰ってね」
「これじゃない、こんなんじゃない!」
「駄々っ子かよ、それで取り敢えず十分。さっさと帰れ」
「首返せ!」
女は光る物を懐から取り出し、握り締めた。はあ、やっぱ包丁すか。私はアンニュイに嘆息した。特殊キャラとの遭遇率が高い私には低レベルな敵だ。
「……颱風おんなのアレシアをなめてるの?」
「殺してやる!」
「その程度かい」
忽ち起こる戦戈の響き~!
四海を圧する黒雲のッ、九天地を撃つ雷のッ、六蛮をして懼れしむぅ、熱帯生まれの低気圧……ッ!
(略)
忙しいんだから、こっちは。
女を追い返し、やれやれと鏡をみて頬に付いた血をアンニュイに拭う。傷は無かった。一応、私も相手の顔については傷つけないよう気を遣った。後で返してもらう大事な顔だからね。アンニュイに飽きたら……
首を伸ばし、うっすら残る接合痕をそっと指でなぞる。
うーんアンニュイ、アンニュイ。