O 歯ブラシを持ちつつ上下する我よ今年はすっかりそれが定着(2011年12月30日)
今でも定着して居るが、歯磨きは忘れ易い。階段の上下中でも磨けば、歯磨きの習慣が定着するだろうと言う目論見であった。
O 交番へ財布を取りに行く時の夏の夕べはでこぼこが無く(2011年6月11日(土))
日付は2011年となって居るが、去年を回想して詠んで居る。古本屋へ行った時の事だ。財布を無くしたと思ったら最寄りの中央町の交番にあった。家からの電話で知って、交番へ行った。どうせ所持金数十円の財布だが、そういう問題では無かった。
O 田植機が我が目の前を悠然と(2011年6月7日(火))
喫茶店へ行く途上であった。公道を田植機が走っているでは無いか。さっそく俳句にした。感動や実感の為俳句としては荒く、もっと洗練した表現が可能であると思いつつも、この句はこれはこれで、いいのではないかと今では思っている。
O 田植機の誇りに私は感じ入る(同)
同じ目撃事実から。やはりよほど強烈な印象を持ったのであろう。「誇りに」と勝手に断定して居る。私は感じ入ったのであったが、惜しむらくはその後入った喫茶店でどんな週刊誌を読んだのだろうか、と言う事だ。分からないのがこれほどおしいと思った事は無い。
O 田植機の牽引部分が長過ぎる(同)
矢張り同じ出来事を。多分後ろに長く曳いて居たのであろう。青々とした苗床を引いて居たのであろうか。そこのところが分からないのがやはり惜しい。句には表れて居なくてもメモ程度の説明は句に付けておくべきであった。句作ばかりに気を取られるとそう言ったあたりまえの事実を漏れ落としたまま済ませて仕舞う事が多い。句作プラス背景事実の確保。相矛盾するかのような事をやっておく事は異次元的に難しいのかもしれない。
O 田植前部外者なれど緊張す(同)
一先ず田植機からは離れたが、相変わらず「田植」ネタ。これも背景事実を失念して居る。むしろ私は2011年6月7日(火)に拘るべきなのであろうか。それではあまりに外に拡散して仕舞い、カヴァーしきれなくなる事を私は危惧するがちょっとぐらいは・・と思う。
2011年6月から7月にかけてはFIFA女子ワールドカップでサッカー女子日本代表が初優勝して居る。これはビッグイヴェントだ。俳句でも短歌でも詠んだ事が無かったと今更のように気付いて愕然とする。
過去を見て散文的だと思う時|実はラヴェルの絵が鳴って居り (自作)
ここで擱筆する