遂にG1になって仕舞った。G2であればまだ会談が出来て居たのだが、G1では独り事しか言えない。これは傲慢だったためか。私は初心に帰って謙虚に俳修行に打ち込みせめてG2の段階に戻り、あわよくばそれ以上を目指そうと思うのだった。
天の声「そんなつまらない事を言ってないで、おまえはおまえの俳修行に勤しめばいいのじゃ。はようはよう」
天の声に促され私は俳修行に勤しむ事にした。ちなみによく「きごさい」と言うサイトからコピペして居ます。でもちゃんと読んで居ますから、意味を解しようと努力して居ますからとただのコピペでは無い事を「天の声」様に申し開きするのであった。
花野(はなの) 三秋
子季語 花野原、花野道、花野風
関連季語 秋の七草
解説 萩、薄、桔梗、吾亦紅、釣舟草など秋の草花が咲き乱れる野原のこと。春の華やぐ野とは違い、秋風に吹かれる花々には哀れをさそう趣がある。
来歴 『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。
文学での言及 村雨の晴るる日影に秋草の花野の露や染めてほすらむ 大江貞重『玉葉集』
何で、ただ「花」と言えば桜で春の季語なのに「花野」と言うと秋の季語なのだろう。私はかすかな疑問を打ち消すかのようにそんなひまがあるなら例句に当たるべきだと思った。
面白く富士に筋違ふ花の哉 嵐雪 「風の末所収」
川音の昼はもどりて花野かな 千代女 「千代尼句集」
吹き消したやうに日暮るる花野かな 一茶 「伊丹酒船の記」
から駕籠の近道戻る花野かな 正岡子規 「子規句集」
雪峰へ日影去りにける花野かな 渡辺水巴 「水巴句集」
荒海のしぶきをかぶる花野かな 長谷川櫂 「新年」
服部嵐雪、加賀千代女、小林一茶だ。 私はもっと江戸時代の俳句を研究するべきだろう。現代の俳句ももちろん大切だが江戸時代の俳句が分かれば現代の俳句もよりよく理解できるはずだと私は思って居る
花(はな) 晩春
子季語 花房、花の輪、花片、花盛り、花の錦、徒花、花の陰、花影、花の奥、花の雲、花明り
花の姿、花の香、花の名残、花を惜しむ、花朧、花月夜、花の露、花の山、花の庭、
花の門、花便り、春の花、春花、花笠、花の粧
「花」を調べて唖然とする。古今和歌集の頃から「花」と言えば「桜」で確か春夏秋冬と、古今和歌集の部立てももちろん季節だけの視点だけで分類されては居ないが、万葉集と違って、より日本人の心情にしっくり来る部立てになっていると思う。その為?か正岡子規に忌避され彼に「紀貫之は下手の歌詠み」とまで言われ、まさかまともな学者や良心ある歌人たちは本気で相手にもしなかっただろうが、何時の時代でも児戯に等しい根本的な否定はなくならないものだと言う点でも唖然として居る次第です。