俳句の真髄鈴木真砂女
石川順一
4月23日ドームで野球を観戦して居ると隣の席に鈴木真砂女が来た。俳人の割には妙に野球に詳しい。
「ガッツ来い。ガッツ代打」
と、中日に移籍したばかりの小笠原の事も知って居た。
「私は1906年11月24日に生まれました。2003年3月14日に亡くなって居ます」
なんだ、霊魂様だったのか。私は隣席の霊魂様を慰める為に真砂女の名句を唱える事にした。
「御身思ふこと如何ばかり雁かえる
冴え返るすさまじきものの中に恋
すみれ野に罪あるごとく来て二人
瓜揉んでさしていのちの惜しからず
死なうかと囁かれしは蛍の夜」
「あら、あなた、私の俳句を知って居るのね。嬉しいわ。もっと唱えて下さい。さあ」
と、依頼された。
「漁火のひときは明き愁思かな
かのことは夢幻(ゆめまぼろし)か秋の蝶
泣きし過去鈴虫飼ひて泣かぬ今
春淋し波にとどかぬ石を投げ
白桃に人刺すごとく刃を入れて
いつの日よりか恋文書かず障子貼る
こほろぎやある夜冷たき男の手
罪障のふかき寒紅濃かりけり
人と遂に死ねずじまひや木の葉髪
羅(うすもの)や人悲します恋をして
水打ってそれからおかみの貌になる
死ぬことを忘れておりし心太
浴衣のまま行方知れずとなるもよし
菜の花や今日を粧ふ縞を着て
神仏に頼らず生きて夏痩せて
片栗の花を見にゆく帯締めて
秋刀魚焼く煙りの中の割烹着
桃林の落花の果てに消えしかな
初凪やもののこほらぬ国に住み
火祭やまだ暮れきれぬ杉木立
舞い舞いて波濤の泡のきらめけり
すみれ野に一人歩きの足捌(さば)き
心中に海ありという春の海
大輪の菊の首の座刎ねたしや
降る雪やここに酒売る灯をかかげ
金目鯛の赤うとましや春の雨
雲水の銀座に佇てり半夏生
揚物をからりと揚げて大暑なり
目刺し焼くここ東京のド真中
ゆく秋や小店はおのが正念場
下駄にのる踵小さし菊日和
東京をふるさととして菊膾
下駄の音勝気に冬を迎へけり
ゆく年を橋すたすたと渡りけり
遠き遠き恋が見ゆるよ冬の波
今生のいまが倖せ衣被(きぬかつぎ)
口きいてくれず冬涛見てばかり
あはれ野火の草あるかぎり狂いけり
すみれ野に罪あるごとく来て二人
かくれ喪にあやめは花を落しけり
夏帯に泣かぬ女となりて老ゆ
とほのくは愛のみならず夕蛍
かのことは夢まぼろしか秋の蝶
蛍火や女の道をふみはずし
夏帯やー途といふは美しく
夏帯や運切りひらき切りひらき
忌七たび七たび踏みぬ桜蘂
誰よりもこの人が好き枯草に
花冷えや箪笥の底の男帯
死にし人別れし人や遠花火
笑ひ茸食べて笑つてみたきかな
風紋をつくる風立ち暮の秋
冬の夜海眠らねば眠られず
降り積めば枯葉も心温もらす
戒名は真砂女でよろし紫木蓮 」
「まあ嬉しい。これで私もやっと成仏出来ます。ではさようなら」
隣席から真砂女の霊魂が消えた。私は何か俳句の免許皆伝か奥義を授かった様な気に暫く浸って居た。