≪表紙へ

1000字小説バトル

≪1000字小説バトル表紙へ

1000字小説バトルstage3
第69回バトル 作品

参加作品一覧

(2015年 4月)
文字数
1
小笠原寿夫
1000
2
叶冬姫
997
3
ごんぱちー
1000
4
青野 岬
1000
5
サヌキマオ
1000
6
深神椥
1000
7
空人
1000
8
石川順一
945
9
蛮人S
1000
10
芥川龍之介
296

結果発表

投票結果の発表中です。

※投票の受付は終了しました。

  • QBOOKSでは原則的に作品に校正を加えません。明らかな誤字などが見つかりましても、そのまま掲載しています。ご了承ください。
  • 修正、公開停止依頼など

    QBOOKSインフォデスクのページよりご連絡ください。

ありがとう
小笠原寿夫

拍手をしながら、舞台袖からスタンドマイク目掛けて、走り出す。
「どうも~、チャージ完了です!」
「いやマァ僕らねぇ、こうやって漫才してますけど、本当になりたい職業というのがありまして。」
「それは初耳やな。何になりたかったんですか?」
「マァ、その話はさておき。」
「その話をせんかいな。」
「新鮮な野菜を世に送り届ける手助けになる流通業者が、床に伏せったときに元気になってもらうために笑いを届ける商売をしたかったんですよ。」
「それ漫才師ちゃうんか。」
「寒い極寒の地に暮らす人々が少しでも温かくして寝られる毛布を届ける流通業者が床に伏せったときにも元気になってもらうための……。」
「なんで流通業限定やねん!」
「最後までよく聞け。その流通業に憧れる青年達にも笑いを届けられる様な立派な社会人になりたかったんです。」
「なるほど。君は社会人になりたいのか?」
「いや最後まで聞いてくれ。」
「まだあるんかい。もうええわ。」
「いや、違うがな。基本的にはあってるけど、いや違うがな。」
「どっちやねん。」
「っていう漫才をしたかったんですよ。」
「お前おったら、話ややこしなるわ。結局、お前は何になりたいの?」
「お前みたいな奴に憧れてんねん。」
「一回病院行った方がええで。」
「こういう漫才をしたかったんですよ。」
「だから、ちょくちょく漫才に感想を入れるなよ。」
「僕が感想を入れてはいけない理由を千字以内にして原稿用紙に収めなさい。」
「六文字でええか。め・ん・ど・く・さ・い。」
「こんな漫才を聞きに来てくれているお客さんもいるんでね。ちゃんと謝ってくださいね。」
「いや、これは相方共々、大変なご迷惑をおかけしております。」
「お前みたいに素直に謝れる奴、工事現場の看板以来やわ。」
「分かった。お前、一回社会出た方がええわ。」
「なんでや?」
「どこ行っても通用する人間になってこいっていう事や。」
「えっ、引退?」
「なんでやねん?!チャージ完了でした!」
汗だくで、舞台を降り、客の笑いのないまま、凹んでいる私たちに、後輩が一言呟いてくれた。
「僕ら、もう舞台上がれませんわ。」
理由を聞くと、余りにも痛恨のミスを侵していたのだそうだ。
「えっ、後輩の口からはよう言いませんわ。」
頼むから教えてくれ、と懇願すると、ひとつだけ教えてくれた。
「面白くないです。」
私は一瞬、絶句し、爆発した。
「わりゃ寿司の作り方も知らん癖にようその態度取れたなぁボケェ!」
ありがとう 小笠原寿夫

どうしようもないくらいの青空の下で
叶冬姫

 伊坂琴音は、前田雄一が嫌いだ。
 四月の青空。揺れる黄色いミモザの花。昇降口の掲示板に貼り出された白い紙には自分たちの名前。
 高校三年生、最後のクラス分けも、結局アイツと同じになった。
「オッス。また同じだな。よろしく」
 クラス分けを確認して、掲示板から少し離れたミモザの傍にいたら、一番聞きたくない声に挨拶をされた。
「ほぼ同じ選択科目で志望コースも同じなんだから当たり前でしょ」
 雄一の挨拶に琴音は応える。
「ホントお前は可愛げがねーな。『三年間も同じクラスで嬉しいわ。運命を感じるわ』ぐらい言えないのかよ」
「オナジクラスデウレシイワ。クサレエンヲカンジルワ」
「お前、ホント素直じゃねーな」
 呆れ顔しつつ、笑いかけないでよ、バカ。
「おっはよー。ことねー、三年生も同じクラスだよ。嬉しい!」
 いきなり後ろから抱きつかれて、琴音は内心溜め息をつく。
「皆一緒とか運命だよねっ」
「ユカ、私も嬉しいわ」
 溜め息はでるけどこれも本音だ。運命云々は信じないけれど。高校に入って一番の親友になったユカが大好きなことに嘘偽りはない。
「態度が違い過ぎやしないか…」
「ハイハイ」
 態度が違うのはどこのどいつだバカヤロウ。
 バレンタインチョコレートを渡した翌々日の月曜日に、ユカと恥ずかしそうに手を繋いで登校してきた時にはぶっ殺してやろうかと思った。ホワイトディのお返しにと、母親が選んできたらしいクッキーを律儀に持ってきた時には投げ返してやろうかと思った。春休みの間中、呑気に『一緒に遊びに行こうよ』と誘って来る二人は、有名進学塾の特別講座の空きを無理矢理見つけてやり過ごした。
 二月のあの日から、琴音はずっと考えている。ねぇ。なんでユカのは本命チョコで、私のは義理チョコになったの?

「三年生もいっぱい遊ぼうね」
「受験生が遊んでどうするの」
「でも琴音、春休みも全然相手してくれなかったじゃん」
 素直で可愛くて甘え上手で優しくて…こんな女の子を、男の子は好きなのだ。男の子なんて、バカで単純で、どうしようもない生き物なんだから。可愛げがない、素直じゃない、と言われ続ける琴音がユカに敵うわけがない。琴音だってバカで単純に、ユカが大好きなのだから。
「お前は成績は問題ないんだから、根詰める方が心配だよな」
 お願い。優しい言葉はかけないで。
 私はバカで単純だから、諦められなくなる。
 ふと見上げた青空が、琴音に刺さってきた。
どうしようもないくらいの青空の下で 叶冬姫

白銀ーセ事件
ごんぱちー

「お義母様、夕飯が出来ました」
 竜ヶ崎節子は、自分の部屋でテレビを視ていた姑の佳江に声をかける。
「大声を出さなくても聞こえます」
 佳江はテレビを消し、ダイニングに来る。
「夕飯は何?」
「今日はカレーです」
「あなた、今度はインド人と浮気?」
「四年前の件なら、お義母様の誤解でしたよね」
 節子は苛立ちを抑えながら言い返す。
「あらごめんなさい。でも、誤解されるような事は慎んだ方が良いわ。カレーばかり出すとか」
「前に作ったのは月末の給料日前です」
「三十日も経ってないじゃない。まさか、三〇種類も作れる料理がないのに、台所を任せて欲しいなんて言ったのかしら。これじゃ、せっかく味方してくれた良夫がバカみたいね」
「……精進します」
 節子は炊飯ジャーからご飯をよそい、カレーをかける。
「どうぞ」
 佳江の前にカレーを置き、節子はキッチンで片付け物をしようとする。
「犬のエサじゃないんだから、置いて引っ込む事はないでしょう。一緒に食べましょ」
「……はい」
 節子と佳江は向かい合わせに座る。
「いただきます、節子さん」
「いただきます」
 節子はカレーをスプーンで大きくすくい口に入れる。熱さにややもたつきながらも呑み込む。
 ふと顔を挙げると、佳江はスプーンでカレーをつついている。
「節子さん、このカレー、鶏肉を使っているのね」
 佳江は、カレールーの中からスプーンで鶏肉をほじりだす。
「はい。この前は、ビーフカレーでしたから」
「この竜ヶ崎家の食卓に並べるカレーに入れるのは、牛肉にしてちょうだい」
「チキンカレー、お嫌いでしたか?」
「好き嫌いではありません。牛肉も入っていないような粗末なカレーを作っては、我が家の恥になります」
「恥って」
 節子は戸惑いつつも呆れたような顔で説明しようとする。
「この鶏肉はそこらのオージービーフよりも高い地鶏で――」
「黙らっしゃい。牛肉でないカレーなんて、貧乏人の食べ物です! あなたは貧乏人の出だから分からないのでしょうけれどね!」
 鼻で笑って佳江はカレーを食べ始める。
「良夫は優しいから、哀れなものを放っておけないのは知っているけど、怪我をした犬猫の感覚で結婚相手まで拾われてはたまらないわ」

「こんにちは、お肉屋さん」
「らっしゃい、竜崎さんとこの奥様!」
「それを二百グラム、カレー用カットで」
「マトンですね!」
「それから馬を一頭と、コカインを少々」
「おっ、あんたとこの嫁姑問題も、終盤かい?」
白銀ーセ事件 ごんぱちー

新宿夕景
青野 岬

 友人が新宿で個展を開くというので、僕は二十年ぶりにこの地を訪れた。
 届いた案内状の住所には見覚えがあった。高層ビルが建ち並ぶ都会の片隅に、ひっそりと咲いた白いヒメジオンの花。かつて、そんな暮らしをしていたことがある。
 その地名は、若かった僕とサヤカの短い夏を鮮やかに想い起こさせた。

 当時、映画監督を目指していた僕は、事務所近くの居酒屋で働く若い女と知り合った。女は劇団で演技の勉強をしながら、世に出るチャンスをうかがっていると言った。
 それがサヤカだった。
 意気投合した僕たちは、すぐに恋におちた。
 初めての夜。無理して笑ったサヤカの唇は、かすかに歪んで震えていた。
 僕は汗と涙で濡れたサヤカの頬に、そっとキスをした。蜩の鳴き声が夕暮れの空に甲高く響く、夏のはじめのことだった。

 僕らは、そのまま一緒に暮しはじめた。
「いつかサヤカを主演にした映画を撮るぞ」と僕が言うと「いつか孝之の撮った映画に出たい」とサヤカは囁いた。
 窓からは新宿のネオン街が見えた。それは手が届きそうで決して届くことのない、蜃気楼のように感じられた。
 僕はサヤカに安い指輪を買った。夏の終わりに誕生日を迎えるサヤカに贈る、ささやかなプレゼントだった。
 それが僕らの幸せのピークだったのかもしれない。乾いた秋風が吹く頃になると、ふたりの間には些細な諍いが絶えなくなった。
 それは、よくある痴話げんかだったに違いない。けれども心ない言葉は、それまでの幸せな日々を容赦なく塗り替えた。
「変わった……孝之は変わったよ」
 サヤカの顔は見る見るうちに、涙でぐちゃぐちゃになった。そして抜き取った指輪を窓の外に投げ捨てた。指輪は鈍い光を放ちながら、夜の闇に消えた。

 サヤカは部屋を出て行った。
 僕もしばらくして新宿を離れ、それきり二度と逢うこともなかった。

 個展を見終わって地下の画廊から外に出た。すかさずポケットから取り出した煙草に火をつける。白い煙が夕暮れの風に乗ってビルの隙間に吸い込まれてゆく。
 そのときビルの陰に、きらりと光るものが見えた。もしかしたらあのときサヤカが捨てた指輪かもしれない。僕は煙草を指に挟んだまま思わず駆け寄った。
「……あるわけないよ、な」
 どこかで蜩が鳴いている。
 郷愁を誘う声が、僕をこの場に引きとめるかのように寂しげに響く。
 僕は手に持っていた煙草を灰皿に押し付けて、ひとり駅に向かって歩きはじめた。
新宿夕景 青野 岬

メーリさんの羊
サヌキマオ

 ご主人に先立たれて二十年、林の木と木に挟まれてメーリさんの家は建っていた。もともと家の脇に建っていたものが、大きくなって家を挟む木になったのである。
 婆さん、ドレスの仕立て、トラバサミでの狩猟、ラム酒の熟成と手広く仕事をしていたが、身体の衰えに従ってひとつずつ喪っていった。最後に残ったのは薬価の勘定だけで、それでも独り食うには十分な仕事だった。森には早朝からコトコトチーンという計算機の音が響いた。で、数日前から響かなくなった。二本の木をも巻き込んでみんな燃えてしまったのだ。
 メーリさんには甥がいて、ヒューイといったかルーイといったか、少年のまま大人になったような顔をしておる。普段は郵便局に勤めているんですけどね。遺言みたいなもんで、自分が死んだら僕に連絡が行くように郵便局に言伝てていたようです。来るべき時が来たという感じですが――ええ、母の姉です。母は死んで十三年になります。お互いに身寄りも頼りもなかったんですが、伯母は自分の生活が好きだったし、僕にゃこの田舎じゃ何の仕事もなかった。そういうことです。
 址には骨のようなものが遺ってはいた。これがメーリさんだろうということにはなったのだが、もしかすると大量の鶏がらだったかもしれない。骨粗鬆症でかすかすになってしまっていたのかもしれない。メーリさん、ふいっとどっかに行っちゃったんじゃないの、という風聞が引きも切らず起こるのはこの辺に要因がある。デューイという甥は(デューイが正解だった)焼け跡から計算機をなんとか探しだすと、遺産と云ってもこのくらいなもので、と背負って都会へ帰っていってしまった。そのくらい、何もかも燃え尽きてしまった。村の人々はいろいろモヤモヤとしたものを抱えはしたものの、これといった代替案も浮かばないのでそうっとしておくことにした。葬式を挙げずに済んだだけ、費えが嵩まずに済んだと考えた。
 また明くる日には巨きな黒い猫がふらりと現れた。メーリさんの猫だ。この可哀想な猫はしばらく燃えかすの周りをうろうろしていたが、ここでは雨もしのげないのだと解ると、またどこかに行ってしまった。
 件の計算機の中身が気になるという方にはちゃんと内約を教えておこう。1シードルに2ゲリー、9ピント、10ジョッコの3シードルきっかりだ。ちゃんと中の金は慈善団体に寄付したからみんな安心していいと思う。
 デューイの情婦から聞いた話である。
メーリさんの羊 サヌキマオ

きっと、誰にでもあること
深神椥

 友達も殆どいなかったし、決して目立つような生徒ではなかった私が同窓会に出席するなんて、皆驚くだろう。
 ただ、もしかしたらあの人が来るかもしれないって思ったから。

 夕方、同窓会の会場であるホテルへと向かった。
受付をしている時、声を掛けられた。
「野田あさみちゃん?」
見ると、小学校から一緒だった斎藤みさだった。
田舎の中学だったから、学年の殆どは小学校からの顔ぶれが揃っている。
学年百四十人もいれば、話したことのない人や顔と名前が一致しない人もいる。
私は軽く会釈すると、会場へと入った。
奥行きのある小ホールには円卓が五つ程あり、前にはステージが設けられている。
仲の良かった人同士適当に座っているようだった。
私は見覚えのある顔が揃うテーブルへ腰かけた。
入学初日に自分の席に着く時のような緊張を覚えた。
「のんちゃん久しぶり」
隣に座る西村まさみが声を掛けてきた。
彼女とも小学校から一緒で、当時結構話した仲だった。
その内、前のステージで数人がマイクを持ち、何やら始まった。
皆騒がしいから、よく聞き取れなかった。
 そうだ、私はあの人を捜しに来たのだ。
他のテーブルを見回していると、あの顔が、あった。
横顔だが、今も変わらず、日本人離れした顔立ち。
 彼の名は中村まさふみ。彼とは小中高と一緒だった。
――中学三年の時、調理実習で彼と同じ班になった。
私は買い出しを頼まれ、立て替えたのだが、班の内、彼だけが食材費二百四十円を払ってくれなかった。
何度か彼に催促したのだが、適当に理由をつけられ、結局払ってくれなかった。
ちゃんと言わなかった私も悪いのだが、密かに彼のことを想っていたし、何だか恥ずかしくて言えなかった。
十年経った今でもそのことが心に引っかかっていた。
大人になった今なら言えるかと思ったが、益々言えなくなった。
十年も前のこと忘れてるだろうし、二百四十円くらいで、と思われるのも嫌だ。
 酒で顔を赤らめ、煙草を吸う彼の横顔を見てそう思った。
そして、私は一人黙々とテーブルに並んだご馳走を食べ始めた。

 一時間半程してお開きになり、殆どの人は二次会へと向かった。
私は数人に手を振り、別れた。
 春が近いとはいえ、流石に夜は冷える。
家の前に着くと、空を見上げた。
霞んだ月を眺めながら、思った。
 皆、この十年、きっと色々あった。
 中村君にも、勿論、私にも。

 私はため息をつき、口角を上げると、今の自分を少し誇らしく思った。
きっと、誰にでもあること 深神椥

春、恋、魔力
空人

 鼻腔の奥で春を感じて、僕は顔を上げる。ちょうど街灯が朝の目覚めを察知して、一斉に眠りに入る瞬間に遭遇した。少し眠っていたのか。分からないけど、僕はまだこうして彼女のアパートの扉の横で、蹲ったままでいる。

 街灯が消える瞬間を見れるなんて、ついてるな。と、くだらないことを思っていると、外階段を上がってくる足音が聞こえる。
 彼女は立ち止まって僕を一瞥すると、軽くため息をついて近づいてきた。
「こういうの、もうやめて」
 僕を見ることなく、独り言のようにつぶやく。僕は立ち上がる。
「あいつのところにいたのか?」
「関係ないでしょ」
 彼女はバッグの中に手を突っ込んでかき回す。
「あの男はやめとけって」
 彼女の肩に手をかけようとした瞬間、思い切り振り払われた。
「あなたより数倍マシよっ」
 睨み付ける。手に持った鍵が小刻みに揺れる。
 もう僕には微笑んでくれないのか。そうだよな。あんなひどいこと、弁解しても許されないだろう。でも、僕には彼女が必要だった。たとえダメになることが分かっていても。

 温められた空気は、ぼんやりとちょっと生臭いような桜の匂いを運んでくる。チリチリと鳴っていた鍵の音が止んだ。
「ごめん。言い過ぎた」
 彼女は僕に近づき、腰に手を回した。額を胸に当てゆっくりと言う。
「分かってる。あの人はダメだってことくらい。わたしにも分かる」
 その気持ちは僕も同じだ。君とは絶対に長続きしない。僕も君も必ず不幸になる。分かっている。でも、その先の風景をいっしょに見たいと願っている自分がいる。
「こんなダメな私でもいいの? 愛してくれるの?」
 上目づかいでそう言った。僕は彼女の目をまっすぐ見つめ、うなづく。
「じゃあ、ひとつ約束して。できる?」
「守るよ」
「わたしのことを愛してるなら、二度とわたしの前に現れないで」
 彼女は踵を返して、部屋のドアを開け、中へと消えていった。

 遠くから、雀の啼く声が聞こえる。あんなオンナ、絶対ダメだよな。

 街灯の灯りが消えた瞬間に立ち会えたのは、幸運のしるしではなく、僕の灯りが消えることを予期していたのか。それとも、春の、桜の、この匂いが、判断を狂わせるのか。いや、そんなはずはない。僕は「ふふっ」と嗤う。初めから分かっていたことだ。ダメになるってことを? 違う。些細なことでも前向きに捉え、まだきっと彼女は僕のことが好きに違いないと思い込む、恋には魔力があるってことを、だ。
春、恋、魔力 空人

石川順一

犬は考えた。もう12時を回ったがまだ今日の24時だ。おっといけねー高得点句が切れ始めた。俺はこれが切れるとわんわんやりたくなる。「恋文はひらがながいい桃の花BY石倉政苑 フラミンゴ百の片足春うららBY高寺よし造 じゃが薯植う母の歩幅に父が置くBY石口翼 流氷を見て来し夜の地酒かなBY佐藤敦子 校長の手漉きの和紙で卒業すBYてちゅろう 幼児画の家より高きチューリップBY高橋城山 ふらここを漕いで地球を遠ざけるBYやち坊主 春満月藁の中から仔山羊の眼BY大塚征路 雛飾るいまだ娘の部屋と呼ぶBY大塚征路・・」
もう翌朝の7時だと言うのに犬はまだ昨日の31時40分だと粘って居る。そう考えないと気が済まない犬は飽く迄日付は昨日のままだ。それに高得点句を思い浮かべないとやって居られない。「トンネルを抜けて空まで桃の花BY藪柑子 傷だらけの机残して卒業すBYやち坊主 いかなごの光の嵩の箱並ぶBY珠子 髪染めて一人の日永余しけりBY佐藤敦子 水紋は鯉の欠伸か春の池BY松井ただし 春愁の切取り線を切り離すBY歩杳 介護士の指さす空に初桜BY奥鳥羽英人 春愁を握りつぶせり紙コップBY高寺よし造・・」犬の俺がやって居る事を快くないと思って居るのも居るかもしれない。憲法の第19条で詩想良心の自由は認めているではないかと犬の俺は思う。しかし・・一抹の不安はある。例えば出典を明記しろだの、いつぞやなぞ、何と俺の高得点友の会まで出来て仕舞った。俺の性向を誰かが知って居て作ってくれたのだろう。有りがたい事だ。おかげで思う存分高得点句を想う事が出来る。「肩車して梅が香の真ん中へBY耶馬渓石 正論を説かれさびしき春の月BY佐藤敦子 春愁を抜けて跳び箱帖んでおくBY歩杳 純白の値札を背負ふ鰆かなBY吉原波路 うぐいすに森は眠りを解きにけりBY無積 一村を丸呑みにして大霞BY青葉 鳥雲に肩甲骨は翼あとBY黒船 禅僧の話いつしか梅自慢BY林阿愚林 春泥の重きスパイク打ち合はすBY高橋城山 藁引けば虚ろとなりし目刺しの目BY瀬戸燧洋 紅引いてみたき観音春夕べBY十月桜 ほうれん草影絵の様な農夫かなBY寺子屋・・」何か足りない。犬の俺は思う。何だろうか。来る日も来る日も高得点句で・・でも・・「牛たちの眼にいっぱいの春の海BY天気雨 春愁の眉もて少女笛を吹くBY薩摩隼人・・・」
犬 石川順一

風船の夢
蛮人S

 春の海岸は穏やかに晴れている。
 砂浜の風が、観測技長の頬を心地よく撫でた。彼は妹の手を引いて小学校へ向かった桜咲く春の朝を思い出していた。今は故郷で結婚した妹も、あの頃は本当に幼かった。
 だが今、技長の傍らに立っているのは、見学に来たという一人の陸軍将校だった。
「放球します」
 技師らの操作で、観測気球は緩やかに上昇を開始した。
「あの風船は、重量はどれほど積めるんだ?」
「二キロ程です。今の機材で限界でしょう」
「だろうね……」将校は空を見たまま独り言の様に呟いた。「大型化すれば自重も増す。重量物は困難か。素材も問題……ゴムでは高高度の膨張に耐えぬ。量産には入手性も重要だ」
「量産?」
「まあそれは考えんで良い。君らには高層観測の経験で協力して欲しい。実は、所長には伝えてあるが、この観測所は私の統括で軍の管轄下に入る」
「軍、我々がですか」
 将校は笑った。
「君も米帝どもに一泡吹かせたらと思うだろ、風船で」
 技長は、軍の考えを薄々察し始めていた。
「……爆弾なのですか。海を越えて」
 将校は煙草を出した。
「魅力的な案だ。だが風船爆弾では小さく効果は低い、爆弾では。しかし」
 煙を吐き、将校は呟く。
「恐怖の種、なら他にもある」
 その言葉の意味は掴みかねたが、技長には夢物語だと思えた。
「気球がどこに落ちるかなど我々でも分かりません。確かに恐ろしい計画ですね」
 皮肉のつもりだったが、将校はそう解釈していなかった。
「君は恐怖の本質を理解しているな」
 将校は続ける。
「何も分からぬのが本当の恐怖だ。いつ、どこへ。風船の位置は探知しづらく、数も不明。しかも中身は何か。仮に致死性の物質なら……」
 毒物か?
 細菌? 放射性物質?
 そんなものを空に飛ばすのか?
「それは、あまりに……」
「君も、今まさに自分や家族を害する者があれば抗うだろう、手段を問わず!」
 将校は、静かに続けた。
「それは正当な、自衛の権利なんだ。情勢は次第逼迫している。米帝とその傀儡は……謀略に汚れた富で肥え太りなお我々の全てを奪おうとしている。君も、この美しい国を共に守ろうではないか」
 技長は何も言えなかった。
「中央には君の事も詳しく報告しているよ。元帥様のご期待に添えれば暮らしも保証される」
 将校は微笑んだ。
「……故郷の妹さん夫婦もね」
 背後で観測値の読み上げが始まった。
 技長は海を見る。その彼方にあるのだろう豊かな島国の影を思った。
風船の夢 蛮人S

商売聖母
今月のゲスト:芥川龍之介

 天草の原の城の内曲輪。立ち昇る火焔。飛びちがう矢玉。伏し重なった男女の死骸。その中に手を負った一人の老人。老人は石垣の上に懸けたマリヤの画像を仰ぎながら、高声に「はれるや」を唱えている。
 忽ち又一発の銃弾。
 老人はのけざまに倒れたきり、二度と起き上る気色は見えない。白衣の聖母は石垣の上から、黙黙とその姿を見下している。おごそかに、悠悠と。

 白衣の聖母? いや、わたしは知っている。それは白衣の聖母ではない。明らかにただの女人である。一朶の薔薇の花を愛するただの紅毛の女人である。見給え。その女人の下にはこう云う金色の横文字さえある。ウィルヘルム煙草商会、アムステルダム。オランダ……