感想:「3月のオイラン」
もうタイトルだけです。ごめんな。
「ひとり勝ちの論理」
なんというか枝雀師に近いあやうさは感じるのです。晩年は「もう死ぬかも」的なことを言っていたのが記録に、記憶に残っていますが、たぶんドライブ感のところでシンクロニシティを感じておるのでしょう。
死んぢゃやだよ。
「ぼくが力を隠すわけ1」
うーん、状況説明が、スタートアップがもう少し丁寧な方が読む側が没入しやすいかなあ、と思うのでした。
今のまんまだと、悲鳴が聞こえただけで「ひったくりか!」って判断した感じだし、二人乗りのスクーターなんて機動力がけっこう落ちそうなのに、それでもひったくりを敢行する泥棒さんサイドに二人乗りのスクーターだからこそ「追いつく」と判断したぼくさんサイドみてえな構図に見える。「ぼく」の動機が読者の中でブレる。
作者としては、書きたいのはアクション部分なのだろうし、その辺の熱はよく伝わってくる。んがしかし、もうちょっとアクション以外の部分で親切になれるといいのかもな。
「冥婚」
「どうして、そんな恰好でここにいるんですか」に対する回答が「どうして、って……わたしたち結婚するのですよ」というのが会話になってないし、そもそも、初対面の相手にだったらもっと他に聞くことがあるべ? と思うのだった。以降、話がとっちらかりすぎてて悲しいも感動するもねえなぁ。
なんかよくわかんねぇ。他人がみた夢の話を脈絡なく聞かされてる感。
「春よこい」
やっだぁ、なんて素直。
今回、これに入れてもいいんだけどなぁ。もう一歩先「自分の感性以外」の描写に挑んでもいいかなぁって思うので。
「神おわすなら」
集まっていた人間が不意に全員押し黙るのを「天使が通った」というさうですが、義母の誕生日で集まって、ふと訪れる気持ちの空白、この空白を埋めに来るかのようにいろいろな言葉が思考が浮かんでくる。思考だけでなく、なんのためか、ポケットのライターに火を灯す。おそらくは火を点けようという先はローソクではなかったでしょう。
……と、読むと、タイトルは蛇足な気もする。
「一条の詭弁」
実に新感覚派の手法でやんして、でも今読んでみると、扱うテーマはどうでもいいところをいったりきたりしてるン。非常に親和性を感じる。
投票者: このバトルへの参加作者
感想:「3月のオイラン」
タイトルを一目した時点で、何のパロディでどんな内容なのか
なんとなくわかってしまい、あらためて読んでみて「やっぱりね」
という感想に至りました。
達者な文章を書かれる方なので、たまにはパロディではなく、真正面
からがっつり組んだ真摯な小説を読みたいです。
「ひとり勝ちの論理」
小説と言うよりも、新聞の天声人語を読んでいるような気持になりました。
内容的には「なるほど」と思わせるものがあるのだから、小説として
読ませるのなら、もう少し感情や描写に物語としての起伏があっても
いいのかな、と思いました。
「ぼくが力を隠すわけ1」
「こういうものを書きたい」という気持ちは伝わってくるのですが、
やはり設定に無理があるように思います。
例えばスクーターに乗った引ったくり犯も、犯行に及んだ後、追いかけられ
にくい狭い路地とかに逃げるのではないでしょうか。
実際の道路には歩行者がいて車が走っていて植え込みがあったり駐車車両
や信号があったりするはず。
けれども主人公が自転車で犯人を追いかけるには、それらはすべて無かった
ことになっている。
そうしなければ、この小説は成立しないから。
それらの疑問を無視して展開を楽しむのは難しいです。
「春よこい」
恋は「するもの」ではなく「堕ちるもの」だ
という言葉がありますが、気がついたら好きになっていて理性が効かず
感情が揺さぶられ、甘酸っぱくも苦しい、のが恋なのかな、と思います
(私見です)
この小説の「恋」はまだ第一段階で、これが進むと、身を焦がされるような
想いに苦しむこともあるのでしょう。
でも春の恋には、このくらいの爽やかなときめきが、ちょうどいいのかも
しれません。
「神おわすなら」
いつもの「ごんぱち節」から、一歩踏み込んだ内容になっていて、ちょっと
胸が苦しくなりました。
それは主人公の心理描写が今の私の立場にダイレクトに伝わってくるから
かもしれません。
「嫌だ」「大変だ」「憂鬱」「いたわり」「諦め」などの感情を、そのもの
ズバリの言葉を遣わずに描写しているのは、さすがだと思います。
というわけで、今回はごんぱちさんの作品に一票。
投票者: このバトルへの参加作者
感想:全作品の中で最もあとを引くと言うか、振り返りたくなる作品でした。
他はどれも印象を強く残すほどの魅力を感じられませんでした。 (ぼん)
投票者: 純粋読者