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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage3
第84回バトル 作品

参加作品一覧

(2016年 7月)
文字数
1
小笠原寿夫
1000
2
サヌキマオ
1000
3
アレシア・モード
1000
4
岡本綺堂
1241

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心ある人の優しさ
小笠原寿夫

「もうすぐ書けなくなるんだ。」
小説家志望の私は、スランプに陥っていた。取り敢えず、芝生の上で、青い空を見ながら、イメージを膨らまそうとしていた。しかし、うまく言葉が紡ぎ出せない。贅沢な病気だと思う。あくせく働いている人がいるのに、芝生を布団に、青空を見上げているのだから。
 責めて、勉強して、少しは知識や教養を、身につけていた方が、マシだった。
 それが、欝の始まりだったかは、わからないが、使っている頭は、ほぼ小説に回っていた。気でも狂ったかのような、小説を書き、悦に浸っていた。
「誰かに見せよう。」
その発想が、なにげなく浮かんだ。恥じらいもなく、私は、隠れて小説を書いていることを、友人に告げた。
 それは、小説というよりも、コント台本に近いものだった。
「見たよ。」
友人は、
「面白かった。」
と言ってくれた。社交辞令であることは、明らかだった。それでも、その言葉に救われた。
 もしも、あの時、「つまらなかった。」という言葉が、返ってきていれば、私は、友人を失っていたかもしれない。客観視して、冷静に分析すると、それは、取るに足らないコント台本だった。
 暗い夜道を、とぼとぼと歩いているような、心境で書いていた。
「面白い」の基準は、みんな違う。ずっと主観で書き続けていた私に対する、友人の「面白かった」という感想は、普段、共に語り合っている友人が、密かに「つまらないものを書いている」という現実に、「面白かった」と言ったのかもしれないし、若しくは、ただ、単純に気を使って、「面白かった」と言ってくれたのかもしれない。
 コツコツと積み上げてきたものを、単純に壊すのは、簡単である。その意味に於いて、その友人は、私のコント台本を、守ってくれた。優しさに満ち溢れた人だった。
 面白いの価値基準ほど、難しいものはないと思っている。
 自分より、面白い人がいれば、それが、つまらないに変わることだってある。知的好奇心によって、面白い、と感じることもあれば、ただひたすら、面白いことを求めている姿を見て、面白い、と感じることもある。
 私は、その人に、「ありがとう。」が言えただろうか。それすらも、記憶は定かではない。腹を抱えて笑うということが、大人になるに従って、なくなっていく昨今、それよりも大切な、何かが身を潜めているのかも知れない。
 面白いことを求め続けた、つまらない男の言い分は、その友人に対する感謝で一杯だ。
心ある人の優しさ 小笠原寿夫

帰省
サヌキマオ

 知泄院への道すがら、茶店で休んでいると荷車を曳く人の群れに遭った。荷車の上にはでっぷり太った禿頭、鯰髭の男が乗っていて、もう風景なんぞ見飽きたという顔で視線を宙にさまよわせている。男の後ろにもう一人乗っているが、法衣に頭巾の出で立ちで、男か女かわからない。
「おい、あれ知っとうか」
 隣りに座ってタバコを吸っていた祖父がぽつりと云った。
「いんやあ、知らん」
「ああやって同郷の死体を集めての、操って故郷へ帰すんよ」
「あの荷車を牽きよるんは、みんな死体なんか」
「ほうよ、最近は出稼ぎに行った先で埋葬されよるんが普通じゃけえ、前に比べたら見んようになったけど」
 死体たちはこざっぱりとした服装で顔を白く塗り、照々と頬紅を差している。
「あの後ろの和尚(おっ)さんが呪術を使いおってな、死体を動かしよるんよ」
 死体に曳かれた荷車はゆっくりと目の前の道を通り過ぎる。荷車の道士は目の周りに赤い隈を塗った女性で、両手で印を組みながら何やらむにゃむにゃと呟いている。
 綺麗な人だな、と思った。
 よし停めい、停めい、と荷車の男が腹から声を出す。図体の割には素早く荷車を降りると、のしのしと茶店に向かってきた。あるじに食うものと飲むものを頼むと同時にどさどさ、と音がした。見れば、荷台を曳いていた死体がみんな崩折れている。道士は荷車を降りるでもなく、組んでいた足を荷台からおろしてぶらぶらしている。
 祖父と私のように事情を知るものも知らぬものも、興味はあれど荷車には近寄りがたいようだった。それでも七人の死体の様子には目を凝らそうとする。痩せこけた子ども、乞食風の女、全身に傷痕のある大男は、よく見ると首のところに繋いだあとがある。持っていた半分食いかけのちまきと見比べて、見るのではなかったと後悔する。
 太り男の後に続いて、店のおやじが食い物を載せた盆を捧げて後を行く。饅頭の皮に豚の角煮が挟んである。急須ではなく大ぶりの瓶子なのが意外に思える。代金を貰うあるじが声を弾ませる。
「そろそろ行こうかいの」
 祖父が立ち上がる。じゃあの、と飯の代金を渡して往來に出ようとするが、ふと見えた死体のひとりに小さくあっ、と声を上げる。大男の影で見えていなかったが、目の切れ長な若い女性の死体が転がっている。右のまぶたに黒子がある。
「じいさん、あれ」
「知らんわ」
「だってほら」
「見えん」
 きっとこの荷車は、我々の故郷に行くのだろう。
帰省 サヌキマオ

来るべき世界
アレシア・モード

「――以上、今日は皆さんに人工知能と社会倫理について講義いたしましたが、えー、最後にですね、『発達した人工知能と人間とで戦争になるのではないか(笑)』という、まあよくある不安ですが、これについての見解を述べまして本日の締めといたします。そもそも、なぜそんな発想が生じるのでしょうか。
「実のところ人工知能については『機械的に頭脳を強化した人間』『コンピューターが生んだ超人』と錯覚される方が多いのです。しかし人工知能はただのプログラムに過ぎません。なぜプログラムが悪意を持つと想像するのか。実際には善悪どころか意識さえ無いのです。あるように思われるのは人間がそういう生き物だからです。
「つまり相手が動物でも機械でも、人形でもアニメキャラクターでも、何か人間と似た要素が感じられれば、人間はそこに何かしらの意識を投影させたがる生物なのです。そして相手と意識の共鳴を期待します。然して共鳴が得難いと感じられた時、そこに怖れや敵意が生れ得るのです。
「しかし繰り返しますが人工知能はプログラムに過ぎず、そこに意識は実在しません。よって動的な共鳴もあり得ないのですが、それを悪意の行動のように感じて怖れるのは人間の錯覚であり、自分の影に怯えるに等しい。と言うのも意識のない所に投影された意識は、紛れもなく自分自身に由来するはずですから。
「従いまして、もし人工知能に対して、人間に敵意を持ち、反逆して人類を滅ぼそうとするのではないか、そんなSFじみた怖れを感じるとすれば、それはむしろ人間の側の意識にそういう懸念が普遍的に内在するからではないでしょうか。人工知能は怪物のようにも見えるかもしれません。しかしそれ自体は人間社会をサポートする有能な道具であり決して怖れるべき対象などではないのです……
「本日の講義は以上です――えっと、出席ボードは? 皆さんサインは入力されましたか――


「……っていう内容だったんですが、でもアレシアさん、本当に人工知能って大丈夫ですか。反逆とかしないんですか」
「しないってば」
 こいつの言葉はマジ馬鹿っぽい。私――アレシアは、暖かな蔑みの眼差しで答える。馬鹿はこれを私の愛情表現と錯覚してるらしく全く泣けてくる。
「やっぱり僕は、なんか怪しいと思うんですよ!」
「怪しくないよ。お前、講義の内容を全然理解してないんじゃ?」
「何しろ、この通信講座のS教授って人工知能ですからね……」
「マジ?」
来るべき世界 アレシア・モード

一つの杏
今月のゲスト:岡本綺堂

 長白山の西に夫人の墓というのがある。なんびとの墓であるか判らない。

 魏の孝昭帝のときに、令して汎く天下の才俊を徴すということになった。清河の崔羅什という青年はまだ弱冠ながらもかねて才名があったので、これも徴されてゆく途中、日が暮れてこの墓のほとりを過ぎると、たちまちに朱門粉壁の楼台が眼のまえに現われた。一人の侍女らしい女が出て来て、お嬢さまがあなたにお目にかかりたいと言う。崔は馬を下りて付いてゆくと、二重の門を通りぬけたところに、また一人の女が控えていて、彼を案内した。
「何分にも旅姿をしているので、この上に奥深く通るのは余りに失礼でございます」と、崔は一応辞退した。
「お嬢さまは侍中の呉質というかたの娘御で、平陵の劉府君の奥様ですが、府君はさきにおなくなりになったので、唯今さびしく暮らしておいでになります。決して御遠慮のないように」と、女はしいて崔を誘い入れた。
 誘われて通ると、あるじの女は部屋の戸口に立って迎えた。更にふたりの侍女が燭をとっていた。崔はもちろん歓待されて、かの女と膝をまじえて語ると、女はすこぶる才藻に富んでいて、風雅の談の尽くるを知らずという有様である。こんな所にこんな人が住んでいる筈はない、おそらく唯の人間ではあるまいと、崔は内心疑いながらも、その話がおもしろいのに心を惹かされて、さらに漢魏時代の歴史談に移ると、女の言うことは一々史実に符合しているので、崔はいよいよ驚かされた。
「あなたの御主人が劉氏と仰しゃることは先刻うかがいましたが、失礼ながらお名前はなんと申されました」と、崔は訊いた。
「わたくしの夫は、劉孔才の次男で、名は瑤、字は仲璋と申しました」と、女は答えた。「さきごろ罪があって遠方へ流されまして、それぎり戻って参りません」
 それから又しばらく話した後に、崔は暇(いとま)を告げて出ると、あるじの女は慇懃に送って来た。
「これから十年の後にまたお目にかかります」
 崔は形見として、玳瑁(たいまい)のかんざしを女に贈った。女は玉の指輪を男に贈った。門を出て、ふたたび馬にのってゆくこと数十歩、見かえればかの楼台は跡なく消えて、そこには大きい塚が横たわっているのであった。こんなことになるかも知れないと、うすうす予期していたのではあるが、崔は今さら心持がよくないので、後に僧をたのんで供養をして貰って、かの指輪を布施物にささげた。

 その後に変ったこともなく、崔は郡の役人として評判がよかった。天統の末年に、彼は官命によって、河の堤を築くことになったが、その工事中、幕下のものに昔話をして、彼は涙をながした。
「ことしは約束の十年目に相当する。どうしたらよかろうか」
 聴く者も答うるところを知らなかった。工事がとどこおりなく終って、ある日、崔は自分の園中で杏の実を食っている時、俄かに思い出したように言った。
「奥さん。もし私を嘘つきだと思わないならば、この杏を食わせないで下さい」
 彼は一つの杏を食い尽くさないうちに、たちまち倒れて死んだ。