張鬼子
今月のゲスト:岡本綺堂
洪州の州学正を勤めている張という男は、元来刻薄の生まれ付きである上に、年を取るに連れてそれがいよいよ激しくなって、生徒が休暇をくれろと願っても容易に許さない。学官が五日の休暇をあたえると、張はそれを三日に改め、三日の休暇をあたえると二日に改めるという風で、万事が皆その流儀であるから、諸生徒から常に怨まれていた。
その土地に張鬼子という男があった。彼はその風貌が鬼によく似ているので、鬼子という渾名を取ったのである。
そこで、諸生徒は彼を鬼に仕立てて、意地の悪い張学正をおどしてやろうと思い立って、その相談を持ち込むと、彼は慨然として引き受けた。
「よろしい。承知しました。しかし無暗に鬼の真似をして見せたところで、先生は驚きますまい。冥府の役人からこういう差紙を貰って来たのだぞといって、眼の先へ突き付けたら、先生も恐らく真物だと思って驚くでしょう。それを付け込んで、今後は生徒を可愛がってやれと言い聞かせます」
しかし冥府から渡される差紙などというものの書式を誰も知らなかった。
「いや、それは私がかつて見たことがあります」
張は紙を貰って、それに白礬(はくはん)で何か細かい字を書いた。用意はすべて整って、日の暮れるのを待っていると、一方の張先生は例のごとく生徒を集めて、夜学の勉強を監督していた。
州の学舎は日が暮れると必ず門を閉じるので、生徒は隙をみてそっと門をあけて、かの張鬼子を誘い込む約束になっていた。その門をまだあけないうちに、張鬼子はどこかの隙間から入り込んで来て、教室の前にぬっと突っ立ったので、人々は少しく驚いた。
「畜生、貴様は何だ」と、張先生は怒って罵った。「きっと生徒らに頼まれて、おれをおどしに来たのだろう。その手を食うものか」
「いや、おどしでない」と、張鬼子は笑った。「おれは閻羅王の差紙を持って来たのだ。嘘だと思うなら、これを見ろ」
かねて打ち合わせてある筋書の通りに、彼はかの差紙を突き出したので、先生はそれを受取って、まだ終いまで読み切らないうちに、彼はたちまちその被り物を取り除けると、その額には大きい二本の角が現れた。先生は驚き叫んで仆れた。
張は庭に出て、人々に言った。
「皆さんは冗談に私を張鬼子と呼んでいられたが、実は私は本当の鬼です。牛頭の獄卒です。先年、閻羅王の命を受けて、張先生を捕えに来たのですが、その途中で水を渡るときに、誤まって差紙を落してしまったので役目を果たすことも出来ず、空しく帰ればどんな罰を蒙るかも知れないので、あしかけ二十年の間、ここにさまよっていたのですが、今度皆さん方のお蔭で仮を弄して真となし、無事に使命を勤めおおせることが出来ました。ありがとうございます」
彼は丁寧に挨拶して、どこへか消えてしまったので、人々はただ驚き呆れるばかりであった。張先生は仆れたままで再び生きなかった。