五分時の夢
今月のゲスト:徳冨蘆花
吾不才を悲しみ、人の才を羨み、平凡齷齪の生涯に倦み、日も夜も紙を展べ筆を舐りてはつくる反故もて飽くことなき暗黒の腹を養う忌々しさに、或夜燈下に筆を折って斯く祈りぬ。
「吾は生くるを欲せず、平凡に倦みぬ、求めて得ざる才を追うに倦み果てぬ、爾吾を生かさんと欲せば吾を平凡より救え、吾を平凡に安んぜしめんとならば何ぞ吾に自己の平凡を見せしむるや、吾は生くるを欲せず」
頭は懊悩に低れて、精神やや恍惚。
忽焉、光れる者吾側に立ちたれば、室の内真昼よりも白くなりぬ。
吾おののきて云う「誰ぞ、爾は?」
「汝が祈吾耳に達せり、吾れ汝に諭さん、吾と共に来れ」と光れる者宣う。
飄忽として吾等は大なる野に立ちぬ。百花の野に立ちぬ。花として在らざるなく、香として具わらざるなし。
光れる者蟻の眼よりも細き一箇の花をとり、問い玉わく「何ぞ」
「――苔の花なり」
「汝、耳傾けて此花の言を聞け、牡丹ならざるが故に肯て開かずと云うや」
吾答う「主よ、否、然れども余は無心の花たる能わざるなり」
主宣う「来れ」
飄忽として吾等は大なる森の梢に立ちぬ。限りなき鳥の群れ居る森の梢に立ちぬ。羽として具わらざるなく、音としてあらざるはなし。
光れる者其一羽を余に示して問い玉う「何ぞ」
「鳥の中にいと賤しと云う――雀なり」
光れる者宣う「彼に問え、彼れ金鷲ならざるが故に飛ばずと云うや」
余答う「否、然れども、吾は無知の鳥たる能わざるなり」
「来れ」
光れる者また余を牽いて南の天の下に立たせ、天を仰げと命じ玉う。薄絹をはりたる雲あり、空を蔽う。彼れ嘯き玉えば、雲の帷さらりと落ちて、宝珠を碎いて無限の宙宇に散らせる如く一天皆星となりぬ。
上帝其一を麾き玉いたれば、一の星は蛍の如く飛んで其袂に入りぬ。
上帝宣わく「此は――と云いて、汝等が棲む地より無極の遠きにあるものなり。彼に問え、太陽の如く汝等の眼に大ならず、近からざるが故に、肯て光らずと云うや」
余答う「否、然れども、余は小なれども、爾に像りて造られたるものなれば、星よりも大なり。星の運命をもて満足する能わざるなり」
「来れ」と上帝宣う。
飄々として吾等は虚を踏み、空を渡り、天より天に上り、天より天に上り、無辺の天に上り、空を横ぎる時の橋に立ちぬ。
唯見る、石壁、無辺際の底より立って無辺際の頂に達す。壁の石、色としてあらざるなく、形としてあらざるなし。個々別なるが如く、また唯一なるが如し。
余問う「主歟、是れ何の壁ぞ」
主答え玉う「吾天国の城壁なり」
一の小石を指して宣わく「汝に力を與う、其石を抽きて見よ」
「主よ、否、彼小なる石を抽かば、大なる城壁崩るべし」
近く寄りてよく見よと宣いければ、進みて彼の小石の面を見るに――見よ其の石に鐫られたるは吾名なり。
吾胸轟きぬ。
主宣う「汝見たりや、吾城壁を築くもの盡く吾石なり、大小なく、美醜なし、其一を欠くべからず――汝は満足せりや」
汪然として吾涙落ちぬ。
「主歟、然り」
「汝の地に帰れ」と彼の時の橋より擠し玉うに、呀と叫びて、己を狭き書斎に見出しぬ。頬には猶涙あり、額には汗珠を綴れり、
机上の袂時計は五分過ぎぬ。
燈の光煌々と吾を睨めり。