第1回1000字小説バトル
Entry1
父が何かつぶやいたのを憶えている。しかしその内容までは思い 出せない。ただはっきりしているのは、その時私の目の前には赤く 輝く太陽に彩られた夕暮れの風景が広がっていたということだけで ある。 「ほら、見てごらん。」父は私にそう言い背中の私をひょいと持ち 上げ、太陽の方へ向けた。「大きいね。」ありふれた答えだったが、 多くの人が同じ思いを持つからこそありふれているのであって、そ れは幼かった私にとって一番素直な感想であった。「それにキレイ だし。」私は言葉をついだ。「うん、キレイだ。でもキレイなほど 空の空気が汚れているんだぞ。」父はそう言ったが、私の「ふぅん」 という明らかに興味のなさを示す答えに、言葉の後部を口にしたこ とを後悔したようだった。しばらくして彼はつぶやいた。しかし私 の記憶にその内容は残らなかった。 そして今私はあの日と同じ場所で、眠そうな目をした幼い息子を おぶりながらあの日と同じ様に夕日を眺めている。彼、私の父は一 昨日の夕日と共に遠い遠い場所へ沈んでいった。それ以来、私の心 に訪れた夜は明けることなく続いている。いろいろな記憶が頭の中 に浮かび上がり、そして浮かび上がった数だけ消えていった。「ねぇ 、お父さん?」そんなうつろな世界から私を呼び戻したのは息子の 言葉だった。私は言葉の主の方へ目をやった。「キレイだね。」彼 は言った。そして「どうしてあんなにキレイなんだろうね。お父さ ん知ってる?」と付け加えた。答えようとして私は止めた。あの時 の父の後悔した様子を思い出したのだ。「さてなぁ。」私はそう答 え視線を太陽の方へ戻した。その時だった。私ははっとし、そして 急におかしさがこみ上げてきた。あの時父が何を言ったのかわかっ た気がしたのだ。突然顔に笑みを浮かべた私を不思議に思ってか、 息子がどうしたのかと尋ねた。「いや、何でも無いよ」私はそう答 えた。しばらくの間、会話が途絶える。真っ赤な太陽が暖かかった。 そして私はつぶやいた。そう、あの日の父のように。
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