第1回1000字小説バトル
Entry3
町はずれの公園の中に、楠の高木が一本たっている。ある夏の夕 方、その木陰に置かれたベンチに、老人がぽつんと据わっている。 老人は、赤く染まった天空をじっと見つめている。やがて、赤ん坊 の泣き声と子守唄が聞こえてきた。何気なく声の方に目を向けると、 母親が赤ん坊を抱き、ブランコに乗り歌っている。幾らかの時が移 り、赤ん坊が泣きやんでも、子守唄は静かな公園に優しく流れてい た。不意に、老人は悲しいひとつの出来事を思い出した。 そう、あれは自分がまだ青年だった頃のこと。真夏の昼下がり。 とても暑い日だった。空襲警報が鳴り響き、町のあちこちに爆弾が 落ち、あたり一面がまるで火の海のようだ。多くの人が怪我をし、 命を失った。身体中火傷だらけの子どもたちが、よたよたと歩いて いる。自分もこの時爆弾で脚と肩に怪我を負い、はぐれた両親を捜 しているうちに、この公園にたどり着いた。そして、激しい疲労の ため、楠の木陰に倒れ込んでしまった。 暫くして、ふっと気がつくと、星のささやきが聞こえるような夜 空だった。その時だ。子どもの泣き声と小さな声で歌う子守唄を聞 いた。見ると、楠の近くで、まだ十にならない少女が、三つばかり の男の子に歌っている。月明かりのなかで、二人とも服は焼けこげ、 煤だらけの顔をしている。 「かあしゃん! かあしゃん!」 「泣かないで、かあちゃんは、ここにいるよ」 と少女は言って、また弱々しく歌い始める。その声は本当の母の ように穏やかだった。それでも弟は泣き続けた。 「いい子、いい子。もうすぐだからね」 といたわりつつ、少女は弟をしっかりきつく抱きしめ、また歌い 始める。 自分は声をかけようとしたが、喉が焼けて声がでない。水筒を取 り出そうとするが、体の自由が利かない。やがて、弟は泣くのをや め、眠るように息が絶えた。それでも、その小さな「かあちゃん」 は、歌うのをやめない。それはけなげな子守唄だった。少女の声は 切れ切れになり、小さくなっていく。と同時に自分は気を失った。 気がついた時には、青空に太陽が上っていた。すぐに、姉弟の方 に目を向ける。弟に寄り添うように眠り続ける少女は、もう再び子 守唄を歌うことはなかった。
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