インディーズバトルマガジン QBOOKS

第2回1000字小説バトル
Entry12

未成熟

作者 : 伊藤 修
Mail :
Website :
文字数 :
 東京の産婦人科病院に、新卒看護婦として働き始めて四ヶ月が過
ぎ、先月から処置室勤務になった。
「生まれましたよ、元気な男の子ですよ!」
 処置室で中絶手術の準備をしている私の耳に、隣の分娩室から生
まれた瞬間の赤ちゃんの産声と、出産に立ち会った医師の声が聞こ
えてきた。私の作業の手が止まった。
「あなた! 中絶も看護婦の大事な仕事。まずは、この仕事をちゃ
んと覚えなさい!」
 先輩の叱咤が私の手を再び動かし、持っていた鉗子を医師に手渡
した。医師は手探りで妊婦の子宮内に宿る胎児を鉗子でつかみ、そ
れを粉々にして体外に掻き出す。次に吸引機で子宮内をまさぐり、
生命のかけらも残らないように処理した。稀にまるで子宮内を逃げ
回るように、医師の手を何度もすり抜ける胎児がいる。そんな時は
超音波ソナーの画面を見ながら止めを刺す。最後に術後管理の介助
をして、きょうの私の仕事は、これでやっと終わりになる。
 この病院では、一日に四、五件の出産があり、同時に五、六件の
中絶手術が行われている。中絶時妊娠三ヶ月までの胎児は、摘出し
てそのまま排水口に流してしまう。妊娠四ヶ月を過ぎると胎児も人
間の形をなし、男女の区別がつくようになる。この時期の胎児は摘
出後ホルマリン漬けにして保管し、一定量がたまると指定業者に渡
し処分する。

 私は処置室から出ると、すぐに婦長に呼び止められた。午前の部
で中絶手術を受けた女性が、摘出後の胎児を自分で埋葬して供養し
たいと申し出たそうだ。中絶を受けに来る女性は、殆ど術前に麻酔
をかけられると後は知らない間にすべてが終わり、何事もなかった
かのように去っていく。だが時折このような女性がいる。
 医師の指示に従い、私はホルマリン漬けの胎児たちの中から一つ
ひとつ遺体をピンセットで摘み出し、その女性の胎児を捜した。多
くの遺体はホルマリンに浸すと、やがて変色してしまうので、まだ
変色の浅い遺体はすぐに見つけることができた。

 一日の仕事が終わリ白衣を脱ぐと、いつものように焦燥に駆られ
た。どうしてこんな非情な仕事をやっているのだろう。こんなはず
じゃなかった! 人の生命を事務的に処理する毎日をこんな風に過
ごして、仕舞には慣れっこになってしまうのか。
 出しそびれた退職願を忍ばせたバッグを手に、私は夕陽に赤く染
まった病院を抜け出した。 






インディーズバトルマガジン QBOOKS
◆QBOOKSに掲載の記事・写真・作品・画像等の無断転載を禁止します。
◆投稿された各作品・画像等の著作権は、それぞれの作者に帰属します。出版権はQBOOKSのQ書房が優先するものとします。
◆リンク類は編集上予告なくはずす場合がありますのでご了承ください。