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第3回1000字小説バトル
Entry16

A邸の桜

作者 : 坂川柳子
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 夏子は建設会社に入社したばかりだった。現場管理というのが主
な仕事内容だが、実際は雑用係の毎日だ。今日の仕事は新築ビル周
辺の電波障害についての調査だ。込み合った住宅街の中に突如建設
されたビル。『テレビが映らなくなった』という苦情がかなりきて
いるらしい。また、近隣と揉めるのは嫌だな、と思いながら、調査
書を用意して、出かける事にした。
 調査の対象になる家屋は15軒あった。最後の家屋は、ビルの裏側
の木に囲まれた不思議な邸宅だった。A氏の邸宅だった。
外側から見ると、日本家屋のような佇まいだったが、玄関を開ける
と、不思議な和洋折衷の造りだった。『こんにちは。電波障害の事
で、御迷惑をおかけしています。少しお話を伺いたいのですが…』
 A氏は、快く家の中に案内してくれた。ただ、この家は、不思議
だった。生活しているような印象がない。物がない。
『最近、引っ越されたのですか? それとも…』『いや、ずっとこ
こだ』不思議な洋館の空間で、夏子はただ、家の造りの美しさと、
窓から見える大きな桜の木を呆然と見上げていた。『素敵なお住ま
いですね。』A氏はふふっと笑った。『2階の娘の部屋にもテレビ
があるので』と案内されたその部屋も、きちんと片付けられ、生活
感がまるでなかった。ただ、マントルピースの中に、本が整理され
て収納されていた。家全体は漆喰で壁が塗られていた、夏子はそっ
と、触れてみた。柔らかく、そして、冷たかった…
 会社に戻り五階のベランダから、A氏の邸宅を探した。ところが、
会社の窓からは、雑草と茂る木だけが見えていた。そして、怪しく
光る桜の花が・・・夏子が見た、邸宅は一体どこの邸宅だったんだ
ろう…夏子の手にあの、漆喰の感覚だけが残っていた。






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