第3回1000字小説バトル
Entry29
いつでも(追っ手が迫っている時でさえ)ミンの愛撫とともに交わ す会話はひどく刺激的だった。 残された時間の乏しい俺たちは、一枚の毛布の中で貪るように朝ま で語り合った。 「わたしたち、夜明けまで生きていられるかしら。」 突然、ミンは俺の下腹に細い指先を走らせながら、囁いた。 俺の視線はミンからそれて、この位置からは見えない窓の外の空間 へと彷徨った。 香港のビルは月を貫く意志があるかのように細く、高い。 削いだようにか細いビルの窓から下をのぞけば、奇妙にも落下より、 宙に浮き上がる感覚の方が強くなる。それも、天空を舞い上がるよ うな軽やかなものではなく、落ちるでもなく、上がるでもない中途 半端な感覚に……。 それはどこか、俺たちの立場に似ていなくもなかった。 「国を捨てたこと、悔いていないか?」 俺は自分自身に問いかけるようにミンに尋ねた。 反政府運動に身を投じて十年、秘密警察に追われて国外に逃れた仲 間のうち、未だ無事なのは俺とミンだけだった。 だが、今はドアの向こうに殺気を感じている……。 「怖い……ヤン、わたしを抱いて。」 ミンは微かに震えながら唇を近づけた。 「もしわたしが殺されたら、生まれ変わっても、わたしを見つけて くれる? お願い……約束して。」 昔、香港の入り江には、よく大陸からの亡命者の死体が浮かんだと いう。 ……昔のことだ。 俺の生まれ育った香港は、快適で進んだ都市だった。 だが、このもどかしさは何だろう。 まるでこことは別に、帰るべき故郷があるかのように、俺の体には 見知らぬ女の柔らかい肌の感触と、声の記憶が刻まれていた。 触れることができるほど生々しく、体も耳もはっきり覚えている。 俺はその女と何かを約束したはずなのだ。 今は忘れているだけで。 眼下に臨む暁の香港の街は、冷ややかな霞にも似た月光に包まれて 俺が中空に止まっているかのように、不思議と重力の感覚を欠いて いた。もし今飛び降りたら、地面に叩きつけられるかわりに、宙を 浮遊しているにちがいない。 思い出せない何かを抱いて生きる男には、きっぱりした最期など相 応しくない、と言いたげに。
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